第七章 制札事件 六
長宗我部は元親の代の、戦国の世に、四国の南の土佐より山を越えて、阿波、讃岐、伊予といった四国の北側に攻め込み。その大部分を手中におさめたが。それだけの多大な恨みを残している。
その恨みを消し侵略者の汚名を返上する機会なく、豊臣秀吉により土佐に押し込められて。関が原では跡を継いだ息子盛親は西軍についたことで領土没収。その後の大坂の陣で豊臣家とともに、儚く滅亡の憂き目に遭った。
そういった様々なことにより、土佐の出来人、四国の覇者と、長宗我部元親をそう讃えるのは、悲しいかな、四国のうち土佐の、郷士だけであった。
「な、なにを……!」
不覚にも捕らえられた者は、血の涙を流しそうな目、血を吐きそうな悲壮感をもって原田と勘吾の侵略という言葉を聞いた。
悲願を妨げられた上に、侵略者と言われて。その心は破裂する思いであった。
「是非もない!」
藤崎吉五郎は一旦は逃走を図ろうとしたが、足を止め、覚悟を決めて長太刀を振り回した。
「わあ」
臆して逃げると思っていたのが必死の反撃に転じ、油断があったのか何人かは驚いて尻もちをつく有様だった。
「なにしよんな!」
と勘吾はどなろうとしたが、そういう自分は襲い来る長太刀をかわして伏して。起き上がろうとしたが、連続攻撃に遭い起き上がれない。
ぶうんと槍が唸り、ぎゃあ、という悲鳴が響き。ひとりなぎ倒され、縄をかけられる。。
「相手はたった八人だぞ、何を手こずっている!」
原田は味方の不甲斐なさに憤りを感じて叫んだ。
覚悟を決めた藤崎の意気を仲間も感じ取り、同じように覚悟を決めた。
「こうなったら、死んじゃらあ!」
二名とらえているが、残りの長太刀六振り、竜巻のように振り回されて新選組とて迂闊に近寄れない。
「おい宮川、石ころの新選組なんぞ相手にせんで逃げるぞ!」
「おう」
勘吾を襲っていた土佐武士はそう言われて相槌を打ち、長太刀を肩に担いで駆け出そうとする。
長太刀の威力はやはりあって、長い刃が竜巻のように振り回されれば迂闊に近づけない。
新選組はそれらを前に大きな円を描くような格好でやや固まり気味だった。
無論、原田がそのままの状況に済ますわけがない。ひとり倒すと、長柄を握る拳に力を込めて長太刀に迫った。
捕らえられた者はかわいそうだが、大業のためである。心を鬼にして己が逃げることを優先させた。
宮川と呼ばれた宮川助五郎は藤崎とふたりで先陣を切り血路を開こうとする。
勘吾は急いで起き上がり、駆け出す。
大人数で囲んでいたにもかかわらず、長太刀の威力は強く。逃げ道を開けさせられる有様。
(流行りや金だけのために入ったもんもおるからのう)
原田や勘吾は味方の不甲斐なさに歯噛みする思いだった。




