第一章 池田屋事変 四
「なあにが、幕府の苦労だ! お前らこそ、あんぽんたんの、あかんべえじゃ!」
舌を出し、近藤らを愚弄する者があった。痩せ身で遊び人風情の雰囲気がある。
「おのれ、八つ裂きにしてくれる!」
近藤の愛刀・虎徹が閃いた。
が、相手はひょいと身軽にかわす。
「あ、お前。双藤六九郎やないか!」
勘吾が叫んだ。どこかで見た顔だと思ったが。そうだ思い出した。日向は延岡藩の出だという謎の男だ。
わけあって里を出て、京であれこれ仕事をこなして日銭を稼ぎながらその日暮らしの気ままな生活をしている。
以前、夜の見回りの際に「怪しい」と思い声を懸ければ。意外なほどにあっさりと氏素性を話したので。まあええか、とひと通りの話を聞き終えてそのまま帰したのだが。
まさか、池田屋にいようとは! なんたる迂闊!
「局長、こいつはおれに斬らせてください!」
勘吾は愛刀の播磨住昭重の柄がつぶれるかというほどに力を込めて握りしめて、青眼の構えをとった。
「ようもたばかってくれたのう」
「へん。別にたばかってねえぜ、おらあ正直に話した」
「正直に話せばこそ、見逃してやったものを」
「知ったことか」
六九郎はまたあかんべえと舌を出した。その舌を斬らんと刃が閃く。虎徹であった。
「蟻通、悪いがこやつは虎徹の餌食にしてくれる!」
だがまたも、ひょいと身軽にかわされてしまった。
太刀はおろか脇差もなく、丸腰である。だが、身軽さによほどの自信があり、近藤の攻めをことごとくかわす。
「くそう、腹が立つ」
相手は無論双藤六九郎だけではない。十五人から二十人はいるだろうか。それも皆腕利きの剣士であり、新撰組隊士の中には倒れて動かぬ者も。
六九郎を斬りたい勘吾であったが、沖田と己の身も守らねばならぬ。「ちぇ」と忌々しく舌打ちをしながら、刃を弾きかえす。
「蟻通君、面目ないね」
「しゃーないことですよ」
とは言うものの。最初こそ出足はよさげであったが、どうにも相手の必死な抵抗に押されている感じなのは否めない。
「持ちこたえろ!」
永倉が周囲に向かい叫んだ。
「土方副長が来るまで。耐えろ!」
「なに、土方だと!」
「そう言えば、誰かが足りぬと思っていたが」
敵方がやや浮足立ったようだ。これで全部と思っていたのが、まだいるとなれば、はっとさせられるものなのだろう。