第七章 制札事件 一
時はさらに進む。
時代の波は引くことなく次々に押し寄せて。人は押されて流されて――。
大きな波が時代ごと呑みこんで、問答無用にどこか連れてゆこうとしているのかどうか。
幕府はどうにも思いのままにならぬ長州にとどめを刺すべく、第二次長州征伐を敢行するも。これがどうしたことか、散々な負けっぷりであり。
幕府の信頼は一気に失墜した。
追い打ちをかけるように、将軍徳川家茂が若くして亡くなった。
もうなにがなんだかわからぬ。
勘吾はついそんなことを考えてしまった。
将軍の死に対し、多くの者が涙した。生まれ故郷の高松藩の藩主・松平頼聰公も泣いた。
この藩主は、時代に翻弄され、井伊直弼の娘で愛する妻の弥千代姫と離れ離れになろうとも投げやりにならず再婚もせぬままに、幕臣として藩主のつとめを果たそうと必死だった。
ちなみに、次の将軍職には、一橋慶喜公が就くことになった。その後ろには高松藩と対抗している土佐藩もいた。
「土佐に出し抜かれとる」
勘吾は忸怩たる思いを含んで、呻いた。
大きな秘密を抱えさせられて、正直荷が重い。しかし、果し合いをした男と男の礼儀である。黙っていなければ、男がすたるというものだ。
これもまた必死の思いで抱えなければならなかった。
どさくさ紛れに果し合いは中断し、再開の機会をうかがってはいるが。いかんせん、時代がそれを許してはくれなかった。
「志を果たし、あの讃岐もんとの決着をつけるのだ」
慎太郎は己に言い聞かせながら、己の道をひた走る。
勝算はある。
実際薩長はよく組んで、二度目の征伐を跳ね返した。また、禁門の変の戦争に巻き込まれた市井の人々の恨みは根深く。幕府に対する信頼はなきに等しく、むしろ長州に対して同情的であった。
なにごとも大衆の支持を得なければ、志は果たせぬものだ。
これを革命という。
「多くの土佐人が死んだ。それに報いるには、革命より他はなし」
「新国家をつくろう。新国家ができれば――」
時に龍馬と語り合い、未来の構想も練った。
悲しいかな、土佐には血の雨が降った。復讐の心がないと言えばうそになる、しかし、復讐心では革命を果たし新国家をつくりあげることはできぬ。
慎太郎と龍馬は土佐武士たちに、血気に逸って復讐に走らぬよう、常に自制を促していた。
だが、そのような呼びかけが届かぬ者があるものであった。
「よっこらせ」
と、深夜人目をはばかって、京の街のあちこちに立てられた制札のひとつを抜く者があった。
その制札には、長州は朝敵なり、という旨のことが書かれていた。
彼らはそれを憎々し気に睨んで、引き抜いたのだ。
「なめちょったらいかんぞこら」
引き抜いた制札に、ぺっと唾を飛ばし。
まだ誰にも見つかっていないうちに、その者たちは素早くその場から去った。




