第六章 果し合い 八
だからこそ、おれも幕府のために戦おうと思い。新選組に入ったのである。そこには藩を慕う気持ちこそあれど、土佐の志士のような藩を恨む気持ちはない。
こうして考えてみれば、同じ四国とはいえ、北と南とでは全くの別世界である。
さらに、同じ讃岐の中には、高松藩の他に京極氏の治める丸亀藩がある。藩が違えばもう別の国である。だがよその者である慎太郎にはそれはわからなかったのは、無理もない話であったろう。
土佐は端から端までが土佐である。讃岐は西と東でも違う。そういう世の中だと言えばそれまでだが、そもそもなぜそうなったのか。そんな疑問を抱くぐらいはかまわないだろう。
「南の海は広く、波が高く荒いと聞くが」
高松生まれの勘吾にとって海とは瀬戸内海のことだった。そして瀬戸内海しか知らない。
「どんな海なのか、見てみたいもんじゃな」
金毘羅船船
追風に 帆かけて
シュラシュシュシュ――
ぽそっと、民謡の金毘羅船々をつぶやくように歌った。
讃岐の金毘羅参りは伊勢参りに次ぐ人気のお参りであり。天領であったが、讃岐で生まれ育った者は皆この金毘羅船々を歌える。
金毘羅さまは海上の守り神である。
金毘羅船々を口ずさみながら、勝海舟とともにアメリカに渡った塩飽諸島(現香川県坂出市~三豊町)の水夫たちのように船に揺られながら大海原に出て、
「わしらは讃岐じゃあー!」
と、海に叫ぶのも、悪くはないかもしれないと、そんなことを考えた。




