第六章 果し合い 七
勘吾との果し合いは、はからずも楽しいものを覚えてしまった。
ただの男として、がむしゃらに戦う。それは掛け値なしに、楽しかった。
だが、とも思うのである。
「果たすべき志があるというのに、いたずらに己の蛮勇に乗せられてしまった。おれは恥ずかしい」
「多くの者が死んだ。おれらはその者らの魂を背負っているのだ」
そう龍馬は言う。
土佐勤皇党や野根山二十三烈士をはじめとする、同郷土佐の志士たち。皆、どれほどの無念を抱えて死んでいったのだろう。
「だからこそ、冷静にならねばならん。いたずらに血気に逸ったところで、無駄死にするだけじゃ。なんのために、父はおれに様々な学問をおさめさせたのか」
忸怩たる思いで慎太郎はつぶやく。庄屋の子として生を受け、将来を期待されて学問を学んだのは、何のためか。
とは言うものの。
「だがしかし、やはりあの讃岐もんとの喧嘩は楽しかった。どうにも、おれも良くも悪くも、男じゃ」
「えい、えい、それでえい。たまにはそんなところもないとのう」
「ううむ、まあな。どさくさで中断したのは残念だ」
「志を果たし、世が変われば、また続きをする機会もあるろう」
「……そうだな」
苦笑しながら慎太郎は残りの茶を飲みほした。
そんな慎太郎のことなど知らず、勘吾も勘吾で考える。
「やっぱり、男同士の戦いは掛け値なしで楽しかったのう」
そう言いながら、
「同じ四国でも違うんやなあ」
ふと、今まで知りえた情報をもとに、それぞれの志の根拠となるものに思いをはせた。
慎太郎や龍馬の周辺は、たくさんの死で溢れている。土佐藩前藩主ながら実権を握る山内容堂なる人物は一筋縄ではゆかぬ人物である。自意識過剰で自らを鯨海酔侯(酔っ払い大名)と称するくらいだ。
酔えば勤皇、覚めれば佐幕。そんな陰口もあるそうだ。
慎太郎も龍馬も、この奇矯な権力者に散々振り回されているようだが。そして苛烈な差別と弾圧もあり。慎太郎と龍馬の志の中には、差別や弾圧への抵抗もふくまれているそうだ。
実は高松藩も土佐藩とは以前から様々なところで対立している。だが高松藩はまとまりを見せ、幕府の側に着き続けている。
藩主の松平頼聰公は大老井伊直弼の娘弥千代姫を妻としてめとったが、時代の荒波に翻弄されるように離縁されながらも再婚をせず独り身を通している。
高松の人々は、頼聰公を忠義と純愛の人として慕っている。勘吾もまた同じであった。




