第五章 寺田屋襲撃 八
「龍馬が逃げるぞ!」
忠交やその家来、捕り手たちに、他の二名の隊士は追いかけようとしたが。勘吾は慎太郎を追った。
「こいつは中岡慎太郎やぞ!」
「なに、早く言え!」
隊士は踵を返し勘吾とともに慎太郎を追う。
「中岡慎太郎、男だろう、男として決着をつけないか!」
勘吾は逃げる背中に向かって叫んだ。
「おれが怖いか。おれから逃げ続けるなら、『中岡慎太郎は三国一の臆病者、新選組の蟻通勘吾を恐れて逃げてばかりなり』と言いふらすぞ!」
(くそ、こいたあ!)
そこまで言われては、慎太郎も黙ってはいられなかった。
「今は相手できんが、夜が明けたら屯所に手紙を出す。指定の場所で決着をつけよう。これでいいか!」
「ようし、その言葉忘れるなよ」
「お前こそ、卑怯なことをするなよ。讃岐のへらこい気質っちゅうからな!」
「見損なうな! そりゃ丸亀じゃ!」
「高松も丸亀も同じ讃岐じゃ!」
「全然違うわぼけえ!」
まるで子供の悪口の言い合いのようだが、両名は本気で必死だった。
勘吾は足を止めて、慎太郎が闇の中消えるのを見送った。
深夜とはいえこれだけ騒げば人の耳目にさらされそうなものだが、大捕り物で斬り合いが繰り広げられて。下手に巻き添えを食らうまいと、誰もが家屋から出なかった。
「ふう。まったく」
勘吾は大きく息を吐き出し、他の二名をともなって忠交のもとへと戻った。
龍馬を追跡すれども、尻尾をつかめず。忠交は焦っていた。
「くそ、どこに行った」
歯ぎしりしても、らちが明かぬ。
そんな追っ手たちを、屋根の上から見下ろす目があった。
「いやあ、咄嗟にお声をかけていただき、かたじけないのう」
傷口を抑えながら、龍馬は誰かに礼を言っていた。
そこは家屋の屋根の上だった。
逃げるさなかに路地裏に入ったら、どこかで、
「おい、ここから屋根に上れ」
そんな声がしたかと思えば、誰かが屋根の上から手を伸ばしている。龍馬は咄嗟に跳躍して左手を延ばせば、誰かもうまくつかんでその勢いに任せて屋根まで引き上げ。三吉も同じようにして、屋根に上った。
「ご尊名は? 礼がしたい」
「いやいや。双藤六九郎の名だけ覚えてもらえれば、それでいいですよ」
不敵な笑みを浮かべるその誰かは、双藤六九郎であった。




