第一章 池田屋事変 二
北添なる者が少し聞こえたので、「ちょいと失礼」と同志の間をかき分け、ふすまを開けた。
するとどうだ。目の前には、岩をも砕きそうなほどに顎の張った男が、ぎょろりとこちらを睨んでいるではないか。
「……ん、だんだらの羽織?」
北添は早いうちから酒をがばがばと喉に流し込んでおり、かなりできあがっていたが。それが運の尽きであった。
何かが閃いたと思ったときには、頭をかち割られて。真っ赤な血を頭から吹き上げながらよろけて、階段をどたばたと音を立てながら落ちて。それからたおれたまま、ぴくりとも動かない。
(やった!)
階段の手前でその光景を眺め、足元の死体を眺め、勘吾は息を飲んだ。
(故郷の讃岐高松を飛び出して京に赴き、新選組に入隊して一年。ようやく腕を振るう時が、来た!)
北添の死を目の当たりにして、さあここからが本番であると愛刀を抜いた。
池田屋は、蜂の巣をつついたような大騒ぎである。
狭い旅館内で白刃が閃き、火花が散った。
「おのれ犬め!」
「犬ではない、狼だよ!」
沖田がそう言い終えたころに、その足元に誰かが斬られて倒れていた。
「敵を斬れ、斬れ!」
敵と渡り合いながら近藤が叫んだ。
相手もさる者。腕に覚えあり。ただではやられぬと新選組隊士振りかざす白刃の間をうまくすり抜け、逃げ出そうとする者も少なくない。
それが階段を飛び降りるように降りて、
「わあ!」
肩からぶつけられて、勘吾はよろけ。続いて太刀が迫る。
「じょんならん!」
讃岐言葉で「しゃれにならん」と叫んで避けざまに、弾きかえして返す刀で相手の肩辺りに手ごたえを感じた。
「うッ」
という声がし、うずくまる顔面にすかさず蹴りを入れ。これも確かな手ごたえがあった。
夜分のことで、明かりも少なく、誰を相手にしているのかさっぱりわからないが。殺気はたしかに肌に刺さりそうなほどに感じるのであった。
それだけに斬り合いは激しく。気が付けば近藤らはたまらず一階まで押し返されて。どさくさに紛れて駆けて逃げ出す者も見受けられた。
「なんなあおんしゃあッ!」
「おんしゃあやないわ!」
勘吾も誰と渡り合っているのかわからぬままに、太刀を交える。
(言葉づかいからして、土佐もんか)
讃岐の生まれである勘吾にとって、土佐といえば戦国の世に讃岐に侵攻した長宗我部であった。