第四章 時は経つ、事は進みゆく 三
新選組は給料もよく、励めば励むほどに見返りはあった。
しかし、それと表裏一体をなす厳しい掟があった。
それを局中法度という。
武士としての自覚をうながし。武士道不覚悟の無様さを見せた場合、切腹!
という、大変厳しいものであった。
法度に触れて切腹をさせられた者も少なくなかった。
「お前、今も生きているのはお天道様に感謝せにゃならんぞ」
同じ四国出身の原田左之助はからかうように、勘吾に言った。
この男、昔喧嘩からやけっぱちになって自ら切腹をしたことがあり。その傷跡が腹に真一文字に生々しく残っている。
天気のいい日だった。
原田は天気のいい日に腹を出して傷跡を日にさらして、のんびり屯所の濡れ縁に腰掛けていた。
そこで勘吾を見つけて、この台詞。
「讃岐男にしては、ちいとばかり失敗が多いな、お前」
「……」
勘吾は気まずく、頷いたが。どんな顔をしてよいかわからず、しかめっ面になってしまった。
「お前、入隊してどんくらいになる? 他の隊士が出世していってんのに、お前はまだ平のままじゃねえか。切腹と紙一重だぜ」
神妙になってしまった勘吾がおかしく感じ、不敵な笑みを浮かべる。
「まあまあ、それくらいにしてやれ」
永倉新八だ。たまたま通りかかって、ふたりを見かけたが。原田は勘吾をからかうのが面白く、調子に乗っているようだった。
ちなみに、屯所は壬生から西本願寺へと移転していた。
池田屋の後、改めて隊士を募集して。人数が増えてのことだった。
「見回りに行くんだろう。早く行け」
「すいません」
勘吾は一礼をして、見回りに出かけた。
他の二名の隊士と三人ひと組になって、京の街を練り歩く。
だんだらの羽織を見る人々の目は、やはり恐怖に彩られていた。
新選組は、怪しいと思った者は容赦なくとらえ。必要とあれば、容赦なく斬った。これも、世のため幕府のためであった。
池田屋から月日が経った。長州はとりあえずはおとなしい。
だが、世情は相変わらず世知辛い。
幕府は水面下で何かが行われているかを察知しているようだが、尻尾を掴み切れず、進展はなかった。
(京雀どもはおれを怖がっても……)
肩で風を切るように歩けば、誰もが立ち止まって道を譲る。それはだんだらの羽織のおかげだ。
だが新選組の中では……。