第四章 時は経つ、事は進みゆく 二
「おれは、間違っていた!」
義侠心と心意気で弱腰の幕府を倒し、黒船の西洋人どもを追い払って、朝廷を立て、日本を立て直そうと思っていたが。
それは無理だと痛感させられた。
さらにさらに、長州に試練は続く。西洋四ヶ国連合に滅多打ちにされて弱ったところへ、家茂が長州征伐を決意。諸藩に呼び掛け、十万を超える大軍でもって長州藩へ迫った。
あれこれ叩かれまくった長州藩には戦う気力も体力もなく、あっさり降伏。
幸いにして幕府もこれを受け入れ、事後処理にやたら恰幅のよい豪傑風味の薩摩藩士の西郷隆盛に当たらせた。
ともあれ、この時期長州藩は踏んだり蹴ったりでいいところがなかった。
「まあまあ、長州さんも大変でごわすなあ」
などと、西郷隆盛は同情していた。これもまた、長州にはこたえた。
こんな体たらくを見せられてもなお、攘夷にこだわるのは頭がおかしいと言わざるを得ない。
世の中色々あるが、どういうわけか長州が貧乏くじを引かされた格好である。
井伊直弼の安政の大獄で処刑された吉田松陰の弟子、高杉晋作は長州のためによく働いたものだった。
「長州と薩摩が組めば、どうだ」
そんな声がどこからともなく出た。水面下で、ひっそりと。
「ええ考えじゃ!」
坂本龍馬という、慎太郎と同じ土佐の者も膝を打って、薩長盟約構想に賛同の意を示した。
「ふうむ。薩長盟約か」
慎太郎も薩長盟約の構想に関心を持った。
幕府側についている薩摩、それに逆らって懲らしめられた長州。この二藩には意外な共通点があった。それは、西洋と戦争体験があるということだ。
薩摩はイギリスとの、世に言う薩英戦争を経験している。
そのことから、西洋諸国の強さは身に染みている。
それどころか、薩摩はイギリスとむすび先進技術を取り入れてさえいる。長州もそれと同じように西洋の技術を取り入れ。同盟を結び、幕府をひっくり返す……。
なんだか頭がこんがらがりそうなくらいに色々あり、慎太郎もやや戸惑った。
戸惑いながらも、考えを変えざるを得なかったのは確かだった。
薩長をはじめとする雄藩連合をもって幕府を倒す。
工作がはじまった。
慎太郎は他の志士と行動を共にしながら、忙しく駆けまわった。
対する蟻通勘吾。
へばりつくようにして京に身を置いて、新選組隊士としての仕事に専念していた。
高松も発展している都市だが、京はさすが都だけあって発展具合は高松とは段違いで賑やかであった。
それだけに、物騒でもあった。
おかげで暇な思いをせずには済んだが。