第四章 時は経つ、事は進みゆく 一
世に言う禁門(蛤御門)の変起こる。
物騒になった世の中のどさくさに紛れるように、日ごろ怪しい動きを見せていた長州藩。池田屋に集まった面々も、長州人やそれとつながりのある武士や浪人らであり。
黒船に揺れる日本を立て直し、外国人を追い払い、帝をいただく。即ち、尊王攘夷思想でもって、日本をわがものにせんとしていた。
鎖国を解き開国し、外国とつながろうとする幕府を弱腰と非難する者は少なくなかった。
その点についてこのところ一番よく動いているのが、長州藩であった。
その長州藩が、あろうことか京にて、本当に謀反を起こしてしまったのだ。
しかし、あえなく敗れてしまった。
で、新選組といえば。
すぐに終わったとはいえ戦である。本来の仕事は警備・取り締まりである新選組の出番はこの禁門の変なる戦では、ほとんどなかった。
だから、暇をこいていた。
その一方で、京から命からがら逃げる中岡慎太郎。
「無念じゃ」
追っ手の目を逃れ、隠れ隠れしながら西へ西へと敗走する。
中岡慎太郎も相当な尊王攘夷思想の持主であった。
その一環として、彼には京での目的があった。
幕府側に着き、長州藩の前に立ちふさがる薩摩藩主・島津久光を暗殺することであった。そのために危険を冒してふるさとの土佐藩から脱藩したのだ。親や姉、妻も置いてである。
だが、あらぬことで新選組と斬り合いになり。暗殺はやむをえずとりやめになった。
気を取り直して京での挙兵に加わるも……。
「かくなるうえは長州へなんとしても逃れて、再起を図るよりほかになし」
それにしても。
あの新選組のやつらとは、禁門の変で遭遇することはなかった。もし遭遇すれば、今度こそ斬り捨ててやったものを。
ともあれ、どうにか長州に逃れた。
しかし、泣き面に蜂という言葉を痛感する出来事があった。
馬関(下関)戦争である。
下関にて長州藩はアメリカ・オランダ・フランス・イギリスの四ヶ国連合軍と戦争をする羽目になり、これも散々な負けっぷりであった。
連合軍は西洋の最新鋭兵器をそろえて、古い日本の武器しかない長州藩はされるがまま。
「もうこれは戦争と呼べるものではない」
長州藩側からもそんな声が出るほどであり。手ひどくやられて、降伏を余儀なくされた。
「言わんこっちゃねえ」
隙のない睨みを利かせる高杉晋作なる者、やれやれと言いつつ、長州藩の使者を託されて連合軍と折衝し。
高額な賠償を請求されるも、これを煙に巻いて乗り切り。長州藩はひとまず救われた。
この間、中岡慎太郎の心痛はいかばかりであったろうか。