第三章 邂逅 一
池田屋事変で新選組の名は一気に上がった。
あぶれ者の浪人集団だと思われて、狼と蔑まれていたのが、恐怖の新選組となったのである。
当初は、護衛隊であった。十四代将軍の家茂は朝廷に謁見するため、何度も京にやってきたわけだが。新選組は将軍が京にいるときの護衛隊として設立された。
募集の際、意気盛んな若者たちが挙手し、新選組に入り。剣を振るった。
アメリカの黒船がやって来てから、日本は騒然とし。国中が上を下への大騒ぎである。そのどさくさにまぎれて、ひと暴れしてやろうという不埒者が出てきてしまい。
国を安定させるために働いていた大老井伊直弼が暗殺される始末であった。
どこの誰がなんのためにとか、そんなことは問題ではなかった。皆、世相に踊らされるように暴れていた。
暴れたかった。
若き血が、暴れさせろと血を求めるのである。それを、皆は義侠心と思った。
勘吾もそうだった。やむにやまれぬ義侠心から高松を出て京にのぼり、新選組に入隊した。
高松藩は松平家が治める親藩である。そこの出身者として、幕府のために戦うのは自然なことだった。
同じ四国の出ならば、伊予の、高松と同じ親藩である松山藩出身の原田左之助なる者がいた。
「それでのう、こなくそ!(この野郎!) と、槍の柄で頭をかち割ってやれば、脳みそぶちまけてのう」
「ははは、相変わらず左之助さんは乱暴じゃわ」
「そういうお前こそ、讃岐のへらこい(せこい)気質で要領よくやろうとしおるでないか」
「へらこいとはなんじゃ。おれは、幕府のために」
「そういうことにしといたる」
と、そんな風に、仲良く馬鹿話に花を咲かせた。
だが、一番仲が良いのは永倉新八であった。
物騒な世の中である。行動は常に誰かとともにであり、ひとりで警備に回るということはなかった。
勘吾は永倉とよく京の街を回らされ。怪しい者を見つけては睨みを利かせ、あるいは鞘から白刃を覗かせていた。
それを見る人々の目は、以前よりも恐怖が増していた。
(怖がれ。怖がれ。なめられるよりはましだ)
勘吾は恐怖のまなざしを受けて、敢えてより恐れられるために周囲にも睨みを利かせていた。
で、怪しいと思って止めた浪人。
三人。
永倉と勘吾、と他二名で囲んでいろいろと訊きだそうとする。