火の王の神殿にて
※
「で、こうなったわけ?」
バレルが呆れたような声を出す。
「何が不満なのよ。兄弟水入らずで世界を救いに行くのよ!喜びなさいよ!!」
アーシャが吼える。
ルカと同い年のダライアス家長女、アーシャ=ダライアス。法術師団、赤の団に所属している魔術師だ。
「水入らずって一匹余計なのがいるじゃねぇか」
「そんな顔すんなよ。同期じゃねぇか」
とバレルの肩に手を回した男。
ヒクサル=ギルジット。『白の系譜』位階三位のギルジット家の次男。法術騎士の中でも特に高い魔術適性を持ち、騎士としての高い機動力と併せて対アガルタ戦においてかなりの戦果を上げている。
「ダライアス卿、御自ら俺を指名してくださったんだ。お前より魔術適性は高いからな」
「剣術は俺以下だろ!」
「剣術は大差ねぇじゃねえか!スキッパーもまともに扱えない奴が何言ってやがる!!」
「なんだと!!」
と取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「うぜぇ!!!やめろ!!!!」
「ごふうっっ!!!」
二人の顎を華麗なアッパーが打ち上げる。
「むさくるしいのが暴れんな!まったく・・・少しはルカを見習いなさいよ」
「女傑なんだな、アーシャは」
丁度部屋に入ってきたソルが苦笑いを浮かべていた。
「ソル様!申し訳ございません。お見苦しいところを・・・」
「いや、頼もしいことじゃないか。ダライアス家は基本的に女系だと聞いているしな。ルカ、アレンは完全に回復したそうだ。ジンもほぼ完治している。アムリタで治癒できるのは間違いないな」
「ありがとうございます。本当に色々と・・・」
「いや。傍観者である我々がその存在意義を捻じ曲げたのは君がいたからだ。本来ならばありえないはずの存在がね。前にも言ったが世界には本来あるべきように修復する機能がある。が、君の存在はその範疇の外にある」
「外に?」
「可能性―――君は希望なんだ。定められし運命を、その定めから解放できる、たった一つの」
ソルはルカの肩に手を置く。
「さて、まずはどうする?シャングリラにいる王から手を付けるか、アガルタにいる王から手を付けるか」
「まずは火の王から探してみたいと思います。ルーニエなので見つけやすいでしょうし」
「そうだな。しかしダライアス家の家宝にそんなものがあるとは」
とルカの持つ水晶盤を見つめる。
「ご存じなかったのですか?」
「クラウスですら存在を知らなかったんだ。知るわけがあるまい。シャングリラならとりあえずアーシャにバレル、ヒクサルがいれば戦力としては十分すぎるだろう。俺はジンとロキが回復してから二人を連れ後を追う。急いだほうが良いだろうからな」
今回のアガルタの侵攻は規模が小さく、一刻も経たないうちに撤退していった。
アガルタにいる竜人の話ではアガルタ全域で極端に魔力が弱くなり始めているのだという。
「月の王に何かあったのでしょうか」
「それならアガルタすべてに影響があるはずだ。だがその気配はない。なにか別の理由だな」
「考えたって仕方がないでしょ。とにかく四元の王を探し出す。どのみちダメ元なんだから急ぎましょ」
アーシャの言葉にソルは微笑む。
「本当によく似てるな、バレルと君は」
「え~!あんな愚弟と一緒にしないでくださいよ」
アーシャの抗議に
「嫁き遅れの癖に」
ぼそっとバレルがつぶやくとアーシャは指をパチンと鳴らした。
ボンッ!!
「うごおっっ!!!」
バレルの股間で小さく爆発が起こり、バレルは股間を押さえて蹲る。その横でヒクサルは青ざめた表情で股間を押さえていた。
「使い物にならなくするわよ」
「おいおい。治ったばかりなのに怪我をさせないでくれ」
詠唱無しで、さらにピンポイントで術を発動できる高い魔術適性を持つアーシャは明らかにエリーシャの才能を継いでいる。
「バカは放って置いて、路銀もたっぷりあるし多少は無理しても平気でしょ?お母さんからこれ預かってきたし」
と札を一枚取り出す。
人造精霊『アクイラ』。大型の鳥の姿をした風属性の精霊だ。元は拠点制圧用に作られた精霊だが、高性能であるがゆえに使える者が『系譜』の中でも数人しかおらず、製造にも非常に時間がかかったためにお蔵入りになっていたものだ。
「さすがにルーニエ国内じゃ使えないけど、アガルタでの移動手段としては最適でしょ?」
「使えるのか?」
「何言ってんの。ルカが使うに決まってるじゃない。私にこんなの使えるわけないでしょ」
「―――――」
ルカもさすがに『アクイラ』は使ったことがない。魔力の消耗も桁違いだが、制御が非常に難しいのだとエリーシャからは聞いている。
「そうと決まれば明朝には出発だな。ゆっくり休め」
と言い残してソルは部屋を出ていった。
「ま、そういうことだ。バレルは準備は出来てるのか?」
「そりゃいつでも出られるようにはしてるさ。でも何でこの二人が・・・」
「そりゃ俺達が優秀だからに決まってんだろ?」
ヒクサルが鼻高々に言う。
「ダライアス卿とご一緒できるなんて光栄なこと早々ないからな」
ルカがウィリアムから預かった書簡は密命の命令書だった。
軍の構成員であれば誰をどのように使っても構わない、資金も軍の予算を無制限で利用してよいという破格のものだ。
世界が滅びようというのだからケチっている場合ではないということなのだろう。
だが真に信頼のおける者を選べ、という但し書きがあったということは世界が崩壊へと向かっていることは周知されてはならないということだ。
結局ルカが選んだのはダライアス家長女であるアーシャとバレルの友人であるヒクサルだった。
アーシャは生来の高い魔力にものをいわせた広域破壊から、極めて限定的な範囲への攻撃までを自在に操る法術師団のなかでも指折りの実力派。
ヒクサルはバレルとアカデミー時代からの同期でライバルとして切磋琢磨してきた関係だと聞いている。剣術ではバレルが勝り、法術ではヒクサルが勝るが、総合点ではほぼ同じ、というのが騎士団上層部の評価だ。つまり将軍クラスの実力があると目されている。
どちらも秘密の漏洩という点において心配しなくてもいい人材だ。ルカが二人に声をかけたときも二人ともに二つ返事で承諾してくれた。
特にヒクサクの喜びようは尋常ではなかった。
バレルと同期同格という事で名前は知っていたが、法術師団のルカには特に接点があるわけでもなく会ったことすらなかったのだが、ヒクサクはルカのことをよく知っていた。
「アカデミーの頃からずっと尊敬してました!是非お手伝いさせてください!!」
ルカから頼んだのに土下座する勢いで頭を下げるヒクサクに居心地の悪さを覚えたものだが、どことなく大型犬を連想させるその姿はバレルを思い起こさせ、すぐに慣れた。
「なぜあんなにあっさりと引き受けてくれたのですか?」
竜人の里に向かう道中、ヒクサルに訊いてみるとヒクサルは晴れやかに笑う。
「そりゃダライアス卿のお供が出来るなんて、光栄なことはないですから」
「先にもお話ししましたがダライアスは『系譜』からは外れましたし、もう何の権力も持っておりませんよ?」
「帝国における立場など関係ありませんよ。ダライアスという名家が築き上げてきた功績は決して揺らぐものではありませんし、そんな帝国一の名家に実力のみで認められたあなた様は腐敗しつつあるこの国に新たなる風を齎してくださる―――私にはそう思えたのです」
「実力のみって・・・私には風の王がついている。だからこれだけのことが―――」
出来るだけだ、と続けようとしたルカの言葉をヒクサルは遮る。
「あなたが風の王と契りを交わしたのはエリーシャ様があなたの実力をお認めになり、弟子として迎えられてからだとソル殿から聞いております。それに風の王と契りを交わすことができたということがあなたの実力の証明ではありませんか。ご謙遜なされる必要などございませんよ」
「それは・・・」
契りを交わすといってもルカ自身はそれを認識していなかったのだ。なぜ風の王がルカに力を貸してくれるのか。それは今も分からないままだ。
翌朝―――
旅装を調えたルカたちはソルに見送られて竜人の里を発った。
「それでは、俺はシナルアで地の王についての情報を集めておく。シナルアは内陸部は湿原が多くほぼ無人。人口密集地は南から東の沿岸部に限られる。海流の関係でルーニエからは航路が使えん。サシャ山脈を越えるかモルスを渡るかだがアガルタを恐れてもう誰も街道を使ってないんでおそらく酷い有様になっているはずだ。準備はしっかり整えてシナルアに入れよ」
「分かりました」
「ルカ、これを」
とソルが手渡したのはペンダントだ。
「そいつを使えば俺の居る場所は分かるはずだ。では、良い話を期待してるぞ」
「はい」
3日かけて虚無の砂漠を渡ったルカたちはルーニエに入るとまず火の神の神殿があったという場所に向かった。水晶盤が示す火の王の居場所はさらに西方。神殿に居ないことは明らかだったが火の王がどういう存在なのかを示す手がかりがあるかもしれないと考えたからだ。
風の王は白い獅子の姿をしているが火の王もそうとは限らない。帝都に戻って以来、風の王はルカの呼びかけには応えてくれず沈黙したままだ。効率よく見つけ出すためにも情報の収集は必要だと判断した。
そして翌日、ソルに教えられた火の王の神殿は虚無の砂漠を取り巻く峰々の麓にあった。
「ここが神殿か・・・」
風の王がいた遺跡とは違い、荒れ果ててはいるものの整備された道が神殿へと続き、頻繁に人が出入りしていたことが窺える。
神殿の中も荒らされてはいるが、かつては多くの宝飾品に飾られていたことが見て取れた。
「なんかあったか?」
「いや、特には・・・」
壁には何かがあった痕跡はあるのだが、引き剥がされてしまったようで何も残ってはいない。
そのまま奥に進むと祭壇らしき台座があった。これも意匠が施されていた痕跡はあるのだが今は長方体の白い石があるだけ。
その白い台座の前には黒ずんだ染みが薄く残っていた。大きさからして人の血痕だろう。
「これは・・・」
「いけにえの儀式でもやってたんじゃないのか?」
「台座の手前でか?」
「それもそうか・・・」
「いけにえ用の祭壇ってことは無いでしょ。ここって水が流せる構造になってないもの」
通常いけにえ用の祭壇は血を洗い流すための側溝が設けられていることが多い。だがここは床が平らで水が流せるようには出来ていなかった。
「ここから先は無いし・・・無駄足だったかしら」
「いや・・・そうでもなかったよ」
そうつぶやいたルカの頬を伝う涙。
風の王―――『フィエルテ』を通して流れ込んでくるイメージ。
この場に残された火の王の記憶に『フィエルテ』は泣いていた。
※
「マルク様。先日産まれた私達の子です。あなた様の加護があるようにとクラムと名付けました」
火の王、『マルク』を祀る祭壇の前にまだ若い神官の夫婦が赤子を連れてきた。
数千年ぶりに見る人の赤子―――神殿には神官位を得た者しか入ってはならないという掟があったからだ。
「あ~」
無邪気な赤子の小さな手が母親の腕を叩いていた。
それを見つめる神官夫婦の幸せそうな笑顔に、火の王が失っていた感情が湧きあがってくる。その満ち足りた感覚―――そこにあるのは憧憬だ。
「早く来いよ!!」
同年代の子供らを連れ野山を駆け回る快活な少年―――あの小さな赤子は順調に逞しく快活な少年へと育っていた。
少年に出会ったあの日から、『マルク』は神殿を抜け出し、鳥の姿に変じて頻繁に少年の様子を見に行っていた。小さな赤子が少しずつ大きくなり、快活な少年へと成長していく姿は数千年という退屈な時間を過ごした『マルク』にとって何よりの喜びだったのだろう。
人はどんな世界でも確かに想い合い、愛を育み、想いを繋いでいく。
ただの慰めに過ぎないにしても、その姿は『マルク』の乾いた心に潤いを齎していた。
少年は神官としての修行を積みながら、父から剣技を学び、さらに母から製薬についても学んでいた。
そして15歳、神官としての修行が終わる頃には壮健さと聡明さを持ち合わせた立派な少年になっていた。
神官としての資格を得ることができるのは18歳。だが少年はそれまで待つ時間が勿体無いと里に出ては積極的に人々の手助けをして回っていた。
屈強な肉体を生かした力仕事から、母直伝の製薬技術で病人を救って見せたりと常に忙しく動き回り里の人々に笑顔を齎していた。
そして―――
少年が17歳となったその翌日、突然に始まったルーニエによる侵攻。
神殿のある里にまで侵攻してきたルーニエ軍は、交渉に出てきた神官を皆殺しにした。その先頭に立っていた少年の父もまた―――
「母上!!お逃げください!!」
「でも・・・」
「里の者たちがシナルアへと向かっております。母上も同行してシナルアへと避難を」
「あなたはどうするの!?」
少年は父の愛刀を手にする。
「皆が逃げ切る時間を稼ぎます。――――母上」
少年は母の頬に手を沿えた。
「里の皆を頼みます。母上なら安全な抜け道もご存知でしょう?」
「―――分かったわ」
「あなたの息子に生まれて本当に良かった」
少年の言葉に母は少年を強く抱きしめた。
一人でも多くの里人をシナルアへ逃がす―――
里の中まで侵入してきたルーニエ軍を相手に少年は正に鬼神のごとき戦いを見せた。
矢を受け、腕を裂かれても止まる事のない圧倒的な気迫にルーニエ軍はその侵攻速度を落とした。
力を貸すべきか―――火の王ならばこの場にいるルーニエ兵全てを消滅させることも出来る。
だが、創世神として人の世の営みに関わってはならない―――神としての自身とかつて人だった自己との間の葛藤が伝わってくる。
火の王のあまりにも悲痛な想い―――わが子のように思っていた少年を失いたくない。
ならばせめてこれくらいのことなら―――
里人がシナルア領内へと避難する道中、先導する少年の母の進む道を照らし、追いすがろうとするルーニエ兵の足を炎で止め、人々がシナルア領内まで逃げ延びたことを確めると、少年を逃がすために里に舞い戻り少年の周囲を炎で囲った。
「マルク様!?」
言葉は伝わらない。ただ逃げて欲しい―――
ルーニエ兵を威嚇するように炎を煽ると、少年は神殿のほうへと逃げ出した。満身創痍―――その遅い歩みにルーニエ兵を追いつかせまいとひたすら威嚇し続け、一刻ほど足止めしてから少年を追った。
だが―――
神殿の奥。祭壇の前へと続く血の跡のその先―――初めて会ったその場所に倒れている血塗れの少年。
開かれたままのその瞳にはすでに光がなく、逞しさに溢れた肉体も熱を失いつつあった。
救えなかった―――
火の王の心を強い悔恨が抉っていく。
苦しい。
哀しい。
消えてしまいたい―――
たった一人の少年すら救えない神に、存在意義などありはしない。
火の王は熱を失った少年の肉体に入り込むと、神気を以ってその肉体に息吹を与えた。
『マルク』という存在のすべてを少年の肉体へと移すと、その肉体は再び活動を始める。
数千年ぶりの人の肉体の感覚―――満身創痍のその肉体から伝わってくる痛みの全てが苦しくて仕方がなかった。
溢れ零れ落ちる涙―――その熱さがそこに命があるのだと主張していた。
※
火の王は神としての己と人としての己の狭間で苦しみぬいた末に人としてあることを選んだ。
「あなたも苦しかったのですね・・・」
ルカは『フィエルテ』に問いかける。
創世の神、四元の王―――人として生を受け、多くの人々の願いを繋ぐために神となりこの世界を創り出した。
だが人は人。互いに憎み、争い、奪い合う―――
一縷の望みを打ち砕かれた彼らは感情を押し殺し四元を世界に存在させるための礎として存在することにした。
存在しなければならないから存在しているだけ―――神であるがゆえに空虚であらねばならない。
だが彼らは確かな願いを、希望を託してこの世界を創り出したはずなのだ。
「だからあなたは・・・」
『フィエルテ』が眠っていた遺跡に足を踏み入れてきた少年の願い―――世界の変革。
それが夢幻であることを知りながらも『フィエルテ』は一縷の望みを掴むために再び手を伸ばした。
だからこうしてルカと共にある。
「火の王は一人の人として生きているはずだ。今どうしているのかまでは分からないが・・・クラムという名前だけが手がかりだな」
「クラム・・・『白炎』のこと?」
アーシャが首を捻る。
ルーニエの特級魔導師の一人、『白炎』は全てを滅する白き炎の使い手として名を馳せている人物だ。
「そういえばクラムという名だったな。とりあえず会ってみるか」
出来すぎのような気もするが炎術のエキスパートなのだから火の王でもおかしくはない。
『白炎』の本拠地はルーニエ南西部、ラダン地方のハンガという街だと聞いていた。
「んじゃ、俺達は馬を調達に行ってくる。この辺で待ってて」
とバレルとヒクサルは近くの村へと向かった。
「私たちは野営の準備でもしておきましょうか」
「そうだな」
神殿からやや下ったところにあった里の跡で雨風が凌げそうな場所を見つけると、火を起こす準備をする。
「ねぇ、ルカ」
「ん?」
「さっきあなたは神殿で何を見たの?」
「火の王の記憶―――残留思念だな」
「残留思念?」
「あの場に漂っていた火の精霊の思念を風の王が読み取ったんだ」
ルカはあの場で見たものをアーシャに伝える。
全てを話し終わった頃にはアーシャの頬は濡れていた。
グズッと鼻を啜るアーシャに
「火の王も風の王も人が変わる可能性に掛けていたんだ。でも何も変わらなかった。それでも諦め切れなかったんだろうな。創世神ではあっても彼らは“人”なんだよ。人が愚かしいことも、すべて分かっていて、それでも人が人を想う気持ちを信じたいんだ」
「でも・・・それって辛いよね」
「それでも彼らが選んだ道なんだよ。だから」
ルカはアーシャの頭をそっと抱き寄せると
「僕らは僕らで選んだ道を進もう。この世界を救っても何も変わらないかもしれない。でも変わるかもしれない。どちらにしても世界を救わないといけないんだから進むしかないよね」
「うん」
ルカは小さく頷いたアーシャの髪を撫でながら、火の王が想い続けた少年の冥福を祈った。