『ダライアス』
※
「おかえりなさい」
そっとルカを抱きしめるエリーシャ。
あの後、クラウスたちは今後のことを話し合う必要があるとウィリアムの居室へと向かった。
クラウスの命令で騎士団がアレンをダライアス邸に運び込み、屋敷の周囲は法術騎兵隊が万全の警備を敷いている。
「申し訳ございません」
「何を謝る事があるの?あなたはアレンを救いたかった。ただそれだけでしょう?」
「ですが私はダライアス家の者としてあまりにも軽率でした」
「いいのよ。私はあなたのそういうところが気に入って弟子にしたんだから」
エリーシャはルカの胸から顔を離すと「ちょっとこっちへ来て」と手を引いて屋敷の地下へと向かった。
屋敷の地下、石造りの倉庫の奥に置かれていた箱を動かすとその裏に小さな扉があった。
「これは?」
エリーシャはルカの言葉に何も言わず扉を開け、中からいくつもの宝石で飾られた箱を取り出した。
かなりの年代物のようで、箱の表面に貼られているビロードの布は至る所が擦り切れて下地の木が見えている。
「これをあなたに」
と手渡されたその箱は意外と重い。
「開けてみて?今のあなたに一番必要なもののはずだから」
促されて蓋を開くと、そこには水晶で出来た円形の板が収められていた。
「手に取りなさい」
ルカはエリーシャの言葉に従い水晶の板を取り出すが、何の変化もない。
「これはダライアス家当主にのみ使うことが出来るもの。今、この瞬間からダライアス家の当主はあなたよ」
「えっ――――」
エリーシャがルカの頬に手を添える―――その瞬間、水晶に複雑な色の光が浮かび上がった。
「これは・・・」
その中に一際目立つ光が3つ。白い点が円盤の中心に、赤と黒の点が円盤の縁にある。
「それは精霊の力の分布を示しているの。精霊の居る場所を示す地図みたいなものね」
「ではこのはっきり映っている点は・・・」
「あなたが探しているもの―――精霊の王の居場所よ」
その時点でルカは悟った。エリーシャは全てを知っていたのだ。
「すべて・・・ご存知だったのですね」
「あの人が人でないことは最初から知っていたわ。でもあなたが今、この世界を救うことが出来るたった一人の人だというのはさっき聞かされたの」
エリーシャはルカの両頬に手を添えるとまっすぐその瞳を見つめた。
「例え世界が滅びてしまうとしてもあなたは何も気にしなくて良いの。あなたはあなたらしく、世界が終わるその瞬間まであなたの思うように生きて良いのよ?」
その深い蒼の瞳―――エリーシャは救世という責務にルカが押し潰されてしまわないか案じてくれているのだ。
「大丈夫です。僕に出来るかどうか分からないですけど、出来るって信じてみようと思います。バレルもいますから」
「そう」
エリーシャは微笑むとルカの頬から手を離した。
「あの子もいつの間にか大きくなっていたのね。あなたをしっかりと支えることが出来るくらいに」
「はい」
「わかったわ。あなたを繋いでいた楔を解き放ちましょう。行きなさい、世界を救いに」
「ところでこれってどう見れば良いんでしょう?」
ルカはエリーシャと居間に戻り水晶盤を差し出す。
精霊の分布を示しているということは分かったが、何処がどうなっているのかさっぱり分からない。
「中心がいま自分がいる場所ね。向きはそのまま自分が向いている方向よ。中心にある白い光はあなたと共にある風の王。この向きだと火の王は南西、地の王は南かしらね。水の王の反応がないということは、水の王はアガルタかしら」
「風の王のこともご存知だったんですか?」
「そうだろうなって気はしてたの。あなたがあの任務を受けた後に妙な気配があなたの中にあったから」
あの任務―――封印されていた遺跡の探索任務。あの場所で白い獅子と出会った。
「あなたがここに戻ってきたときはすぐに分かったわ。あんな力を持ってるなんて王以外ありえないもの」
エリーシャは窓の外を見て腕を広げる。
「あなたが戻ってきたとき、とても綺麗だったわ。風の精霊が一斉に輝いてその中を赤い光が駆け抜けていく―――まるで流星のように」
うっとりした瞳で天を見つめるエリーシャはまるで少女のような表情をしていた。
「あんなに精霊が喜びに溢れているところなんて初めて見たわ。王の帰還を待ち望んでいたのね」
「王―――」
世界を創造したという四柱の王。
彼らはどのような願いを込めてこの世界を創造したのだろうか。
翌日、ウィリアムに呼び出されて城へと向かったルカを待っていたのはクラウス、カトル、シド将軍、そしてルカを除く青、赤、白、黒各『系譜』の一位から三位の当主11名に加えて青の『系譜』四位のウェルス家当主。
さらに元老院の面々、それに加えて各大臣まで勢ぞろいだった。当然その中には内務大臣のナイムズもいる。
ウィリアムが玉座に座ると皆一斉に敬礼をする。
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない、昨夜の一連の出来事についてだ。なぜあのようなことになったのかをはっきりしておこうと思ってな。シド将軍、昨夜将軍は騎士団長のクラウス=ダライアス、法術師団師団長のカトル=シフォン、そしてルカ=ダライアスが反逆者であるから捕縛しろという勅命を受けたといっていたそうだな」
「はい。そのような命令書を受け取りました」
「反逆者であるとする根拠はどのように記載してあった?」
「先月、都に侵攻してきたアガルタが勇者であったはずのアレンだと・・・弟であるルカ=ダライアスはその卓越した魔術の技能を以って兄をアガルタとして使役し、帝国への叛逆を企てているとのことでした」
「そのアガルタを捕らえたのは他ならぬカトルとルカだったわけだが、そのことは将軍も理解はしていただろう?叛意を持つならなぜアガルタを放置しなかったのか、その命令書に違和感を覚えなかったのか?」
「それは―――」
真っ赤な顔をしたシド将軍は小さく震えている。
「とはいえ将軍は職務に忠実だっただけなので、将軍の行動の一切は不問とする。問題はその偽の勅命の出どころだ」
ウィリアムは居並ぶ面々を順に見渡した。
「勅命である以上、そこには玉璽が押印されているはずだ。だが、昨夜も玉璽は私の手元にあったことは確認している。となると、あってはならないはずの偽の玉璽がどこかにあることになる。私に成り代わりたいと考えている不届き者の手元にな」
部屋全体がざわっとどよめく。
「私はこのことを見過ごすつもりはない。が、まずは『青の系譜』について片づけておこうと思う。昨晩、青の位階5位から12位までに属する者どもがこともあろうに法術師団師団長に対して叛意を示したわけだ。これは明確な軍規違反であり当然のことながら極刑の対象だ。シフォン家は『系譜』に入っていないとはいえ、帝国魔導士の頂点に立つ家であることは事実であり、『系譜』を統括する立場にある。今回の事は『系譜』という制度そのものの存在意義を揺るがしかねない出来事であり、軍の命令伝達に関して大きく疑義を生じさせる出来事でもある。シェフィールド卿」
ウィリアムはシド将軍の横に座る壮年の人物に声をかける。『赤の系譜』位階一位、シェフィールド家当主、アレックス=シェフィールドだ。
「陛下よりの勅命を受け、すでに『青の系譜』5位以下の家系に連なる術師は全員捕縛しております。師団長の命もなく勝手に、しかも城内での戦闘行為に及んだという不敬及び謀反の罪での捕縛になります」
「よし、それぞれの家の当主を拷問にかけてでも黒幕を探し出せ」
「かしこまりまして」
「お待ちください!!」
と声を挙げたのはナイムズではなく元老院議長のアリアナ=ブリードだった。
老齢の女性だが、その柔軟な政治手腕には定評がある。
「いくら陛下の勅命とはいえ、『系譜』の主力をまとめて捕らえてしまうというのはいかがなものでしょうか?青は帝都防衛の要。明後日の合月にはアガルタの侵攻があるでしょう。帝都へ及ぶ危険性を考えると看過できる決定ではありません。それにアレン=エクサリオがアガルタとなり帝都に攻め込んできたことは事実であり、その事実を知ったならばその弟であるルカ=ダライアスの関与を疑うのは当然の事ではありませんか?それを庇護するならば何らかの謀をシフォン卿、騎士団長ともに企てていると疑うのも道理。真に帝国を思うならばやむを得ない行動のようにも思えるのですが」
「その場合はまず師団長に事実関係の確認をするのが筋ではないか?」
そうつぶやいたのは『黒の系譜』位階一位、オルニス家当主、オルガ=オルニス。その筋骨隆々の巨躯から武人と思われやすいが、非常に強い魔力を有する結界術のエキスパートだ。
「なんらかの謀があったとして、アレン=エクサリオをシフォン卿とルカ=ダライアスで捕縛したことについてどう説明する?」
「それは・・・」
「行動を起こすより、まずは説明を求める。それでなお納得できないのであれば元老院に事実関係の追及を要求して、然るべき手続きを踏んでシフォン卿およびダライアス卿を召喚し元老院の場で釈明を求めるのが道理であり法だ。法を踏みにじっている以上擁護のしようがないが、元老院議長という立場にありながら、貴女は法を軽んじるおつもりか?」
「そんなことはございませんが・・・」
オルガの言葉は静かだが、威圧感は尋常ではない。
「オルニス卿の言う通り、今回の件では何を言おうと容赦するつもりはない。が、アガルタに関しての議長の心配ももっともだ。ほぼあり得ない可能性とはいえアレンの事があった以上、皆無とは言えないのは確かだ。そこでこちらを招くことになった。ソル殿」
脇に控えていたソルは立ち上がると礼を取る。
「お初にお目にかかります。私はかつてのシナルア公国、護法騎士団騎士団長を拝命しておりましたソル=アガレスと申します」
シナルアという言葉に場がざわめいた。
「今回の侵攻についてアガルタ迎撃に参加して頂く。魔術についても確かな実力をお持ちの方だ。それに伴い前線にいる『黒の団』を帝都防衛の任に就ける。それに加えてルカ」
「はい」
「お前も参加しろ。お前なら抜けた分を補って余りある」
「かしこまりまして」
「ここで皆に伝えておくことがある。ダライアス家は今回の件で『青の系譜』の位階を返上すると伝えてきた」
さらに場がざわめく。
「内紛の元凶となった責任を取るということだ。私はそれを認めようと思う。ウェルス卿」
「は、はいっ!」
「これより『青の系譜』は一つずつ位階を繰り上げることとする。ウェルス家は位階三位となる。今後は朝議に参加するように」
「か、畏まりまして!」
『系譜』の位階三位以内というのは特別な立場だ。100年以上変動のなかった位階の移動は4位以下にとっては悲願だっただろう。
そしてエリーシャが言っていた『楔を外す』というのはこのことだったのだ。これから旅立たなければならないルカを、ダライアス家という政治的に重要な地位にある家柄の当主として、帝国に縛られることにないように配慮してくれたのだ。
「もうひとつ、ダライアス家の当主は昨夜を以ってエリーシャからルカになった。正式な通達はすべて片付いてからだが、皆はそのつもりで」
ウィリアムがそう〆ると
「お待ちください!!」
と声が挙がった。
ナイムズだ。
「当主交代などそんな容易に行ってよいものではありますまい!通常は当主の病や不慮の事故があって為されるもの。帝国貴族の中でも一、二を争う名家ですぞ!明確な理由を伺いたい!!」
「『系譜』から外れたのだから問題あるまい。もう政治的な力は皆無なのだ」
クラウスが告げる。
「『系譜』から外れたからといってこれまでの実績がなかったことになるわけではあるまい!変わらずダライアスという名は大きいのだぞ!!」
「静かにしろ」
とつぶやいたのはウィリアムだ。
「エリーシャがそれを望んだのだ。当主が自ら望んで座を譲ったのだから他者が口出しするものではあるまい」
「ですが!!」
「ダライアスは人造精霊を以って帝国に貢献してきた名家。その人造精霊の扱いにおいて現在ルカ=ダライアスの右に出る者はおるまい。ならばルカ=ダライアスが当主であるのが自然と思うが」
そう付け加えたのはアレックスだった。
「そういうことだ。ルカ、これを」
ウィリアムは侍従に筒を渡す。
侍従はそれをルカに手渡すとまた元の位置に戻っていった。
「ルカとソル殿はすぐに出立を。騎士団の精鋭を待機させております」
クラウスの言葉にウィリアムは頷くとルカを見つめる。
「ルカ――――」
「はい」
じっとルカを見つめる鋭い眼光。
「後は頼むぞ」
その重い響き―――絶望の中でたった一つの希望に縋るしかない苦渋が痛いほど伝わってきた。
「はい」
必ず―――必ず救ってみせる。この世界を。
「行くぞ」
ソルに押されてルカは踏み出す。
四元の王と契約を交わせたところで世界を救えるとは限らない。
それでも可能性はあるのだから必ず成し遂げてみせる。
道は見えた。ならば進むだけだ。
ルカの胸には確かな未来が見えていた。