王の帰還
※
キーンと耳鳴りがする。ソルの手で風を防いでくれているのでそこまで寒くは無いが、やはりじわじわと寒気が染みこんで来る。
「大丈夫か」
頭の中に直接響いてくるのでクリアに聴こえる声。
「はい」
「虚無の砂漠を抜けるまで一刻といったところか。帝都までは四刻だな」
タナトスまで急ぎに急いで8日の旅程だった。それをわずか四刻とは竜人の飛翔能力は飛空型の人造精霊すら凌駕している。
「夜明けまでには着かねばな。急ぐぞ」
ぐっと体にかかる加重が増した。
―――間に合え。間に合ってくれ。
ルカは心の底から願う。
アレンを救いたい。
例えアレンに必要とされていなくても、ルカにはアレンが必要なのだ。
たった一人の肉親―――目標であり拠り所だった。
人は一人で生きているわけではない。家族、恋人、友人―――縁に繋がれているという確かな拠り所。それがなければ人は前に進めない。
前に進むために、ルカにはアレンが必要だ。ずっとその背を追って―――手を伸ばしてきた。
その手が届くように。
――――望め
「え?」
頭の中に響く声。ソルの声ではない。
――――望め。真なる願いを
ふと身体の芯から力が湧きあがって来る。
なぜかソルの手に遮られているはずの光景が瞳に映る。はるか―――はるかに広がるこの世界の光景が。
「なにっ!?」
グンッと速度が上がる。
風が真っ直ぐ帝都へと吹いている。
「風の王・・・・」
莫大な量の風の精霊を感じ、そして伝わってくる感情―――それは歓喜だ。
歓喜に沸く精霊たち、そのすべてがルカを、そしてソルを囲み帝都へと向かっていた。
「驚いたな。もう着くぞ」
二刻ほどするとソルの声が聴こえた。
「兄さん・・・」
「このまま城に突っ込む。後は上手くやれよ」
「はいっ!」
まだ夜明けまで一刻はある。だが城は煌々とした明かりに満ちていた。
時折閃光が走っている。戦闘中なのか。
「どうやら青の系譜の内乱のようだな。クラウス側と体制側で戦闘になっているようだ」
脳裏に思い浮かんだのはイル=バッカスだった。あの男ならやりかねない。
「行きます」
「とりあえず俺が引きつける。その隙に下りろ」
「はい」
ソルは一気に高度を下げるとあえて咆哮を放つ。
“ウゴオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!”という響きに、兵士達の視線が一斉に空を向く。
「なっ!!なんだっっ!!!」
「アガルタ!?」
兵士達が一気に恐慌へと陥る。
ルカはソルの手から飛び降りるとスキッパーを呼び出そうとしたが、突如ルカの身体の下に白い獅子が現れた。
「風の王!?」
かつてあのダンジョンで遭遇した、あの白い獅子だ。
それが何者だったのか、今は直感で理解していた。
白い獅子は空中を跳躍すると、数歩で北竜門にたどり着く。
アレンが閉じ込められている光束結界の周囲ではクラウスとその部下の騎士がカトルと共に見覚えのある魔術師たちの攻撃を結界で防いでいた。
「父上!!師団長!!!」
「ルカ?!」
ルカは懐から札を取り出すと空中へと放つ。
「術式展開!!」
舞う札が一斉に飛び散るとスキッパーが姿を現す。その数30。
「舞い、駆け、紡ぐもの。清浄の翼よ、我が呼び声に応え来たれ!ウィンディア!!」
普段とは比べ物にならないほどに濃密な風の精霊たちが涌きあがる。
「清浄の翼よ!偉大なる旋風となりて廻り、廻りて、共に紡げ!」
落下していたスキッパーが宙を駆け、結界の周りの魔術師たちへと向かう。
「全てを薙ぎ払え!!!ハウリング!!!!」
クラウスたちへと攻撃していた術師へ向けて一斉にハウリングを放つスキッパー。
凄まじい威力に城壁が崩壊し、土煙が周囲を覆う。
だがすぐに風が渦を巻き土煙を吹き飛ばした。
数十人の術師がカトルの張った結界の周囲に倒れ伏している。
「ご無事ですか!?」
カトルは白い獅子に跨ったままカトルの元に降り立つ。
「ルカ・・・」
カトルの法衣は至る所が破れてしまっていたが、怪我はないようだ。
「父上もご無事で」
「ああ。よく間に合ったな」
「ソル様が送ってくださったので」
「兄貴か」
クラウスはルカの頭をポンポンと叩くと慈愛のこもった眼差しでルカを見つめる。
「アレンを救う手がかりが見付かったそうだな」
「そうですけど・・・なぜ父上がそれを?」
「俺と兄貴は念話で通じてるからな。お前達がジンに襲撃されたことも知ってる」
だからソルは何が起こっているのかをすぐに知ることが出来たのだろう。
「ではバレルとロキのことも?」
「ああ。しかしずいぶん派手にやったな」
肩を竦めたクラウスにルカは改めて周囲を見回した。
周囲の城壁は完全に崩壊し、北竜門の門扉だけがぽつんと立っている。
普段のハウリングの威力ならばこれほど分厚い、なおかつ耐魔術の加工が施されている城壁を崩すことは不可能だ。しかし、人造精霊とはいえスキッパーは風属性の精霊。
王の存在がその力を増しているのだろう。
「いったいなにがどうしてこんなことに」
「青の第5位から12位までが元老院に動かされたんだ。連中の動きはギリギリでつかめたんで俺達でこうしてたってわけだ」
「元老院・・・だからといっても師団長に叛意を持つなんて・・・」
「まあ、色々あるってことだ」
そういったカトルの顔色は優れない。光束結界を維持しつつこれだけの結界を維持するとなると魔力の消耗は尋常ではなかったはずだ。
「とにかく師団長はお休みください」
スキッパーを一体座らせるとそっともたれかかるようにカトルを座らせる。
その時ドタドタと多くの足音が響いてきた。
「反逆者ルカ=ダライアス、および協力者カトル=シフォン、クラウス=ダライアス!抵抗をやめ大人しくお縄につけ!!」
クラウスに匹敵する巨躯に髪を剃りあげた精悍な面―――重歩兵部隊のシド将軍だ。
「反逆者―――?」
「そういうことにされたみたいだな」
クラウスが静かに答える。
「これはこれはシド将軍。いつお戻りで?」
「騎士団長。何かの間違いだと思っておりましたが・・・残念です」
「誰の差し金かは存じませんが、我々は帝国に対する叛意など持ってはおりませんよ?」
「そこに証拠が存在するではありませんか」
とシド将軍はアレンを指差した。
「それは違います!!兄は・・・」
「アガルタなのだろう?貴様もアガルタの回し者だろう」
ここで妖漿の話をしても信じてはもらえまい。
「あの竜もアガルタか。よくやってくれる」
「誰がアガルタだって?」
突如上空から声が響いた。
「愚直で蒙昧。どうやらフーラーというのは脳みそまで筋肉で出来ているようだな」
とルカたちの前に赤銅の竜が舞い降りる。
「な・・・・」
周囲の兵達が露骨に怯え一歩下がった。それはシド将軍も例外ではない。
「ルカ、これをアレンに」
とソルは水袋を落とす。
ルカはそれを拾い上げるとカトルのそばに膝をついた。
「師団長、結界を解いて下さい」
「だが・・・・」
「スキッパーがこれだけいますから、大丈夫です」
「分かった」
カトルが光束結界を解くがアレンは身動き一つしない。
ルカはそっとアレンに近づく。
「兄さん、僕だよ。分かる?」
その言葉にアレンは亡羊とした目でルカを見つめ返した。
「る・・・・か・・・・」
間違いない。記憶は残っている。
「これを飲んで?」
とアレンの口元に水袋を添えると、中身を注ぎこんだ。
只人の肉体には猛毒という、生命が液化している物質『アムリタ』。果たしてこれでアレンが元に戻るのか―――
しばらくするとアレンの身体が震え始め口元から泡を吹き始めた。
「兄さんっ!?」
「うがあっっ!!!」
びんっとアレンの肉体が大きく仰け反ると、背中の蝙蝠の羽がボトッと落ちた。
「兄さんっっ!!!」
「あががががががががが」
泡を噴き、白目を剥いて痙攣するアレンにルカはしがみつく。
アレンの鍛え抜かれた厚みのある肉体―――すさまじい熱がその内から発せられていた。
「と、捕らえろ!!!」
シドの号令で兵達がじわじわと包囲網を狭める。
「邪魔はしないで貰おうか」
ソルは大きく翼を広げると手を叩く。
「イ・ソル・ア・ソレル」
詠唱と同時にソルを中心に光の輪が広がっていく。
「なっ!」
光の輪が広がるにつれてその輪に触れた兵達が押し戻されていく。
「その術は・・・シナルアの・・・」
カトルがつぶやく。
「良くご存知ですな。さすがはドラゴニア帝国法術師団師団長のシフォン卿」
「私を知ってるのか?」
「あなたとは一度お会いしたことがある。この姿ではお分かりにならんでしょうが」
「私と?」
「その話はいずれ。そこの、シドといったか」
ジッとシドを見つめる金色の瞳。
「な、なんだ!?」
「我らは帝国に敵対する意思はない。それどころではないからな。大人しく兵を退け」
「出来るわけがなかろう!勅命なのだ!!」
「敵対する意思は無いが妨げるならば払うまで。この帝都を瓦礫に変えることも出来るのだぞ?」
「なんだと・・・」
シド将軍のこめかみを汗が伝う。
「無為に兵や民の命を奪うつもりは無いが、世界のためならば些細な犠牲だ」
「刺し違えようとも陛下に仇為す者を討つ!それが我らの義務だ!!」
わずかに震える手に大剣の束を握りこみ、ソルに対峙しようとするシド将軍。すさまじい胆力だ。
「刺し違えることが出来ればよいがな。これから起こりうるのは一方的な虐殺だ。それだけだよ」
「な・・・・」
呆然とするシドに、ソルは拳を振り上げる。
「お待ちください!!」
と突如降ってきた声にソルは拳を止めた。
集まっていた兵の集団が割れ、道が出来てゆく。
その道を進むのは数人の男。近衛隊だ。
その男達の中心にいるのは長身痩躯の武人―――
「陛下・・・」
振り返ったシド将軍がつぶやく。
ドラゴニア皇帝、ウィリアム=サント=ドラゴニア。
ウィリアムは近衛兵をシド将軍の脇に待機させると、ソルの前に立ち、膝を折り叩頭した。
「お初にお目にかかります。数々の無礼狼藉、ご容赦いただきたい」
「陛下!?」
ウィリアムは顔を上げると微笑む。
「あなたは世界の記録者―――竜人の一族ですね」
「なぜそれを知っている?」
「歴代の帝国皇帝にのみ伝えられる口伝がございます。世界を記録する竜人の一族―――そしてこのドラゴニア初代皇帝と出自を同じくする一族であると」
その言葉に目を瞠る一同―――
「初代皇帝が竜人―――?」
クラウスが漏らした言葉に彼らもその事実を知らなかったことが分かった。
「その翼を畳んではいただけませんでしょうか?アレンとルカと、事実関係を確認した上で今後のことを検討したいのですが」
その言葉にソルはそっと翼を畳むと目を閉じた。
赤銅色の鱗が光り始め、全身を金色の光が包み込むと、その光はみるみるうちに縮み人の形を成す。
そして光の中からまるで反転するように色が噴き出ると、人の姿に戻った。
「あ・・・あなたは・・・・アガレス卿?」
カトルが驚愕の表情で見つめている。
「伝承の通り、人と竜と、二つの姿をお持ちなのですね」
ソルは苦笑いを浮かべるとウィリアムの前に膝をつき礼を取った。
「皇帝陛下、お初に御目もじ仕ります。私はかつてのシナルア公国、護法騎士騎士団長のソル=アガレスと申します」
「シナルアの・・・騎士?」
「詳細は後ほど。今はアレンを」
「そういえばアレンは・・・」
ルカが抱きしめたアレンは痙攣も収まりぐったりとしている。
肌の色はまだ青いが、牙も失せ、アガルタの特徴は消えつつあった。
「じきに人に戻るでしょう。容態が落ち着くまでルカに任せてはいただけませんか?」
「分かりました。シド将軍、負傷者を回収して兵を下げろ。ここには我々だけ残る。居城よりこちらには何者も立ち入らせるな」
「はっ!かしこまりまして」
シド将軍の号令で負傷者を回収した兵は一斉に撤退していった。
空がうっすらと白み始める頃には静寂がルカたちを包み込んでいた。
「ルカ」
そっとルカに歩み寄ったウィリアムはルカの肩に手を置く。
「陛下・・・」
「アレンを救う手立てを探していたそうだな。先生からは聞いていたんだが」
と傍らに立つクラウスを見上げた。
「シド将軍が捕縛は勅命などといってたが?」
「そんな命令を出した覚えはありませんよ。カトルと先生を失うような真似を私がするはずがないじゃないですか」
カトルとウィリアムは同い年。幼少の頃から一緒に育ってきて極親しい間柄だ。
「ナイムズ大臣だな」
カトルの言葉にウィリアムは頷いた。
「そうだろうな。玉璽の複製でも持ってるんだろう。あんなもん版面さえあればいいのだから」
帝政の実力者、ダレル=ナイムズ。先帝の寵を受けたナイムズは今は内政担当だが、元老院から各貴族階級まで広く影響力を持ち、黒い噂の絶えない人物だ。
「いつ戻ったんだ?」
「つい先刻だ。シェフィールド卿から事の次第について連絡があったんで大急ぎで戻ってきたんだ」
シェフィールド家は『赤の系譜』位階1位。広域破壊魔術を得意とする『赤』は対アガルタ戦において先陣を切る役目を持っており、軍においてもっとも重要な立場にある。
「さすがに『系譜』の一位から三位となると手が出せなかったようだな。そこで懐柔できる連中を手駒にしたようだ」
「まあ、エリーシャがルカを手放すなど出来るはずもないしな」
クラウスの言葉にウィリアムは頷く。
「私もルカを失うわけにはいかない。硬直しきった選民主義の『系譜』を一から作り直すためにも」
「陛下・・・」
ルカの頬に涙が伝う。
「よく戻ってきてくれた。お前が旅立つと聞いた時、本当は怖かったんだ。アレンのようになってしまうのではないかと思った。だがお前にとってたった一人の肉親のことだ。止めるわけにもいかなかったのでな」
「・・・申し訳ございません」
「これでアレンのことは解決したのだろう?ならば問題ないさ」
ウィリアムの言葉にソルとクラウスの顔色が曇った。
「ウィリアム、そのことなんだが・・・」
「先生?」
「もっと大事な話がある」
そう前置きしてソルとクラウスは世界が崩壊へと向かっていることを説明した。
「それは・・・本当なのですか?」
ウィリアムとカトルは驚愕の表情のまま固まってしまった。
「残念ながらな。今すぐというわけではない。だがそう遠い話でもない」
「そんな・・・」
「アガルタが滅びれば、シャングリラも間をおかず滅びることになる。アガルタの滅びが間近であることは間違いない。月の王が失せれば魔力循環のバランスが決定的に崩れることになる。今は表面上変化は無いが、そうなれば世界の崩壊が始まるぞ」
「では・・・アレンたちが月の王を討っていたら・・・」
「世界の崩壊が始まっていたな」
「ならばなぜアレンたちを止めなかったのです!?」
「我らは世界を記録するのが役目。例え滅びるとしても世界のありように干渉はできん」
「我らって・・・」
ウィリアムの言葉にクラウスは頷く。
「俺も竜人だ。このソルの弟になる」
「竜人は我々だけではないよ。世界の隅々まで世界を記録するために入り込んでいる」
「ほかにも竜人が?」
カトルの問いにソルが答えた。
「有名どころでいえばラナサント騎士国、国王ヨーゼフの父親スミスが竜人だな。あとはルーニエの特級魔導師の『天剣』か。だがほとんどは目立たぬように庶民に紛れているよ」
『天剣』といえば雷撃魔術のエキスパートとして有名な人物だ。通常、雷撃魔術は攻撃範囲が狭いものなのだが、『天剣』は周囲1里に渡って雷撃を落とすことが出来ると聞く。
シナルアの使う魔導人形『ゴーレム』は雷撃に弱く、対シナルア戦においては圧倒的な威力を誇っていたらしい。
「結局アレンは月の王に敗れたのでしょうか?」
「さあな。負けたのは間違いないだろう。その結果アガルタにされてしまったんだ」
「そうか・・・良かったのか、悪かったのか」
ウィリアムはため息をつく。
「アガルタの侵攻はそのことと関係があるのでしょう?ならば我らはどうすれば良いのでしょうか?」
「アガルタ自身は月の王を救う手立てを見つけるためにやっているだけで世界の崩壊については気付いていないはずだ。世界を救える可能性があるとしたら―――」
ソルはルカを見つめる。
「彼だけだ」