竜人の里
気付くと柔らかなベッドに横になっていた。岩肌がむき出しになった天井、そして壁。その岩肌をくりぬいて窓が設けられている。
ルカが体を起こすとすでに痛みも疲労感もなかった。
「ここは・・・」
汚れていた旅装は解かれ、清潔な服に着替えさせられている。
ベッドから降り、窓の外を眺めてみるとそこにはよくある農村の風景が広がっていた。
広い畑の中に散在するこじんまりとした家屋、柔らかく降り注ぐ陽光に虫達が舞っていた。
ガチャっという音がして扉が開くと、現れたのは薄いシャツ姿のあの甲冑の持ち主だった。
シャツ越しに隆々とした筋肉を浮かせる男。
やはりどことなくクラウスに似ていた。
「お、起きたか」
男が抱えてきたのはルカの荷物だ。
「あ、あの・・・」
「さすがはシャングリラ随一の精霊魔術師だな。こうも回復が早いとは」
「え?あの・・・」
男の口ぶりからしてルカのことを知っているようで、ルカは戸惑う。
「君ほど精霊に愛されている者は他にはいないからな。ここまで精霊達が率先して治療するところなんて初めて見たよ」
と実に可笑しそうに笑う男。
「あの・・・ここは?」
「おお、すまん。とりあえず自己紹介からだな。私は元シナルア公国護法騎士、騎士団長のソル=アガレスという」
「え?シナルアの騎士?」
10年前に滅びてしまったはずの南方の大国、シナルア公国。
「元、な。私がルーニエとの紛争に赴いているときにアガルタによる襲撃があったんだ。おかげで帰る場所がなくなってしまったよ」
大陸西方の大国、ルーニエ王国とシナルア公国は昔から仲が悪く、頻繁に国境で紛争を起こしていた。
原因はシャングリラ全域で信仰されているナバル教だ。太陽神ナバルを主神とするこの宗教の開祖はルーニエ出身といわれている。だがどういった経緯かナバル教の開祖はルーニエを出奔、当時南方の大国であったワーセム王国に入り自身を公主としたシナルア公国を建国した。
この動きに猛烈に反発したのが当時のルーニエ国王、シャガルだった。シャガルは国内でのナバル教の信仰を禁じ、新たな宗教を国教として定め、異教徒討伐と称してシナルアに攻め込んだのだ。
だがシナルア側はワーセム時代から進められていた魔導研究の成果、ゴーレムを以って応戦。圧倒的な戦果を挙げ、ルーニエを退けただけではなく逆にルーニエに攻め込んだ。
アガルタ召喚で応戦したルーニエだったが、アガルタ召喚はシナルア側も使えるわけで切り札にはなりえず、王都『ファルニエ』ギリギリまで侵攻を許してしまった。
窮地に陥ったシャガルは北の大国、ドラゴニア帝国に救援を要請。帝国は帝国が擁する魔術師集団、『系譜』のうち『青の系譜』を投入し、応戦させた。
魔術師の血統を純粋に統合していった結果、非常に高い能力をもつ魔術師を多く擁す『系譜』の魔術師の能力は、技術的には先行していたシナルアの魔術師たちをはるかに凌駕しており、戦況は逆転。
その時に圧倒的な力を見せたのが精霊術に特化した『青の系譜』の位階一位、ダライアス家の当主マリル=ダライアスだ。彼女は開発したばかりの『人造精霊』を以ってゴーレムの集団を圧倒した。
たった一人で一騎当千の力を見せる彼女に慄いたシナルアはすぐに撤退。停戦交渉を持ちかけてきた。
停戦は成立したものの、それ以来、ちょっとしたきっかけですぐに紛争が起こっている。
「ここは何処なんですか?」
「ここか?ここは虚無の砂漠、タナトスのすぐ南側にある私の故郷だ」
「え?」
虚無の砂漠には誰も住んでいない。そもそも居住可能な環境ではないとされている。
「そんなバカなって顔してるな。だが良く見たまえ、この村の周囲を」
ソルの言葉でルカは村の遠方を眺めてみる。霞がかかっているのかはっきりとは見えないが、うっすらと断崖が聳えているのが見えた。
「じゃあ・・・」
「ここは上空を結界で覆ってある。認められた者しか入ることが出来ない場所だ。君らの手当てが必要だったんでね、特別に君らも入ることが許された」
「そうだ!バレルとロキは!?」
「来なさい」
先に立ち部屋を出たソルについていくとバレルは隣の部屋で寝ていた。目を閉じ、小さく呼吸を繰り返すバレル。分厚い胸板には包帯がぐるぐる巻かれている。
「バレル・・・」
「彼の手当ては終わっているよ。内出血に骨折が何箇所かあるが命に別状はない」
「そう・・・ですか」
「もう一人はこっちだ」
ソルは廊下の突き当たりの扉を開けると、そこから続く階段を降り始めた。
部屋と同じく岩肌が覗く階段は全体がぼんやりと光っている。
「ここは・・・一体何なんです?」
ソルの大きな背中に問うと
「ここは村の中心部にある岩山の中だ。岩山をくりぬいて部屋を作ってある」
「岩山を?」
「ここの地下には霊泉がある。今からそこへ行くんだ」
ソルの言う通り、階段を降りきった先には澄んだ水を湛えた泉があった。普通ならばこういった泉の周囲には水の精霊がいるものなのだが、この泉の周囲にはどんな精霊の気配もない。
「ここは・・・不思議な空間ですね」
「これは水に見えるが水じゃない。普通の人間が飲めば死ぬぞ」
「えっ!?」
ソルは泉から流れる水路に手を差し入れ水を汲むと、一口含んだ。
「あの・・・毒なのでは?」
ルカの言葉にソルは白い歯を溢す。
「私は普通の人間ではないよ。まあ、後で説明する。それより君の仲間はこっちだ」
水路沿いに少し下ると水路が分岐していた。左に引き込まれた水路の先にはいくつかの槽がある。
「ロキ!!」
槽のひとつにロキが全裸で浮いていた。顔は酷く腫れあがったまま、鍛えられた肉体もほぼ全体が青紫の痣で覆われ人の身体とは到底思えない状態になっている。
「ロキは!?助かるんですか!?」
ルカはソルに縋りついた。
「まあ、落ち着きなさい。この水は『アムリタ』という、生命の源そのものが液体となって流れ出しているものだ。生命の源とはいえこれだけ濃度が高いと普通の人間にとっては毒にしかならない。だから普通の健康な人間が飲めば死ぬ。だが、彼のように死にかけているものならば話は別だ。『アムリタ』が体を本来あるべき状態に戻してくれる」
「そうですか・・・」
安堵の息を吐いたルカだが
「ただし、これだけの生命エネルギーを受け入れるだけの器がなければ死ぬ」
「え!?」
「まあ、彼くらいの器なら大丈夫だ。さすがはフーラーといったところか」
「脅かさないでください。でも、大丈夫なんですよね?」
「おそらくな」
心配していた案件が一つ片付いたので、ルカは気になっていたことを訊いてみた。
「あの・・・シナルアの騎士団長だったんですよね?」
「そうだが?」
「公主様はどうなったんですか?」
シナルアがアガルタの強襲を受けたと報が入ってすぐに各国は国境を閉ざしてしまったために現在のシナルアの情報は皆無だった。
「公主様はご無事だよ。公主様は南方の港町、ファーレンポートにおられる。公主様はご無事だったがリジッドの数万の民は皆殺されてしまったし、臣下もほとんどが殺されてしまった。そのことで心を病まれてしまわれたんだ」
「そう・・・でしたか・・・では今のシナルアは公国ではないのですね?」
「今は地方領主の合議で動いているよ。そもそも襲撃を受けたのは総本山であるリジッドだけで、多くの国民は襲撃を受けたことすら知らなかったんだ。今も普通の生活を営んでいる。アガルタはすでにシナルアには興味がないらしくてな。だが国官だった私にはもう帰る場所がないのさ。さて、とりあえず上に上がろう。君に会いたいと仰ってる方がおられる」
「私にですか?」
ソルはニヤッとまるで何かを企んでいるかのように笑うと
「会ってからのお楽しみだ。さあ、行くぞ」
と降りてきた階段を上り始めた。
「さ、入ってくれ」
ソルは扉の前で傍らに避けると、ルカに扉を開けるよう促す。
いったい何が待ち構えているのか―――危険なものではないだろうが、おそらくルカには想像もつかないような相手なのだ。
恐るおそるといった感じで扉を開けたルカの視界に入ってきたのは―――巨大な一頭の竜だった。
白銀の鱗に覆われた荘厳で美麗な―――二足で立ち上がり、その背には巨大な翼を折りたたんでいる。
岩壁が聳えるその上方からはぽっかりと空が覗き、そこから射し込む陽光でキラキラと複雑な光を放つその姿は神という言葉を連想させた。
「お連れしました、長老。彼がルカ=ダライアスです」
呆然としているルカの背後からソルの言葉。
「ようこそ、創世の鍵足り得る可能性を持つ者よ。竜人の里へ」
落ち着いた優しい声―――それは音として聴こえたが、耳からではなく、直接脳裏に響いている。
「あ、あなたは・・・」
「私は竜人の長。世界を記録するもの」
「竜人?」
竜に纏わる伝承はいくつか存在している。だがどれもこれも神話の域を出るようなものではなく、御伽噺の扱いだった。だが、その御伽噺がいまこうして目の前に存在している。
「世界を見守るもの。それが我ら竜人だ」
傍らに立ったソルはルカの目を真っ直ぐ見つめてそう言った。
「我らって・・・あなたもなのですか?」
「そうだ。私には竜人としての本来の姿がある。今のこの姿は仮のものだ」
「ですが・・・あなたはシナルアの騎士だったのでは?」
「我々竜人の多くは世界の隅々で起こっていることを長に伝えるべく人間社会に潜り込んでいるんだ。ちなみに君の養父にあたるクラウス=ダライアスは私の弟だよ」
「は?」
「クラウスは私の弟、つまり竜人だ」
あまりに衝撃的な告白―――父が人ではないという。
「更にいえばラナサント騎士国、国王ヨーゼフの父親も竜人だ。ルーニエの中枢にも竜人はいる。君らが気づいていないだけで多くの竜人が君らの生活に紛れているんだよ」
あまりに荒唐無稽な話にルカの思考は停止しかけていたが、そもそもソルがこんな嘘をつく必要性など何処にもない。実際に目前に巨大な竜が存在しているのだから。
「ルカ」
再び頭の中に響く声。
「はいっ!」
「あなたは創世の鍵足り得る可能性―――滅び行くこの世界を再び創世できる唯一の存在」
静かに、そして淡々と響く言葉にルカは耳を疑った。
「わたしが・・・?」
「そう。この世界は滅びる。それはすでに決まってしまったこと。シャングリラとアガルタ。対をなす世界の均衡が崩れてしまった。人がアガルタを召喚する術を得てしまったために」
「均衡って・・・召喚術がどう関係するのです?」
「それぞれの世界でそれぞれに循環していた魔力が頻繁な召喚によってシャングリラに偏るようになってしまった。そしてアガルタの魔力は減少し、月の王が次代の王を産み出せなくなった」
月の王―――アガルタを統べる王だが、その実態ははっきりしていない。
「生れ落ちたアガルタが月の魔力を得るためには月の王が産み出す妖漿が必要だ。当代の月の王はすでにかなりの老齢。産み出せる妖漿はごくわずか。そのため新たに生れ落ちたアガルタは月の魔力を受けられず次々と死んでいる。この異変を打開するためにアガルタはシャングリラ侵攻を始めた。まずシナルア公国が襲撃されたのは、シナルアが魔術での最先端技術を保有していたからだ」
突如始まったアガルタによる侵攻の理由―――すべては人が自ら侵した禁忌が原因だったのだ。
「アガルタがシャングリラに攻め込んできたことで世界が滅んでしまうのですか?」
「そうではない。すでに均衡は崩れているのだ。アガルタがどのような行動を取っても崩壊は止まらぬ」
「ならば私がいようといまいと結果は変わらないのでしょう?」
「そう。結果は変わらない。だが新たな世界を創り出すことができる」
「世界を・・・創る?」
「精霊の寵を受けし者よ。四元を司る王を探し出し、契約を交わせ。世界を構成する四元を掌握せし時、創世が始まる」
「四元の・・・王・・・」
伝承にある火水風土の四元精の王。多くの魔術師が捜し求めていながら今もなおその存在を確めた者はいない。
「そんな・・・そんなものどうやって捜せば・・・」
頭を抱えたルカを突然酷い立ちくらみが襲った。
「おっと、大丈夫か」
ソルの強い腕で抱きかかえられて何とか立ち上がったが
「とりあえずもう少し休もう」
と肩を支えられて部屋へと戻された。
「で、もう具合は良いのか?」
空が暗くなり始めた頃、ソルが食事を持ってやってきた。
「はい・・・」
「突然色々なことを知って思考が追いつかないんだろう。今はゆっくり休むことだけ考えなさい」
「あの・・・四元の王って実在するんでしょうか?」
「実在はしている。ここにこうして世界が存在しているんだから。何処にいるのかは私も知らないが」
ルカは闇に沈んでいく窓の外を眺めながら問う。
「本当に世界は滅びてしまうんですか?」
ソルはベッドに腰掛けるとため息を漏らした。
「それは確かだ。その予兆が現れてしまっているからな」
「予兆?」
「勇者と呼ばれる存在だよ。彼らはシャングリラに溜まってしまった過剰な魔力を排出するために世界が生み出した存在だ。シャングリラにもアガルタにも、異常な状態を修正する機能がある。君の知る抗魔結界なんかがその一つだ。莫大な魔力を封印された勇者という存在は、シャングリラが本来あるべき状態に戻そうと機能した結果だな」
「そんな・・・でも、それならば世界は均衡が保たれているんじゃないんですか?」
「封印された魔力をそのまま封じ込めていればな。だが彼らは得た力を使い続けた。それでさらに世界の均衡は崩れてしまったんだよ。もう、手遅れだ」
ソルが吐き捨てるようにつぶやいた言葉―――ルカはソルの太い腕に縋りつく。
「なにか!何か方法はないんですか!!このまま世界が終わってしまうなんて!!!」
ソルは悲しみを湛えた目でルカを見つめる。
「ひとつだけ・・・・方法があるかもしれない。長が言った四元の王との契約だ。四元の王はこの世界を創りだした創世主だ。もしかしたら世界を維持したまま均衡を調整することが可能かも知れん」
「なら・・・」
「だが!あくまで可能性の話だ。四元の王を知るのは長だけで私達は長が知っているということを知っているだけだ。四元の王にどんな力があるのか、それは私達は知らないんだ」
釘を刺すように告げられた言葉にルカは俯いた。
「私は・・・兄を救いたくてここまで来ました。兄の“民を救う”という願いを叶えたくて。でも・・・結局滅びてしまうのなら何の意味もない。世界を創りだしたって大切な人たちが帰ってくるわけじゃないんでしょう?」
「それは・・・・そうだが・・・・」
ソルがつぶやいたその時―――
「だからって諦めんの?」
と入口から聴こえた声。
「バレル!」
入口に立つ大柄な身体。だが腹を押さえたバレルの顔色は悪い。
「なんとなくしか聞いてないけど、世界が滅びるとかどうとか。で、四元の王とかの力があれば助かるかもしれないんだろ?」
ソルはそっとバレルの体を支える。ソルに支えられながらバレルはルカの横に座るとそっと頬に触れた。
「可能性があるなら賭けようよ。滅びが避けられない運命だとしても、目一杯抗ってやろうよ。俺らなら出来るよ」
苦しいはずなのに笑おうとするバレルに、ルカの頬に涙が伝う。
バレルはそっとルカを抱く。
「頑張ってみよう?一緒に。俺もルカやアレンやみんなを救いたい。もっと強くなるから―――」
「うん――――」
そう、まだ終わっていない。終わってしまうのだとしても、まだ終わってはいないのだ。あの白銀の竜人はルカを『創世の鍵』と呼び『精霊の寵を受けし者』と言った。ルカになら変える事が出来るかもしれないということだ。諦めてしまうのはまだ早い。一人ではないのだからどんな困難でも越えて行けるだろう。
バレルの大きな身体に包み込まれて、ルカは再び旅立つ決心をした。