タナトス
※
王都を発って5日。特に障害もなくここまで来たが、ここからが難関だ。
虚無の砂漠という名の通り、動物どころか植物もなく、生命の気配がまったくない。さらに平坦な地形の多いシャングリラでもっとも標高が高く空気が薄い台地。さらに台地の周囲には急峻な峰が連なり、馬では登ることができない。
ルカたちは対アガルタ最前線の拠点となるミンノス砦に馬を置くと、徒歩で砂漠を目指した。
そして―――
「ここをどうやって登るんだ?」
目の前に聳え立つ断崖。バレルはそれを見上げて途方にくれている。
すでに空気の薄さを実感できるほどの標高まで登ってきているが、目の前の断崖はなおその頂上が霞んで見えないほどの高さを残している。
「俺が先に登って綱を下ろそう。主査はそれを登ってきてください」
ロキが荷物をまとめて、早速登ろうとしていた。
「いやいや、この高さじゃ綱が何本必要になるか」
「しかし・・・」
「これならスキッパーで登れるでしょう。そのほうが早い」
とルカはスキッパーを呼び出した。
「振り落とされないように。行きますよ」
ルカの声と共にスキッパーは跳躍する。
スキッパーは断崖の僅かな凹凸を足場にして数回の跳躍で頂上にたどり着いた。
「あっという間ですね。私も魔術を学んでおくべきでした」
「いや~、ムリでしょう。スキッパークラスの精霊を同時に顕現出来るのってルカくらいだし」
「そう言われるとそうだな。さすがは建国以来の天才魔術師ですね」
「止めて下さい。私は精々秀才止まりですよ。天才というのは――――」
兄のような人だ。だがその天才ですらアガルタに敗れてしまった。
唐突な沈黙をいぶかしんだのだろう、バレルとロキが顔を覗き込む。
「どうか・・・されましたか?」
「いえ。すみません。急ぎましょう」
スキッパーを降りたルカは足早に歩き始めた。
寒風吹きすさぶ荒野をひたすら歩んでいく。南方、アガルタへの入り口『タナトス』を目指す。
「大丈夫ですか?」
「は、はい・・・」
体を鍛えている二人は平気なようだが、ルカにこの空気の薄さはかなり辛い。
黙々と砂漠を南下すること一日半。文献が正しければ4日ほどでタナトスにたどり着けるはずだ。
「少し休みましょう」
「いえ、時間がありませんから」
合月まであと3週程度。行って調査をしたら戻らねばならない。その時間も必要だ。
「ですが無理をされると却って遅くなりますから。休養をとることで最終的には早くなる。そういうものです」
ロキに肩を抑えられ仕方なく頷いて見せた。
「なぜそんなに急いでるんです」
「合月にはアガルタの力は増します。師団長の光束結界といえど、あれほどの力を持ったアガルタを抑えきれるとは限りません。なんとしても次の合月までに打開策を見つけて戻らねばならないんです」
「ダライアス卿夫妻もおられることですし、結界が破られたとしても仕留める事は可能でしょう?犯人に繋がる手がかりがなくなるとしても、また次の機会もありましょう」
「それではダメなんだ!!!」
ルカの叫び―――アレンを、兄を失ってからでは何もかもが遅い。
「ルカ様・・・」
「申し訳ありません。ですが次なんて無いんです。お願いします。必ず見つけなければならないんです」
「分かりました。急ぎましょう」
とロキはルカを背負った。
「えっ?」
「あなたはアガルタ戦において欠かせない方です。今は体力を温存しておいてください」
「でも・・・」
「私はフーラーですから。この程度、なんでもありませんよ」
ロキはまったく変わらない足取りで歩き出す。
「じゃ、荷物は俺が」
とバレルはロキが抱えていた荷物を取り上げた。
「ごめん」
「ルカをアガルタまで連れて行って連れて帰る。それが俺達の任務だから」
バレルの強い言葉に
「ありがとう・・・」
自然に言葉が漏れた。
自分のわがままにこれだけの思いをしてでも付き合ってくれる人が居る。
必ずアレンを救い、民を救う。
自分を信じてくれる多くの人々への感謝の念が湧き上がって来て止まらない。
もう不安なんて無かった。必ず果たしてみせる。
ただその確信だけがルカの中に残っていた。
3昼夜が経過したころ、ルカたちは世界の中央、虚無の砂漠の中心『タナトス』に着いた。
「思っていたより早く着きましたね」
「あなた方のおかげですよ。しかし―――」
月明かりに浮かぶ『穴』は対岸が見えないほど大きく、底も見えない。
このままアガルタに繋がっているのだから当然底なんてものはないことは分かるのだが、本能が忌避する。
「どうやって降りるんだ?」
「スキッパーで降りよう。世界の構造が文献通りなら途中で上下が反転するはずだ。どのくらいの深さがあるか分からないが、降りたら登ることになるし、それが一番早いだろう」
ルカはすばやくスキッパーを呼び出すと跨った。
が―――
瞬間、周囲を覆う凄まじい砂嵐。目を開けられないほどだ。
先ほどまで無風だったのに突如巻き起こった嵐に
「アガルタか!!」
ルカは叫ぶ。
「舞い、駆け、紡ぐもの。清浄の翼よ、我が呼び声に応え来たれ!ウィンディア!!」
ルカはウィンディアを呼び出すと砂嵐を消し去る。同じ風系統の精霊術だろうが、精霊との相性でルカに勝るものなどそうはいない。
「大丈夫か!?」
「ああ。ルカは?」
「大丈夫だ。だが今のは魔術だ。アガルタがいるぞ」
穴の周囲には大小の岩がゴロゴロしている。月明かりがあるとはいえ決して見通しの良い環境ではない。
ウィンディアによる防御結界を張りつつ、スキッパーを周囲に展開させると些細な動きも見逃さないよう指示する。
だが―――
「なっ!!!」
突如バレルの足下から突き出した腕。
「バレル!!」
その腕がバレルの足を掴むと地面から本体が現れた。
4本の極太の腕を持つ巨躯―――青黒い肌をした筋骨隆々の男。
「兄貴!?」
ロキが叫ぶ。
耳まで裂けた口、口元から突き出した牙。だが精悍さ溢れる面―――
これがフーラーのジンなのか。
「がはあっっ!!」
バレルが地面に叩きつけられる。
「バレル!!」
ルカがスキッパーを飛び掛らせようとしたその刹那
「ぐふぁあっっ!!!」
ルカの体を激しい衝撃波が襲う。ジンの拳気―――
「がはっ!!!」
岩に叩きつけられ身体が動かない。
スキッパーは形を失い消滅する。使役者からの魔力供給が断たれると存在を維持できないのだ。
「ごふあっっ!!!」
ジンの拳がバレルの身体をくの字に折り曲げている。
そして力を失ったバレルの身体を投げ捨てると、ロキと対峙した。
「兄貴・・・」
信じられないといった表情のロキ。
対するジンの体からは凄まじい闘気が迸っている。
「そんな・・・嘘だろ?あに・・・ぐはっっっ!!!」
一瞬で詰め寄ったジンが突き出した拳でロキの身体が吹っ飛ぶ。
地面に叩きつけられたロキの身体は2,3度バウンドして突っ伏した。
「ぐっっ!!!」
ロキは拳を地面につきたてると立ち上がろうと体を震わせているが、ジンはロキの元へ一跳びするとロキの頭を掴んで引き上げた。
「あ゛・・・あ゛にぎ・・・」
ジンは二本の腕でロキの服を引き裂くと、その二本でロキの腕をがっしりと掴んだ。
露になったロキの隆々とした筋肉が覆った引き締まった身体―――哀れに十字に吊るされたロキの身体は月光を受けて一種の神々しさを放っている。
「がばあっっ!!」
ロキの腹を押し潰す巨大な拳―――目を剥いたロキの口から唾液が滴っている。
「ごぶうぇっっ!!ごぶうぇっっ!!げばっっ!!」
一撃一撃、確実にロキの腹を押し潰すように打ち込まれる拳。
「ぐぶうっっ!!ぼうぇっっっっ!!!」
胃の中身を吐き戻したロキを見ると、ジンは拳を打ち込むのを止め、さらに押し込んでいく。
「べうぇっっ!!うぇっっ!!」
涙を流し胃の中身を全て吐き戻しながら苦悶に歪むロキの顔を明らかに楽しんでいるジン。
そして押し込んでも何も出て来なくなるとロキの頬を拳で打ち抜いた。
「ぶっっ!!!」
首がねじ切れるのではないかと思うほど大きく振られたロキの頭が戻ってくると
「ぶぎっっ!!」
さらに反対方向へ大きく振られるロキの頭。
「ごっっ!!ぶっっ!!べっっ!!ばっっ!!」
激しいラッシュでロキの頭から血や唾液が飛び散っている。
ジンが拳を止めたころにはロキの顔は血塗れな上に腫れ上がって、元の精悍な顔の面影すら残っていなかった。
意識もないのだろう、身体からは完全に力が抜け、頭を仰け反らせたまま動かないロキ。
ジンはロキを地面に叩きつけると、軽く跳びあがりロキの腹へと膝を落とした。
「―――――――っっ!!」
口から血を噴き出し、くの字に折れ曲がったロキの身体。だがその太く逞しい腕も長い脚もすぐに力なく地に落ちた。
ジンは繰り返し繰り返しロキの腹の上で跳びあがっては膝を落としていく。そのたびに折れ曲がるロキの身体―――口からとめどなく血が流れ、大きく凹んだ腹部からするとすでに中身はぐちゃぐちゃだろう。
「ろ・・き・・・」
僅か半月足らずの付き合いだが、ルカを軽々と背負った強い腕、そして大きな背中―――感謝の念も信頼も長く付き合ってきた人々以上のものがすでにある。そんな相手が蹂躙され、命が尽きようとしている。
涙をこぼし手を伸ばしたルカの目前、一瞬白い閃光が駆け抜けた。
「ぎゃあああああああああああああっっ!!!」
凄まじい悲鳴―――その悲鳴の主はジンだ。腕が二本切り落とされ、傷口から血を噴出しながら暴れている。
大きな剣を持った白い光を放つ甲冑―――クラウス並みの堂々とした体躯の持ち主は宙に陣を描くと大剣を地面に突き立てる。
「捕縛っ!!」
その一言で地面に雷光が走り、ジンの体を貫くとジンの体が歪みまるで宙に圧縮されるかのように収縮していく。そしてそのまま小さな石になると地面に転がった。
封印術だろう、だがこれまでに見たことも聞いたこともない系統の術だ。
その白い甲冑の男は血塗れのロキをそっと抱えあげるとルカのほうへと歩いてきた。
「大丈夫か?」
ガシャッという音を立てルカの前に膝を突いた男の落ち着いた声。
精悍さ溢れる男の顔は含蓄があり白いものがかなり混じっている短髪からして50前後だろう。クラウスよりやや年上に見える。
「あ、あなたは・・・・?」
男は目尻に深い皺を刻みながら微笑むと
「今はとにかく休みなさい。君はこの世界を救う鍵なのだから」
男がルカの額に額をあわせると、ルカの意識は途切れた。