第九十六話 人質のお姫様 ―少女と山賊団―
「おい、いつまでかかってんだ! さっさと洗濯に移れ!」
「は、はい!」
薄暗い部屋にカチャカチャと、食器と食器の重なり合う音が鳴る。
水場に所狭しと詰め込まれた食器の量は一世帯分には飽き足らず、およそ十世帯分はあるかもしれないという量。
上手く伝わらないかもしれないがとにかくその量は、どう考えても一般的な家庭から発生する使用された食器の量ではなかった。
だがおかしいのはそれだけではない。
そんなにも大量の食器を前に、必死に手を動かしていたのは――。
「よいしょ、よいしょ」
背伸びをしながら手を動かす、少女であった。
その小さな手を使って力強く鉄製の食器を洗う少女。
どうしてかスポンジは用意されていない。
つまり彼女は素手でひたすらに皿を洗っているのだ。
どうやったらつくのか見当もつかない頑固な汚れを、落ちるまで懸命に。
体を刺すような冬の冷気と、容赦のない冷水により真っ赤になってしまったその華奢な手で。
でないと彼女はまた酒臭い中年たちに叱られてしまうから。
「おい、まだなのか! 頭たちがもう行っちまうぞ!」
先程も少女に声を荒らげていた髭面の男が、扉のない部屋の入り口から顔だけを出して急かす。
「はい、今行きます!」
すると、なんとか洗い物を終えたらしい少女が手を止めた。
かと思えば近くに置いてあったぼろ雑巾のような布でさっと手を拭いて先程まで髭面の男が顔を覗かせていた部屋の入り口へと駆け出す。
コンクリートで固められた無機質な建物から出た彼女は、村のほうへと繋がるアジトの出入り口とされている場所まで走る。
距離がそこまであるわけではないのだが、それはあくまでも大人の視点。
幼い彼女にはちょっとばかり辛い距離だ。
「はっ、はっ、はっ」
しかし一定のペースで吐かれる息からはある種の慣れさえも感じ取れる。
それもそのはず。
彼女はここ、山賊たちのアジトにて六年を過ごしているのだから。
現在七歳になる彼女は、幼い頃ここの山賊たちに拾われたらしい。
”らしい”という表現をしたのは、このことは自分の面倒を見てくれているラッセンから聞いただけのことで、自分で確認したというわけではないからだ。
なんせ自分が自分であると認識し始めたのさえ四歳くらいからの話。
それほど昔の記憶であれば覚えているはずない。
だから、聞いた話を鵜呑みにすることにしたのだ。
そしてその間にも、彼女は常に山賊たちにコキを使われ続けていた。
家事を任され始めたのは物心がつくより早かったかもしれない。
ただ気が付けば彼女は、皿を洗っていたし、衣服をたたんでいたし、靴を磨いていた。
つまり汗水を垂らして労働に勤しむことが、当然であったのだ。
――自分の手がぼろぼろになっているのも勿論のことである。
長くなったが、要するに彼女に子供としての常識というのはない。
彼女に刻まれているのは、山賊たちのルールと、恐怖なのだ。
家事に遅れが出ると怒鳴られ、齢七つにして山賊たちの家事全般を任されるという異様。
それを彼女はおかしいとさえ気付かない、むしろ気付けないと言うのが正しいのだろう。
これはそんな七歳の獣耳の少女の記憶、その断片である。
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「ご、ごめんなさいお頭……! 食器洗いが早く終わらなくて……」
――なかなか落ちない頑固な汚れ達を相手にしていたら時間がかかっちゃった。
なんて本当のことを言ったらきっとお頭は怒っちゃう。
だから私はそんな無駄なことは言わず、ただ食器洗いに時間がかかったという事実だけを伝えることにした。
そこには既にお頭を含む、アジトの外へ狩りに出る恒例のメンバーが集まっていて、他にもアジトに住んでいるお頭の奥さんが八人くらい来ていた。
残りの人たちはきっとまだおうちで休んでいるんだと思う。
前にラッセンが夜になるとお頭は奥さんたちとスポーツをするから、おうちには近寄るなって言われたから、きっとそのせい。
「確かに遅かったが、別に俺ぁそのくらいのことでお前をちまちま叱りつけるほど器の小せえ男じゃねえんだ。それくらい許してやるよ。だが今後は気を付けろ、いいな」
「はい!」
お頭は機嫌がいいのか、私を叱らなかった。
お頭はそう言うけど、いつもなら確実に殴られてるのに。
私は取り敢えず殴られなかったことに胸を撫で下ろす。
殴られるのはすごく痛いから、好きじゃない。
私は安堵し、それと同時にみんながやけに笑っていることに気が付いた。
お頭といい、皆といい、挙句奥で私を放ったらかしにして他の仲間と話してるラッセンでさえ嬉しそうにしている。
きっと私が叱られなかったのもそのせいなのだろう。
一体何があったんだろう?
「よし、全員揃ったみてえだな。それじゃあよく聞け! 野郎ども!」
そう疑問に思ったところで丁度お頭が全体に注目するよう呼びかける。
どうやらこれでみんなが活気づいている理由がわかりそうだ。
私はみんなの興奮を肌で感じながら、お頭が話し始めるのを今か今かと待ち侘びた。
「今日は、街と村のほぼ中間地点に位置する、スラザール家の屋敷にて金品を根こそぎ掻っ攫う!チャンスは今日しかねえ! 全員、気を引き締めろ、いいな!」
「「「「おおおおおおおおお!!!!」」」」
「お、おおー?」
お頭を中心に湧き上がる熱量。
私にはよくわからないけど、かなりのビッグイベントであるということには違いなさそうだ。
ということで私も一応拳を掲げ、声を上げておく。
だけど……スラザール家。
この名前には聞き覚えがあった。
なにも、どうしてか街に屋敷を建てるのではなく街と村の中間、名前もないその土地にどうしたかこそこそと屋敷を建てた、変わり者の貴族である、とか。
私にはそんな静かそうな場所、とても居心地がよさそうだからどうして変わり者だなんて言われているのかさっぱりわからないけど、皆からすればそれは違うみたいで。
とにかくそこは貴族の家で、お金がいっぱいあるには違いなさそうだった。
だけど貴族の家って、きっと護衛の人なんかもいるはず。
なのにどうして皆がそこに押し入ろうとしているのかが、どうもわからない。
だから皆の「おー!」にも上手く参加できなかった。
うん……ちょっぴり残念。
後でラッセンに聞いておこう。
お頭が皆に「やるぞ!」と言ってからというもの、それぞれが自分たちの準備を始めた。
私はそれをただキョロキョロと見回していた。
こういう状況になると、私はいつも戸惑ってしまう。
手伝ったほうがいいのだろうけど、正直武器の手入れや馬車の点検なんかも私にはまだちっともわからないし、前に手伝おうとしたら煙たがられてしまった。
そもそも私はここに皆の見送りに来ているだけなので、本来手伝えと言われているわけでもない。
ただ、何もしないというのも叱られそうで、ついおどおどしてしまうのだ。
そんな私に、お頭が近付いてきた。
顔はどこか真剣な表情。
大変だ、怒られるのかもしれない。
手伝わなかったから? 遅刻したから? さっきの「おー!」の元気がなかったから?
私は怖くなって、膝がすくんでしまう。
だけど、私の予想は今回大きく外れていて、お頭はニヤリと笑い――。
「おい、そこのガキ。おめえ、今日の狩りについて来い」
この時の私の顔が喜びでだらしなく歪んでいたことに、私は当然気付くことはなかった。
お久しぶりです、皆様。まずは報告をさせてください。
PCが逝ってしまい、結果として投稿がしばらくの間滞ってしまい、それと同時に私は「もう誰も読んでくれてないか」等と思うと、続きの投稿をする意欲を失ってしまっていました。
ですが、感想にて二周目を読み終えたと言う報告、並びに未だに読んでしてくださっている方がいるということがPVの数からわかり、再び書き始めるまでに至りました。まだ待っていてくれたという方々には、多大なる感謝を。心から嬉しかったです。
これまでなんの報告もなく休んでいたこと、この小説を待ってくださっている方々が特にいないということは重々承知しております。なのでこの謝罪は単なる自己満足となってしまうのかもしれませんが、ここで謝罪をさせてください。本当に申し訳ございません。
これからは、少しずつまた以前のペースまで持っていけたらな、と思っております。読んでいて違和感等ございましたらお伝えください。これからもどうか、よろしくお願い致します。




