第九十五話 人質のお姫様 ―ボロ切れの赤子―
すまない……病魔には勝てなかったんだ……。
――ある村のはずれで、車輪を壊され、地面に投げ出された馬車が燃え盛っていた。
さて、この状況に関してだが、当然普通に馬車に乗っていたとして、それが燃えるということはまずない。
落雷の被害にあったとでも言うのならまだ考えられない話でもないのだが、生憎この日の天気は快晴。
雷どころか、雨さえ降りようのない天候だ。
ではどうしてこの馬車は燃えているのか。
考えられる要因は大きく二つだろう。
一つは乗員の不始末。
つまり、この馬車に乗っていた人間が誤って何かランタンか何かを倒した、等の理由である。
というのも、この世界には魔法があった。
透明な瓶の中で火種を作りさえすれば、ビンの内部に書かれた魔法陣によって永久性を持ったその火は、外的干渉がない限りそこで燃え続けることが可能なのだ。
――もっとも、それは理論上の話であり、それだけ完璧な魔法陣を書けるものはそういなかったりするのだが。
市販のランタンの火であれば持って十二時間、というところだろう。
それが割れて、馬車全体に火が広がったとすれば事の説明はつく。
しかし問題は、それが昼であるということだ。
常識的に考えて真昼間からランタンを点けるものはいない。
暗くなってから、魔法陣の書かれたランタンの内部に火を灯すのだ。
それをこんな快晴の日の、真昼間から行うだろうか。
いいや、まずないだろう。
ではどうしてこんなことになってしまっているのか。
その答えはもうひとつの要因、人的要因にある。
これはもういたってシンプルな話で、何者かが悪意を持ってこの馬車を燃やしたというもの。
誰かが火を放ったとなれば、雷だってランタンの火だって必要ない。
手頃な悪意と、マッチ一本さえあれば行える簡単な犯行だ。
では一体何者がこの馬車を燃やしたのか。
その答えはこの現場を見ているものならば聞くまでもないこと。
燃え盛る馬車を囲うようにして平野にむらむらと突っ立っていた――
「なあ、お頭。 中にいた奴らも燃やしちまって構わなかったんで? 奴隷として売っぱらっちまった方が良かったんじゃ……?」
「バカ言え、あんなおっさんとババアが売れたもんかよ」
「ハハハ、ちげーねぇでさぁ!」
――山賊たちであった。
下品な山賊たちの高笑いは平野でよく通る。
見ればその数は二十余名。
夜にバカ騒ぎをする酒場のような活気もそれで頷けた。
「ところでお頭。そいつの方はどうするんで?」
その山賊たちの輪の何処かで、一人のこれまた下品な男の声がした。
その声はお頭、つまりこの山賊たちの長を呼んでいる。
「どうした?」
そして返ってくるどすの効いた、野太い、低い声。
先程馬車の中にいた人間を売れないと断言した、発言からも容姿からもその極悪さが滲み出る一人の大男。
そう、その男こそがこの山賊たちの長であった。
「そこで燃え死んだだろう夫婦はもういいんすけど、そこのガキ。そいつもある意味売れそうもないっすけど」
「「「確かに」」」
口を揃えて、周囲の山賊たちのうち何人かがその意見に同調する。
一方、頭の方は目をきっと細め、卑しく口の端を片方に吊り上げると、
「だからお前たちは馬鹿なんだ」
偉そうにそう声を上げる。
「こいつらの馬車はあっち側……つまり村の方向から来ていただろう? つまり、こいつらは村から街へ向かおうとしていた人間だということだ。さしずめ村で商人でもやっているんだろ。つまり、こいつを人質に村の人間を揺すれば自ずと俺たちに金が入って来るってわけだ」
「「「「さ、さすがお頭!!!」」」」
頭の策にまたも沸く山賊たち。
彼らに沸点はないのかもしれない、そう思えるほどに彼らの興奮は留まることを知らない。
そしてその中に一つの金切り声。
「おぎゃあーーーっ! おぎゃあーーーっ!」
「ちっ、うるっせえな」
赤ん坊を抱えていた山賊の一人が舌打ちを打つ。
先程馬車を襲撃した際に大泣きしていた赤ん坊はその後泣き疲れ、今の今まで眠っていたのだ。
――両親が燃え盛っていた中、それから目を逸らすかのように。
それが彼らのバカ騒ぎでまた目を覚ましてしまったらしい。
甲高い泣き声が、山賊たちのいる平野に響き渡る。
「おい、うるせえぞラッセン! おめーにその赤ん坊のことは一任してんだから、早いとこ黙らせろ!」
「いや、やってるんすけどこいつどんなに揺らしてやっても撫でてやっても泣き止まね――」
「返事は――はい、だ」
「――はい」
どうやら勝手に赤ん坊の面倒見の係りとして選ばれたらしいラッセンと呼ばれた男は、誰にも聞こえないような音で舌打ちをする。
彼はあまり子供が得意ではないのだ。
母子家庭で育てられてきた彼は、若くして母の家から脱し、山賊になった。
その頃も母の気持ちなど考えたこともないし、今だってわからない。
だからこそ今だって、誤った選択をしただなんてことは疑ってすらいないのだ。
「よし、そんじゃ行くぞ! 村に行って、手始めに村長を脅す。お前らはただ偉そうに村の道のど真ん中を、ふんぞり返って歩いていればいい。わかったな!」
「「「「「おおおおおおおっ!!!」」」」」
そんな青年、ラッセンの憂いなど露知らず。
頭が率いる山賊団は村を目指す。
己の私利私欲のために集った人間たちが、こぞって弱者たちから物を、金を集りに行くのだ。
――ここは幻世の、とある村のはずれ。
そこにいたのは、野蛮な山賊と、馬車を焼かれ、家族も焼かれ、その身は山賊たちの手に渡ってしまった、誰の目から見てもかわいそうな、母親譲りの綺麗な茶髪を持った女の子。
その女の子の頭部には、二つの小さく可憐な獣の耳がついていた。




