第八十話 公国の二天(後編)
遅刻してしまい申しわけありません。少々忙しくて……。
〇〇ちゃん!やっと!やっと出番だよ!
「戦争を止めた……というよりも終結させたのはあくまでも八天の話であって、僕個人の力でそれを成すっていうのは中々厳しいんじゃないかな……」
厳粛な部屋の中に少年の弱々しい声が響いた。
戯天と憐天が話をしているこの部屋には、入って少しの所に高級そうな椅子と机が設置されており、一見学校の校長室を思わせる。もちろん、今や世界に名を轟かす戯天と憐天が言葉を交わす場所というのが学校の校長室であるはずがないのだが。
「そうよ、調子に乗らないでくれる?あなたが戦いに参加してところでむしろ激化するだけ。それにあんたが馬鹿みたいに命を摘み取っていくだけよ」
「茉依ちゃんが僕に戦争に参加するよう言ったんじゃなかった!?」
「違うわよ。私は止めろって言ったの」
「うん、それでも十分無茶だからね?」
どうやら憐天には頭が上がらないらしい戯天は、額に汗を浮かべている。
しかし事実、彼が戦争に参加したところで憐天の、”信者を殺さない”という願いは達せられない。理由は、戯天が参戦したら……?と考えて貰えれば容易に納得できるだろう。
――憐天の頭の中では、世界中の殆どの人間が彼女の信者だ。
故に、今回の二天を置いて勝手に始まってしまったレストール・フォン・バトラーが主導のアルメリア王国西方における戦争においても、相手国であるアルメリア王国の兵士たちは皆信者なのである。
そして彼女は自分の信者たちを裏切ることも、傷つけることもしない。ただ彼女は自分を好きだと言ってくれる者たちに救いを与え、手を伸ばすのだ。
「無理とか、そんなこと私の知ったことじゃないのよ。とにかく悠斗も私の信者たちの為に頭を働かせなさい!あんたも私の信者筆頭なんだから」
「ええっと?僕はいつから茉依ちゃんの信者に?まあ、茉依ちゃんの歌は好きだから否定もできないんだけどさ」
勝手に憐天の信者となっていた戯天はともかく、彼女の言う世界中の人間が信者という発言もあながち間違ってはいない。決して自惚れているわけではない。
世界停止が起きて大混乱に陥った世界でもなお、彼女は人々に歌を届け、人々を励まし、そして前線で戦った。そんな少女の姿は女神のように見えてもなんらおかしくなどなく、そのせいでファンという名の信者が生まれても、あちこちに彼女を模した銅像が建てられても、彼女を少しでも悪く行った人間が黒ずくめの集団に連れて行かれていても、決しておかしくなんてないのだ。もう一度言おう。おかしくなんてないのだ!
「それでも、やっぱり僕らの力じゃ厳しいところがあると思うよ。なんせ僕ら八天は国のトップ――公国で言うところのバトラーが許可を貰わないと戦争には加われないからね。だからこそ僕らは彼に口出しして止めるよう言わなきゃいけないんだろうけど……僕の力が及ばなかった」
戯天が申し訳なさそうに俯いた。彼なりに頑張って働きかけてはみたのだろう。しかし結果は実らなかったようだが。
「別に私は悠斗を責めてる訳じゃないわ。悪いのはあのバトラーよ!――あんの頭でっかちはろくに話を聞きやがらないんだから……!!今まで王国はいつでも侵略出来るとか言って放ってたのに、それがどうして急に攻撃を開始するのよ!」
「それは気になって僕も聞いたんだけど教えてくれなかったね。でもあの人のことだからきっと何か裏があるとは思うんだ。考えなしに動く人じゃあないしね」
「それはそうだけど……」
結局のところ二人はバトラーの考えを理解し損ねていた。それは彼らが至らないからではなく、バトラー自身がそれを秘匿しているからなのだろうが、公国においてほぼトップである戯天と憐天の二人が知らないというのも、それはそれでおかしな話だった。
「佐野君!」
そんな時、コンコンというノックの音の後に、扉の奥から女性と思われる人物の声が聞こえた。普通ならこの二人のいる空間に干渉しようとする者などいないのだが、だからこそ二人はこの声の主が簡単にわかった。
「ああ、来たのね瑞希。入りなさいよ」
「失礼します!」
憐天の許可を受けて入ってきたのは、艶やかな黒髪を腰のあたりまで垂らした少女だった。髪は結われていない。
「ど、どうしたの?何か起きたら教えてとは言ったけど……」
「はい、その何かが起きました」
「え、ええと……瑞希ちゃんその何かって――?」
戯天がやって来た瑞希に問う。どうしてか突然やって来た瑞希に戯天は戸惑っているような顔をしているが、そんな戯天に構わず瑞希は口を開いた。
「狂血の姉妹が公国から王国へ渡っちゃったの!もうあっちからは被害が出たって言う報告も受けたわ!私……私……!」
「落ち着いて瑞希ちゃん!よくわからないけどそれが起きたのなら大変だ!直ぐに王国側に連絡しないと!」
「あ、ああんたも十分落ち着いてないわよ!」
いや、実際誰も落ち着けてなどいないわけだが、逆にこれだけ彼らが慌てているという状況から、事が如何に急を要する事態なのかが受け取れるだろう。
「でも戦争をおっぱじめた公国側が『ごめんなさいこちらの手違いでそっちに狂血の姉妹が向かいました』なんて言ったらなんて言われると思うのさ!」
「「ふざけんなっ!!!」」
「ほんとだよ!」
まるでコントのように瑞希と憐天の声が重なった。やはり誰も落ち着いてなんていられないようだ。
しかし、そんな緊張感が迷子になってしまいつつあるこの状況に今度こそ戯天が終止符を打つ。
「とにかく!今は対立関係である王国に向かうのも難しいわけで、あちらも狂血の姉妹を送りつけられたことに気付いてるはず。だから僕たちも手を出しようがない……。つまりこうなってしまった以上僕らは大人しく王国から彼女たちが生きたまま送られてくるのを待ってるしかない」
「そ、そんな……!!」
するとそれを聞いた瑞希が膝から崩れ落ちる。何か事情でもあるのだろうか、その様子からは絶望の色が見て取れた。そんな姿を見た憐天は瑞希に声をかける。
「ま、まだ落胆するには早いわ瑞希!王国だってひょっとしたら生きたまま戻してくれるかもしれ――」
「いいや、希望を潰すようで悪いけどその可能性は薄いよ、茉依ちゃん」
が、それは戯天によって遮られた。
「侵略国から突然危険因子を送りつけられて無事届けてくれるほど王国だって優しくはないだろうし、なにより彼女たちを生け捕りにすることが出来る者自体が王国にはいないはず」
「ミ、ミサがいるわ!」
「無理だ。流石に倒すことはできても生け捕りともなれば話は別さ」
「じゃあ私が……!」
「茉依ちゃんのスキルは個々の対決じゃ役に立たない。それくらい自分の方がわかってるでしょ?」
「くっ……!」
憐天が悔しげに下唇を噛む。今は彼女を何もできない自分が情けない、信者であり、友達でもある瑞希を悲しませたくない、そんな気持ちが支配していた。
残されたのは静寂。各々が問題解決のために知恵を絞るが、答えは出ない。そんな状態が嫌になるほどに続き、いつしかそのどうしようもなさに各々が真に絶望しかけていたその時。
「陽太……陽太……!」
瑞希の誰かを呼ぶ声がした。今は会うことも出来ない、幼馴染の名前だ。口に出せば勇気が湧いてくる、愛しい人の名前だ。
その者の名前を瑞希と悠斗の二人はよく知っている。二人が再開したくて仕方のない者の名前なのだから、それは当然だ。だが、実はこの中にもう一人。
「――陽太?」
つい最近彼を知った人間もいた。
え、そこで終わる!?って思われた方。ごめんなさい、敢えてこんなもどかしい状態にして先へ進みたいと思います。




