第七十六話 早くも俺の日常が終わりを告げた
「狂血の姉妹?」
俺は討伐ではなくどうしてか撃退と記されたその対象の名を読み上げる。なんかもう関わっちゃいけない名前だよな、これ。
「そう、狂血の姉妹。聞いたことはないかい?」
「ないな」
ミサの問いかけにも即答だった。
というかこっちに来て間もない俺がそんな姉妹の事なんて知っているはずがないのだが、事情を知らないミサにそれを言うのは野暮ってもんだろう。
「世界停止以降何処でどうしていたのか私はしりませんが、貴方は真剣に常識というのをきちんと勉強したほうが良さそうですね……」
リチャードもリチャードで、そんな俺に呆れ返ったのか常識が云々と言い始める。いや、そっちはそう言うけど、それは俺の台詞だ。
俺がエストリアに来てからというもの、常識を知らないなんて何度言われたかわからない。それこそ耳にタコができるくらいに聞いただろう。そして俺はその度に呆れられるわけだが、俺としてはこっちの気にもなって欲しいと思ってしまうわけだ。
なんせ例えるなら俺はそう――外国人なのだ。他所から来た奴が、はなっからその国の流行りとかを知ってると思わないで欲しい。
愚痴が続いてしまうが、常識がわかってないってのは俺自身も辛いことが多い。だって目の前の会話の中でさも当たり前とでも言うかのように意味不明な単語が右往左往するんだぜ?『八天が――』『エストール公告が――』『第二世代が――』とかさ。そんなもん聞いてたってやってられないだろ?
だからこそ、俺はいち早く誰か常識のある人間に常識を習いたい。そして出来ればミサやリチャードがいい!
今常識のある人間っていう括りにリチャードが入ってたが、これは別に間違いでも何でもない。
さあ、ここで俺がここ一週間で学んだこのギルドの常識の一つを話しておこう。
ギルドの一階で受付をしているのが黒人グラサンウェポン黒メイドのビル。そして二階のここ、クエストカウンターでクエストの受理等をしているのが白人メイドのリチャードになるわけだが、彼らを象徴するこのメイド服は驚いたことに彼らが好きできているわけではなかった。俺はてっきり趣味だと思っていたので、それを知ったときはある意味ほっとしたものだ。
では彼らはどうして彼ら――つまりは男性であるにも関わらずそれぞれ黒と白のメイド服を着ているのかという話だが――
「それでね、狂血の姉妹っていうのはね――」
おっと!また常識を学ばなきゃいけないみたいだからこの話はまた今度だ!俺は始まったミサの説明に耳を傾けた。
「元々はエストール……つまりは公国にいた姉妹なんだよ」
「へえ……、ヤバイ異名持ちの姉妹は公国の人間だったのか。それがどうしてまた王国に?」
「そう。そこが問題なんだ。そうだね……まず、公国側には何人の天がいるかわかるかい?」
「公国なら……二人だろ?確か戯天と憐天」
「そう!その通り!覚えてくれてるみたいで助かるよ」
誰か……誰か俺を褒めて欲しい。今かなり会話が成立していたと思うんだ、俺。この時、少しずつだけどこの世界に打ち解けてきている気がして俺は内心舞い上がってしまった。
「その二人のうち戯天の方がね、手を焼いている姉妹がいたんだ。それが狂血の姉妹なわけなんだけど……」
「八天の一人でも手を焼くって相当手練なんだろうな、その姉妹」
それくらいは流石に俺でもわかった。八天の構成員が手を焼くなんて相当なはずだろう。
「そうらしいんだ。スキルやレベルの情報がない上に、戦い方も外見さえも知られていないからね。理由としては、どうも戯天が情報に規制をかけているかららしいんだけど、彼が悪い奴じゃないのをボクは知ってる。何か悪巧みをしているというわけではないと思うよ」
「へー。戯天と面識あるのか?」
俺は普通に戯天を知人のように話すミサが気になってそう尋ねる。
「そうだね。彼とは同じ第一世代としてそれなりに面識はあったよ。まあ、でも憐天との方が仲は良いかな。戯天の方は丁度君と同じくらいの歳だったから、仲良くなれるかもね」
「いや、まず会えねえだろ……」
俺はミサみたいに人望があるわけでも地位があるわけでもない。聞く限り、おそらく一生の間で彼らの姿を拝めるのかさえ怪しいだろう。
と、ここで俺は話を戻す。
「で、そうなるとその姉妹は第一世代ってことか。そう聞くと結構一杯いるような気がしてくるんだよな、第一世代って」
しかしミサは俺の方を面白そうに見て、
「いいや、そこが面白いところでね?実はその二人、第二世代なんだよ」
「え、第二世代なの?」
「第二世代だったのですか!?」
思わず大声をあげたリチャードがその口を両手で覆った。
ミサの言葉に俺は勿論、ちゃっかり盗み聞きしていたリチャードまで驚いてしまったようだ。そうなるとそこは一般に知られてないってことだな。
「言っておくけどたまたまボクが身近にいるから第一世代を身近に感じるってだけで、本当に第一世代の人間は少ないんだからね?そして第一世代イコール強いって考えも捨てたほうが良い」
ミサが人差し指を上に立て、目を瞑ってそう話す。
そういえば前にドロシーが言ってたな、第一世代を見返したいって。実際見返せたっていう前例なんてのはあるんだろうか。俺はあって欲しいなって思うけど。
「結論から言うとその姉妹はね、越えてしまったんだよ。世代の壁を」
お、やっぱり前例はあるみたいだ。
「そしてそんな素晴らしい存在でありながら質の悪いことに姉妹は、殺戮を行った。殺された人間はほとんどが彼女らに挑む悪人であったらしいが、何より殺し方が残酷だった。それが狂血の姉妹たる所以だね」
「第二世代の希望となるべき存在だったはずが、人の道を踏み外しちまったわけか」
「そう。そんな存在だったからこそ戯天は姉妹を殺めることなく必死に説得したらしいんだけど、願いは叶わず。そして今姉妹はどうやってかこちらの王国へやって来ているらしい」
だから討伐とかじゃなくて撃退なのか。つまり生かして戦意を喪失させるわけだ。戯天で無理なことを俺たち冒険者にやらせるとかもう……。って、ん?あれ?俺たち?
「なあっ!?ミサお前まさか!?」
俺はミサの肩を掴み、揺さぶる。
これはおそらくまずいやつだ。俺の日常保護レーダーが唸りをあげている。つまり、間違いない。これは俺の日常を奪うイベント……。
「そう、そのまさか!君にはこのクエストを受けてもらうよ!――それから、そんなに迫ってこないでくれよ……照れちゃうじゃないか……」
聞こえない。ミサの恥じらう声も聞こえない。俺は全神経をミサへの反論に集中させる。
「そ、そんなの無理だろ!だって俺はEランク冒険者だぜ?Aランク以上推奨のこのクエストは受けられないはずだ!」
うん、我ながらちゃんとした反論だ。これならミサも黙って引き下がるしか――
「いや、これはボクから君への依頼だということにする。依頼人からの指名の場合それが例えAランク級の依頼であっても受けてもいいことになっているからね。それにこのクエストってやりたがる人がいないからね。ある程度変則的になっても誰も文句を言わないのさ」
ダメだ、早くも八方を塞がれた。もう既に穴が無い!どうしよう!
そんな風に迷っていた俺は一つ案を思いつく。
「あ、でも結局クエストを受けるか受けないかって冒険者の自由じゃん。っていうことで俺はこのクエスト降りま――」
「それは大変だー。しかし秘匿クエストの情報を握ってしまったとなれば君はリチャードと共に今すぐこの国の肥やしとなって貰うことに――」
「やらせていただきまぁすっ!!」
「ちょっ、マスター!?何故私まで!?」
当然だ。リチャードは驚いているが、俺が死ぬことになれば一緒に冥土まで付いて来て貰おうと思う。――メイドだけに。
「うっ……!今なんだか凄く寒気がしたんだけど気のせいかな?」
「え、ええ。実は私も……」
はい。それはもう明らかに気のせいです。
とまあ、そんなこんなで俺は結局この物騒なクエストに駆り出されることになったのだった。




