第五十二話 血潮って多分これのことだ
いやー、正直かなり危ないところだったな。この少年の方はともかくあっちのお母さんは間に合ったのが奇跡だと思えるくらいだった。
「あ、あなたは……?」
背後からはかえって心地よいとさえ思えるほど呆気にとられる少年の声が聞こえてきた。でもなあ、誰かって言われても自分の名前言ってどんな奴かわかってもらえるほど、俺の名前が世に浸透しているわけでもない。なんせ俺は今この瞬間に久々に彼女以外の人間を見たくらいなのだから。あれ?っていうか……
「お前って人間であってるよな?」
「どんな質問だよ!?どっからどう見ても人間だろうが!」
ということらしい。俺はその事実になんだか少し感動を覚えた。ここまで本当に長かった……とは言っても時計なんてないし、カレンダーなんてもんも意味を持たないからどれだけの時間が経ったのかはわからないんだけどな。それでもここに至るまでに俺たちは時間を忘れてがむしゃらに走ったんだ。そこに嘘偽りなんてものはない。
「お兄さん、感傷に浸ってるところ悪いんだけど……あいつ、なんか怒ってそうだぞ?」
「ん?」
そんな俺に少年が顔を強ばらせてそう言ってきた。その呼びかけで俺もあの海竜を思い出して見やれば、なるほど確かに怒っていそうな海竜の表情がそこにはあった。ただでさえ青い海竜が更に青い筋を浮かべていて、除け者にされていたことを怒っているように見えた。
「ああー、すまん。忘れてたわ」
「わ、忘れてた!?」
キイイイイイイイイイイッッッ!!!
少年が顎が外れそうな勢いで口を開いて驚いていたが、海竜の方もまた何かを察したのかますます怒りをその雄叫びで露にし、そしてそのままの勢いでこちらに先程俺が左手で受け止めたのより明らかに強力なブレスを吐いてくる。
「うわああああ!!」
「ったく……」
だが、さっきの覚悟はどうしたのか大声で叫んでビビり倒す少年を他所に俺はそのブレスを再度左手で受け止める。こんなものはちょっと強めのシャワーとなんら変わらない勢いだ。事のついでだし、次にまた同じものを放ってきたら頭で受け止めることにしよう。髪を洗うのには丁度いいだろう。というか……
「ほんとに俺を殺りたいんなら別の技使えよ。それ、さっき見たわ」
「嘘でしょこの人……」
そこにきて海竜の怒りが収まったのがわかる。焦っているのだろうか海竜の顔からは戸惑いの色が見て取れ、少しの間が生まれた。――うん、どうやらもう手を出し尽くしたらしいので、俺からいかせてもらうことにする。
「んっ」
俺は乱雑に空気を投げつけるようなモーションを取る。もうこれであの海竜の生命は絶たれたので、俺は身を翻して彼女のもとへ向かうことにする。
「ちょちょちょっ!?何してんの!あいつまだ死んでないよ!?」
しかし俺の行く手を少年が遮った。どうやら戦いが決着したことにまだ気が付いていないらしく、全力で俺を引き止め、
「あいつはお母さんの仇だ!!頼むっ!きちんとやっつけてく――」
ビュオオオオオオオッッッ!!!
何か見当違いなことを言いだしたのが聞こえたが、その言葉は凄まじい豪風の音によって遮られる。ぎょっとした少年は豪風の聞こえてきたあの海竜がいた方を見て、次はその目をひん剥いた。
「な、なんだよあれはぁっ!?」
そこでは風が竜巻状に吹き荒れ、その中心にいた海竜は姿を隠してしまっている。が、血で染められ真っ赤になった竜巻の色から中がどんな惨状になっているのかは容易に想像ができた。んー、骨くらいは残るかな?
「『ウィンド』なんかとは比較にならない威力……あなた様は一体どんな魔法を使ったんだですか?」
こいつ……尊敬の意を示したいのか急に口調を変えてくるけどなかなか文法が崩壊してやがる。君はもうちょっと国語を勉強してから人を敬ったほうがいいかもな。
「いや?魔法は使ってないぞ?」
「はい?」
呆れながらも大人しく質問に答えたら、次は「なんだこいつ」みたいな目を向けてきた。なんだよさっきは敬ってたんじゃないのかよ……変化の激しい子供だ。
「俺のこれはスキルだ。魔法なんかじゃない」
「風を操るスキル持ち!?ってことはお兄さんもしかして『八天』の方の一人かよですか!?」
「ああわかった。お前はもう口を開かない方がいい。――んで、なんだ?やてん?」
すると、少年の口から聞き覚えのない単語が聞こえてきた。なんだ八天って。この生涯で聞いたこともない単語だったので俺は少し困惑する俺は、少年に発言を許すが、俺の忠告なんて元々耳に入っていなかった少年は目を見開いて言う。
「八天を知らない!?」
「うおおっ!急に大声あげんなよびっくりする」
「だってそうだろ!常識じゃんかそんなの。っていうか八天知らないとかお兄さん確実に偉い人じゃないな?それどころかど田舎出身だろ。ならもうけーごやーめた!」
「――おい、言っておくがお前の使っていたあれは敬語等と呼べたものではまるでないからな?むしろ敬語に謝れ、そのレベルだ」
どうやら俺は何か凄い人だと思われてみたいで、俺がそうでないとわかった途端少年から尊敬なんてものを一切感じなくなった。一応自分の命も母親の命も救われといてこいつ切り替え方が異常じゃないか?――あ、いや、でもこいつお母さん生きてるの気付いてなさそうだったな。思えば昔の俺と真逆だな……死んだと思ってたら生きてるわけだ。俺もそっちだったらどれだけ良かったか……。
「陽太くーーん!」
と、俺が少し気を落としていると我がパートナーの声が聞こえてきた。そちらを見れば走ってこっちへ向かってくるリザの姿があり、かなりの全力疾走だ。きっと俺と同じく第一人間の発見にわくわくが止まらないのだろう。しかしその手には少年の愛すべき誰かの手がしっかりと握られている。
「ああー、お前が俺を足止めするからあっちから来るハメになっちゃったじゃん」
「俺か!?俺が悪いのかっ!?」
本当に表情がころころ変わる少年だ。男子と話せるのは久々なので、悪いとわかっていながらもついついからかってしまう。そうして俺が少し反省していると、ようやくリザがやって来たのだがその顔はどうしてかしかめっ面だ。俺がわけを聞こうと口を開こうとすると、
「陽太くん、海が真っ赤になってるじゃないですか!もっと優しい倒し方があったんじゃないですか!?」
「あちゃー、ほんとだ」
開口一番、海竜の血に染まる海を見たリザに怒られてしまった。だってはしゃいじゃってたんだもん、何かを解き放ちたい気分だったんだ!だから仕方がない。それより優しい倒し方って……結局は倒しちゃうのに、そこに優しさを織り交ぜろと言うのが流石リザ言ったところだ。
「お、お母さん……!」
「和真っ!!」
そんな俺たちを尻目に、親子が感動の再会を果たしていた。とは言っても離れていた時間は十分も無いくらいなのだが、この少年……和真からすれば死んだはずの母との再会だ。存分に親子タイムを味あわせてやろう。俺がそうリザに視線を送ると、リザの方も温かい目でこちらを見ていた。気持ちは同じみたいだ。
「お母さん……俺の身勝手でこんなこと……」
「いいのよ、あなたは何にも悪くない。現に私もあなたもこの人たちのお陰で無事だったじゃない」
「でも……!!」
あ、話のついでに言っておくと、少年の母親を助けたのは俺じゃなくてリザだ。俺が旅の最中に『創造』によって得たスキル『飛空』を使い、リザを背負って海を渡っている時、ようやく陸地が見えたかと思えばでっかい竜がいるのが見えたのだ。俺が「かっけえええ!」なんて言いながら高速で近付けば今にも死にそうな母親がいたので、「貰います」と一言言い残して飛び降りたリザが勝手に俺から『レベル吸収』して勝手に母親を助けてしまった。
余談だが、今さらっと出したスキル『飛空』だが、俺はご存知のとおり一度風属性の応用で空を飛ぼうと試みたことがある。その際、正直リザがいなければ死が約束される高さまで宙を舞ったわけだが、このスキルの存在を知った時俺がどれだけの間自分の愚かさに地に伏したかは、言うまでもあるまい。
「それに私は嬉しかったわ。もう見れないと思っていたこの海を見て、潮風まで浴びることができて」
「――っ!……お母さん」
「だから……ありがとうね?」
「ううっ……うわああああん!」
泣き出した和真とそれを抱きしめる母の姿はとても温かく、こちらもなんだか穏やかな気分になれた。だからこそ、俺は喉まででかかっていた「あっはっは!でもその海は血で染まってるし、吹いてくる潮風もどこか死臭がしてるんだけどな」なんて言葉はそっと心にしまっておくことにした。
「さすが俺、空気の読める男」
「絶対今陽太くん良からぬこと言おうとしてましたよね?」
――まあ、ジト目で見てくるリザには、どうやらバレてたみたいだが。




