第四十六話 劣等感
言い損ねていましたが、前話から陽太のターンです。
蒸し暑い森の中の俺たちは、この森の奥の奥、海の方向へ歩く。もし海にたどり着いたからって別にその後この島を出るための何かしらの抵抗ができるとも思えない。飛べるわけでもないしな。っていうかそもそも俺としてはその突破口を思いつく気にもなれない。なんせ俺は、このままがいいのだから。
「陽太くん、いつまで膨れっ面をしているんですか。どんどん行きますよ!」
女の子特有の、高く快活な声。俺の心情と裏腹になんだかはしゃいでいるようにさえ見えるリザは、俺の手を引いてグイグイ前へと進んでいく。今日向かってるのは「南の森」、リザ曰くこれでまだ一切手をつけていないのは「北の森」だけになるらしい。
「ほんとにもう、どうしようもない人ですね!陽太くんは。さっきからどうしてそんなに元気がないんです?ひょっとしてさっき私が怒っちゃったからですか?」
少し歩いたからか、髪と髪の隙間に見え隠れする額にうっすらと汗が滲ませているリザは、心配そうにこちらを見上げる。どうやらさっきの小屋でのあれは怒っていたらしい。怖くなすぎだろ、むしろ腰に手を当てて顔を赤くする彼女の挙動はむしろ可愛かったのだけど。
「いんや、別になんでもないよ」
「なんでもないのならそんな感じにはなりません」
しかし、気にするなと言ったつもりなのだが彼女はまだ俺に文句があるみたいで、引き下がってはくれそうもない。
「――ちょっとお腹が痛いんだよ。そのせいだろ」
そこで俺は適当な理由をつけてはぐらかしておくことにした。俺は、俺の中のこの苦悩を打ち明ける気にはどうしてかなれなかった。弱いところを見られるのが嫌だったのか、それともこのままでいたいという俺の考えを否定されたくなかったのか、どちらにせよ俺はこの子に心の内を話したくないんだ。
「お、お腹ですか!?ちょっと見せてください!いや、この場合はさすってあげたほうがいいのでしょうか……?」
「あ、あれ?いやそこまで気にしなくても……」
「いけません!いつも調子に乗ってふざけ倒している陽太くんがここまで辛そうなんですよ!?よっぽどの大病かもしれません!ああ、なんてことに……!」
――あかん、ここまで大事になるとは思わなかった。
「いやいやいや、ホント大丈夫だから!こんなもん簡単に治るって!多分腹でも出して寝ちまってたんだよきっと。そのせいだな」
「いいえ、陽太くんを起こしに行ったとき、服に乱れはありませんでした。知ってますか?陽太くんは私が見ててびっくりするくらい寝相がいいんです。私が初めて陽太くんが寝ているのを見た時には、死んでしまっているのではと心配になってつい心臓を突いてしまいました」
「あん時のはそのせいだったのかよ……」
そういえば確かに俺とリザが初めて協力してアレを殺った時、帰った後疲れてぐっすり眠ってたところにやって来た左胸へのとんでもねえ一撃で目を覚ましたことがあった。その時はそりゃあもう、再度眠りにつきそうだったもんさ……もちろん永遠の眠りに、な。
あの攻撃力から察するに、リザは多分俺からレベル吸収をしたんだろう。よっぽど助けようとしてくれたんだろうが、それは逆効果。おかげでむしろ逝ってしまうところだった。――ん?というか、あれ?
「てか、なんで俺が寝てるの見てんだ?それでいくと俺が寝てる間にリザが俺の部屋にいることに――」
「いやあああああああ!!」
「なんでっ!?」
すると顔を紅潮させるリザから盛大に平手打ちを食らう俺。なんでだ!意味分かんねえ!痛みに俺は自らの頬を抑える。これ絶対赤くなってるぞおい。
「はあ……はあ……墓穴を……掘りました……」
「お、おいどうしたんだよリ――」
「行きますよ!」
肩を揺らしながら息を荒げているリザを訝しんだ俺はその理由を聞こうとするが、それを切り捨ててリザはずんずん進んでいた。ふと自分の右腕を見やると、引っ張られていた俺の腕も置いてけぼりになっていた。もう手を引いてはくれないらしい。
「はあ……」
本当に、わからないリザだ。
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結構歩いた。それはそれは歩いた。おそらくここに来てから一番歩いただろう。しかしどうしたことかアレらにはさっぱり会うことがない。ひょっとしたらこの近辺は狩り尽くしちゃったのかもしれないな。
「私は……もうダメです。後は、頼みましたよ……」
「頼むなばか」
「痛いっ!」
その疲れ果てたリザの発言に、俺はその綺麗な額目掛けてチョップを放つ。さっきまでの元気は何処かに置いてでも来たんだろうか。そもそもそう言われて俺が置いていくわけがないだろう。お馬鹿なリザだ。
痛そうに額を抑えるリザを追い越して、「にしても」と俺は森の奥の方を見据える。
やはり何もないんだ。以前もそうだったが、きっと今回だってそうなる。どれほど歩けど進展は見えてはこず、結局は何の収穫もなくここへ戻ってくることになるんだ。なんて馬鹿らしいんだろう、これこそまさに徒労というやつなのではないだろうか。
「――なあ、もうやめにしないか?こんだけ探したって何もないし、こんだけ歩いたって海には着けないんだぜ?」
だから俺は率直な思いを告げた。実際きっと何かが起きたとしてもアレが現れるとかいう誰も望んじゃいないイベントくらいのもんだろう。そんな死と隣り合わせのイベントは真っ平御免だし、無事に勝てたとしてもどうせ得られるのは疲労感くらいだ。それならばとっとと帰ってしまうのが利口だと思う。
「ですが……」
それでもリザはまだ諦めたくないようで、後ろからは弱々しい声が聞こえてきた。そんな弱っちゃうまで歩いたのに、どうしてまだ歩き出そうとするんだ。引き返そうとはしないんだ、俺はそう考えてしまってならない。
それはきっと俺が弱いのではなくて、リザが強すぎるんだ。俺は何にも悪くはないし、弱くもない。俺が普通で、最善なんだ。それなのに、俺の感じてる心を締めるような痛みはなんだ。この痛みはリザを、強いリザを見る度にどんどん強くなっていく。胸糞悪い、まさしくクソみたいな気分になるこれ。まるで自分が劣悪であると主張するかのようなこの痛みは俺を解放しない。――きっと俺が心のどっかにある解を見つけるまでは。
俺は声がした方を振り返る。正直に言って、彼女の強く生きるさまは俺には見ていて毒だ。だがその光をずっとずっと拒んでいては、俺はいずれ心をも閉ざすだろう。そんな目も当てられない姿をリザに見せる気はない。
そして振り返った俺の視線に入った彼女の背後には、何か黒い何かが迫っていて……あれ?黒い、何か?
「――――ッ!リザ!」
俺は地を蹴り、こちらを見て首をかしげるリザの方へ走った。




