第九十八話 人質のお姫様 ―襲撃の前に―
「さぁて、上手く屋敷の裏に回りこめたわけだが……こっからが大勝負だぜ」
あっという間に感じた移動の末、馬車が停まったのは城の裏手にあるやや陰った場所。
裏庭というものだろうか。
この屋敷の敷地は無用心にも塀などがなく、外敵から身を守る重厚な遮蔽物なんてものがなかった。
そのために侵入はとてもスムーズに進んだみたいだ。
馬車の不規則な揺れが止まり、ふとラッセンを見ると、片頬に口角の吊り上がった口から、ところどころ黄ばんでいる歯が見えた。
多くの人を殺めずに、かつ私たち山賊たちには大きな富が。
そんな美味しい話を前にしているからこそ、ラッセンはやはり嬉しそうに見えた。
日頃から人を殺める度にメソメソと男らしくもなく泣いているラッセンを見てきているだけあってか、そんな顔をするラッセンを見ていると私もついつい楽しくなってきてしまう。
あ、もともとそうだったでしょう?なんてツッコミは無しよ? 私の感動に水を差さないで欲しいもの。
けれどただ一つ、これから襲われるこの屋敷の、今は外出中だという主人を思うと申し訳なさを感じてしまうというのも正直なところ。
きっとみんなだってお金を全部持っていくというわけではないはず。
少し分けてもらう、そう思うことでそんな私の罪悪感も少しは薄れた。
「そんじゃあお前ら。 準備は出来たな?」
「完璧に」 「準備万端っすね」 「ばっちりでさあ」 「いつでも行けます」
「――よし」
私がぼうっとそんなことを考えているうちに、さっさと馬車から出て行ったラッセンを含め、みんな準備を済ませていたみたいだった。
お頭の小さくもどうしてか圧のある声が、馬車に乗っていた私のところへも届く。
どうやらこちらの馬車の近くで話があっているようだ。
あのへっぽこラッセンは緊張で震えていないだろうか、そろそろ作戦を実行に移すであろう雰囲気を悟った私には、それだけが気がかりだった。
確かに魅力的な作戦でこそあっても、やはりやることは強奪。
戦闘は避けられないだろうから。
「はぁ……。 怪我とかしなきゃいいけれけど……」
一緒に生活をしているとわかるが、あの男はほんっとうにドジだ。
普段私の前では偉そうにふんぞり返っているくせに、いざ家事なんかをやらせてみると目も当てられない様になる。
だからこそ私はこうして心配になってしまっているのだけど、なんだかんだいってラッセンが仕事から家に帰ってこなかったなんてことは当然ない。
つまるところ、仕事に関して言わせれば、彼はそこそこ有能なのだろう。
或いはビビリだから危機回避能力がずば抜けて発達しているのかもしれない。
そう考えていて、私ははっとなる。
――あぁ、いけない。
今回はどうしてかお頭が私を仕事場へ連れてきてくれたから、家でただ帰りを待っている時間とは違って、不安も大きくなってしまう。
いっそ来ないほうが良かったかも……。
「おい、ガキ」
「ひゃっ!?」
すると、そんなことを思っていた私のいる馬車の中へ、お頭が文字通り顔をのぞかせた。
てっきりもうお頭たちは敵陣に切り込むのだろうと思っていた私は、素っ頓狂な声を上げてしまう。
一体何事なのだろう。
「チッ、変な声上げてんじゃねぇ。おめぇに俺は言ってあったはずだついて来いってな。なのになぁんで馬車ん中で油売ってやがる」
「え……?」
「おい、ぶん殴られ役なけりゃさっさと支度しやがれ!」
「は、はい!!」
あまりに想定外なお頭の発言にまたも一瞬上擦った声を上げてしまったけれど、どうもあの声量で発した内容を聞き間違いであるとするのはとても難しいだろう。
ともなれば、本当にお頭は私を屋敷の中にまで連れて行く気なのだ。
本来私が認識していたついて来いとは、この狩りの現場について来いという意味。
つまり見学程度に見に来いという意味なのだと思っていた。
そもそも周りのみんなと比べて一回りどころか二回りも小さな、ちんちくりんの私が狩りに参加をするだなんてこと、誰が想像するだろう。
絶対に蹂躙されてしまう。
じゃあ、どうして?
私はお頭が踵を返し、皆のもとへと向かおうとするその数秒で解消できなかった疑問の答えを、急いで聞こうとする。
ここを逃せば、それを聞けるタイミングがなくなるような気がしたから。
「あ、あの! お頭!」
「ああ?」
お頭は立ち止まって、相も変わらずどすのきいた声と共に私の方へ振り返る。
あぁ、怖い……。
お頭をこんな風に引き止めたことなんてなかったから、緊張も一入だ。
「要らぬ心配をするな」なんて言われて殴られたくないな……。
「私っ! 戦闘になった時、参加できないと思うんです! 確かに日頃からラッセンから自己防衛のためなんて言って少しくらい戦う手段を教わったりはしましたが、相手が大人ともなるとその……ええっと……」
ダメだ、怖くて後半になって思考が干上がってしまいそうになる。
――思えば、いつもいつもラッセンに言われていることがある。
それは先ほどの馬車でも言われたことなのであるが、どうやら彼から言わせると私は賢い人間……いや、賢い獣人らしい。
当然だけれど、そんなことはない。
これは私が勝手に思っているだけで、アジトの外を知っているラッセンがそう言うのだから、本当は私は比較的賢い獣人であるのかもしれない。
物心着いた時には既にアジトの中で、七歳になった今の今までそこから出たことのなかった無知な引き籠もりは、普通の七歳の女の子だなんて見たこともないのだ。
だけど、七歳の基準を知らないこんな私にも、自分が賢い人間でないということくらい、とっくに悟っている。
なにせ、このようにお頭や他のみんなの前では話そうとすることが頭に浮かんでこないのだ。
話そうとする前までは散々なくらい頭に浮かんだ言葉も、いざ目の前に立って話そうとした時には、霧みたいに掴んで引き出せなくなってしまっている。
ちゃんと話したいことを話せるのは、ラッセンを含めたほんの一部の人だけだろう。
こんな頭足らずな私を、私自身が賢いだなんて認められるはずもない。
「おめぇはただ俺たちに付いて来さえすればいい。詳しい説明なんかもする気はねえ。ガキにはまだはええんだ。わかったな」
「――はい」
それでもどうやら私の伝えたいことは伝わっていたようで、お頭は私の欲しかった答えをくれたわけではなかったが、いずれにせよ私は付いていくしかないみたいだ。
「とにかくラッセンから離れないようにしなくちゃ」
だから私は、私を唯一守ってくれるかも知れないその人を信じ、ありもしない荷物の代わりに心ばかりの勇気を持って馬車を出た。




