第九十七話 人質のお姫様 ―少女の家族―
皆様のメッセージ、誠にありがとうございました。一つ一つ噛み締めるように読ませて戴きました。これからもどうかよろしくお願いします。
それからこちらの『人質のお姫様』、もう二話ほど続きそうです。どうかお付き合い戴けると幸いにございます。申しわけありません。
「わあ……馬車ってこんなにも速いのね!」
「おい!はしゃいじまう気持ちはわかるけど、危ないから身を乗り出すなって!」
布地で囲まれた馬車の中の、両側面に開けられた四角い穴から顔だけを出した私は、向かってくる快い風を顔いっぱいに受けながら、同時に後ろから私に注意をしてくるラッセンの声も風に流すことにした。
今は冬季なので、正直吹く風は少し、というよりかなり冷たかったのだけれど、それでもこうして初めて馬車に乗せてもらった私は、つい昂ぶる気持ちを抑え切れずにいたのだ。
「ったく……この野郎全く聞く耳を持ちやがらねえ。 お前の獣の耳はお飾りなのか?」
そんな昂ぶる私の気持ちに、話を素直に聞き入れなかったことに拗ねているのか未だ顔を風で冷やし続ける私にラッセンが水を差す。
この男はいつでもそうだ。
私が言うことを聞かないとすぐにぷりぷりと怒り始め、私の容姿から性格まで、私の全ての要素を武器に罵ってこようとする。
いくら私が拾われた頃からのお世話係だからって、いちいち構ってき過ぎだし、大人のくせに大人気がないといつも思う。
お頭や他のみんななら私が言うことを聞かなかったら、
――おい、聞こえなかったのかクズがよお!!
――ぶっ飛ばされてえのかてめえは!!
――よし、三日間。お前は、食事抜きだ。
なんて言って、私を泣かせるのに。
まあ、勿論この人にそんな度胸がないことは知っている。
伊達に七年を共にしてはいないのだ。
ラッセンは道端に踏まれそうな位置取りをしている花があれば別の場所へ植え替えてやるほどの、今では本当に珍しいくらいの花好きだし、襲った村々で孤児になった子がいればこっそり連れ帰って逃がしてやるやわなやつだし、私が抱えきれない分の家事をこっそり手伝ってくれる優しさも持っている。
当然他のみんながこんなことをしたことは一度たりともないだろう。
つまり、ここの山賊たちにおいて、ラッセンはかなりズレているのだ。
どうしてラッセンが山賊なんてやっているのか私にはわからないし、見当もつかない。
唯一、口が悪いことだけは他のみんなとも共通していると思うけど、その行動はどうも似つかない。
だからはっきり言って山賊っていうのは、ラッセンにまるっきり向いていない職種だといえると思う。
まあ、山賊を職種と言ってもいいのかもわからないのだけど。
そんな中でもラッセンが周りに疎遠にされず、むしろ仲間たちから好かれているのは、それこそその優しさのせいだろう。
少々嫌そうにしながらもてきぱきと働くその姿は、家の窓越しにしか見ていない私からしてもよくやっていると思うし、喜怒哀楽のわかりやすい彼は周りからしても弟のような存在となっているのかもしれない。
みんなは、私を甘やかすことはないけれど、ラッセンには優しいのだ。
そんな、暴力が当たり前の環境であるにも関わらず、他のみんなのように暴力や罰で私を律しようとせず、私と同い年なのかな、と誤認してしまいそうになるくらいに私と同レベルの口喧嘩ができるこの人は。
「おい、聞こえてんのかって! ちょ、おまっ! 本気で怒るぞ? いいんだな! おい!」
「ねえ、ラッセン。 あなたってやっぱりおばかさんよね」
「な、なんだとっ!?」
怒りで顔を赤くし始めたラッセンに、振り返った私は薄く笑いかけた。
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馬車のタイヤが、カラカラと地をなぞる乾いた音が聞こえる。
小刻みな揺れのせいで暇でも眠れない私はぼうっとしながらそれを聞き、ふとラッセンの方を見た。
「くかーー。 くかーー」
規則正しいいびきをかきながら、私と違って馬車の揺れなど気にせず気持ちよさそうに寝ているラッセン。
日頃から夜は同じ部屋で寝ているため、彼のいびきは聞いていて居心地がよ――いなんてことは一切なく、むしろ私が眠れないというのにぐっすり眠りこけているラッセンを見ていると無性に腹が立ってきた。
何を寝ているんだろうこの男は。
「ちょっとラッセン、ラッセン!」
「んあ、あれ? 女の子は――?」
「いないわよ! ――あ、いや、私女の子か」
思わず女の子と聞いて私の脳裏には普段お頭のそばにいる美人な人たちのことを想像してしまい、誤った回答をしてしまう。
すると、私が言い直したことに意見があるのか、ラッセンが口を開く。
「お前が女の子? ハッ、笑わせんなよ。 俺が言ってんのはこの国の王女様みてえな、金髪碧眼の綺麗な女の子だ! 断じてお前みたいな茶髪に黄色い目の、う〇こみてえな女じゃねえ!」
「こ、この男っ!! 今、今なんて言いましたか!? う〇こ? う〇こ女って言ったわね今!!」
「ああ、そうさ。 お前は家事が大好きなアバズレ女だ! いつもいつも家事を手伝うっつってんのになぁーにが『いいです、ラッセンなんかに頼らずとも一人で出来ます』だ! それが間に合わなくて謝りに行く俺の気持ちにもなりやがれってんだ!」
「ラッセンってば性懲りもなく……! いい? あなたが手伝った家事はほとんどが中途半端なのよ! 昔、よりにもよって武器統括のグスタさんの服ビリビリにしたことあったでしょ! なにしたらあんな惨状になるのよ……。 あれだって私が謝りに行ったわ。その結果四日間もご飯抜きだったのよ? 私、死んじゃうかと思ったわ!」
「だから俺がこっそりお前に飯持ってってやったじゃんかよ。 その件はそれでチャラだって話になったろ? それに、洗濯板だったか? あれやっぱ洗いにくいわ。 あんなにギザギザしてたら、そりゃ服だって破れる」
それを聞いて私は思い出した。
二年前――私がもうラッセンに洗濯はさせないと決心してすぐ。
どうしてか水の張られていない桶の中に黒ずんだ、炭のような小さな板があったことを。
「ま、まさか! あの時洗濯板がツルッツルだったのってラッセンのせいだったの!? 服こすりつけて洗濯板発火させるとか……! ちょっと、ラッセンってば本当に頭がおかしいんじゃないの!?」
「あぁ……ありゃあなんかもう、やばかったな。 お前の見よう見まねで洗濯板で服擦ってたら急に服と板が燃え始めてさ。 前からお前が洗濯してんの見てどうも力加減が足らねえなと思ってさ。張り切ってみたらアレだもんな」
「あなたは腕が細いくせして”豪腕”のスキル持ちなんだから当然じゃない……」
水も張らずに洗濯をしようとしていたという事実に愕然とした私は、もはや彼の驚異に震えていた。
ひょっとしたら誰よりも理解できず恐ろしいのは、他のみんなではなくラッセンの方なのかも知れない。
幸いこの馬車には私とラッセン、それから運転してるラッセンの数少ない後輩にあたる人の三人だったので、この口喧嘩はみんなに聞かれることはなかった。
私たちの馬車には武器や、その他の荷物が積まれていたので、ここだけ人が少ない。
他のみんなは前と後ろにある何両かの馬車に乗っている。
武器を失ってはお話にならないので、この馬車は他の馬車に囲まれるようになっている。
なんだか少しだけ偉くなった気分だった。
こうしてガッシリ守られる経験なんて全くと言って言い程になかった私だから。
「あ、そうそうラッセン」
「なんだ?」
そこで私は馬車で聞こうと思っていたことがあったと思い出した。
それは今回の”狩り”について。
「どうして今回はお屋敷なんて攻めるの? いつもはそんなおっきい家は攻めたりしてないって言ってたのに」
ラッセンは、狩りから戻ってくる度にその時あった出来事を私に話す。
ちなみに狩りというのは実際に動物を狩ったりするわけではなくて、金品を奪うことを指すらしい。
ラッセンはその時の辛かったことや楽しかったこと。
それから、また人を殺めてしまったこと。
それら全てを、吐き出すように私に話す。
私にはそれが話すことで楽になろうとしているように見えて――私はラッセンの面倒を見てなくちゃいけないから、その度にきちんと聞いてあげることにしている。
時には涙や鼻水まで出しながら話すものだから……本当に、困った人だ。
そんな時に聞く話しの中には、屋敷なんて言葉は一度も出てこなかった。
私が前にどうして大きい家を攻めないのか聞いた時には、『当然でかい家にはそれなりの門番がいるからな』と言っていて、渋い顔をしていた。
つまりはそれなりの危険があるということらしい。
じゃあ、どうして今回はお屋敷を、それもみんなして意気揚々と向かおうとしているのか。
それが私には分からなかった。
「あぁ、そっか。 俺はまだそのへんお前に話してなかったな。って言っても、お前は何だかんだ賢いから分かりそうなもんだけどな」
「別に賢くないし、そんなのわからないよ」
ラッセンが少し意外そうに私を見て言う。
そんな目で見られてもわからないものはわからない。
私はラッセンの次の言葉を待った。
「今回行くスラザール家なんだけどな、でかい街の方じゃなくて村と街の真ん中くらいにある何もないとこに屋敷を建ててんだよ。そんでもって何を警戒してんのか滅多に城から出てこない。そんな当主さんが近々街に野暮用ができたみたいで、出かけるらしいんだ」
「そんなに家からでない貴族の人が、どうして?」
急に家の外に出ることになった、つまり引き篭りでなくなった貴族さんの温かい話だと思った私は、同時にその人を突き動かしたものは一体何なのかが気になってしまった。
「それはわかんねえんだけど、その情報が掴めたことが大きいのさ! それに用心深いそいつはお守りを沢山連れて行くだろう。結果、屋敷の警備は甘くなり、金品がたんまり貰えるってことだ。それに、犠牲者も少なくなる!」
――なるほど。 聞くにラッセンの足取りが軽いのは犠牲者が少なくて済むから、らしい。
それに金品をある程度奪えた時、次の狩りはかなり先延ばしになる。
おまけみたいに言っていたけど、ラッセンの性格からしてそっちが本命なんだろう。
そう気付いた私は内心が見え見えのラッセンに少し気持ちがほっこりした。
「ラッセンの兄貴! 奥に屋敷が見えてきましたよ!」
すると前の、馬車を操縦していたラッセンの後輩の声が聞こえた。
なるほど、遥か前方にだが、木と木の間に長く続く道沿いに、木々を追い越し、大きくそびえ建つ屋敷が目視できた。
「うわぁ……」
そしてその壮大さに思わず声が漏れる。
あそこに、私たちは向かっているのだ。
見れば、ラッセンも目を輝かせているのが分かる。
やっぱりラッセンも子供だ。
少なくとも同じく胸を高鳴らせている私と同じくらいには。
こうして二つの――いや、もっと大勢の高鳴りを乗せた馬車の集団は、慎重さも忘れずに、メイザール邸へ歩みを進めていったのだった。
もちろん、誰一人として成功を疑わずに――。




