湖の畔で
隣町を発ってから五日、王国をひたすら南下する旅が続いている。
山賊の類に遭遇することは一度もなかったが、エリシアとケインの奇跡の力があれば、攻撃も防御も万全であるので、仮に山賊の類に遭遇したとしても不安はなかった。
しかし、安定した状況に慣れると、刺激を求めたくなるのが人間と云うものである。
宿屋に泊まることもなく野宿を繰り返していたので、そろそろ躰を綺麗にしたいという気持ちが芽生えてきた。
「川があれば、水浴びでしたいな」
エリシアの前で、若干、不適切ではあるが、不意に思ったことを口にしていた。
「そうね。私も、なんか水浴びがしたくなってきたかも」
「おお。いいですね、水浴び。この近くに湖があるので、少し水浴びしていきますか」
ケインも珍しく何も文句を云わずに同意する。
思わぬこと同意を得てしまった。
慣れない旅で疲労も溜まっていたので、息抜きしたい、というのが三人の状況だったのかもしれない。
そうと決まれば足取りも軽くなる。
「近くって、あとどれくらい? まだ全然、湖らしきものが見えないんですけど」
街道はまだ森の中である。湖の近くなどという気配は全く感じられない。
「そうですね。あと半日くらい歩かないと着かないと思いますよ」
全く近くではなかった。
聞いて後悔することもあると、改めて実感した。
ケインの云う通り、半日ほど歩いて目的の湖に到着した。
イズガルドで最も大きい湖で対岸が遙か彼方に見える。
湖面は澄み渡っており、小さいながらも魚が泳いでいるのが見える。
上手く魚が捕れれば、今夜の夕食は焼き魚だなと、勝手に想像する。
「私は殺生を好みませんが、今夜は久しぶりに焼き魚というのも良いかもしれませんね」
何食わぬ顔でケインは云うが、暗に魚を捕るように指示をしているのであろう。
「はいはい。判りましたよ。捕ればいいんんでしょ、捕れば」
「ギル君、良く判りましたね。正解です。まあ、先日の盗蛇党の件でも、功績らしい功績はありませんでしたからね。ここらへんで、功績を挙げて欲しいという親心のようなものですよ」
ものは云いようであるが、事実であるので仕方ない。
今後も、山賊に何時襲われるか判らない旅である。
僕も少しは貢献しないといけない気持ちになる。
「ギル、あなたは『追跡』は使えるよね。私とケインが同時に奇跡の力を使える状況ではなくなるので、安全を確認するために『追跡』で周囲の状況を確認して欲しいの」
奇跡の力「追跡」は、周囲の人を察知する奇跡の力で、騎士になるには必須の力で、僕の使える数少ない奇跡の力の一つであった。
「了解。これから『追跡』してみるよ」
目を閉じて集中する。
頭の中に白い靄が掛かるような感覚に襲われる。
そして、次第にその靄の一つ一つが像を結んで一つに人影になる。
先ずは、隣にいるエリシア、そしてケイン。
しかし、それから先は、像が結ばれず、澄んだ景色が拡がる。
「どうやら周囲には僕たち三人しかいないようだ」
「それは、良かった。これでエリシア君も思いっきり水浴びが出来るというものだね」
ケインの発言に顔を赤らめ俯くエリシア。
どうやら「同時に奇跡を使える状況ではなくなる」というのは、エリシアが僕たちからは離れたところで水浴びをしたい、という意味であったらしい。
『追跡』によって周囲に人がいないことは確認できたので、エリシアも安心して水浴びが出来るということだ。
そんなエリシアの気持ちも汲めず、素直に『追跡』をした自分が少し恥ずかしくなる。
軽く咳払いをしたエリシアが、
「ということですので、これから暫くの間、私は離れたところにいますが、決して近づかないように!」
「了解です!」
珍しく二人の声が揃った。
エリシアは、久しぶりに気分が晴れやかであった。
旅に同行すると云ってしまった都合もあるのだが、男の人と絶えず一緒の旅というのは修道女であったエリシアには堪えるものがあった。
しかも、旅の目的地は、アレウス山脈である。
いつ何時、ゴブリンに襲われるやも知れない状況の旅。
緊張の連続で夜も満足に睡眠をとることが出来なかった。
束の間の休息ではあるが、ギルの『追跡』で周囲の安全が確認されたので、水浴びに興じたい気持ちで一杯であったのである。
「ああ。汗もかいてベトベトだから、早く水に入らないと」
逸る気持ちを抑えて衣類を脱ぎ捨てる。
危険な旅ではあったが、直接、剣を交えての戦闘になることは想定していなかったので、レザーアーマーは身に纏っておらず、一般的な旅人と同程度の装備であった。
「女は度胸よ」
幾ら『追跡』によって安全が確認されていると云っても、一番、身近な人物が一番危険な恐れもある。自らを鼓舞し、最後の一枚を脱ぎ捨てる。
エリシアは背が高い方ではないが、女性として少し豊かな肢体であった。
後に一つで纏めていた髪を解く。
栗毛色の髪は弾力に富み、解かれた先から真っ直ぐに伸び、背中の辺りで止まる。
肌は色白であったが、ところどころ雀斑があり、どこか幼さ感じさせる。
つま先から湖水に浸る。
若干の冷たさを感じるが、久々に触れる水の感触が心地良い。
「ギルは魚を捕れるかなあ」
とギルのことを心配している自分に少し驚く。
ギルとは幼馴染みで、普段はアルバートの弟くらいしか意識はしていなかった。
それでも、アルバートが亡くなってからは、自室に籠もりがちなギルの姿を見ては心配をしていた。
「今日の朝食はちゃんと食べたかな」とか「明日は部屋から出て元気な姿を見せてくれるかな」とか。
他愛も無いことが、とても心配で堪らない日々。
だからこそ、ギルの口から旅に出たいと聞いたときは、是非、力になりたいと心から思ったのであった。
ガサッと茂みのほうから何かが動く音がした。
エリシアは、咄嗟のことに躰を隠そうともせず振り向き『神罰』を放つ体勢をとる。
「これは失礼した。べつにお嬢さんの水浴び姿を覗こうとしていた訳じゃないんだ。本当だよ。許してくれ」
「なにを今更、往生際が悪い。己の犯した罪を地獄で懺悔なさい!」
覗き見られたことに怒りを覚えつつも、声の主の姿を見て驚愕した。
チェインメイルは着込んでいたものの、そこにある筈の左腕が失われていた。
「あなた、左腕は一体――」
「ああ、この腕のことか。この左腕は、先遣隊が襲撃された時にやられてしまってね」
エリシアは躰を見られていることをすっかりと忘れ、男に訊く。
「先遣隊って、グレン先遣隊のこと? 第三聖騎士の発表では生存者は、グレン宰相だけと云われていたのに。あなたはその生き残りだっていうの?」
「ああ、そうだ。紛れもなくグレン先遣隊の生き残り、第八騎士団所属の騎士、ファラードというものだ」
男は驚愕の新事実を平然と云ってのけた。
第三聖騎士の発表では襲撃はゴブリンの手によって行われ、幸運にもその場にいなかったグレン宰相を除いて、全員死亡したと発表されていた。
しかし、事実は異なっていたのか?
そもそも、ギルはその発表自体を疑っており、その事が今回の旅の発端となっていた。
よって、このファラードと名乗る騎士に直接、襲撃は誰のものであったか問い糾せば、アルバートの死の真実が明らかになるのである。
「私たち、先遣隊の護衛隊長をしていたアルバートの知り合いなんです。第三聖騎士の発表では、あの襲撃はゴブリンのものであり、その場に不在であったグレン宰相を除いて全員亡くなったとされています。私たちは、その発表に疑いを感じ、アレウス山脈へ真実を確かめに行く最中なんです」
「そうか。アルバート隊長の知り合いだったか。今回の件は気の毒だったな。私たちということは、他に連れがいるんだな。よかったら、その人たちにも聞いて貰おうかな、襲撃の夜の出来事を」
「それは、是非、お願いいたします。実は連れの一人はアルバートの弟なんです」
「なんとアルバート隊長の弟が一緒なのか。よし、では早速、お連れの方達がいるところに案内して頂きたい。しかし、その前に……」
言葉を詰まらせるファラード。視線が急に泳ぎ始める。
「い、いつまでこっちを見ているんですか! 早くあっちを向いて下さい。直ぐに服を着て案内しますから」
「ギル、ケイン、聞いて聞いて!」
興奮気味に声を張り上げ、エリシアが近づいてくる。
「どうした? 大物でも釣れたのか」
僕の問いかけにエリシアが冗談めかして僕に云う。
「そうよ。凄い大物が釣れたの! あなた達もきっと驚くわ」
釣り竿の類は何も持っていなかったので、凄い大物が魚ではないことは明らかである。
こちらは、小魚が数匹捕れただけ。
大物の正体が気になり『追跡』でエリシアの位置を探る。
声が聞こえる距離なので、それほど遠くではない筈である。
意識を集中する。エリシアらしき人影が直ぐに脳裏に浮かびあがる。距離は思っていたとおり、比較的近い。そして、直ぐその横に、もう一つ人影が浮かび上がる。
「気を付けろ! エリシア、直ぐ横に人影が見えるぞ!」
深い靄でその人影に気がついていないエリシアに警告を発する。
「大丈夫よ、ギル。この人はグレン先遣隊の生き残りのファラードさんよ。これからあの夜に、一体に何があったかた教えてもらうのよ」
「なんだって? グレン先遣隊の生き残りだって? しかし、本当にその人が先遣隊の生き残りかどうかは怪しいと思うんだけどな」
大声でエリシアとやりとりする僕の脇からケインが割って入る。
「慥かにギル君の指摘の通りだ! そのファラード氏がグレン先遣隊の生き残りであるということを、証明して貰わないと、その話しは鵜呑みに出来ないな」
ケインも、此度の旅の根幹に関わる事なので、慎重になっているようであった。
「時間もまだ沢山あることだし、グレン先遣隊の襲撃のことからではなく、出発当時の様子から話してもらえば、証明になるかしら?」
僕らの問いかけにエリシアが応える。
水浴びをしていたエリシアがどの様にしてファラード氏と知り合ったのかは気になるところだが、今はその様な些事よりも、ファラードが本当にグレン先遣隊の生き残りであり、そうであれば、あの日の真相を当事者から聞けるという事実に興奮を感じずにはいられなかった。
エリシアとファラードの姿がみえた。
思っていたよりもファラード氏は細身で背が高かった。
「初めまして。私は第八騎士団の騎士、ファラードというものだ」
ファラードは僕に握手も求め右手を差し出した。思わず両手で握手に応えたが、その時、彼の左腕が失われていることに気がつく。
僕の動揺を察して、ファラードは、
「ああ。これは、襲撃の時に失ったんだ。傷口は自分で治療しているので、もう大丈夫だよ」
と傷口をこちらに見せながら云う。
ケインは未だにファラードのことを疑っているかのような眼差しを向けていた。
そして、僕に向けて何か言いたげな視線を送ってくる。
自己紹介がまだであった事に気がつく。
「自己紹介がまだでした。私は、先遣隊の護衛隊長のアルバートの弟のギルバートです。ギルと呼んで下さい」
「そして、私がギルの後見人である、ケインだ」
勝手に後見人を名乗るケイン。
「勝手に後見人を名乗らないで下さいよ」と直ぐに否定したもののケインの耳には届いていないようであった。
「私は、二人の幼馴染みのエリシアです。つい先日まで教会の修道女をしてまして、その教会の神父だったのがケインで、ケインとアルバートは幼馴染みでした」
「なるほど。三人の関係は良く判りました。それぞれがそれぞれに深い関係がお有りのようだ。そうでないとアレウス山脈までの旅を一緒に行こうなど思わないでしょうけど」
ファラードは口調は紳士的な印象であった。流石は騎士になるだけのことはある。
僕たちは並んで湖の畔に向かって歩き始めた。
湖畔には流木が幾つかあり、適当な大きさのものを見つけ腰を掛ける。
ファラードから真相が語られる。
如何なることが語られようとも後悔するつもりはない。
深く深呼吸して心を整える。
「さて、そろそろ真相を語らせて貰おうかな」
ファラードを意を決した面持ちで僕たちに語り始めた。




