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最後の光

 アレウス山脈へ向かい、坑道の中を西へ西へと進んでいた。

 支線は相変わらず細く険しい道が続いたが、ゴブリンに斥候に出逢う機会は殆どなく、順調にアレウス山脈に近づいている。そんな気がしていた。

「どうやら大広間を迂回することでゴブリンたちと出逢わずにアレウス山脈へ抜けられそうだ」

 隣を歩いているエリシアに明るく声を掛ける。エリシアも同じ事を思っていたらしく、

「そうね。このままの感じでいければ、思っているより早くアレウス山脈へ抜けられそうね。遅れているケインのことが気になるけど、ケインのことだから、もしかしたら坑道の出口で私たちのことを待っているかもしれないわね」

 明るい表情を浮かべるエリシアに僕は安堵する。

 トラミノでの一件以降、凄く考え込んでいるエリシアを良く見るようになっていた。

 きっとこれまでの出来事やこれからの事を思案してのことであろう。

 アルバートの死の真相を確かめるべくアレウス山脈へ旅立った自分たちであったが、旅を続けていると色々と判ってきた事に、単なるグレン先遣隊の襲撃以上に隠された大きな陰謀のようなものを感じるようになっていた。

 世界はこのまま大きな戦いの渦に飲み込まれてしまうのであろうか。

 世界の一大事の一部に自分たちが巻き込まれていく。そんな錯覚を感じるのであった。

 全ての発端はゴブリンロードによるイズガルドへの宣戦布告であった。

 そして、未だかつてゴブリンロードの姿を見たものはいなかった。

 宣戦布告を受けた王国はゴブリニアに和平交渉の為の先遣隊、グレン先遣隊を送るが、アレウス山脈にほど近い城塞都市アズダルクの近郊で謎の集団により襲撃され潰滅した。

 その先遣隊の一員であったのが兄のアルバートである。兄の死の真相を確かめるべくエリシアとケインの三人でアレウス山脈へ向かい旅に出たが、途中の街ではゴブリンの集団に襲われ、先遣隊の生き残りの騎士、ファラードに出逢ったが、真相が語られる前に何者かに命を奪われてしまう。

 そして、窮地を救ってくれたアイヴィスからもたらされた情報からトラミノで療養しているランベルトのもとを訪れたが、そこに現れたのは黒衣の集団であった。彼等は暗に先遣隊襲撃の首謀者であることを告げていたが、目的は謎のままであった。

 そして、自分の身に憑依したギルヴァーナの存在。ギルヴァーナの力は余りにも強大で制御できるものではなかったが幾度となく窮地を救ってくれた。

 やはりアレウス山脈のゴブリニアが全ての発端であることは間違い無いように思う。

 僕はそのことを確かめる為、兄の死の真相を確かめる為にもアレウス山脈へ向かう必要があると感じでいた。

『追跡』にゴブリンの反応が引っ掛かる。

 数は二体。恐らく斥候だと思われる。

「エリシア。二体のゴブリンがこちらに向かって接近中だ。自分達の進路方向から向かってくるから、何処かでやり過ごす必要があるかも。ちょっと遠回りになるけど、また別の支線に入って西に進むことにしよう」

 何度となく斥候のゴブリンと出逢っては進路変更を余儀なくさせられていた。それでも幸いなことに支線が多く張り巡らされていることから、支線を変更しても、また本来の進路方向へ戻ることは容易かった。

「了解よ、ギル。もう斥候に出逢うことも進路変更にも慣れてきたわ。それでも確実にアレウス山脈に近づいているんでしょ? それなら全く問題無いじゃない」

「そうだね。本当のこの坑道は良く出来ているよ。無駄が無いというか、ようやく最近、この支線の構造も少しづつだけど構造が理解出来るようになってきて、碁盤状とまではいかないものの、かなり法則性が明確な構造になっているようだ」

 というのも、かつて大広間に何があったのかは知る由も無いが、大広間を中心として、本線や支線が張り巡らされている構造は明らかであった。

 それさえ判れば大広間を迂回する支線を探すことも容易である。

「おかしい。今度は、こっちからも斥候のゴブリンが近づいてきている。というと今度はこっちの支線を行くしかないか」

 先程の斥候から逃れるべく他の支線に入ったところであったが、ゴブリンの斥候がその支線からも近づいてきていた。今後もこのような事が続くと、暫くは戦闘を避けてきたが、もしかしたらゴブリンとの戦闘が避けられない事態に陥るかも知れない。そんな思いが頭を過ぎった瞬間の出来事である。

『追跡』の範囲外から、次々とゴブリンの反応が現れる。

 ゴブリンは『追跡』の有効範囲を見切り、その有効範囲の外側から回り込み包囲網も形成しているようであった。

「エリシア。不味い事になっているようだ。僕たちはすっかりゴブリンに包囲されている。ゴブリンはどうしても僕たちを大広間に案内したいようだ」

 包囲網の位置からも大広間に僕たちを誘導しているのは明らかであった。

 坑道の構造が判ったことで、ゴブリンへの警戒心が薄れ、包囲されていることに気づくのが遅すぎた。一か八かで包囲網を破るようによう仕掛けても良かったが、ゴブリンはあくまで大広間へ誘導するかのように一定の距離を保ってきていたので、ゴブリンの目的は何であれ、ここは無理に仕掛けずゴブリンの誘導に任せるように大広間へ向かうことにした。

 暫く歩いていると、やはり大広間へ通じる本線に出てしまった。しかし、それでもゴブリンは僕たちに対して攻撃する姿勢は見せず、一定の距離を保とうとしていた。

「やっぱりなんだか不気味よね。ゴブリンがこんなに静かに私たちの後を着いてくるのは。ゴブリンは非常に残忍な性格の持ち主よ。数では圧倒しているのだから、今すぐにでも攻撃してきてもおかしく無い状況なのに、未だに距離を保っているだなんて」

 エリシアの云わんとしていることは理解できた。

 しかし、それは余り考えたくない状況でもあった。

「きっと、大広間では彼等の主、ゴブリンロードが私たちを待っているのよ。彼は人間の肉が大好物と聞くわ。きっと私たちゴブリンロードに食べられてしまうのよ」

 エリシアは冗談で云ったつもりかもしれないが、それは全く根拠の無い噂話だと思っていた。

 まず、ゴブリンロードに出逢ったことがある人間はいないのである。

 よって、ゴブリンロードが人間の肉が大好物かは知る由もなく、我々に対して宣戦布告するほどの知性を持ち合わせているゴブリンロードがそんな野蛮なことをするとも思えなかった。

「それは単なる噂話だよ。僕はゴブリンロードがそんなことをするとは思えないな。きっと宣戦布告に対する回答を僕たちに求めるとか、そうゆう外交的な目的が彼にはあるんじゃないかな」

 思いつく限りの楽観的な選択肢をエリシアに告げた。そうでも云わないとエリシアは恐怖に耐え切れそうになかったからである。

「そうよね。まだゴブリンロードが待ち構えているかどうかすら決まったことではないですしね。ゴブリンはまだ、距離を保っているんでしょ? ひょっとしたら坑道の中で迷子にならないように私たちを案内しているつもりなのかもしれないし」

 エリシアも努めて明るい返答に心掛けているようであった。

「やはり、大広間は避けて通れそうにない。ゴブリンの数は次々と増えていて、包囲網を突破することも難しそうだ。そしてなにより大広間からは階段が伸びていて、そこからアレウス山脈へ抜けるのが一番の近道になりそうなんだ」

「それでは覚悟を決めてゴブリンのお誘いを受けるしかなさそうね。ギル、頼りにしてるからね」

 こうとなれば覚悟を決めて大広間へ向かうだけだ。

 しかしこの窮地にギルヴァーナが何も云ってこないのも気になっていた。

 まだ僕の奇跡の力は大幅に強化されたままなので、ギルヴァーナがまだ体内に残っているということになる。

 しかし、幾ら頭の中で呼びかけてみても反応は一向に返ってこなかった。

 本線は支線に比べ幅も広くとても歩きやすかった。それでもゴブリンの巣窟である以上、罠には警戒しなければならない。

 物音がある度に後を振り返り警戒する。

 そんなことを繰り返していると、何時の間にか大広間の前に辿りついていた。

 大広間の前はそこだけ坑道の中であることを忘れさせるほど立派な造りであり、正面の扉は背丈よりも大きく鉄製の扉は立派な草食が施されていた。

「念のために『追跡』で確認してみたけど、大広間にゴブリンはいないようだ。ゴブリンロードらしき反応も無い。本当にゴブリンが誘導しているようにしか思えないな」

「それならいいじゃない。ひょっとしたら、ここにいるゴブリンは人間に対して友好的なのかも知れないわね。そして反感を持っているゴブリンだけが、ゴブリニアに荷担してアレウス山脈に陣取っているとか」

 エリシアはすっかりこの状況を楽観視しているようであった。

 慥かに、ここまできてゴブリンの反応がないのであれば当然であろう。

 鉄製の扉に手を当て押してみる。すると音も無く扉が開く。

「ようこそ。我が王国。ゴブリニアへ」

 大広間の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「エリシア! ここから離れて。直ぐに逃げるんだ!」

 咄嗟に反応し、エリシアに逃げるように指示をする。

 この声の主は紛れもなく、黒衣の集団の副団長、オクスレイのものであった。

「それはないんじゃなかな、ギルバート君。折角、再会出来たのだから、彼女にもゆっくりしていって貰えばよいじゃないか」

 振り返ると黒装束のアサシンが数名、後を取り囲み既に退路を断っていた。

「事態が飲み込めたかな? それとも未だこの状況が理解できていないかな?」

 オクスレイが問いかける。

 顔には笑みが浮かんでいる。

「なんとなく読めてきたさ、オクスレイ。ここがゴブリニア。というよりゴブリニアなど最初からなかったんだ。ゴブリンロードの正体もおまえだったんだ!」

「ほほう。なかなか理解が早いではないか。正解だよ、ギルバート君。如何にもここがゴブリニアだ。アレウス山脈のゴブリンは既に我ら黒衣の集団の手に落ちている。彼等は非常に協力的でね。自らの犠牲を顧みずにアズダルクへの襲撃に協力してくれたり、我らの根城とするため、カムロドンまで滅ぼしてくれたよ」

 ここまで云うとオクスレイの合図と同時に大広間の燭台に炎が灯される。

 天井を支える列柱には見事な装飾が施され、壁には立派な細工が施されたレリーフが幾つも掲げられていた。

「しかし彼等にも、ちゃんと見返りを用意してあげていたさ。彼等に奇跡の力を与えたのは我らだ。彼等は極めて低級な奇跡の力は行使できていたが、余りにも粗末な力だったから、少し手解きをしてあげたのさ。そしたら喜んで更に協力を申し出てきたのさ。これは一種の同盟という関係なのかもしれないな」

 オクスレイの勝手な言い分に怒りが込み上げる。

 彼等は自らの計画の為に無関係のゴブリンを陥れていたのである。

 しかし。何故、ゴブリンを騙してまでイズガルドに宣戦布告をしたのか。

「それは簡単な話だよ。我らの目的は最初から国王の暗殺である。その目的の為には第三聖騎士の存在が邪魔だったのだよ。その為にグレン先遣隊を率いてアレウス山脈で事件を起こし、第三聖騎士を王都から引き離す必要があった。だから私が一芝居演じたと云うわけさ」

 オクスレイの顔が変化し、見覚えのある顔になる。

 そして、その見覚えのある顔に驚いた。

「ははは。今頃、気がついたか。グレン宰相は私の表の顔でね。本物のグレンは疾うの昔に始末させていただいたよ。君の兄のアルバートを苛めるのは実に愉快だったよ。君の兄は愚直な人物だったよ。私の云うことに素直に応じようともせず、自らの意思を通そうとする。実に愚かだ。その結果、最後に惨たらしい死を用意してあげたけどね」

 オクスレイは黒衣の集団の副団長だ。変装など造作も無いことなのであろう。

「これが君の求めていた真実だよ。さあ、お喋りの時間はここまでだ。君には最後まで付き合って欲しいところだが、あの人が戻ってくるのでね。君にはここでお別れしてもらうよ」

 オクスレイの拳に『黒焔』が灯る。

「それではお別れだ。ギルバート君。あの世でアルバートと仲良く暮らすんだな」

 拳を振り上げる向かってくるオクスレイ。

 この窮地にもギルヴァーナの反応は皆無。自らの力で切り抜けるしかなかった。

 オクスレイの正拳突きが眼前に迫る。

 ギルヴァーナの影響からかオクスレイの拳が止まって見えた。

 最小限の動きでオクスレイの拳を躱す。

「どうした。先日の威勢は何処にいった。今度はおまえが逃げてばかりではないか。ギルヴァーナどうした。真逆、私の『黒焔』の前に恐れを抱いて逃げたわけではあるまい」

 オクスレイの『黒焔』が容赦なく躰を襲う。

 次第に逃げ場を失い、遂には完全に逃げることも出来なくなった。

 オクスレイの拳の動きは見切っていたが、反撃に転ずる糸口は見えない。

「なんだか張り合いがないな。しかし、手加減は無用だろう。おまえにはここで死んで貰うまでだ」

『黒焔』を纏った拳が襲いかかる。

 躱しきれないと思った僕は無駄だと思いながらも背負っていたバックラーを構え『黒焔』を受け止める体勢をとる。

「無駄だ! バックラーなど我が『黒焔』の前では無意味。バックラーごとおまえを焼き尽くしてやる!」

 オクスレイがバックラーを構えた僕を嘲笑う。

 ガシーンと『黒焔』と金属の衝突する音がする。

「終わった」

 僕は目を瞑り最後の時を待っていた。

 しかし、躰に異変は無く『黒焔』の衝撃もバックラーからは伝わってこない。

 恐る恐る目を開けてみる。

 すると、アイヴィスがカイトシールドを構えて『黒焔』を受け止めていた。

「なんとか間に合ったようですね」

 アイヴィスが僕のほうに振り返り、云う。

「第三聖騎士が何故ここに? おまえはセンチュリオンにいるはずではないのか?」

 突然のアイヴィスの登場に狼狽するオクスレイ。

「それは残念でしたね。私はあなたたちの目論見を阻止するために、アレウス山脈に戻ってきたのです。この盾とこの剣を持ってね」

 見るとアイヴィスはヘブンズゲートとイズガルディアを手にしていた。先程の『黒焔』の一撃を防いだのはヘブンズゲートであった。

「なるほど。ヘブンズゲートか。それなら我が『黒焔』を防いだことも理解できる。しかし防御だけでは私は倒せないぞ」

「あら、あなたはイズガルディアの力をご存じないようね。イズガルディアこそイズガルドの叡智の象徴。あなたもその力を存分に味わったほうがいいみたいね」

 アイヴィスはそう云うとイズガルディアを僕に渡す。

「ギル。イズガルディアでオクスレイを討つのよ。今のあなたならきっと出来るわ」

 イズガルディアを手にした瞬間、右手が熱くなるのを感じる。

 そして脳裏には歴代の第一聖騎士の想いが、イズガルドを守護してきた想いが伝わる。

 そして、最後に見えたのはヴァンクリフの剣技の全て。

 ヴァンクリフの剣技の全てが脳裏に焼き付いていく。

「これが、イズガルディアの力、第一聖騎士ヴァンクリフの力なのか」

 頭の中でオクスレイとの先程の攻防を反駁する。

 オクスレイの攻撃が隙だらけであることがわかる。

 これなら勝てる。

「覚悟しろ! オクスレイ。おまえに倒された先遣隊の恨み、ここで返させて貰う!」

「何を今更云っているのだ。イズガルディアを手にしたくらいで、いい気なるなよ若造。我が『黒焔』の恐ろしさ、その身を以て知って貰う」

 再びオクスレイの拳に『黒焔』が纏う。

 僕はイズガルディアを正眼に構える。イズガルディアの放つ威圧感からかオクスレイも不用意に間合いに入ろうとしない。

「ほう。流石にイズガルディアというところか。若造の構えも多少はマシになるようだな。しかし睨み合ってばかりでは勝負にならんぞ」

 睨み合いに痺れを切らしたのかオクスレイが挑発してくる。

 ふとオクスレイの右腕が僅かに動いた。

『パラライズ』と頭の中で警報が鳴り、瞬間的に小さな針が視界に入る。

 オクスレイは僅かな動きで右肩を狙って『パラライズ』の針を飛ばしていた。

 しかし、思うよりも先にイズガルディアが『パラライズ』の針を薙ぎ払う。

 僅かな隙を突いて『パラライズ』を仕掛けてきたオクスレイはその動きを予期していなかったのか、次の瞬間の動作が一瞬遅れた。

 そして、その一瞬の動作の遅れが命取りとなった。

『パラライズ』を薙ぎ払ったイズガルディアの返す刀で、オクスレイの左肩を切りつける。躱すのが一瞬遅れたオクスレイの左肩をイズガルディアの切っ先が捉える。

 イズガルディアの切っ先がレザーアーマーを切り裂き、左肩から鮮血が上がる。

 更に、左から右に水平にイズガルディアを薙ぎ払う形で追撃を加える。

 十分に懐に踏み込んだ剣戟をオクスレイは上半身を反らせ躱そうとするが、躱しきれず大きく胸部を斬り込まれる。

 致命傷とはならないものの戦意を喪失させるには十分であった。

 そのままの勢いを利用して回転した僕はイズガルディアを逆手に持ち替え、背中越しに一撃を加える。

 予期せぬ一撃がオクスレイの鳩尾を捉え刀身が深々と突き刺さる。

「私を倒したからといっていい気になるなよ……若造。もうすぐ、あの方がこちらに参られる。その時がおまえの最後だ……」

 オクスレイの拳から『黒焔』が消え、両膝から崩れ落ちた。

「僕が、黒焔のオクスレイを倒したのか…… 信じられない……」

 余りの出来事に現実を受け入れられずにいると、アイヴィスが声を掛けてきた。

「そうよ、ギル。あなたが倒したのよ。あとは一人だけ。黒衣の集団の長、ケイ……」

「おっと、そこまでだよ。アイヴィスさん。大人しくゆっくりと振り返って貰おうかな。そしてギルバート君。久しぶりの再会を悦びたいところだが、私の可愛い部下を可愛がって貰ったようだね。それでは引き替えに私も君の可愛い人を可愛がってあげよう」

 声の主の云う通りゆっくりと振り返る。

 ケインがエリシアの首にダガーを当てていた。

「ケインさん、何故、エリシアの首に刃物なんて。真逆、黒衣の集団の長というのはケインさんのことだったのか」

「鈍いねえ、ギルバート君。まだ気がついていなかったのか。本当に愚かとしかいいようがないではないか。私が黒衣の集団の長なのだよ。そして、気がついていないだろうから、云ってしまうが君の兄、アルバートを殺したのは何を隠そうこの私だよ」

 ケインの顔が狂気に歪む。

「私は本国から、イズガルド王暗殺の密命を受けたのはゴブリニア建国の一年前、丁度、そこにいるアイヴィスが第三聖騎士になる直前のことであった。本国の方でも色々と内偵は進んでいたようですけどね。いよいよ時が熟した。そう判断したのでしょう。そして私は予てより準備していたオクスレイにグレン宰相になりすますよう指示をした。文官あがりのグレンなどオクスレイの前では赤子も同然ですけどね。グレンは最後まで命乞いをしていたようですが、オクスレイが確りと息の根を止めて差し上げましたよ。そして私たちにとって最大の障害となるであろうアイヴィスの力量を測るため、模擬戦を企画させていただきました。いやあ、実に愉快な模擬戦でしたね、アイヴィスさん。お陰で私はあなたが、事前の評価のとおり計画の障害であることを再確認させていただきました。よって、グレン宰相を使って国王からアイヴィスにアレウス山脈での一件の調査を依頼させ、あなたをセンチュリオンから引き離すことにした。そして手薄となった王都に私が乗り込み、老い耄れのヴァンクリフと国王を始末させていただいた。ということさ。これで判ったかな、この物語の顛末が」

 ケインは、自分の行ってきたことを自慢気に語り始めた。

 そしてエリシアの顔に自らの顔を近づけ頬に口づけをする。

「ああ。この感触。やはり素晴らしい。実は私は一点、誤解していることがありましてね。エリシア君はアルバート君に想いを寄せているものばかりだと思っていたのですがねえ。それでケイン宰相から護衛隊の隊長に推挙していただき、予定通し始末して差し上げたのですが、一向に私へ興味を示していただけなかった。そしてこともあろうにエリシアの視線の先には、ギルバート君がいることに気がついたのですよ。これには驚きました。何の取り柄も無い君にエリシア君が想いを寄せることが有り得るものかと。ギルバート君をどうやって始末するかと思案しているところに、アレウス山脈への旅の話しが持ち上がってきた訳さ。流石に嘘でも神父をしていると神様は味方してくれるのかも知れませんね。それでも何故か行く先々で邪魔が入る。カムロドンも然り、トラミノの然り。仕方ないので、国王と第一聖騎士を葬ったあとに、自ら手を下すことにしましたよ。光栄に思って頂きたいなあ。黒衣の集団の長に直接、葬られることを。それまで君の相手を務めるようにお願いしたオクスレイは倒させたようですけどね。まあ、それも仕方ありませんか。主人である私の命令を無視して、ギルバート君を手に掛けようとしていた訳ですからね。当然の報いを受けた迄です」

 話しながらケインの手はエリシアの躰を撫で廻す。

 ケインの手が触れる度にエリシアが苦悶の表情を浮かる。短い嗚咽が漏れる。

 僕は今までに無いほどケインに対して憎しみを憶えていた。

 兄のアルバートをそんな自分勝手な理由で手に掛け、エリシアを我が物にしようとしているケインが憎くて仕方なかった。

『ほう。その憎しみだ。その憎しみこそが力の根源なのだよ。やっと私の力を解放するときがきたようだな』

 今まで沈黙していたギルヴァーナの声が脳裏に谺する。

『お止めなさい、ギルヴァーナ。ここはあなたの出る幕ではありません。彼は一時の怒りの感情の前に我を失っているだけなのです』

 聞き覚えの無い声がした。しかし、その声に安らぎを感じ、先程まで感じていた怒りの感情はどこかに吹き飛ぶような気がした。

『私の名前はフィーネ。イズガルド三大天使の一人です。あなたの躰にギルヴァーナが宿っているのと同じように私は今、アイヴィスの躰に宿っているのです。私は天界から人間界の行く末を見守ってきましたが、近年、ノルガルドの動きが活発になり、その動きを警戒していました。そして遂に、ノルガルドが動きだしたのです。その目の前にいる男、ノルガルド三大天使の末弟ケインを使って』

『流石はフィーネ。そこまで見抜いていましたか。そう私がノルガルド三大天使に末弟、ケイン。彼を使って再び戦乱の世界を創りたいと考えていましてね。ちょっと悪戯させていただいたのですよ』

 エリシアとケインの唇が再び重なる。

 苦悶の表情を浮かべるエリシア。

 あまりの恐怖で拒むことも出来ない。

『はははは。いいですねえ。この表情。堪りません。もっとこの表情が見たい。もっと見たいのだ!』

 僕の怒りは頂点に達した。

 アイヴィスの制止を振り切り、ケインに襲いかかる。

 イズガルディアも自ら光を放ち正義に打ち震えているかのようだ。

 イズガルディアの意思に従い剣戟を繰り返す。

 オクスレイをも捉えた剣戟であったが、ケインの前では全く通用しない。

 ケインは、弄ぶかのように両目を閉じてイズガルディアの剣戟を躱す。

「オクスレイを倒したくらいでいい気にならない方がいいですよ、ギルバート君。イズガルディアは所詮、人間の叡智。天使であること私に通用する訳ないじゃないですか」

 ケインは嗤いながら、剣戟を躱す度に急所を指で突く。

「これで君は五回は死んでいますよ。剣戟を繰り返せば繰り返すほど死地に近づいているといっても過言ではないほどです。全く滑稽なものです」

 そう云うと、足払いで僕を転倒させる。

 起き上がろうとする前に『パラライズ』で動きを封じられる。

 指一本動かせなくなった僕の姿を嘲笑いながらケインは右手に冷気を集め始める。

 凝縮された冷気は次第に刃と姿を変え、最後にはアイスダガーとなった。

 冷気を凝縮して創られた刃が冷たく光輝く。

「これで終わりです、ギルバート君」

 ケインがアイスダガーを振り下ろす。

 しかし、次の瞬間、アイスダガーに『神罰』が炸裂し、刀身が砕け散る。

「ほう、ここで邪魔に入りますか。アイヴィスさん。まあ、妥当な判断と云えますがね。ギルバート君はあなたを倒した後にゆっくりと相手をしてあげることにしましょう」

 ケインはアイヴィスの方に向き直ると、再び冷気を集め始める。しかし先程とは違い、両手に冷気を集めていた。

「アイスダガー一本ではあなたに対して失礼でしょうからね。ここは本気を出させて頂きますよ」

 両手にアイスダガーを持ったケインの姿が不意に消える。『ヒドゥン』で姿を消したのであろう。音も無く姿を現した時は既にアイヴィスの背後に回り込んでいた。

 しかし、その攻撃を完全に読んでいたアイヴィスは振り返ることもなく、アンブレイカブルでアイスダガーを受け止め、薙ぎ払う。

「やはり『バックスタブ』など通用しませんね。完全に見切っておいでだ。では、やはり正面から戦うしかなさそうだ」

 アイスダガーを巧みに操り変幻自在に攻撃を加えるケイン。

 変則的な剣戟に虚を突かれるアイヴィス。

 しかし、アイスダガーの切っ先がアイヴィスの鎧を捉えることは無かった。

 そして、アイヴィスもアンブレイカブルで反撃を試みる。

 アイスダガーの剣戟を受け止めては、その勢いを利用して斬りつける。

 しかし、その太刀筋は読んでいたケインは難なく上体を反らせ剣戟を躱す。

 一進一退の攻防が続く。

 アンブレイカブルの剣戟を受け止め、アイスダガーが砕け散る。アイスダガー一本では太刀打ち出来ないと判断したケインは、間合いから離れ、アイヴィスから距離をとる。

 しかし、表情そのものは余裕を感じさせ、

「楽しいですねえ。こうして戦える日を楽しみにしていたのかもしれない。そんな気がしませんか、アイヴィスさん」

 とアイヴィスに語り掛ける。アイヴィスは、そんなケインを突き放すように、

「真逆。私はイズガルドを、この世界を守る為に戦うまでです。今すぐにでもあなたが、その刃を下ろすのであれば、戦いは中止しましょう。それがせめてもの『兄弟』に対する礼儀というものです」

「ほう、面白いことを云う。私とあなたは『兄弟』ですか。まあ、躰に天使を宿した者同士。『兄弟』といっても差し支えは無いのかもしれませんがね」

 すると、ケインが手にしていたアイスダガーを放り投げた。

 床に転がるアイスダガー。

「いいでしょう。あなたの云う通り、刃は下ろしましょう。私も兄弟で争うのは本意ではありません。ここは話し合いで解決しようではありませんか」

 白々しく両手を拡げ、戦意が無いことを示すケイン。

 アイヴィスも、その姿に油断し、

「判ってもらえればそれで良いのです。私とあなたは争うべきではありません。今すぐ、躰に宿している『ケイン』を追い出し、その呪縛から解き放たれるのです」

 アイヴィスは目を閉じて『ケイン』を追い出す為の詠唱を始める。

「そんな訳ないだろ! 掛かったなアイヴィス!」

 そう云うと、アイヴィスの背後に『絶対障壁』が姿を現す。

 突然、退路を断たれたアイヴィスが苦悶の表情を浮かべる。

「これでおまえの退路は断った。そしてこれが躱しきれるか!」

 両手には黒い焔が握られていたが、やがてその姿がダガーに変化する。

 宝剣『イネヴィタブル』

 漆黒の焔『黒焔』を刃に変えたその宝剣は、刀身に実体が無い。

 それはすなわち如何なる物理的な干渉を受けないことを意味しており、プレートメイルは疎か、アンブレイカブルでさえ、その刃を受け止めることは不可能であった。

 嫉妬の焔に揺らめく刀身が、目にも止まらぬ速さでアイヴィスを襲う。

 既に退路を断たれているアイヴィスは、腰を落とし、つま先でケインの手首を蹴り上げる。イネヴィタブルの太刀筋が僅かに逸れ、アイヴィスの左肩を捉えた。プレートメイルが羊皮紙の様に切り裂かれる。

「流石は第三聖騎士。今の一撃を躱しますか。でも、何時まで躱しきることができますかね」

 狂気に満ちた表情を浮かべるケインは次々とイネヴィタブルで斬りつける。

 アイスダガーでの剣戟とは違い、アンブレイカブルで受けることもままならないイネヴィタブルの剣戟が、幾度となくアイヴィスの躰を捉える。

 何れの傷は致命傷には至っていなかったが、右脇腹と左大腿部からの出血は酷かった。

「その様子では、もう長くは持ちそうにありませんね。所詮、豊穣の天使は豊穣の天使。戦いごとには不向きなのです。私は嫉妬の天使。誰からも愛されるあなたを羨み、平和の象徴のイズガルドを羨み、嫉妬に狂う天使なのです! さあ、これが最後の一撃です。潔く、我が嫉妬の刃の犠牲となるのです」

 イネヴィタブルの刀身を象る焔の勢いが増し、ショートソードほどの長さに伸びる。

 躱すら不可能、絶対不可避の刀身を振りかざすケイン。

「天使降臨! フィーネよ、全ての力を我に与え、悪を滅せよ!」

 眩いばかりの黄金の光の渦に包まれるアイヴィス。

 光の渦はアンブレイカブルをも包み、アンブレイカブルが黄金の焔を纏う。

 そして、背中には黄金の翼が六枚、出現していた。

「ほう。『天使降臨』ですか。その姿を一体何時まで保っていられるか。しかし、勝負は次の一太刀で決まりです。我が『イネヴィタブル』は絶対不可避の剣。如何に『天使降臨』を以てしても回避することは適いません」

「それはどうかしら、ケイン。私の『アンブレイカブル』は折れることを知らない意思の剣。あなたの野望など木っ端微塵に打ち砕いてみせる!」

 イネヴィタブルを構え隙を窺うケイン。

 アンブレイカブルを上段に構え迎え撃つ姿勢をとるアイヴィス。

 二人の距離が次第に縮まってゆく。

 アイヴィスの右脇腹から血が滴り落ちる。

 次の瞬間。

 ケインが獣の咆哮にも似た声を上げ、アイヴィスに向かって突進する。

 そして、イネヴィタブルを振りかぶった瞬間に『ヒドゥン』を使い姿を消す。

 絶対不可視からの絶対不可避の剣戟。

 その二段技の前に、アイヴィスの動きが止まる。

 背後に廻ると思われたケインだったが、予想に反しアイヴィスの眼前で姿を顕す。

 ロングソードのアンブレイカブルを振り回すには不利な間合いに飛び込む事に成功したケインは勝利を確信する。

「もらったああ!」

 ケインは勝利の雄叫びと共にイネヴィタブルを真横に薙ぎ払う。

 イネヴィタブルの黒い焔の刃がアイヴィスの胴体を捉え両断した。

 しかし、それは光の粒子を纏ったアイヴィスの残像であった。

「ケイン、どこを見ているのかしら。私はここよ。そして天界であなたの悪事を詫びることね」

 何時の間にかケインの後に廻り込んでいたアイヴィスはケインを袈裟斬りにする。

 肩口からアンブレイカブルに斬りつけられたケインはその場で倒れ込む。

「安心して、命に別状はないわ。この天界の光で躰に宿る『ケイン』を浄化させていただいたわ」

 何処からともなく現れた黒衣の集団の一味が傷ついたケインを両脇に抱える。

「ノルガルドに戻ったら国王に告げるのよ。ケインの命はあなたに預けると。だけど、二度と同じ過ちは犯さない事ね。また同じ過ちを犯したら、次は国王、あなたを許しはしないと。はっきりと伝えるのよ」

 黒衣の集団は音も無く姿を消し、その場を去って行った。


「終わったわ。これで全てが終わった訳ではないけど、当面の危機は乗り越えられたわ」

 そう云いながらこちらを振り返るアイヴィス。

『天使降臨』の光は既に失われていたが、右手の手の平には、光が宿っている。

「これはフィーネからのあなたへの贈り物よ。イズガルドの危機を救ってくれたあなたへの感謝の気持ちらしいわ」

 右手には小さな小石が握られていた。

 何かしら?とエリシアも僕の手の平を覗き込む。

 見上げると、既にアイヴィスの姿がなかった。

 不思議に思った僕は左手の指で軽く小さな石に触れてみる。

 すると懐かしい声が脳裏に響く。

 瞳から涙が溢れる。

 兄、アルバートの声だった。

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