21
夏になるとお腹の脂肪をつかんでため息が出るもので、タプタプの肉に対して自己嫌悪に陥るものだ。本来なら夏が来る前にダイエットをしないといけないものなんだけど、夏が来た時に始めてダイエットしようと考える。
それでダイエットをしようとするが自分に合ったダイエット法が見つからず、テレビやネットで話題になっているダイエットにすがることになる。でも、そのダイエット法は根気のない自分に合うはずもなく、もういいや、と、諦めて、今年の夏も水着をにらめっこして、物置きへと片付けるのがオチである。
しかし、ホントはダイエットなんて簡単なものであり、誰でも痩せられるものだ。ガリガリとまでは言わないが、ふくよかさを保ちながら引き締まる所は引き締まる。同性から「やせたね」と尊敬の眼差しで見られて、異性から声を掛けられる自分になれる。要は根気の問題である。
ところが、ダイエットは自分が痩せられないと思い込むから変に遠回りしてしまう。その遠回りが直線的であればあるほど、変なダイエットに手を出してしまう。これから話す話もそんな変なダイエットに手を出してしまい、不可解な世界へと踏み入れた女性の話だ。
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その女性を仮に、ユリコとしよう。
ユリコは都会在住の大学生で実家近くのマンションで住んでいる女性だ。ユリコの通う大学は都立で有名な私立大学で、学部は理学部、学科は生物科を専攻している。
ユリコは何処にでもいるような普通のコで、あまりヒトと話さない女のコであった。ただ一つ、他の女のコと違うのはカノジョは数字が好きだった。
そんなユリコは同じ生物科にいる男性を好きになった。その男性を仮にアキラと呼ぼう。アキラは活発で、どんなヒトでも会話を交わす好青年であり、完璧な人間であった。
引っ込み思案なユリコにとって、彼の存在は大きなものだった。生物科の教授がコワモテなヒトであり、度々、アキラと一緒になって、教授と話した。もし、アキラがいなかったら、話すこともできず、単位を落としたのかもしれないと、思っていた。
ユリコはアキラの傍にいることで、だんだんと彼のことを意識していた。学食で一緒に食べると声を掛けられた時、ずっと、彼のくちびるを見ながら、食事を取る。箸を口元へと寄せる仕草を見ていると、アキラから「何見てるんだよ」と言われ、「いえ、何も」と応えることで精一杯だった。
ユリコはアキラと一緒にいる時間が増える度に、こう思うようになった。
――私と一緒にいて楽しいだろうか?
残念ながらユリコはアカ抜けない女性で化粧の仕方もろくにできず、服装もとても地味である。ファッション誌を見てもただ眺めるだけで、自分の服装に取り入れることもない。
そのせいか、自分に対してとても自信がなく、会話があまり続かない。同性の間からよく「ユリコって、こどもっぽくて、つまらないよね」と言われることも多々あり、そのせいか、孤独でいることが多かった。しかし、アキラがいたおかげでカノジョが一人でいることはなかった。彼がいたおかげで、さびしい大学生活もそれなりに楽しんでいた。
だが、時が経つにつれて、カノジョの意識が変わってきた。
――彼とつりあうにはどうすればいいのだろう……。
話し上手なアキラと違い、ユリコはただうなずくだけである。ユリコは、どうして、自分はこんなに内気で引っ込み思案なのか、と考えているとある一つの結論に辿りついた。それは、今の自分はふさわしい自分でない、という現実にいる自分を否定したと気づいたからであった。
ユリコが自分を否定していた理由は、他の女性よりも少しばかり太っていたことであった。カノジョの体重は56キログラム、カノジョの身長が156センチから考えて標準体重より4、5キログラム重く、理想体重より8キログラム規定オーバーだ。カノジョのことは世間ではぽっちゃり系と言われているが、ユリコにとって、ぽっちゃりはうっちゃりと同意義であり、自分の体重は相撲取りと同じぐらいの重さだと思い込んでいた。
――どうにかして、やせないと彼とつりあわない。
――完全な私になるために、ダイエットしないと。
ユリコは夏までに理想体重の48キロへと狙いを定め、ダイエットをすることになった。
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ここで、ダイエットの基本について話しておこう。
ダイエットとはお金と違い、すでに肉体に貯蓄してあるカロリー銀行からエネルギーを引き落とし、そのエネルギーを消費しなければならない。カロリー銀行から支払われたエネルギーを強制労働することで手放すことができる。もし、そのエネルギーを消費できなければ、またカロリー銀行へと戻る。それだけならまだいいが、カロリー銀行はたえず人間が摂取する食事からエネルギーを貯めようとするから、それが脂肪となって肉体へと保存して太るわけだ。
人間の脂肪は1グラムあたり9キロカロリーと言われていて、1キログラムとなると9000キロカロリー消費しないといけなくなる。その脂肪はラードのように白いカタマリであり、いざという時に使うエネルギーになっている。
人間の基礎代謝は女性で1200キロカロリー、男性だと1500キロカロリーであり、それに運動で消費したカロリーを加えて、一日分の消費カロリーが算出される。1時間のウォーキングだとどれくらいカロリーを消費することになるか。
ウォーキングの歩く早さを、『死のロングウォーク』から引用しよう。
『死のロングウォーク』とは、『ミスト』『キャリー』など有名なアメリカのホラー作家の巨匠、スティーブン・キングがリチャード・バックマンとして執筆した近未来サスペンス小説である。生き残るために歩き続けないといけず、その場で立ち止まったら国の人間から射殺されるストーリーだ。
その物語の中で歩かなければならない速度は最低でも時速4マイル、それ以下は歩いたとは言えない。この歩く早さをメートル計算で直すと時速6.8キロメートルで歩くことになる。その歩く早さで1時間歩いて、やっと、300キロカロリー、菓子パン1つ分の消費カロリーであり、わずか33.3グラムしか脂肪は減らない。
菓子パン一つをぱくりと食べるだけで、1時間も歩かなければならない。実に、怖い話だ。
ユリコの消費すべきカロリーについて計算してみよう。現在の体重から理想体重を差し引くと、8キロ痩せなければならない。この8キロを全部脂肪として考えると、カノジョが消費すべきカロリーは72000キロカロリーとなる。
現実的に考えて、途方もない数字である。単純に、ウォーキングをのべ240時間、歩かなければならない。それに加えて、1200キロカロリーという食事制限の壁も存在し、間食をしたり、お酒も飲んではいけないのだ。
ユリコは朝、昼、晩、食事をし、間食としてお菓子を食べる日々であった。ユリコにとって、食べることは生きることと同意義であった。それをやめるということはとてつもないストレスであった。
ユリコは生物科にいたこともあり、効率的なダイエットを模索していた。そこで、ユリコはカロリー計算をすることで、ダイエットスケジュールを立てることにした。しかし、細やかなカロリー計算をしたことで、高くそびえだつダイエットの壁に気づいてしまい、ユリコの精神は一瞬にして瓦解し、ダイエットをする意欲を失われてしまった。
しかしながら、ユリコは何としてでも痩せたい。それは理想的な自分になりたいという願望ではなく、アキラという男性とつりあう自分になるためのものであった。ユリコはダイエット方法を探すために、ネットで検索する。
――ダイエット、手軽、すぐに痩せる、脂肪、燃やす、コツなどなど、山のように検索ワードをかけるが、出てくるウェブページはどこかで見たようなダイエット法ばかりであった。もっと効率的なダイエット法があるはずだと思い、ユリコは血まなこになって、自分に合うダイエット法を探していた。しかしながら、そんなにうまく行くはずもなく、ユリコの中でだんだんと気持ちが陰り、もうダイエットしなくていいかなと思うようになった。
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ユリコが心身ともに疲れ果てたその時、奇妙なダイエット法が書かれたブログを発見した。
『ゴミ袋ダイエット』
――ゴミ袋でダイエットができる?
ユリコは違和感を覚えていたが、カノジョの思考力は低下していた。他のダイエット法を探すのも嫌になっていたこともあり、そのダイエット法で手を打つことにした。
『ゴミ袋ダイエットは誰でもできる手軽なダイエット法です。このダイエットをすることですぐにでも2.1がなくなり、メリハリのついたボディになることは間違いなしです』
誘惑的な甘言にユリコの興味が注がれる。2ではなく2.1という所がミソで、2.1とはおそらく2.1キログラムのことだろう。
ユリコは早い所、そのダイエットのやり方を知りたくて、ダイエット法のページヘとアクセスした。
『まず、黒いゴミ袋を用意してください。ゴミに出す透明なゴミ袋や青や黄色のゴミ袋ではなく、黒いゴミ袋にしてください。
黒いゴミ袋を手にしたら、深呼吸してください。肺の中にある空気をすべて入れ替えるぐらい、思いっきり、息を吸い込んでください。
次に、その肺にある空気を全て吐き出すように、ゴミ袋の中へと息を吹きかけてください。この時、自分の中にある空気をゴミ袋に出すようにしてください。肺の隅にある空気、血液にある酸素も、体内にある空気という空気を吐き出してください。加減が分からないで、“戻す”ヒトがいますので、黒いゴミ袋を用意してください。
すべてを吐き出した時、不意にクラッと来る時があります。それが来たら、そのまま、意識を預けてみてください。再び目を開ければ、ゴミ袋ダイエットは成功です。
このゴミ袋ダイエットのコツは、大きな肺を作り上げることにあります。基礎代謝を作るためには筋肉を作ることもそうですが、身体を動かす酸素を供給するために、大きな肺を作らなければなりません。その肺を作るには有酸素運動をしなければなりませんが、毎日、走る時間もなければ気力もありません。
そこで役に立つのがこのゴミ袋ダイエット、ギリギリまで空気を吸い込み、それを吐き出すことで大きな肺を作りあげます。大きな肺を作ることができれば、多くの酸素を血液に流し込むことができ、何もしなくても消費カロリーが増えるわけです』
ユリコはゴミ袋ダイエットのやり方を知ると、なるほどと納得した。
ロングブレスダイエットに似たダイエット法であるが、このゴミ袋ダイエットは大きな肺を作り上げる意識したダイエット法である。基礎代謝を作り変えれば運動しなくても消費カロリーが増える。
理論的には正しいなと思いながら、ユリコは注意書きのページを目にする。
『最後に、息を吐き出した後は、ゴミ袋の口には輪ゴムをくくりつけて、ゴミ袋の中身をけして開けないでください。その中身を開けてしまうと、ダイエットの効果が失います。空気を入れたゴミ袋は物置の奥にでも片付けてください。けして、そのゴミ袋をゴミとして出さないでください。これがゴミ袋ダイエットの秘訣です。部屋にゴミ袋が溜まるかもしれませんが我慢してください』
ユリコは、そこに書かれている文章が理解できずにいた。
――ゴミ袋の中身を開けないことがダイエットの効果を生み出す?
――二酸化炭素を多く吐き出したから、地球温暖化防止のために出すなということなの?
ユリコの中で疑問が湧き出す。
――書いてるどおりにしないとダイエットの効果がないんでしょう?
――なら、書いてるどおりのことをしないと。
ユリコの疑問はそこで停止し、ゴミ袋ダイエットをすることに決める。
脳裏にあった違和感より、肉に張り付いた脂肪を燃やすことを優先にするのであった。
ユリコは台所にあった黒いゴミ袋を手にする。
デジタル体重計で今の体重を測った所、56.491キログラムと無情な告知を示していた。
私の体重、キツイな、と、心の中で呟きながら、ブログで書かれていたとおりのダイエット法を実践していく。
思いっきり深呼吸し、肺の中へと空気を入れる。
横隔膜が下がり、肺の筋肉がしびれてくる。
これ以上、吸い込むことができないと思った瞬間、手にしていた黒いゴミ袋に、一気に息を吐き出す。
血液に循環していた不浄な空気を流し込み、平べったい黒いゴミ袋がだんだんと膨らんでいく。
肺に空気がなくなっても、まだ空気を出そうとする。
フラッと意識がかすむ。急な立ちくらみが来たような錯覚を受ける。
――これ以上やるとさすがに危ない。
黒いゴミ袋の口をゴムで閉め、近くのベッドの上に横になる。
ハァハァと息をするが、手足がケイレンする。
不意に目の前が真っ黒になり、意識はその黒に吸い込まれていく。
やり過ぎたなと思いながら、ユリコは瞼を閉じた。
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数分後、カノジョの意識は戻った。
手足がフラフラして、脳がズキズキと痛むが、立ち上がった。
カノジョが知りたかったのは今の体重、ホントに痩せたのか、確認したかった。
デジタル体重計の上に立ち、体重を調べる。
“56.470”
21グラム、たった21グラムしか痩せていない。しかも残念なことにその21グラムは脂肪ではなかった。
黒いゴミ袋の中にあるのは肺にあった空気とその空気に混じった水滴だけだ。脂肪など燃えていない。
質量保存の法則に従えば、体内にあった水分が蒸発して、それがゴミ袋の中に入ったといえる。
すなわち、消費した21グラムは21ミリリットル分、体内の水分が気化したと考えた方が良い。
水の気化熱は1ミリリットル分、およそ0.58カロリーに相当する。
21ミリリットル分、気化したのなら、およそ、12キロカロリー消費したことになる。
それがゴミ袋ダイエットで消費した現実的なカロリーと言える。
もっとも今のカノジョはそんな小難しいことを考えず、このダイエットはやめようと思った。
身体にかかる負荷を考えて、21グラムしかシェイプアップしない。
ゴミ袋ダイエットは手軽ではあるが、ダイエット後のキツさを考えれば手軽とはいえない。
カノジョは、このダイエットはやめようと思ったのか、黒いゴミ袋を手にすると、物置の中へと片付けた。
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それからカノジョは人が変わったかのように、ダイエットに力を入れた。
――目的の48キロまで行けば、私は完全な人間に慣れる。
ゴミ袋ダイエットを毎日するぐらいなら適度な運動と食事制限のダイエットをした方がマシだと自覚したのか、意欲的にダイエットを始めた。
炭水化物を抑え、過度にカロリーを取らない食事制限のダイエットを行った。
それに加え、夕方から3時間弱のウォーキングを続けた。
心ここにあらず、カノジョはただ痩せることのみ意識していた。
これを3ヶ月続け、5キロシェイクアップに成功し、標準体重に届いた。
――完全になる。これで完全になれる。
後は、理想体重の48キログラムまであと3キログラム、カノジョの成果が実るのはもう少しだった。
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そんなダイエットの日々を続けていたある日のことだ。
カノジョが生物科の講座を受けていた時、生物科の教授がこんな話をした。
「ポール・ワイスという人物の話を知っているだろうか? 彼は神経生物学の権威であり、他の組織に細胞を移植した時、その細胞がその組織に合うように自律的に変化することを唱えた。これはイモリの足を切断して足が完全に復元できることを発見したから始まった。彼はイモリやカエルを研究実験に使い、そこから神経接合の再形成を考察していた。現在、iPS細胞や幹細胞など、自分と同じ細胞を作リ出せる万能細胞の研究について色々と騒がれているが、彼がいたことでこの細胞培養の研究は進んできたと言えるわけだ。――さて、ワイスは、神経生物学以外にもこんな思考実験を提唱したことで有名だ」
教授は黒板に“ひよこミキサー”と言う文字を書き上げた。
「ワイスは発生過程のニワトリの胎児、ひよこを管に入れて完全にホモジナイズすると、バラバラに破砕されたニワトリ胎児由来の液体が得られるが、ホモジナイズの前後で一体何が失われたのかという思考実験を唱えた。ホモジナイズというのは、組織をすべてすり潰した状態にすることをさす。つまり、ワイスが言うのは、ひよこをすべてすり潰したら、何が残るのかという疑問を唱えたわけだ」
学生達はひよこミキサーという倫理的ではない実験に驚く。
「あくまでこれは思考実験な。本気にするんじゃないぞ」
教授はハハハと笑い、学生達に不安を払いのけた。
「この思考実験の論点っていうのは、すりつぶした前後では物質的には“何も失われていないこと”を意味している。ワイスはこれを、ホモジナイズにより失われたものは生物学的組織、と、定義している。それと、生物学的組織が失われたことにより生物学的機能も失われていることから、この両者は生物において不可分とも言っている。このことから、ポール・ワイスの思考実験は、細胞生物学における還元主義の限界と示している。そりゃ、ひよこがめちゃくちゃにすり潰されたのだから、元に戻るはずがないからな。しかし、この思考実験には見落としている点が存在している。それが何処かわかるか?」
教授の質問に、誰も答えられない。
「おい、アキラ。わかるか?」
アキラは首をひねりながら、思ったことを口にする。
「真空状態ですか? この実験。あと、刃についた細胞は重さに入りますか?」
「確かにそれは言えるな。だがな、もっと根本的なモノ、人間、いや生物として疑問を持たないといけないものだ」
「魂とかそういうのでしょうか?」
アキラは半笑いで応える。
「そうだ。魂は何処に行ったのか? この思考実験はそれが見落とされているのだ」
学生達は教授の疑問に違和感を覚えた。
生物科の教授はシニカルでオカルトめいた話などをしないものだと思っていた。しかし、彼の教授は魂という存在を口にしたのだ。
「魂について話をしておこう。ダンカン・マクドゥーガルは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の医師で、人間が死ぬ時の体重の変化を記録し、魂の重量を計測した人物だ。彼は、人間が死ぬ間際に、呼気に含まれる水分や汗の蒸発とは異なる何らかの重量を失うが、犬ではそういった重量の損失が起こらなかったと、レポートを残した。しかし、この実験結果は測定がずさんで、科学的に認められていない。死の定義をどうしたか? という測定の基準もあやふやだ。しかし、彼は魂の質量を見つけた。この質量は1人目の患者から測ったものだ。この魂、体組織の何処から抜け出るかイメージできるか?」
学生達は沈黙する。
教授は黙りこんでいる学生達の様子に呆れつつも、講座を進める。
「もし、倫理的に許されるのならば、人間もひよこミキサーと同じことをしたら、人間からはいったい何が失われるのか? すりつぶした細胞の残骸の末に残されるものは何か? 重さでもいい。何が失われた測定できれば、魂という存在を証明することが可能かもしれない。もし、何も変わらないのであれば、ヒトには魂がないことも証明できる。これも大きな発見だ。なぜなら、人間が死んだら無へと戻ることを証明できるのだからな」
教授の言葉に、学生達は付いていけない。
「おっと、少し脱線しすぎた。私が話したかったのは還元主義の話で、触媒さえあれば元に戻る可能性があるかどうかを話したかった。人間の場合、すり潰された上で元に戻っても、果たして、それが元の人間であるかどうか不明だ。元に戻っても魂の分だけ痩せているのかもしれない。ダンカンが測った“21グラム”という魂の重さが、肉体から抜け落ちている可能性があるのだ」
カノジョにとって教授の言った21グラムという言葉はとても刺激的だった。なぜなら、それはカノジョがゴミ袋ダイエットした分、失われた質量だったからだ。
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カノジョは大学を早退し、大急ぎで家へと戻る。
駅で電車を待つ中、カノジョの中で思考を動かしていく。
――黒いゴミ袋にあった21グラムはいったい何?
デジタル体重計で測った時、ゴミ袋を持っていなかった。
したがって、あの黒いゴミ袋は21グラム何か入っていることになる。
――もしかすると、あのゴミ袋には私の魂が?
そんなことを思い返すが、ハハハと乾いた笑い声を放つ。
――そんなはずないって。たまたま、21グラム。誤差って範囲でしょう?
自分の言い聞かせながら、カノジョは電車が来る時刻表を確認する。
『11:21』
――21だ。21と目とあった。
カノジョは頭にあったモノを振り払うように、ケータイを取り出す。
『21通のメールが届いています』
――これもたまたまだ。21と数字がつきまとっている。
カノジョは21という数字を消すように、未開封のメールを開けていく。
『21日、出かけない? ちょっと服買いたいから』
『夏休み、旅行に行こうよ! 21000円コースでいいとこあるんだけど』
『今度、高校生の同窓会やるから来てよ! 2年1組のメンバーでやるから』
21、21、21。
21という数字が目につく。
――そういえば、最近、21という数字ばかり目にする。
レシートの端数に21という数字が目立っていたことを思い出す。
昨日寝た時間は午後9時、二十四時間換算すれば、21時に寝たことになる。
いや、21という数字を意識しているから自然と21が入ってくるだけだ。
21など普通の数字にすぎない。
悪魔の数字は666、呪われた数字は13だ。
21なんてよくある数字だ。素数の3と7を掛けあわした数字に過ぎない。
いや、3は神の数字であり、7はラッキー7と言われるぐらい縁起のいい数字だ。
プラスプラスの数字を掛けたのだから21は最高の数字だ。
だから、21はけして悪い数字ではない。悪い数字なのではない。
そんなことを言い聞かすが、今、目に入る数字はすべて21に見てくる。
まるで、21がカノジョに取り付くように、21が合図する。
――21、21、21!
カノジョは21という数字を見ないようにまばたきを多くしながら、ホームに来た電車の中へと入っていた。
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自宅に帰ってきたカノジョはシャワーを浴びることもなく、黒いゴミ袋を探す。
部屋の中がとても寒い。クーラーを付けっぱなしにしていたことに気づき、クーラーのリモコンを手にする。
“ 室温21度 ”
21、という数字に驚き、カノジョはリモコンを手放した。
ガァーガァーとクーラーが駆動音を立てる。
カノジョは当初の目的を思い出すと、動き出した。
とても寒い部屋の中でカノジョはクーラーを切ることなく、黒いゴミ袋を捜索した。
自室、リビング、台所、トイレ、バスルームなど探し回ったが、黒いゴミ袋が見つからない。
――そういえば、物置きに隠していたっけ?
カノジョは物置きに黒いゴミ袋があることを思い出すと、物置きの中を調べる。
黒いゴミ袋はカノジョを待つように、ちょこんと置いてあった。
カノジョはその袋を見ると一安心したが、ほんの少し膨らんでいたことに気づくと、汗をかいた。
黒いゴミ袋は中途半端に膨張し、何か中で蠢いている。
まるで、間違って猫が入ってきたようだ。
カノジョはちょこっと触ってみると、そちらに膨らんで返事する。
空気いっぱいに膨らませたナイロン袋のような感触がし、中に入っているのは意識のある気体だとわかる。
カノジョは物置きを閉める。
しかし、物置きからガサガサと音を立てる。
無人島で取り残された漂流者のごとく、ゴミ袋の中からSOSのサインを出しているみたいだ。
背筋が震え、腰が引ける。
ベッドに入り、ふとんにくるみ、じっと物置きを眺める。
すると、物置きの中から音が立つ。
今度はガサガサと虫が這いよるような音ではなく、ゴソゴソとヒトが家探しをしているような音だ。
「誰なの!!」
ふとんの中に隠れていたカノジョは逆上するように、声を荒らげた。
「そこにいるのは!! 誰なの!!」
「――ユリコよ」
冷たい声が聞こえてくる。
自分に似た声を持つ存在が物置きの中にいる。
「ワタシこそユリコよ! あなたこそ誰なの!」
「それは私の言葉よ。私の声に似たあなたこそ誰なの?」
首スジに溢れかえる汗をぬぐながら、ユリコと名乗るモノと会話する。
「あなたはどうしてここにいるの?」
「気づいた時に袋の中にいた。袋の中から出ていこうとしても、何かが邪魔して出て行くことができない」
黒いゴミ袋を輪ゴムで閉じていたことを思い出す。
「普通の大学生だったはずなのに、こんな暗い場所に居て、ずっとずっと1人ぼっち。なんでこんなことになったのかわからない」
「それは――」
カノジョはうまく説明できない。
ゴミ袋ダイエットで、魂がゴミ袋の中へと入ったなんて言っても納得してくれるだろうか。
仮にそうだとしても、この身体を動かしているのは――、
――誰がワタシを動かしているのだろうか。
不意にめまいを覚える。
――21グラムの質量が、ワタシの中にあるのか?
――それとも、21グラムの質量はただの見間違いなのか。
後者を考えれば、自分は自分で在り続けることができる。つまらない勘違いで話は終わる。
だが、輪ゴムで閉じた黒いゴミ袋の中にあるモノはどう説明すべきであるか。
黒いゴミ袋の21グラムはいったい何のか?
「開けてよ、早く開けてよ。光が見たい。光が見たい!」
黒いゴミ袋はだだっこのようにわがままをいう。
カノジョはわがままいうこの黒いゴミ袋を自分から遠ざけたかった。
「わかった」
ユリコと名乗るモノの言葉を受け入れたのか、カノジョはそう言った。
「ホント?」
「だから、少し黙ってくれない?」
「わかった」
ユリコと名乗るモノは素直に応え、物置きからの声はなくなった。
カノジョはそのゴミ袋を持つ。ほんの少しだけ重さを感じつつ、外へと出て行く。
自宅近くにあるゴミ捨て場へとつくと、手にしていたゴミをポイっと捨てた。
ゴメンね、と心の中で言うと、カノジョは自宅へと帰っていた。
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自宅へ戻ると、シャワーを浴びて、汚れを洗い流す。
「だいじょうぶ、これでだいじょうぶ」
カノジョは何度もそう呟き、黒いゴミ袋を忘れようとした。
シャワーを浴びるのを終えると、自分の体重を測る。
“50.984”
脂肪質だった身体が筋肉質へと変わる時期、痩せようとしても痩せられないもどかしい時だ。
――もう少し食事を減らそうかな。
そんなことを思いながら、カノジョは自炊を始めるのであった。
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翌日、黒いゴミ袋は何処に行ったのか、ゴミ捨て場から消えていた。
――昨日のあれは一体何だったのか? ただの幻だったのだろうか。
ずっと、ゴミ捨て場を見ていると、ポンと肩を叩かれる。
「あなた、昨日、ゴミ捨ててなかった? ネコが餌だと思って困るんだけど!!」
知らないおばさんがカノジョに声をかける。
「知りません! 知りません!」
カノジョは大声を張り裂けながら、ゴミ捨て場から逃げていった。
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黒いゴミ袋を捨てたカノジョは変わらない毎日を過ごしていた。
いつものように大学に出て、いつものようにバイトに出る。
特にかわり映えしないの日常を過ごしていた。
しかし、そのかわり映えのない日常で変わるべきものが変わっていなかった。
それはカノジョの体重であった。
運動をウォーキングからジョギングへと変え、食事制限をしているにも関わらず、体重は減っていなかったのだ。
“50.984”
デジタル体重計は壊れたのか、それ以降、体重が減らない。
おかしいと思い、新しい体重計にしたが、それでも体重は据え置きのままだった。
自分の身体を見ると、骨が出っ張っているぐらい痩せており、はたから見てもこれ以上のダイエットは危険と赤信号が鳴っていた。
ところが、カノジョはまだ完全に痩せていないと思い、つらい食事制限を更に厳しくした。朝は食物繊維豊富なシリアル、昼はりんご1つ、晩は鳥のささ身2切れという過酷な食事制限を行った。
もはや、カノジョの中で何のためにダイエットをしているのかわからなくなり、ただ、カロリー銀行から借り入れている数字を減らすことしか頭になかった。
ダイエットをしている間も21という数字が、カノジョに付きまとった。
ある時は時刻に隠れ、ある時はお金に隠れ、数字があれば必ず“21”という数字が存在していた。
――21、21、もういや……
精神的なストレスを覚え、肉体的な疲労がのしかかる。
そんな無理がたたってか、カノジョは倒れてしまった。
>>>
カノジョが意識を取り戻した時、病院のベッドにいることに気づいた。
カノジョが倒れた理由は過度なダイエットによる栄養失調であった。
カノジョが話をすることができるぐらい回復すると、医者に、なぜ過度なダイエットをすることになったのか、その理由について話すことになった。
「ワタシの体重が急に減らなくなったのでそれで」
「そうですか。身体が脂肪から筋肉へと変わっていたからでしょう」
「いえ、それでも、体重は変わらなくて」
「変わっていましたよ」
「え?」
「ほら、見てください」
医者からカルテを渡される。そこにあったカノジョ体重は――。
“30.348”
今のカノジョの体重は小学4年生と同じくらいの体重しかなかったのだ。
「どうして……どうして!!」
「あなたは自分の身体を見ていないのですか? カラダはろっ骨が前に出てきて、うっすらと肉が浮かび上がっている状態になっていますよ」
「でも、ワタシの体重は51キロから変わらなくて!!」
「21キロも減ったんですよ」
またしても21という数字を耳にし、気が狂いそうになる。
「そういえば、21といえばブラックジャックですね。ディーラーから配られたトランプで21を作り出すカジノのゲームですよ。21という数字を作るために、色々と頭を使わないといけません。20でも22でもない。21でなければ、勝負には勝てません」
「誰もブラックジャックの説明を聞いていませんよ」
「ブラックジャックといえば、やっぱりマンガの方を思い出しますか。私も手塚治虫先生のブラックジャックに憧れて、この世界に入ってきたんですが、いやはや、憧れと現実は違うものですね」
「いやいや、そうじゃなくて!」
「それと、21はヒトの魂の重さでもありますよね」
カノジョは声が乏しくなり、言葉が出なくなる。
「こんな話、知っていますか? ヒトは魂がなくなると、悪霊や怨霊がその肉体の中へと入ろうとします。支配者がいなくなった肉体の所有主になりかわろうとして、多くの霊がよりつきます」
カノジョはくちびるをぬらし、ゴクリと喉を鳴らす。
「もし、そういう霊にも重さがあるのなら、あなたのカラダは1000体以上の幽霊が居たのかもしれませんね」
かすかに両肩が震え出す。何とも言えない痛痒感に蝕まれる。
「でも、だいじょうぶですよ。病は気からという一環でこの病院はおはらいしていますから。だから、安心して、今は休んでください」
医者はハハハと笑い、病室から後にする。彼はカノジョの精神の病を悪霊のせいにすることで心の中にあった病理を払い出そうとし、こんなことを話したのであった。
>>>
一ヶ月後、カノジョは病院を退院した。
体重は38.495キロであったが、それでも社会生活するには問題ない程度には回復した。
元気になったカノジョは家に戻る前に、自宅近くのゴミ捨て場へとやってきた。
自分の捨てた黒いゴミ袋を探すために、ココへと来たのだ。
――肉体の中に魂がないから、また、変なのが取り付くかもしれない。
迷信とは思いながらも自分の中から何かが抜け落ちたと考えていたのであった。
ゴミ捨て場の周辺を見回る。
しかし、その黒いゴミ袋は何処にもなく、捜索は難航した。
はぁとため息を出していると、女性の声が聞こえた。
「また、ゴミを出す気なのかい?」
その声は、黒いゴミ袋を捨てた翌日、ゴミ捨て場にいたおばさんのものだった。
「いえ、そんなこと」
「あんたの出したゴミは預かっているから取りに来なよ」
おばさんはカノジョの腕を捕まえると、おばさんの家まで連れて行った。
おばさんの家につくと、おばさんはカノジョに黒いカノジョに見せる。
それはカノジョが探していた黒いゴミ袋だった。
「黒いゴミ袋は禁止なんだよ。透明のゴミ袋で捨てな」
「重くありませんか?」
「重くないよ。変なの入っているのかい?」
「いえ、そんなことありません」
カノジョは黒いゴミ袋を受け取ろうとするが、おばさんはゴミ袋を遠ざける
「怪しいね。開けていいかい?」
「え?」
「何もないんでしょう? だったら別にいいでしょう?」
「いえ、その中にはワタシの……」
「ワタシの、何?」
「あの、その――」
「やっぱり、開けてみるよ」
おばさんはゴミ袋を覗き込むように開ける。
「おばさん!!」
カノジョは大声を出すが、もう遅い。
ゴミ袋はすでに開けられてしまった。
「――なんてね。何も入ってないよ」
おばさんはニヤニヤと笑いながら、カノジョに黒いゴミ袋の中身を見せる。
「中に何か入っているかどうかを確認するのがアタシの仕事だよ。何か入っていたら、アンタを問い詰めてやったけど、中に何も入っていなかったから牙が抜かれた」
おばさんはカノジョから一本を取ったかのようにしてやったりのカオをした。
「今度からこういうのはやめるんだよ」
おばさんはそういうと自宅の中へと戻る。
「ホントに何もなかったのでしょうか?」
カノジョの声におばさんは――、
「何もないよ」
と、答えた。
>>>
カノジョは黒いゴミ袋を持って、自宅であるマンションへと戻っていく。
――どうして、中身がなかったのだろうか?
黒いゴミ黒の中身を確認しながらそんなことを思う。
――そうか、ダイエットのやり過ぎでハイになっていただけか。
カノジョはそう自己分析をし、マンションへと入った。
エレベーターに乗り込むと、自宅のある階へとボタンを押す。
すると、エレベーターのドアは静かに閉じられた。
エレベーターが自宅のある階へと上がる間、カノジョは黒いゴミ黒を触る。
ちょっとしたスキマ時間を、物を触ることで解消していた。
指でポリエステル繊維をなぞる中、その繊維が途切れていることに気づく。
その繊維に裂け目ができ、穴ができてきた。
――え?
ゴミ袋に穴があったことに気づき、困惑する。
――ゴミ袋は開いていた?
裂け目を確認する。
そこには爪のようなもので切られた痕があった。
おばさんに会った時の言葉を思い出す。
『あなた、昨日、ゴミ捨ててなかった? ネコが餌だと思って困るんだけど!!』
記憶と恐怖が一本の道筋として連なる。
――まさか、ネコがこのゴミ袋を開けたんじゃ……。
急激に体温が下がると、エレベーターのドアが開いた。
後、数十歩、歩けば自宅だ。
しかし、カノジョは歩くことができない。
一歩出すことが怖い。
そのまま、エレベーターにいると、急にエレベーターが閉まる。
カノジョは急いで、『開』のボタンを押して、エレベーターから脱出する。
別段、エレベーターに喰われるわけでもないのに、なぜかエレベーターから急いで出て行きたかった。
マンションでひとりぼっちで佇む訳にも行かず、自分の自宅へと帰っていく。
力なく歩くと、ドアとぶつかる。
そこを開ければ、自分の部屋だ。
カノジョはエレベーターから自宅まで21歩、歩いていた。
しかし、カノジョはそれに気づかず、カバンから鍵を取り出していた。
鍵穴に鍵を入れる。
軽くひねる。カチャと音が鳴る。
なんてことないいつもの動作だ。おかしなことは何もないのだ。
ドアノブをひねり、自宅の中を確認する。
廊下は暗く、中の様子が見えない。
すばやく蛍光灯のスイッチを入れ、廊下を明るくする。
「ただいま……」
わずかに動いたくちびるがかすかな声を発する。
自分が家へと帰ってきたことを確認するような呼びかけだった。
廊下を歩く。
つま先から床が軋む音が伝わる気がする。
廊下をそっとそっと歩き、自室へと向かう。
自室につくと左右を見渡す。
見慣れた風景、何もおかしいところはない。
身体から呼気を吐き出し、ベッドの上へと横になる。
――気にし過ぎだよ。
ハハハと力抜く笑って、天井を見た。
――何のためにダイエットしたんだっけ? ホントバカみたい。
――アキラさんからもっと大人のヒトと付き合いたいと言われてフラレて、ワタシはそれを認めなくなくて、ダイエットに打ち込んでいた。
――時間をムダにした。ホント、ムダにしたよ。
カノジョは笑うのをやめると、両手を上げた。
「明日っからガンバるぞ!!」
自分自身に激励し、気合を入れなおした。
「帰ったの?」
カノジョは振り向く。物置きへと視線を置く。
「あなたでしょう。ユリコ。あなたでしょう」
カノジョは反射的に物置きのドアに触れた。
――黒いゴミ袋は穴が開いていた。
――じゃあ、元の場所に戻ったの?
――それなら、どうして、ワタシがこの部屋にいた間は何の反応がなかったの!?
部屋の隅に逃げると、ぶるぶると震え出した。
「あなたが私をゴミとして出してから、ネコが私を見つけたの。ネコは私を見つけると、私を飲み込んだの」
カオを枕で隠し、視線を合わせないようにする。
「ネコの命は9つあるって言われているけど、魂はどうするのか考えたことないかしら。それはね、ネコが魂を狩っていることがわかったの。ネコが自由気ままなのは自分の代わりになる魂があるから、その魂を死神と取引することで長生きするの。ネコが好奇心旺盛なこどもを誘うのは、彼らの魂が欲しいからなの。それで、私もそんなネコに狩られて、ネコの中に閉じ込められた。けど、運が良かったのか悪かったのか、そのネコね、車に轢かれたの。そのとき、私はネコの身体から出て行くことができて、物置きの中へと戻ることができたの」
ハァハァと過呼吸となりながらも言葉を発する。
「アナタはワタシなの? ワタシなの!?」
物置きへと言葉をぶつける。
物置きにいるモノはしばらく沈黙し、カノジョからの言葉がないことを知ると声を出した。
「ねえ、あなた」
物置きにいるモノは呆れるように言いあげた。
「そうやって、私になりきるのやめたら?」
カノジョは人形のように止まった。
「あなたは誰なの? 誰が私を動かしているの?」
「ワタシはワタシよ」
「ウソはやめてよ。私の中にあった記憶通りに動いてるのが私のはずがないわ」
「いいえ、ワタシよ! アナタなんて21グラムの質量に過ぎない!」
「21。21か」
物置きから笑い声が溢れる。
あたかもそれはカノジョに向けて嘲笑しているようであった。
「アナタを捨ててから、ワタシはずっと21に付きまとわれている。もういやなの! わけもわからない数字に追いかけられて、ノイローゼになりそう!!」
「違うわ。21に付きまとわれているんじゃなくて、あなたの身体が21を求めているんじゃなくて?」
「ワタシが21を求めてる?」
「21って数字の意味、知っている?」
物置きからの問いかけに、カノジョはただただ黙る。
「21の数字はね、タロットで“世界”を意味して“完全”を意味するの。私の肉体は私を失ったことで、不完全になって、私の代わりになる存在を求めていた。あなたは私の代わりを努めようとしたけど、私の肉体はあなたを否定した」
「ワタシは否定されていない!」
「私の言う世界は私自身のことをさすの。あなたから私が消失したことで、私は不完全になったの」
「そもそも人間は不完全な生き物なんだから、そんな理屈は通用しない」
「私はそういう意味で言った訳じゃないの。私から魂が欠けたことで、不完全になった私の身体は私の代わりになるものを求めていたの」
「私の代わりになるもの?」
「あなたは知らない間に重たくなっていたでしょう? それはね、あなたがあらゆる魂を引き寄せる体質になっていたからなの」
「体質?」
「人間って自分に必要と思ったものを追い求める性質を持っている。水、食べ物と言った生理的欲求のものから、友だち、家族と言った社会的欲求ものもそうよ。その欲求にある本質というのは自分に対する絶対的な安心感、つまり、自分は自分であるという認識よ」
「どういうことよ、それ」
「今、あなたが奪っている私の身体は、あなたのことを認めていない。だから、ホントの私を求めるために、私の身体は悪霊、生霊、ありとあられる魂を吸い寄せて、私を取り戻そうとした」
「別に、ワタシは魂なんて求めていない」
「さっき、私は、あなたの身体は21を求めていると言ったわよね」
「……まさか」
「そう、私の肉体は魂の質量である21グラムの質量を探していた。私の肉体は21という数字にこだわって、21という数字を取り込んでいた。それはすべて、私という魂を取り戻そうとしたからよ」
――21が目にするようになったのは、“完全”じゃなかったから。
――21という成分がなかったから、21を取り込もうとして、21を探していた。
「あなた、私の身体に憑依してから自分は不完全だと思っていない? 不完全だと思って、完全な自分になろうとしてダイエットとかしていない?」
カノジョはその質問に答えられない。
「幽霊が別の人間に乗り移った後どうするか考えたことがあった。私の場合、親しい人間とコンタクトを取って、乗り移ったヒトの人間性を知ろうとするかな。それでそのヒトを知ることができて、そのヒトの代わりとして生きていくことができる。でも、あなたはユリコが完璧な人間になれば、それでユリコになると考えたと思う。私の中にあったコンプレックスをなくせば、ユリコは誰でも受け入れられると思ったのかな」
「落ち着いて分析してるわね」
「一度、自分から離れたら、落ち着いて自分を見ることができた。背後霊にでもなった気分かな」
「そんなこと、どうでもいいわよ……」
「――人間、自分が不完全だと気づくと、それを隠すことに懸命になる。それと同時に、それを補うことも考えだす。私の身体は私の魂を補うために、私と関係ない魂を求め出したのは、そういうのが無意識に働いたから。21という数字にまで手を伸ばしてまで、私を取り戻そうとした」
「ワタシはそこまで21という数字にこだわっていないわ」
「21は完全の数字、21がなければヒトとして認めてくれない。――完全じゃないから。私の身体は21グラムという質量が消えたから、知らず知らずのうちに私の魂の質量である21グラムを求めるようになったの」
物置きからの声が止み、カノジョからの返答を待つ。
すると、カノジョは力なく笑った。
「どうも、アナタの脳は理屈と数字でできていて疲れる。どんなものでも数字と絡めたがるこの頭が嫌い。ワタシ、そういうの苦手なのに」
ハハハと笑って、素面に戻る。
「数字って嫌い。1、2、と数えるの嫌い。どうして、1から始まるの。なんで次は2なの? 別に、3から4から始めてもいいでしょう? なのに、1を数えないといけないの。次は、2を数えることになるのどうして?」
物置きからの声はカノジョの質問に答えない。相手にしてないようだ。
「21グラムがないから21グラムを求めている? 21グラムなければ、それだけ痩せたことってことなのに。でも、21グラムがないから、21グラムを求める。そんなはずないでしょう? 21グラムなんて全部同じ。取るに取らない、無意味な数字なのに!」
「数字は同じじゃない。自立しているわ」
「どうでもいいわよ。21を求める身体なんて嫌い。21なんていらない!」
ユリコの肉体から気体のようなものが抜け出る。
「自分のカラダから魂が抜けて、冷静に自分を分析してるあなたが怖い! こんな身体、返すわ!!」
気体のようなものは捨て台詞を吐き捨てるように、ユリコの部屋からベランダへと出て行く。
空にまどろむように、風にまぎれるように、気体はカタチを失い、大気の中へと消えた。
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それからユリコの間でおかしな出来事が起こることはなくなった。
21という数字を目にすることもなくなった。
あれは何だったのだろうか? 空に消えた気体のようなものは。
少なくともアレは数字が嫌いだったというのはユリコの中で結論付けた事実であった。
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ユリコは来年、大学4年生となって就活をするために、その費用を稼ぐために、カフェでバイトをする毎日を送っている。
無理なことをせず、自分の出来る範囲で努力する。
それがユリコの掲げた自分自身の目標だった。
ある日、バイト先でクラッカーが鳴った。
「ハッピーバースデー」
ユリコの誕生日会がバイト先で開かれた。
「誕生日、おめでとう」
バイトの仲間から拍手が送られる。
「何歳になったの?」
「21」
ユリコははにかみながら応える。
「世界の成人年齢と同じ歳よ」
数字で物事を分析し、ヒトの魂までも客観的に捉えていく数的ホラー。
21をよく見るようになった時は、あなたの身体がホントの自分の魂を求めている時かもしれません。