バンカーヒルの戦い
一七七五年五月二十五日、僕はレキシントン・コンコードからそのままボストン包囲に参加し、ボストンの動向を監視していた。ところが、この日は包囲網が破られるかもしれないと思った。
イギリス本土から援軍の船がやってきたのである。その数、一一〇〇人。
さらに、将軍級の高官が三人も駆け付けているらしいのだ。
その後、六月に入ると一〇〇〇人以上もの援軍が追加で駆けつけた。
「これでは、包囲を破られるのは時間の問題か……」
「おいおい、こんなところで怖気づくなよ」
「そうじゃない。『十なればすなわちこれを囲み、五なればすなわちこれを攻め、倍すればすなわちこれを分かち、敵すればすなわちこれと戦い、少なければすなわちこれを逃れ、しからざればすなわちこれを引く』。この言葉は、自分と敵の兵力を見比べ、どのような戦法が可能かを示した言葉だ。
意訳すると、『敵の兵力の十倍あったら包囲し、五倍なら攻め、二倍なら分断し、互角なら努力して戦い、少なければ逃げる。勝ち目がなければ戦うな』ということだ」
しかし、デイモンは納得がいかない様子だった。
「勝ち目がないなら逃げる? 冗談じゃない。誰が背中なんて見せるもんか」
「前にも言っただろ? 戦争は人命がかかっているんだ。ムキになって戦おうとしたら、それこそ全滅の危険がある。それに、逃げることは臆病者のすることじゃない。逃げる意味とは、最終的な勝利への布石となる行為だ。……まあ、今回の論点はそこじゃない。言いたい事は最初の、『十なれば~』の部分だ」
「ああ、包囲には敵の十倍の戦力が必要なんだろ? 言われてみれば、こっちの兵力が少ないように感じるな……」
「そうだ。それに、長期戦もあまりよろしくない。孫子も、戦争はとにかく金がかかると言っているし、それゆえに短期決戦の重要性も説いている。このことは、今の僕達にかなり当てはまるはずだぞ」
「そうだな。こんな民兵の集まりじゃあ、物資もいつ切れるかわかったもんじゃねぇ」
「そこでだ、この包囲線を終結させるためのプランは、すでに用意してある」
僕は、ボストンとその周辺が書かれた地図を広げた。
「ボストン周辺には、孫子が示した九つの地域の一つ、『争地』がある。つまり、手に入れられれば有利になる場所だ」
「その場所とは……?」
「それは、ここだ」
僕は、地図の二か所を指し示しながら言った。
「ボストン南方のドーチェスター高地と、北方のチャールズタウン。ここはボストンを見渡せる場所だ。しかも、大砲を置けば、ボストン市街はほぼ全域が射程内に入る。ここまで言えば、わかるよな?」
「ああ、よくわかる」
ボストンの市街地が射程圏内に入れば、イギリス軍はのど元にナイフを突き付けられたも同然の状態になる。そうすれば、すぐに降伏するだろう。
孫子も、最高の勝ち方は戦わずに降伏させることにある、と説いている。その最高の勝ち方をするためにも、ドーチェスターとチャールズタウンは何としても押さえておきたい。
問題は、まだ我々が大砲を手に入れていないことだが、敵もその二つの地の重要性は理解しているはずだ。占拠するだけで十分なプレッシャーになるだろう。
「さて、敵もバカではない。必ず狙ってくるだろう。我々も、敵に占拠されないうちに手に入れる」
「で、どっちに向かう?」
「チャールズタウンのバンカーヒルに向かう。もちろん、敵に気づかれないよう、夜陰に紛れてな」
六月十六日、バンカーヒルに到着すると、まだイギリス軍の占領は受けていないようだったので、そのまま布陣した。
その後、地図をよく調べていると、バンカーヒル前方にあるブリーズヒルの方がよりプレッシャーを与えられると判断。日没と同時に、陣地の移動を命じた。
移動は成功した。ついでに、軽い塹壕をブリーズヒル全域に作ることができた。
ところが、明け方四時頃、砲音が聞こえた。どうやら、気付かれたらしい。
「おい、ビル! こっちに向かって大砲を撃ってきたぞ」
「あわてるな、デイモン。敵は気づいてはいるが、砲弾はここまで届かないようだ。それに、気づいてもらわなければ、プレッシャーはかけられないだろう?」
しばらくすると、敵も砲撃は意味がないと悟ったのか、砲音がやんだ。
だが、ここはイギリス側にとっても押さえておきたい場所。次の手は必ず打ってくる。
そのため、僕は全員に命じた。
「全軍、戦闘準備! いつでもイギリス軍を迎え撃てるよう、準備をしておけ!」
六月十七日午後三時、チャールズタウンの東側に、大量の人が乗った船を発見した。
望遠鏡で確認すると、ウィリアム・ハウ少将らイギリス兵だった。どうやら、ブリーズヒルの奪還を企てているらしい。
そのことに気付いたデイモンが、僕に作戦を求めてきた。
「イギリス兵が迫っているようだ。どうする?」
「大丈夫だ。こちらはブリーズヒルを降りなければ、負けることはない。十分に敵を引きつけてから一斉射撃するよう、全員に伝えてくれ」
「フハハハハハハ! いいだろう、軍師よ。今一度、お前に騙されてやる」
デイモンも、スイッチが入ったようだ。
しばらくすると、イギリス兵がこちらに向かって攻めてきた。
僕は十分に敵が近付いてきたところで、こう叫ぶ。
「全軍、撃て!」
放たれる多数の銃弾。それによって倒れるイギリス兵。作戦は成功だった。
それも当然のことだった。孫子の兵法によれば、戦闘に関して八つのタブーが提示されている。レキシントン・コンコードで言った『窮寇には迫ることなかれ』もその一つだ。
今回の場合、『高陵には向かうことなかれ』。要は、高地にいる敵を攻めてはダメ、ということ。
なぜなら、高地に上るだけで疲れるのに、さらに戦闘もこなすとなると大変だからである。
今回の場合、僕達がいるブリーズヒルは、『ヒル』という名が付いているように、丘の上に陣取っている。だから、本来ならばイギリス軍にとって、僕達は攻めてはいけない敵なのだ。
それなのに、ハウ将軍は僕達を攻めた。おそらく、それほどまでに欲しい土地なのだろう。
しばらくすると、敵の撤退命令が聞こえた。一応、追い返せはしたようだ。
「フハハハハハハ! 我の力を思い知って、逃げたか!」
「油断するな、デイモン。ここは争地だ。必ずまたやってくる」
僕の予測した通り、イギリス軍は後方で立て直し、また攻めてきた。
僕はまた同じ要領で、撃退した。
しかし、全然学習していないな。一度失敗した手段でまた攻めるとは。
それとも、かなり焦っているのか……。
しばらくして、またイギリス兵を乗せた船がやってきた。クリントン将軍率いる援軍だった。
まあ、今回も先程と同じようにちゃちゃっと撃退しよう……と思っていたが、現在わが軍は、とてものっぴきならない状況に陥っていた。
「大変だ、物資がもうないぞ!」
そう、弾薬が底を尽きかけていたのである。しかもデイモンが通常モードに戻るくらい深刻だ。もう撃退は無理だろう。
そう判断した僕は、次の作戦を実行することに決めた。
「『迂直プラン』を発動する」
「ウチョクプラン?」
「そうだ。孫子の兵法に『迂直の計』というのがあってな、『迂をもって直となし、損をもって利となすにあり』……つまり、『回り道と見せかけて直進し、損をしていると見せかけて得をする』ってことだ」
「……ちょっと意味がわからないのだが」
「すぐに理解できなくて当然。本来は戦争における騙し合いの手段の一つとして出されている例なのだから。それで今回の場合、無理そうだったら逃げることにする」
この発言に、デイモンは驚いた。
「何言ってんだよ? ここは要所だって言ったの、お前だろ? なんで手放したりなんか……」
「だから迂直の計だよ。確かに、ブリーズヒルから撤退することは、要所を捨てたことになり、損をしているように見える。だが敵は二回に渡る戦闘で、どれだけ犠牲を出したと思う?」
しばらく考えた後、デイモンが叫んだ。
「……ああ、ようやくわかった!」
「理解してもらえたようだな。そう、敵はこの丘陵地を奪取するのには、すでに割に合わない犠牲を出している。明らかに敵の方が損をしているんだ。それに、僕達にはまだドーチェスター高地が残っているしな。だから、無理だと思ったらケンブリッジまで撤退しろ」
「フハハハハハ! そういうことなら、その策、乗ってやらんこともないぞ、軍師よ」
デイモンは、また覇王モードになった。無事、生還できる気がした。
三回目の攻撃は、想像した通りしんどかった。銃剣を装備したイギリス兵が突撃してきて、塹壕の内側への侵入を許してしまったのだ。
結局、僕自身も銃剣で戦わざるを得なくなった。
普段僕は後方で指揮をしているイメージが強いからか、白兵戦をこなせるかどうか心配する者もいた。でも、そんな心配をする必要はなかった。一応、僕も銃剣の使い手として達人レベルの射撃と白兵戦の腕前があるからだ。
そういうわけで個人的には苦戦はしなかったが、部隊としてはそろそろヤバそうだった。
「もう潮時だな……。全軍、撤退せよ!」
撤退命令を出した、その時だった。
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「何!?」
突然、後ろから斬りかかられたのだ。が、間一髪でそれを受け止めた。
「僕の後ろをとるとは、なかなかやる……」
お返しとばかりに、僕も銃剣で斬りにかかる。
「なんの!」
しかし、うまいことサーベルで防がれる。だが、それも予想の内だ。
「なら、これならどうだ!」
僕は、銃剣による切りつけからのコンボで、思いっきり蹴り飛ばした。
「ぐふっ」
「ん……?」
蹴りがきれいに入り、遠くへ吹っ飛ばすことに成功したが、その兵士に違和感を覚えた。
――そういえば、この兵士、よく見ると男にしては顔立ちがきれいすぎる――。
その瞬間、遠い昔の記憶が呼び起こされた。幼いころ、イギリスにいた時の記憶を……。
「まさか、お前、ニコラ・キャヴェンディッシュか?」
「私の名前を知っているということは……ビル・エアハート?」
やはり、そうだったか! イギリスにいた時、一緒に遊んでいた男勝りな女の子、ニコラ……。
風のうわさで、男装の麗人として軍に入隊していたとは聞いていたが、まさかアメリカに来ていたとは……。
「久しぶりだね、と言いたいところだけど、こんなところで会いたくなかったよ……」
「それは私も同じだ。そこで、お前に投降を進める。この部隊の指揮官はお前だろう? 訓練がなっていない民兵で、あれだけの戦果を挙げたんだ。こちらに来たら、相応の地位が待っているぞ」
「あいにく、僕は負けそうな軍に付く気はないんでね。お引き取り願おうか」
「そうか。なら、実力行使で行かせてもらう!」
そうして、また僕とニコラの戦いが始まった。サーベルと銃剣での白兵戦だが、どうにもやりにくい。
その迷いが起こしたのか、非常にまずい出来事が起こった。
「これで!」
「なっ」
ニコラのサーベルを受け切れず、姿勢を崩してしまったのだ。
「終わりだ!」
「ビル!!」
斬られると思ったその時、誰かに突き飛ばされた。よく見ると、突き飛ばしたのはデイモンだった。
が、次の瞬間、驚愕の光景が目に焼き付いた。
「があっ!!」
「何!?」
……デイモンが、ニコラに斬られた。
僕はすぐ、倒れたデイモンに駆け寄った。
「大丈夫か、デイモン!」
「はぁ……はぁ……」
デイモンは、すでに虫の息だった。
「……ビル……こんなところで……立ち止まるな……必ず……独立を……」
そして、デイモンは、息絶えた。
「……許さない……よくも……よくもデイモンをおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
僕は、怒りにまかせてニコラに襲いかかった。
「大尉、危ない!」
「え……?」
突然、僕とニコラの間に割って入った者がいた。その結果、僕はその男を突き刺すことになった。
「ぐっ……」
「まだだ!」
僕は貫通を狙い、銃剣を突き刺したまま発砲した。
「うあっ!」
「少尉!」
が、貫通した弾は、ニコラには当たらなかった。この時、僕は敵を突き刺した状態で発砲したためか、反動で大きく後ろに下がってしまった。
この隙をつき、ニコラは僕が突き刺し、そして撃った男に駆け寄った。
「少尉、しっかりしろ!」
「ぐっ……私は……もう……ダメみたいです……」
「あきらめるな、少尉!」
「……最後に……白状しますが……あなたのことが……好き……でした……」
「エリック……? エリック――――――――――――――――――――――――――!!」
エリックと呼ばれた男は、そのまま永遠の眠りについたようだった。
「おのれ……エリックを……エリックを返せえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「お前はあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それからは、本気の殺し合いになった。もう、最初に感じたやりにくさは消えていた。
僕は銃剣に、ニコラはサーベルに怒りを込め、振り回した。相手を殺すために。
激しい打ち合いの中、僕は右目を斬られた。ニコラは、左肩を突き刺された。
そのうち時間がたつにつれ、技量の違いが明白になっていく。
僕が徐々に劣勢に立たされ始めたのだ。確かに、ニコラは幼少のころより剣の訓練を受けてきた。僕も銃剣の名手と言われてはいるが、銃剣に触れてから十年とたっていない。経験の差は明らかだった。
「年貢の納め時だ、ビル!」
ニコラに斬られそうになった時、とっさにあることを思い出した。
「くらえ!」
「うわっぷ!?」
その思い出したこととは、予備の火薬を懐に入れていることだった。そして、それをニコラに向かってぶちまけたのだ。
その直後、僕は銃を構えた。
「お前、まさか……」
ニコラは、この行為の意味に感づいたようだった。
そう、僕は、自爆しようとしていた。
「僕は本気だぞ。お前を殺せるんなら、どんな手段でも使う」
「くそっ……ビルううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
――そして僕は、引き金を引いた。
「――ここは……?」
目が覚めると、ベッドの上で横になっていた。そして、今までの事を振り返った。
――確か、僕は幼なじみのニコラと再開して、でもデイモンを殺されて、それで本気の殺し合いになって――最後に、自爆したはずだった……。
なのに、なんでこんなところにいる? そもそも、ここはどこなんだ?
そんなことを思っていると、軍医が近付いてきた。
「お目覚めになられたようですね、大尉。気分はいかがですか?」
「説明してくれ。あの戦いの後、どうなった? ここはどこなんだ?」
「ここはケンブリッジの陣地です。あなたが撤退場所に指定した場所ですよ」
軍医はさらに説明をしたが、要約すると、部隊の撤退は一応成功したらしい。その時、倒れている僕を民兵の一人が見つけ、ここまで運んでくれたようだ。
なお、撤退時に犠牲が皆無だったわけではないが、イギリス軍の損害と比べると少ないらしい。
つまり、『迂直の計』は成功したのだ。
そして、この戦果は植民地軍の士気を高める結果となったようだ。
――でも、僕はそれと引き換えに、大切なものを失ったけど……。
「ところで、大尉の容体についてですが、全身傷だらけですね。特に右目がひどかった。失明まではいかないまでも、何らかの影響はあると思います。そうなった場合、スナイパー生命が絶たれることになるかもしれません」
この宣告、普通のスナイパーであれば、ひどいショックで落ち込むところだろう。でも、僕にはその心配はなかった。
「大丈夫だ。僕は左利きだから、いつも左目で見ている。右目が使えなくなったところで、問題はない」
「そうですか、それはよかった。そうそう、あなたが寝ている間に、軍全体で色々な事が起こったんですよ」
軍全体の動きか。これは聞いておきたい。
「先日、フィラデルフィアの大陸会議で決まったことですがね、ボストンを包囲している民兵を『大陸軍』として正規兵とすることに決めたようです。それと、ジョージ・ワシントン氏が大陸軍総司令官に任命されたそうで」
「あのジョージ・ワシントンが?」
これはうれしい情報だった。ジョージ・ワシントンと言えば、先のフレンチ・インディアン戦争で戦死した上官に代わって部隊を指揮し、見事な手腕で撤退させ壊滅を阻止した英雄だ。
その英雄が総司令官に就任したということは、そう簡単にはいかないだろうが、この戦争への勝機が見えたようなものだ。
七月三日、ブリーズヒルの激戦から半月ほどたったころ、僕は包帯をとることを許された。
右目の包帯をとると、確かに視力は落ちているらしいが、完全に見えなくなったわけではなかったので安堵した。
だが、鏡を見て驚いた。
黒かった目が、暗い緑に変色していた。
すぐ軍医に見てもらった。それによると、これは『虹彩欠損』という症状で、事故などが原因で虹彩が傷ついてしまうケガらしい。僕の場合、ニコラに付けられた傷が原因であるらしかった。
医務室を出た後、伝令がやってきた。
「申し上げます! ジョージ・ワシントン総司令、ケンブリッジに到着! 至急エアハート大尉と面会したいとのこと」
「ワシントン司令が?」
英雄である司令から面会したいという申し出が来たのは名誉なことだが、こんな僕に何の用だろう?
嬉しさ半分、不安半分といった心理状況で、僕は司令の元へ向かった。
「失礼します。ビル・エアハート大尉、参上仕りました」
「君がエアハート大尉か。まあ、座りたまえ」
ワシントン司令は威風堂々としたいでたちで、『これぞ軍人』といった感じの人物だった。
「噂は聞いているよ。まだ十代だというのに大尉の階級を持ち、しかもそれに見合った戦果を出しているそうじゃないか。あ、コーヒーはどうだ?」
「いえ、結構です。……まあ、レキシントン・コンコードについては戦果を出したと、堂々と宣言していいと思います。ですが、ブリーズヒルでは敗北しましたし、それによって重要な地点であるチャールズタウンを制圧されてしまいました」
すると司令は、そのようなことはないといった感じで、こう言った。
「なに、まだドーチェスターがある。挽回は出来るさ。それに、イギリス軍に対して勝利に見合わないダメージを負わせたらしいじゃないか。そして、ブリーズヒルに参加した兵士の証言を考慮すると……『負けたけど勝った』状況を、君は理解していたのではないか?」
さすがは司令。『迂直の計』を見破るとは。
「正直に申し上げて、その通りです。僕は敵の犠牲の数を考慮し、ブリーズヒルを放棄したとしても『勝つ』状況であると思いました。ですから、物資が不足した時点で、戦況が苦しくなった場合退却しろと指示しました」
このことを聞いた司令は不敵に笑い、こう言い放った。
「そこまで思考できるとは、やはり非凡な才能の持ち主の様だな。それでだ、私の軍師にならないか?」
この言葉に衝撃を受けた。あのジョージ・ワシントンに才能を認められるとは。
それに、司令の部隊は必ずイギリス軍が狙ってくるだろう。その中には、あいつもいるはず……。
そう考え、僕は二つ返事で了承した。
「わかりました。微力ながら、司令の御力になりましょう」
「うむ、そう言ってくれるとありがたい。では早速相談だが、そろそろこの包囲戦のけりをつけたいと思う」
その考えについては、賛成だ。これ以上だらだら包囲戦を続けても、いたずらに物資と金を消耗するだけだから。
「では、ドーチェスターを占拠するのですね?」
しかし、司令は僕の提案に対し、首を横に振った。
「いずれはそうなるが、今はまだ早い。占領したところで、イギリスはすぐさま取り返しに来るからな。そのことは、ブリーズヒルで身をもって経験しただろう」
「では、いつ占領するのですか?」
「君はタイコンデロガを知っているかね?」
「はい、知っています」
タイコンデロガとは、カナダ・英領ケベックに通じる道の途中にある要塞だ。最近は少数のイギリス兵によって守備されていたが、レキシントン・コンコード終了後、一部の民兵がボストンに向かわずにこの砦を攻め、陥落させたらしい。
「それはよかった。それでだ、その砦の大砲をボストンまで運び入れてから、ドーチェスターを確保しようと思う」
驚愕した。大砲自体かなり重量があるうえに、戦況を変えることを重点に置くと、とんでもない数が必要となる。しかも、砦からボストンまでの道のりは森林地帯や川など、とても大荷物を運ぶのに適した道とは言えない。
でも、待てよ、このことは敵もよくわかっているはず。つまり、敵は脅しの材料になる大砲を搬入できないと高をくくっているだろう。そこをやってのければ、与えられる心理ダメージも倍増し、降伏させることが容易になるはずだ。
まさに、『兵は詭道なり』。戦争は騙し合いだという意味の言葉だが、この作戦も、敵の常識を超えるという意味では、ぴったりの言葉であろう。
「よい考えだと思います」
「そうか。では、さっそく準備を進めよう」
その後、タイコンデロガ大砲運搬隊が編成され、それと並行して運搬準備も着々と進行した。
一七七五年十二月五日、運搬作業開始。その道のりは予想通り険しかったが、翌一七七六年一月二十四日、見事大砲をボストンに運び入れることに成功した。
そしてドーチェスター占領作戦を計画し、三月四日深夜、夜陰に紛れてドーチェスター高地を占拠。大砲を設置し、さらにしっかりとした防備をたった一晩で作り上げてしまった。これには、イギリス軍もかなり驚いたらしい。
後日、イギリス軍との間に和平交渉が設けられ、三月十七日までにイギリス軍はボストンから完全撤退させることになった。
孫子の兵法では、戦わずに相手を降伏させるのが最高の勝ち方だとされている。その点でいえば、この結末はベストな終わり方だし、それを成し遂げたワシントン司令も優秀な方だと改めて思った。
でも、僕の心は、どこか空いたままだった。
~その頃~
ブリーズヒルでの爆発に巻き込まれ、私は全治数カ月もかかる大けがを負った。
ようやく軍務に復帰できる頃になった矢先、大陸軍と和平交渉が成ってしまい、ボストンから引き上げる羽目になってしまった。さらに、トマス・ゲイジ将軍が本国から呼び出され、ウィリアム・ハウ将軍が後任の総司令官に就任した。
そのため、私は行き場のない怒りを感じていた。エリックの仇を討つ機会をなくしてしまったから。
そんな私の前に、ハウ将軍が現れた。
「キャヴェンディッシュ大尉、その気持ち、私にはわかるぞ」
「……お気遣いいただき、ありがとうございます。しかし、私は……」
「納得できないというんだろう? だが、ここで焦っては成せるものも成せなくなる。今は我慢の時だ。とりあえず、我々はカナダ・ハリファックスに向かうことになった。そこで機をうかがおう」
確かに、将軍の言うことは正論だ。ここは将軍の勧めに従おう。
それに、今は春先。徐々に暖かくなっているとはいえ、カナダはまだ寒いはずだ。
その寒さで、少し頭を冷やそう。あいつを、殺すために。
「わかりました。では、帰投の準備を進めます」