レキシントン・コンコードの戦い
あの事件以来、植民地の空気がガラッと変わった。
特にここ、マサチューセッツは事件のあったボストンの所在地であるため、どんなに鈍感な人でもそれが感じられた。
人々は独立を叫び、中には実力行使すらいとわない者もいた。
でも、僕は戦争を仕掛けてまで独立を果たそうとは思わなかった。
そんな時だった。あいつが来たのは。
「おーい、ビル、いるかー?」
うちにやってきたのは、デイモン・アレクサンダー。僕の友人で、マサチューセッツ民兵隊曹長を務めている。
ちなみに、こいつが呼んだ『ビル』とは、僕の事。本名はビル・エアハート。一応、デイモンと同じ民兵隊所属だ。
それで、僕はデイモンの呼びかけに答えた。
「ああ、いるよ」
「よし、それじゃあビル、これから一緒に戦ってくれないか?」
……は? こいつは何を言っているのだろう?
「悪い。言っていることがよくわからないのだが……」
「そのままの意味だよ。アメリカ独立のため、力を貸してくれ」
屈託のない笑顔で話すデイモン。でも、僕にはその気はないわけで。
「断る」
「またまた、そんな冗談いっちゃって~」
「マジで断る」
毅然とした態度で拒否する僕。
しかし、デイモンは態度を急に変え、さらに説得してきた。
「頼む! 今の俺達には、指揮官が必要なんだ!」
「指揮官なら他にもいるだろう?」
「いるにはいるが、パッとしないやつばかりなんだ。そんな連中に指揮なんて任せてたら、とてもじゃないがイギリス軍相手に戦えない」
「だとしても、僕だってイギリス兵相手に勝てる保証なんて出来ないぞ」
「そんなことは百も承知だ! だが去年、お前がわずか十五歳で大尉に昇進したきっかけになった、あの模擬戦の事を忘れたとは言わせないぞ」
そういえば、そうだ。
民兵の訓練の一環として、去年、模擬戦を行ったことがあった。その時、僕は小隊長役をやっていた。そして、僕は緻密な作戦を立て、敵の大軍を翻弄し、事実上僕の部隊だけで壊滅させてしまったのだ。
そのことが目にとまり、僕はマサチューセッツ民兵大尉の地位を受領したのだ。
「あのとき、僕はある本を読んでいたからな。それの知識が役に立っただけの事さ」
「その本って?」
「少し待ってろ」
僕は奥に向かい、ある本をとってきた。それは、フランス語で書かれた本だった。
「これは?」
「『孫子の兵法』。昔の中国の兵法家が書いたもののフランス語版だ。三年前、弁護士をやっている父さんがフランスに行っていたときに買ってきたものだ」
「ふーん。じゃあ、その知識で、イギリスと……」
「絶対ダメだ」
強い口調で断った。
「どうして?」
「『孫子の兵法』の一番初めに書いてある。『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず』」
「どういう意味だ?」
「つまり、戦争は人の命が失われ、国家も滅んでしまいかねない行為。だから、よく考えた上で戦争しろってこと。そして、その考える材料になるのが、『道・天・地・将・法』だ」
「…………?」
デイモンは、よく理解できていないのが目に見えて分かる表情をしていた。
「一つずつ解説してやる。まず『道』というのは、大義名分の事。これがないとただの無法者になるし、国民も付いていかない。二つ目の『天』ってのは、時期、要はタイミングだ。これは社会情勢だけでなく季節・天候も含めて考える。三つ目『地』は、地の利。場所や地形がこちらに有利に働くのかが論点だ。四つ目の『将』。これは、君主や指揮官の人望が厚く、信頼できるかどうかだ。これが欠けていると、軍隊内に不信感が募り、命令違反や脱走、内通等によってすぐ壊滅だからな。最後の『法』。これは、簡単に言えば軍の質だ。この質と言うのは、兵士の強さや熟練度だけでなく、物資や装備、部隊間の連携も関わってくる。
では、デイモン。これらの事を照らし合わせて、我々に勝機があるか考えてみろ」
デイモンはしばらく考えた後、ゆっくり話を切りだした。
「最初の『道』だが、これは確実にあるだろう。なにせ、本国から勝手に税金をかけようとしたんだから。二つ目の『天』は、対イギリスの気運が高まっている今なら、行動に移せる。季節も今は四月だから、天候に振り回されることはない。三番目の『地』は、明らかにこちら側に有利になる」
「だが『将』は、指揮官の信頼云々以前に、アメリカ全土の民兵を取りまとめる指揮官が存在していないから、話にならない。『法』に関しては、明らかにイギリス軍の方が勝っている。結局、現状では必ず勝てるというわけではないな」
ここまで話せば、あきらめてくれる。そう思っていた。
「でも、最初の三つを最大限に生かせば、何とかなるだろう。だから、俺達の指揮官になってくれ!」
まだ、そんなことを言っていた。さすがにここまでしつこいと、いら立ってしまう。
「まだわかってないな、お前は! 戦争は人命がかかってるんだ! 今の状態では博打みたいな戦い方しかできない。金をスるのとはわけが違うんだぞ!」
「でもなあ、グズグズしてらんないんだ! 今、ボストンに駐留しているトマス・ゲイジ将軍が、コンコードに向けてマサチューセッツの軍事物資を没収するため、部隊を派遣したらしい。とりあえず武器は隠したが、そのあとどうすればいいか、分からないんだ!」
……え? なんか今、機密情報めいた事を聞いてしまったような……。
「おい、もう一回言ってくれないか?」
「だから、俺達にはもう……」
「そこじゃなくて、そのあとの事! ゲイジ将軍が武器没収のためにどうこうって……。その話、どこから聞いた?」
「え、えっと……確か、ゲイジ将軍の妻のマーガレット夫人だよ」
マーガレット夫人は、ニュージャージー生まれで植民地に同情的な人物だ。その人が流した情報は、信憑性がある。
……これは、もしかして――。
「デイモン、僕も力を貸す」
「え……本当か!?」
「本当だ。孫子の兵法にも、情報の重要性が説かれている。そこまで情報を入手しているのであれば、勝てないことはない。すぐに、コンコードの武器庫へ案内してくれ。それと、レキシントンのジョン・パーカー大尉へ伝えろ。『伝令兵を用意してくれ』ってな」
「……そうか、分かった」
一七七五年四月十九日、僕は伝令兵から昨夜未明に起こったレキシントンでの戦況の報告を聞いていた。
それによると、パーカー大尉達はレキシントン広場で、イギリス軍の行軍を妨害していた。といっても、実力行使したわけでもなく、進路上に居座っていただけらしい。
イギリス軍も、実力行使に出ると責任問題になるため、口で進路を開けるよう要求していただけだったようだ。
しかし、状況が変わってしまった。どこからか銃声が聞こえたのだ。
誰が発砲されたかは分からない。でも、その一発の銃声が、銃撃戦へと発展してしまった。
そして、民兵側に八人の死者と十人の負傷者を出してしまい、パーカー大尉たちは敗走してしまったらしい。
「それで、パーカー大尉達の消息は?」
「おそらく、まだレキシントン周辺にいると思いますが……」
それなら好都合だ。今のうちに手配しておくか。
「では、この手紙をパーカー大尉に届けてくれ。それと、手紙を見たらすぐに焼却処分するように言っといてくれ」
「了解しました。では」
伝令兵は、出発した。
その直後、デイモンが何かに気付いた。
「ビル、あれを見ろ」
デイモンの指した方向を見ると、赤い服を着た一団がこちらにやってきた。
「イギリス軍か。オールド・ノース・ブリッジから市街地に入るつもりだな」
僕達は現在、コンコード市街地の北、プンカタセットヒルという丘にいる。そこの東側にはコンコード川が流れており、そこにオールド・ノース・ブリッジがかかっていた。
どうやらイギリス軍は、そのオールド・ノース・ブリッジを通行するらしかった。
イギリス軍の監視を続けていると、イギリス軍は残留部隊と検閲部隊の二手に分かれた。
やがて、街の方から黒煙が上がった。
「ビル、あれは……」
「確か、武器を隠す時、少し旗とか大砲の台車を置いてたんだよな? たぶん、それを破壊してるんだろう」
このまま穏便に済ませて、さっさと帰ってくれるだろう。そうすれば、戦闘しなくて済む。そう考えていた。
「おい、煙が街から上がっているぞ!」
「あいつら、街まで破壊しやがるのか?」
「出撃だ! 街を守れ!」
なんと、武器の破壊の際に出た黒煙を、イギリス軍が街を破壊しているものと勘違いした連中が出てきたのだ!
当然、その混乱とパニックは、隊内に蔓延する。
「ビル、どうする?」
「このままでは、僕達が潜んでいることもバレてしまう……。不本意だが、戦闘するしかない」
「フフフ……フハハハハハハハハハハ! いいだろう、この覇王の生まれ変わりの力、見せてくれる!!」
ちなみに、デイモンは戦闘になると、かなり芝居がかった大仰なセリフを言ったりするようになる。セリフの端々から察するに、どうもアレキサンダー大王の生まれ変わりのつもりらしいのだが、若干キャラがブレている。
僕は、デイモンに対して呆れ気味に、
「はいはい、期待していますよ。では、全軍出撃! オールド・ノース・ブリッジ周辺に横列展開しろ! 対岸のイギリス軍残留部隊と相まみえるぞ! あと、のろしもあげておけ!」
僕が命令してからというもの、行動が早かった。全員、命令した通りにオールド・ノース・ブリッジ近辺に展開し、銃を構えた。
「敵もこちらに気付き、銃を構えたか……。だが、甘いな、その隊列では。全軍、一斉射撃! イギリス軍を追い返すぞ!」
「ハハハハハ! 地獄の業火に焼かれて消えろ!」
こうして、コンコード川を挟んだ銃撃戦が幕を開けた。
僕はこの戦いで、勝利を確信していた。それは、イギリス軍の陣形にあった。
こちらは横列で銃撃しているのに対し、イギリス軍は縦列で応戦しているためだ。川を挟んだ戦いの場合、縦隊では射撃できない者が出てきてしまい、戦力を最大限生かせなくなるからだ。
加えてこちら側は、いつの間にか民兵が続々と集結し、数の上でイギリス軍を凌駕してしまった。
しばらくすると、敵の陣形が乱れ始めた。
「どうやら、イギリスの士官殿は戦術ミスに気付き、横列に陣形を変更しようとしたところ、混乱が生じた、ということか……。みんな、あとひと踏ん張りだ! もうすぐ追い返せるぞ!」
僕の予測は、当たった。戦況不利と見たイギリス軍が撤退を開始したのだ。それと同時に、市街地にいた民兵がやってきて、このような報告をした。
「敵検閲隊、市街地の南から脱出した模様!」
待機部隊と合流する気か。
「おい、軍師よ、敵は撤退するようだぞ。追撃するか?」
「待て、デイモン。『窮寇には迫ることなかれ』……窮地に追い詰められた敵を追ってはいけない。追撃はやめておけ。それに市街地に入った敵部隊が、さっき撃退した部隊と合流を目指しているそうだしな。分断する策を講じなかったから、僕達がどんなにあがいても合流され、返り討ちにあうに決まっている」
「だが、敵を殲滅し、血祭りに上げる好機なのだぞ?」
「落ち着け、デイモン。すでに別の策は講じてある。奴らは無事、ボストンへは帰れんさ。だから、僕らはゆっくりとボストンに向かうとしようか」
ボストンへ向かう道すがら、僕達は、僕が仕掛けた策が成功したことを裏付けるものを目にした。
それは、ボストンへの道なりに、イギリス兵の死体が転がっていることだった。
「これは……」
すっかり通常モードに戻ったデイモンが、驚きの声を上げる。
「驚いただろ? 実は伝令兵に、パーカー大尉あての手紙を書いた。『コンコード方面からのろしが上がったら、レキシントンで敗走したり後から集まった民兵達を、ボストンまで続く道のあちらこちらに隠しておけ。そして、逃げてきたイギリス兵達を物陰から狙撃させろ』ってな」
「じゃあ、つまり、これは……」
デイモンの問いに、笑顔で答えた。
「言っただろ? 無事、ボストンへは帰れないって」
~その頃~
レキシントン・コンコードにおいて、トマス・ゲイジ将軍の派遣した部隊が壊滅したという報は、私がいたイギリス本国にも届いた。
そのため、私にもこのような辞令が届いた。
『ニコラ・キャヴェンディッシュ大尉 アメリカ植民地への赴任を任ずる。 英国王ジョージ三世』
我がキャヴェンディッシュ家は、代々英国王室に仕えた軍人一家だった。しかし、両親は男子に恵まれなかったため、姉妹の中で一番男っぽかった私に、軍人たる教育をつけた。
その結果、サーベルの腕は達人の域に、指揮に関する知識も一通り習得できた。そして運よく軍にも入隊でき、現在は大尉という地位に収まっている。
しかし私が女であるため、事務系の仕事しかさせてもらえなかった。そのような私に、このような辞令はありがたかった。
そして、私はフリゲート艦『ケルベロス号』に乗り込み、アメリカを目指して航海している。
「大尉、お茶はいかがですか?」
私にお茶を進めてきたのは、エリック・ベックフォード。私の副官だ。
「うむ。いただこう」
「それにしても、ゲイジ将軍、大丈夫なんですかね……?」
この時、ボストンは窮地に陥っていた。ボストンは東に伸びる半島なのだが、その半島と本土との接続部分に当たる場所を占拠されている。簡単に言えば、包囲されている。
しかも、ボストンは大陸から特に突き出ている半島というわけではなく、南北を本土に囲まれている。このボストンを囲んでいる部分に大砲でも設置されれば、一巻の終わりだ。
「そのようなことにならないために、我々が向かっているのだ。幸い、民兵どもは大砲を入手していないようだしな。気を引き締めろよ」
「はっ!」
「おやおや、女性に機を使わせるとは。なっていませんね、エリック少尉?」
「バーゴイン少将……」
突然、会話に割り込んできたこの男は、ジョン・バーゴイン少将。自意識過剰でナルシストだが、芸術分野に秀でている。
「バーゴイン少将、この艦に乗船している以上、私は女である前に軍人です。特別扱いはしないでいただきたい」
「それは失礼。しかし、私も『紳士ジョン』と呼ばれていますのでね、要は性ですよ。ところで、今夜は御一緒にディナーでもいかがですか? 到着したら、ゆっくり出来る時間もとれないでしょうし」
「到着後の事についての見解については賛成ですが、あいにく、そのような気分ではないので」
「そうですか、残念です。ですが、気が向いたら、いつでも声をかけてください」
そう言って、バーゴイン少将は去った。
その直後、エリックがおもむろに口を開いた。
「大尉はバーゴイン少将の事、どう思います?」
「そうだな……一応、今までの戦果としてはそれなりに挙げてきたようだし、軍人としては認めるところはある。ただ、あのナルシスト気味の発言と口調は、好きにはなれんな」
「そうですか……よかった……」
「何か言ったか?」
「いえ、何も!」
少々様子がおかしかった気がするが、まあいいだろう。
しばらくすると、また我々に声をかける者が現れた。
「君がキャヴェンディッシュ大尉だね?」
「あなたは……クリントン少将?」
ヘンリー・クリントン少将。父は海軍所属で、自身もかなり優秀な軍人だ。
「そうだ。君は指揮官としてかなり潜在能力を持っていると聞いてね。こうして、挨拶に来たわけだ。」
私も、クリントン将軍の事はそれなりに聞いていた。才能ある指揮官だと。
「少将の様な優秀な指揮官に認知されているとは、光栄です」
「うむ。貴官の働きに期待しているぞ」
そして、クリントン将軍は立ち去った。
「……クリントン将軍、か……」
「も、もしかして、大尉は、クリントン将軍の様な方が好みなのですか……?」
「なにを妙なことを言っている、少尉? クリントン将軍は、軍人として尊敬できる方であって、そういう感情は一切ない」
しかし、エリックのやつ、最近様子がおかしいよな……。
というようなことを思っていると、また誰かから声をかけられた。
「調子はどうかな、キャヴェンディッシュ大尉?」
「……やれやれ、今日は高官の訪問が多い日ですね、ハウ少将?」
私達に話しかけたのは、ウィリアム・ハウ少将。ケルベロス号に乗船している三将軍の内の一人で、クリントン将軍と同じぐらい尊敬できる人物だ。
「その口ぶり……、クリントンかバーゴインがやってきたのかね?」
「どちらもですよ。それより、あなたの御兄弟もアメリカに行くとか」
「ああ、兄のリチャードの事かね? 確かにその通りだが、兄は海軍所属だからね。艦隊を率いて、我々とは別にアメリカへ向かっているよ。ところで、大尉。さっきからものかなしげな雰囲気を感じるのだが」
……図星だった。確かに私は、絶対に戦いたくない相手がいた。
「実は、アメリカに渡った幼なじみがいまして」
「そうか。なら、剣を交えることがないよう、願いたいものだな」