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IVy  作者: 一ノ次
8/8

エピローグ

 「……どこに行くんですか?」

 「まあ、黙ってついて来なさいよ」

 夕暮れ時、ユキはアイヴィーに連れられて街の外れに立つ廃ビルの階段を上っていた。

 壁面を這うように設えられた非常階段は風通しもよく、眼下には夕陽の色に染まりつつあるアールヴの街が見下ろせる。

 アイヴィーの誘いは突然だった。そしてそれ以降も、必要なこと意外は口にせずに黙々とユキの前を歩いて行く。ユキは戸惑いながらも、言葉少なにそのあとをついていことしかできなかった。

 ユキの救出劇から、丸一日が経とうとしていた。

 昨日、部屋に帰り着いたのはとっぷり夜も更けた頃。疲労のせいもあり、二人とも怪我の応急処置を受けたあとは意識を失うようにして眠りに落ちた。その翌日――すなわち今朝もそれが尾を引いていたのか、アイヴィーは日課であるはずのトレーニングもせずに漫然と時を過ごすだけだった。交わす会話は二言三言の短いもの、やったことと言えば傷の治療に出たことと食事。そうして日が暮れる頃になって、ようやくその重い腰を上げたのだ。

 ユキはじっと、先を行くアイヴィーの背中を見つめる。すると、ひと時忘れていた懊悩が再び首をもたげてきた。アイヴィーになんの動きも見られない間、ユキはユキでずっとそのことばかりを考えていたのだ。

 (私…………本当にこのままでいいのかな?)

 嬉しさの余りに取ってしまった、差し伸べられた手。ユキはその手のおかげで身も心も救われた。しかし本当にそれでよかったのか、ユキにはまだわからなかったのだ。

 「……ねえ、ユキ」

 「――っ……は、はい?」

 そんなユキの不意を討つように、アイヴィーの声がかかる。その足は相変わらず、一歩一歩確かめるように錆びくれた階段を踏み締めている。

 「私さ、ずっと考えてたのよね」

 「何を……ですか?」

 「なんであんなことをしたのかを」

 「あんなこと?」

 それはもちろん、ユキを助けたことだ。アイヴィーにとってはなんの利もないはずなのに、何故あそこまで戦ったのか。

 何もしない間、アイヴィーもずっと考えていたようだ。

 「あいつ……傷の舐め合いだって言ったわ」

 「え?」

 「私はあんたと同じ、戦うために育てられた人間なのよ。戦うことしか教えられず、戦うことしか知らない、戦うためだけの人間…………まあ、今は色々あってこんな風になってるけど」

 その事実はカールから聞いて知っている。しかしユキは、あえて口を挟まなかった。アイヴィー自身の口から、それを聞きたかったのだ。

 「そんな私があんたを助けたんだから、確かにそうよね。同じ境遇の人間を見つけて、単純なシンパシーを感じていただけかもしれない。そんなあんたを助けて、自分の心を満たしたかったのかもしれない」

 淡々とした口調で語るアイヴィーに対して、ユキは何も言えない。ただ、それを心のどこかで嬉しく思っている自分もいた。アイヴィーがその心の内を打ち明けてくれていることが。

 そして待つ。アイヴィーの口から語られる、その心の核心を。

 「本当のところは…………私にもわからない」

 アイヴィーは少し迷ったようにそう言った。

 しかし次に口を開いた時には、そんな迷いをどこかへ吹き飛ばす。

 「でも、これだけは言える。あんたを助けることができた時、とってもキレイな景色を見ることができたの。それは私が、心のどこかでずっと探してた景色だったのよ」

 「探していた景色……ですか?」

 「そう。一度見たあの景色が忘れられなくて、それが見られなくなってからずっと同じ景色を探していたような気がする。それを見せてくれたのがあんただった。確かにその瞬間、私の心は満たされたのよ」

 意外だった。

 アイヴィーは強くて、欲しいものがあればなんでも、いつだって手に入れることができる、ユキはそう思っていた。そんなアイヴィーにも手の届かないものがあったのだ。よくよく考えれば当たり前のことだが、ユキはアイヴィーの言葉を聞いてようやくそれに気づいた。

 アイヴィーだって本当は弱くて、いつも何かに手を伸ばしてもがいていたのだと。

 「あんたは私に助けられたと思ってるかもしれないけど、私もあんたに助けられた……“助けられた”って言うと少し違うかもしれないけど、恩人には変わりないわ」

 「そんな私は……! 私なんて……」

 謙遜ではなく、本気でそう思う。アイヴィーがユキにしてくれたことを考えれば、その恩は逆立ちしても返せるものとは思えない。

 「ふふ……本当に、なんであんたなのかしらね」

 「はい……?」

 アイヴィーが小さく笑った。ユキの考えなど、勝手な思い込みなのだと笑い飛ばすように。

 「なんであんただったのか……あんたを助けたことであの景色を見ることができたのか、結局私にもわからないわ。あんたが私と同類だったからなのか、それとも別の理由か。唯一確かなのは、あんたが私の欲しかったものをくれたということ。それを傷の舐め合いだって言うんなら、私はそれでも構わない」

 アイヴィーの足が止まる。気づけば階段は終わりを告げ、アイヴィーの目の前を階段と同様錆びまみれの扉がその行く手を遮っていた。

 「まあ……長々としゃべったけど、要するに私が言いたいことは……」

 アイヴィーはノブに手をかけて捻る。

 金属の軋む音とは対照的に、その扉はすんなりと開かれた。

 「――っ!」

 瞬間、ユキの視界が眩いばかりの茜色で埋め尽くされた。

 「……あんたは、私になんの気兼ねもする必要はないってことよ」

 そこはビルの屋上だった。外延部にフェンスが張り巡らされているだけの、なんの変哲もない屋上だ。そのフェンスに向かって歩き出すアイヴィーの背中を追って、ユキもその屋上に足を踏み入れる。

 「う……わぁ…………」

 そこに広がっていた景色に、ユキは思わず言葉を失う。

 人の気配を感じない荒涼とした荒野、彼方で地平線を歪に切り取っている山谷、その向こうに落ちていく夕陽がそれら全てを茜色に染め上げていた。いや、染めているなどという生半可なものではない。まるで茜色の津波が押し寄せてくるような、そんな圧倒的は光景だった。

 「どう?」

 「すごい、です。こんなの初めて見ました」

 アイヴィーの声に応じながらも、ユキは目の前の景色に釘づけになっていた。アイヴィーはそれを咎める様子もなく、そんなユキに寄り添うようにして同じ方向へ視線を投げかける。

 「このビル、ちょうど街の西の端っこにあるのよね。しかも背が高くて、ここから先は何もない荒野だから障害になる物もない。ついでに言えば、こんなところに寄りつく人もいない。ごく一部を除いてはね」

 そう語るアイヴィーの声は、心なしか弾んでいるように思えた。

 「ここは私のお気に入りの場所なのよ。本当はあんたがいなくなったあの日に、案内しようと思ってたんだけど」

 「そうなんですか?」

 「ええ。でも今日になってよかったかもしれないわね。あの時と今とじゃ、ちょっと意味合いが違ってくるし」

 「意味…………どういうことですか?」

 ようやく夕陽から視線を離したユキの問に、アイヴィーはもったいつけるような無言を返す。

 茜に染まるその横顔に、ユキは胸が高鳴るのを感じた。

 そして――

 「お返しよ」

 「はい……?」

 「私の見たかった景色を見せてくれた、そのお返し」

 「お返しなんてそんな……! 私は助けてもらっただけで、迷惑ばかりかけて、私は何も……」

 何もしていない。何もできていない。

 それどころか、そのためにアイヴィーがどれだけ傷ついたか。それを思えばお返しなどと大それたことを言えるはずがない。

 しかしアイヴィーは、それでもユキに微笑んで見せた。

 「だから、ここに連れて来たのよ」

 「え……?」

 「あんた、この景色を見てどう思った?」

 「か、感動しました。すっごく!」

 「でしょ? 私もそれくらい……ううん、それ以上に感動したのよ。そんな景色を見せてくれたあんたを、迷惑だなんて感じると思う? あんたは迷惑だった?」

 「迷惑だなんて……そんなこと絶対にありません!」

 「そういうことよ。だから……」

 アイヴィーの視線は、相変わらず目の前の景色に向けられていた。

 しかしその想いは、確かにユキに向けられている。

 「あんたは、ここにいていいのよ」

 その言葉は、確かにユキのために紡がれものだった。自分の存在意義に迷い、居場所を見つけられないでいるユキのために。

 「アイヴィーさん……」

 「ま、あんたがここにいたければだけど」

 そうつけ加えたアイヴィーは、どこか照れているようだった。

 「わ……私…………私は……」

 しかし、ユキの口から出て来たのはそれに抗う言葉だった。

 「……私はまた、迷惑ばかりかけるかもしれませんよ」

 「あの連中はもういないのよ? ほかにあんたを狙うような奴らはいないだろうし、それ以外の迷惑なんてたかが知れてるわ」

 「またおかしくなっちゃって、アイヴィーさんを傷つけるかもしれません!」

 「二度やって二度とも負けた奴の言うセリフ? それに、どうすればいいかもなんとなくわかったから、大丈夫よ」

 ユキの言葉を、アイヴィーはことごとく退ける。ユキの口を突く想いがどんなにちっぽけなものかを示すかのように。

 「でも、私……」

 「もういいでしょ?」

 なおも自らを否定しようとするユキをアイヴィーは制した。

 「あんたが自分のやってきたことにどれだけ罪悪感を抱いてるか、私にもわかるわよ。でも、それじゃあ何も始まらないわ。探しましょう、あんたが過去と向き合える方法を。私もきっと、手助けできる。現に私は、今こうして生きてるんだから」

 ユキは自分のことが嫌いだった。多くの犠牲の上に生き延びた自分が、大切な人すら傷つけてしまう自分が。

 そんな自分の隣に、大切な誰かがいていいなどとはどうしても思えなかった。

 アイヴィーは、そんな自分を否定するユキを否定する。

 否定してくれた。

 「っ…………うぅっ……」

 想いとともに溢れ出る涙を、ユキは堪えることができなかった。

 「いいんですか? こんな私が……」

 「当然でしょ? もしダメだったら、私が生きてる意義も危ういわよ」

 おどけてアイヴィーが言う。

 こんな風になれるだろうか。自分自身の辛い過去と向き合いながら、周りの人間にもその手を差し伸べることができるように。

 そのためには……

 「アイヴィーさん、私…………アイヴィーさんと、一緒にいたいです」

 「ええ、いいんじゃない?」

 「…………ありがとう……ございます」

 涙で景色が滲む。

 夕陽の色で満たされた空と大地が涙で歪んだ、不思議な景色。

 ユキはきっと、この景色を一生忘れることはないだろう。

 たとえこの先どんなことがあろうとも、ずっと……

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