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IVy  作者: 一ノ次
5/8

第四話

 「おはようございます、アイヴィーさん」

 日課の早朝トレーニングから帰ると、ユキの笑顔がアイヴィーを出迎えてくれた。

 「おはよう」

 「朝食、もうすぐできますから」

 「ええ」

 ユキの言葉を聞き流しながら、アイヴィーはシャワールームに入って汗を洗い流す。

 傷の経過は良好で痛みもほとんどない。今ならば問題なく戦闘もこなすことができるだろう。これで頻繁に包帯を変える必要もなくなると思うと妙に晴れがましい気分だ。

 もっとも、左の二の腕に巻いてある包帯だけは話が別なのだが。


 「はい、どうぞ」

 着替えてテーブルに着く頃にはすでに朝食の準備は万端に整った状態だった。トーストにハムエッグ、サラダ、さらにユキがコーヒーを差し出してくれる。

 あれからいくつか仕事もこなし、アイヴィーの経済状況はどうにか持ち直していた。少なくとも食べるのにも困るほどではなくなっている。

 「それじゃ、いただきます」

 「いただきます」

 二人して手を合わせ、食事を始める。ここ数日で、もはや日常と呼べるものになった光景だ。

 傷が癒えるほどに、生活に余裕を取り戻せるほどに、新しい“日常”が生み出されるほどに、時は流れていた。

 このままこんな時間がずっと続くのではないかと、そう思えるほどに平穏に。

                       ***

 「今日もお仕事ですか?」

 「え? う〜ん、そうね……」

 ユキが洗い物をしながら今日の予定を尋ねてくる。始めこそそんな様子を危なっかしく思ったが、ユキは思いの外家事の類に慣れているようだった。今日のような朝食もお手のものだ。

 「めぼしい賞金首はあらかた片づけちゃったのよね」

 手持ち無沙汰に頭を掻きながら、アイヴィーは答える。

 今現在、アイヴィーが狙えるような賞金首は多くない。それも日銭を稼ぐために狙ったものとは一線を画する厄介な賞金首ばかりだ。普段ならそれでも構わないのだが、ユキを匿っている現状ではそういう無茶は避けたい。と言って、他にやることもすぐには浮かんでこなかった。

 「……ユキはどうしたい?」

 「え? 私……ですか?」

 それは、アイヴィーにしてみれば単なる気まぐれだった。

 しかし思いもよらなかったのだろう、自身の質問に対して返されたその質問にユキは目を白黒させる。

当然だ、アイヴィーがユキにこんなことを聞いたことはこれまでなかったのだから。ユキの行動の指針は常にアイヴィーが示し、ユキもそれに異論を挟んだことはない。そんな関係が今日まで暗黙の内に続いていた。それが今、根本から覆されたのだ。

 「え、え〜っと……」

 突然行動のイニシアティブを握らされたユキは、しばし洗い物の手を止めて考え込む。いつにない熟考ぶりだ。

 「う〜ん……」

 それから約一分、無言でじっくり考え抜いたユキはお返しとばかりにアイヴィーの思いもよらなかったことを言い出した。

 「私…………この街を見て回りたいです」

 「は……? この街を?」

 「はい。仕事について行く時なんかにも見てはいますけど、ちゃんと見て回ったことはなかったなって思って」

 確かにアイヴィーは、仕事の時にはいつもユキを連れていた。ユキにはまだ黙っているが、ユキを探しているという連中にこの部屋の場所が知られている可能性が高い。よってユキを部屋に一人で置いておくわけにはいかないのだ。

 ともかくそうして出歩く時には当然街の様子を垣間見ることも多かったはずだが、確かにユキの言う通りにちゃんとこの街を案内したということはなかった。ユキがここに来てもう一週間以上が経ったのだ。そろそろここでの生活にも慣れ、周囲のことに興味が向くのも不思議なことではないだろう。

 だが――

 「見て回るって言っても、別に面白いものなんて何もないわよここ」

 この街は復興の手が遅れている、数ある復興途上区の一つだ。その中でも特徴らしい特徴はなく、名物になるようなものもないありふれた街だった。見て回って面白いことなど何一つない。少なくとも数年来この街に暮らしているアイヴィーはそう言いきれると思っている。

 が、どうやらユキはそうではないらしい。

 「面白いものなんて、なくてもいいんです。私はただ、今自分が暮らしているこの街のことを知りたいんです」

 「随分殊勝なこと考えるわねあんたも。ま、そう言うんだったら別にいいけど」

 「そ……そうですか?」

 アイヴィーは半ば呆れたように言葉を投げかける。途端に自分の発言を照れ臭く思ったのか、ユキはパッと視線を手元に戻して洗い物を再開する。

 「それじゃあ、それが終わったあと出かけましょうか」

 そんなユキの背中にアイヴィーはその提案を受け入れる言葉をかけた。

 「本当ですか!? それじゃあ、すぐにこれ片づけますね」

 瞬間ユキは色めき立ち、満面の笑みを浮かべた。そうして嬉々として洗い物に没頭し始める。

 アイヴィーとしては特にこだわることもない提案、それを受け入れただけでこれだけ喜ばれると何やらムズ痒くなってくる。今度はアイヴィーの方が照れ臭くなって視線を開け放った窓の外に向ける。

 天気はいい。確かに出かけるには打ってつけの日和だ。

 (さて…………どう出てくるかしらね)

 反面、アイヴィーはそこに潜む危険もまた忘れてはいなかった。

 ユキがいたという研究所の連中は、まだユキの奪回を諦めてはいないだろう。にもかかわらず、ここのところ全くと言っていいほど動きを見せない不気味さは、アイヴィーとしても悩みどころだ。

 しかし、ただ座して待つということもアイヴィーはよしとは思わなかった。相手が諦めない限り、来る時は来る。部屋でじっとしていようと、外を出歩いていようと、向こうは構いはしないのだ。

 ならば好きに振舞っている方がいい。重要なのはいついかなる時で迎え撃とうという準備ができているかどうか。アイヴィーにはその自信がある。

 だからこれでいい。息を殺して縮こまっているよりは、こうして笑っている方が。

 ユキは洗い物を済ませ、いそいそとエプロンを脱いでいるところだった。

                       ***

 「で、街に出たはいいけど……」

 部屋を出て数分、アイヴィーたちは街のメインストリートへとやってきた。時刻はまだ午前中だが、通りは早くも多くの人で賑わっている。

 「これからどうする?」

 そんな光景を眺めつつ、アイヴィーはユキに問いかける。

 「いえ、それがわからないから案内して欲しいと……」

 当然の理屈だった。

 とはいえやはりこの街に見るべきものはこれと言ってない。すなわち、案内してくれと言われてもどこを案内すればいいのか考えに窮するというのが素直な心境だった。

 (ミナミさんの所には行ったし、ほかに最低限生活するのに必要な場所は教えたし、あとは……)

 実はアイヴィーにはこの街で一箇所だけ、人を案内できるような場所があった。それはこの街の見所ではなく、アイヴィーが個人的に気に入っている場所なのだが――

 (まだ早いわよねぇ……)

 そんな想いが浮かんできた時点で、アイヴィーはそれ以上考えるのを止めた。というより、それ以上は何も浮かばなかったのだ。

 そこで――

 「……とりあえず歩きましょうか。何か気になるものがあったら、私が教えてあげるわよ」

 本人に一切を任せることにした。何を案内すればわからないのだから、ユキ本人が気になることをあとから解説すればいいというわけだ。

 「そうですか? …………そうですね。それじゃあ行きましょう」

 その提案にユキは嬉しそうに首を縦に振る。そうしてこの街に来て初めて、ユキを先頭にして二人は歩き始めた。


 それからさらに小一時間が経過した。

 アイヴィーは常にはない好奇心を発揮したユキに連れ回されるまま大きな通りから街の外周、狭い裏路地とこのアールブの街を縦横に歩き続けていた。

 予想していたことだが、ユキは気弱な性格とは裏腹に常人を遥かに超えた体力を持っている。例の研究所でそう育成されたのだ。その気になればアイヴィーにも抗することができるだけの能力があるはずだが、持ち前の性格がその能力の発露を妨げていると言えるだろう。

 よって、小一時間歩き続けたにも関わらずユキは少しもへこたれた様子を見せない。歩きながら時折目に止まる物に興味を示し、また歩き出す。

 当然アイヴィーもこの程度で疲れるということもなく、ユキの後ろをついて歩きながらその質問に適当な答えを返すということを繰り返していた。

 (これは…………まだまだ長くなりそうね。その前に……)

 「ちょっと、ユキ」

 アイヴィーは悠々と先を行くユキを呼び止める。

 「はい、なんですか?」

 「何って、あんたこのまま日が暮れるまで歩き通すつもり?」

 「あ…………す、すみません! 私調子に乗っちゃって……」

 アイヴィーが怒っているものと勘違いしたのか、猛烈な勢いで頭を下げてくる。こういうところは相変わらずだ。

 「そうじゃなくて、少し休んだらどう? 時間はまだまだあるんだから」

 「え? あ…………そ、そうですよね、すみません調子に乗っちゃって」

 アイヴィーの言わんとしていることを理解したのだろうが、ユキは同じセリフを繰り返しつつ勢い込んで頭を下げる。

 「えっと……やっぱり、疲れちゃいました?」

 「……別に歩くことには疲れてないけど、あんたに色々説明するのには疲れたわね」

 「うぅっ……す、すみません」

 アイヴィーはわざと意地の悪い言いようで答える。

 事実ではあるがそれ以上に、まさかユキから「疲れているか?」と心配されるとは思ってもみず、少々カチンときたのがその理由だ。言ってみれば、一ハンターとしてのプライドというやつだ。

 例によってユキはその言葉の棘に突き刺され、シュンと肩を落としてしまった。

 「ほら、行くわよ」

 アイヴィーは満足半分、そして少し大人気なかったかという後悔半分でユキを促す。歩き出した時にはもうその感慨を頭から追い出し、この周囲で休めそうな場所を思案していた。周囲のほとんどは人の手が届いていない廃ビルだらけ、休憩場所を探すだけでも骨が折れそうだ。

 しかし、アイヴィーたちに休息は許されなかった。

 「……!?」

 二人が歩いていた狭い路地、その行く手を阻むように一人の少女が立っていた。

 「……っと、どうしたんですかアイヴィーさん?」

 突然立ち止まったアイヴィーにつっかえるようにしてユキも止まり、何ごとかと聞いてくる。アイヴィーはそれには応えず、手を横に掲げて無言の内にユキを制する。

 その少女に覚えはない。狭い路地とはいえ二人の人間がすれ違えないほどでもないし、人を待っているという様子でもない。

 ただわかるのは、産毛が逆立つような異様なまでの殺気。

 それは、あまりにも唐突な来訪だった。

 安穏とした日常を壊す悪魔の。

 「ねぇ…………後ろのそれ、こっちに渡してくれない?」

 「なんですって?」

 「だから、後ろのそれよ。あんたにはどうでもいい奴でしょ?」

 少女が口を開く。パーカーについたフードを目深に被っていて表情こそ見えなかったが、わずかに覗く口元は人を小馬鹿にするように歪んでいた。

 「……まあ、どうでもいいって言えばいいんだけど、そう単純でもないのよね。少なくとも、初対面の相手に名乗りもしない奴に、渡す気にはなれないくらいにはね」

 とりあえず、その態度が気に食わなかったのは確かだ。だがそれ以上に、アイヴィーは名乗られるまでもなくその正体に気づいていた。

 その少女から感じる殺気や気配といったものが、“誰か”にそっくりなのだ。

 「ふーん…………あっ、そ」

 少女はつまらなそうに呟きながらフードを脱ぐ。

 その下から現れたのは白い髪、そして血の色をした瞳。

 「じゃあ死になさいよ」

 「――っ!?」

 吐き捨てるのと同時に地面を蹴った少女の姿が、瞬時に目前へと迫った。

 その手にはすでに、鈍く光る短剣が握られている。

 アイヴィーは咄嗟にユキを突き飛ばし、自らもそれとは逆方向に身体を泳がせる。少女の短剣はちょうどのその間の空間を斬り裂いた。

 「結構いい反応するじゃない。つまらないお使いだと思ってたけど、少しは楽しめるかもね」

 最初の勢いのまま再び距離を取った少女の口元が再び歪む。今度はこの上なく好戦的に。

 ユキはその少女を見て、大きく目を見開きながら震えていた。恐怖に震えているというのもあるだろうが、その赤い瞳にはまた別種の衝撃があるように思えた。

 そしてそれは、ほどなくして本人によって語られた。

 「レイン…………ちゃん」

 「あら、覚えてた? いつもビクついてたから、周りのことなんか見てなかったと思ってたのに」

 レインと呼ばれた少女は悠然とユキを睨みつける。

 「ホント、わけわかんないわよね。なんであんたみたいな出来損ないを、わざわざ連れて戻らなきゃいけないのかしら」

 「わ、私は……」

 「そうやって、いつもビクビク縮こまっててさ…………あんたのそういうとこ、ムカつくのよね。そのくせに研究所の連中からはチヤホヤされて」

 「そんな、私……!」

 そうではない、そう言い募ろうとするユキの言葉を無視してレインは自身の不満を漏らし続ける。その表情は、これまでと打って変わって冷徹そのものだ。

 瞬間、その冷たさが一層増す。

 「やっぱりあんたも死んどく?」

 「――ぅっ!?」

 放たれた言葉と殺気に、ユキが息を詰まらせる。

 「待ちなさいよ」

 同時にアイヴィーは、瞬時に懐から愛銃を引き抜いてその銃口をレインに突きつける。

 その容貌、身体能力、そしてユキとのやり取りからもはやレインがユキのいた研究所からの刺客であることは疑いなかった。

 ならば、指をくわえて見ているわけにはいけない。

 「私を無視して話進めるの、止めてくれる?」

 「ア、アイヴィーさん……」

 その声に、レインはピタリと動きを止める。

 そうしてあらためてアイヴィーに向けられたレインの顔には、再び嫌味たらしい笑みが刻まれていた。

 「あぁ、あんたもいたんだっけ。でも……」

 言葉が出るより先にその右手が動く。

 「――わっ!?」

 手にしていた短剣をアイヴィーに向かって投げたのだ。

 辛うじてそれは避けたものの――

 「邪魔しないでよ……!」

 赤い瞳と目が合う。

 その距離、わずか数センチ。そして右手には、いつの間にか次なる短剣が握られていた。

 「――くっ」

 その右手は力なく垂らされた状態から一息に斜めに斬り上げられる。

 アイヴィーは夢中で地面を蹴った。上体を反らしながら後退、どうにかその難を逃れる。

 「――このっ……!」

 アイヴィーはそのまま狙いをつけ、引き金を引く。

 しかし、弾は当たらなかった。レインは射線から大きく身体を外し、次なる攻撃に移ろうと今まさにバネを溜めているところだ。

 ユキに向かって。

 「さあっ、死になさいよ!」

 「――っ! 無視しないでって言ったでしょ!」

 割って入れるタイミングではない。そう判断したアイヴィーはレインの鼻先目がけて銃を数射する。

 「甘い……!」

 レインは高々と跳躍してそれをかわし、なおも執拗にユキを狙う。

 だがそれでも、アイヴィーにとっては十分な時間稼ぎにはなった。

 「――っく!」

 落下しながら繰り出されたレインの短剣は、鋭い金属音とともに止まる。

 「へぇ……」

 「っ……跳び過ぎなのよ、あんた」

 すかさず割って入ったアイヴィーがレインの攻撃を受け止める。その手にはレイン同様短剣が握られていた。

 「……ていうかそれ、私のと同じじゃない? あぁ、あいつからパクったんだ」

 「物がよさそうだったし、捨ててくのももったいないと思っただけよ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけ……ど!」

 アイヴィーは言葉の途中で思いきり足を振り上げる。当たりこそしなかったものの、それでレインを退かせることには成功した。

 (とりあえずは仕切り直し。だけど……)

 アイヴィーは自身の不利を感じずにはいられなかった。実力云々以前に、この状況がだ。

 おそらくはユキを連れ戻すために差し向けられたはずのレインが、何故かユキを殺そうとしているのだ。それが演技なのか独断による暴走なのか、あるいはあの時のユキのようなある種のトリップ状態なのかはわからない。しかしわからない以上、ユキの守りを疎かにするわけにはいかない。

 結果、アイヴィーは、否応なしに守勢に立たされる。自分以外の何者かを守りながら戦うことが困難を極めるのは自明の理だ。

 「…………仕方ないわね」

 アイヴィーは静かに決断を下し、呟く。

 「ユキ、あんたは先に行きなさい」

 「えっ……!?」

 「とりあえず人通りの多い所まで行けば大丈夫でしょ。それからミリアに連絡して……」

 「ち、ちょっと待ってください! 先にって、それじゃあアイヴィーさんは?」

 早口でまくし立てるアイヴィーをユキが止める。急な提案に面を食らっているようだが、それを納得させている余裕はない。

 「ここで足止めするに決まってるでしょ? あんたを守りながらじゃ、まともに戦えないのよ」

 「そんな……」

 ユキは悲しそうに俯く。

 少し言い方がキツかったかもしれないが、それを気にしている余裕もやはりない。

 「…………わかりました」

 ややあって、今にも消え入りそうな声でユキはそう答えた。

 「次にあいつが動いたら走りなさい。大丈夫、私が絶対に追わせないから」

 アイヴィーはそう言うと銃の弾倉をスイングアウトさせ、空の薬莢を抜き始めた。

 誰の目にも明らかな隙。当然レインはそれを見て取るやいなや飛び出した。

 しかしそれは、レインを誘うための行為だった。

 「行きなさい!」

 アイヴィーは先のレインと同じように、その鼻先に短剣を投げつける。当たりこそはしなかったが、それでもレインの出足を挫くには十分だ。

 「――ちっ!」

 狙い通り短剣を避けるために一度は踏み止まったレインが、再びユキを追って地面を蹴る。

 そしてユキは、アイヴィーの声と同時にすでに駆け出していた。向かった先はすぐそばにある廃ビルの扉だ。

 「逃げるんじゃないわよ!」

 再度ユキを追い始めるレイン。アイヴィーは弾倉に新たな弾を込める。

 ユキが扉を開いてその中に身体を滑り込ませ、それを捕まえようとレインの手が伸びる。

 距離にしてわずか数センチ、しかしその手は――

 「――!?」

 唐突に閉じられた扉に遮られる。

 ユキが中から閉めたのではない。アイヴィーが放った銃弾が扉を弾き、レインの行く手を阻んだのだ。

 「…………妙な真似をするわね」

 「その扉を開けて追いかけるならご自由に。私は背中からでも撃たせてもらうけど」

 「そう、そうまでして先に死にたいの……?」

 それまでユキに向けられていた殺気が、今度はアイヴィーへと向く。

 しかしアイヴィーはもう動じることはなかった。これまでの戦いで一つの確信に至っていたからだ。

 アイヴィーは嘲るように口の端を吊り上げる。レインが始めにそうしたように。

 「あんた…………ユキより弱いでしょ?」

 「――!?」

 その一言に、レインの表情が一変する。

 「……………………はあ? 私が? あんな奴より弱い?」

 それはレインが初めて見せる憤怒の表情だった。

 「あんた、あのくらいで私の力をわかった気でいるわけ?」

 「そう聞こえなかったかしら? だったら、あんたのトコの研究所とやらで耳も診てもらったら……っ!?」

 言い終わるより前に、レインの姿はすぐ眼前にあった。

 「ふざけんじゃないわよ!」

 「――くっ」

 真っ向から猛然と振り下ろされたレインの短剣。アイヴィーはそれを、今度は銃身で受け止める。

 「言葉は選びなさいよ? でないと命を縮めることになるわ」

 ギリギリと金属の擦れる音とともに、その切っ先が近づいてくる。もう一押しされれば肌に届く距離だ。

 しかしアイヴィーは物怖じしなかった。

 「っ…………ご忠告どうも。でもご心配なく、このくらいで私の寿命は縮んだりしないから」

 アイヴィーは先ほどと同様足を振り上げようと力を込めたが、それに反応したレインは大きく後方に跳んで距離を取る。

 しかし、今度は仕切り直しとはいかなかった。

 レインは着地からそのままアイヴィーに向かって跳躍する。

 アイヴィーは銃で迎え撃つが再度射線から身を離し、やはりアイヴィーに突っ込んでくる。

 レインは止まらない。が、それもアイヴィーとしては織り込み済みだ。

 アイヴィーは間近に迫った短剣を紙一重で避け、勢いのまま行き過ぎていくレインと身体を入れ替えるようにして前に出る。しかもそれを、上体を捻りながら行うことですぐさまレインをその照準に捉える。

 「――ちぃっ!?」

 気づいたレインは遮二無二地面を蹴った。

 アイヴィーが放った弾丸はその地面に弾痕を穿つだけだったが、アイヴィーはさらに続けざまに銃を撃ち放つ。レインに攻勢に転じるどころか、振り返ることすら許さない。

 「「――!?」」

 そこで不意に銃声が止む。

 弾切れだ。アイヴィーが使っている銃はリボルバータイプの物で装弾数は六発。あれだけ連射すればそれも止むを得ない。

 勘づいたレインが好機とばかりに突貫してくる。

 アイヴィーも素早く新しい弾を装填する。この銃を使っている以上弾切れはつきもの、弾の再装填も十分に訓練してある。

 如かして、狭い路地裏に二つの影が交錯する。

 「っ……!」

 レインの振り抜かれた短剣が右腕を掠める。

 同時に銃声。腕の傷と引き換えに左の大腿部を撃ち抜く。まずは機動力を殺ぐ狙いだ。

 「だから何?」

 レインは踏み止まり、撃たれた足を軸にして右足で蹴り上げた。ユキもそうだったが、どうやらどうにかして痛覚を消しているようだ。

 「逃がさないわよ!」

 続いて短剣を振るい、拳を突き出し、再度蹴りを繰り出す。その一つ一つが異様に速い。それまでの散発的な攻撃ではなく、アイヴィーに反撃の隙を一切与えない猛攻だ。

 「ほらほらどうしたの!? さっきまでの威勢はハッタリ!?」

 「しゃべりながらだとっ、舌噛むわよっ!」

 アイヴィーはその攻撃をひたすらかわし、防ぎ続ける。

 そんな中でも、アイヴィーの確信は揺るがなかった。

 何故か。アイヴィーはレインの攻撃を受け切れているからだ。

 (見えるし……堪えられる……よし!)

 「――!?」

 アイヴィーは頭部を目がけて放たれた蹴りを受けつつ、返しの蹴りを打ち込む。

 わざとそうしているのだろうか、平静をアピールするかのように軸足に使われている傷ついた左足を狙って。

 「くっ……!」

 レインはバランスを崩し、わずかに膝を折る。たとえ痛みを感じなくとも、間違いなくダメージはあるのだ。

 そこに追撃の肘鉄、レインの側頭部にまともに入った手応えだ。そして止めとばかりに銃口をレインに向け、引き金を引く。

 「――くっ!」

 レインは辛うじてその場から跳び退く。

 着地点から数センチ後退して止まったレインは肩で息をしながらこちらを睨みつけてきた。アイヴィーは銃口の先にレインの姿を捉えながら、苦渋と焦りを滲ませるその赤い瞳を睨み返す。

 「なんで…………なんでよ……!? なんで……こんな奴に……!」

 「随分な言いようね、私のことなんて何も知らないくせに。ついでに、“敵を知り己を知れば……”っていう言葉も知らないでしょ?」

 おそらくレインは、自分以外の人間を虫けら程度にしか考えていないのだろう。故に相手が何者であるかなど関係なく、力任せにねじ伏せてきたに違いない。それだけの力があるのは確かだが、その理屈は自身と同等以上の存在によって容易に覆される。

 アイヴィーは違った。いや、ある一定の実力を持つ者なら誰しもそうだろう。

 たとえ相手が何者だろうと、戦い最中に情報収集を欠かさない。どれほどの身体能力か、どんな武器を使うか、どんな戦闘スタイルか、さらには互いが置かれている状況をも視野に入れて戦いを組み立てる。それをごく自然に行えてこそ一人前なのだと、かつてのアイヴィーは学んだのだ。

 その結果は、先の言葉通りだ。

 「戦い方は似ていても、パワーもスピードもユキには劣る。その上感情丸出しで向かってくるから動きも読み易い。断言してもいいわ、あんたはユキより……弱い」

 先日のユキとの戦いと比べ、アイヴィーはそう結論を出していた。

 「っ……! たかがハンターの分際で……」

 特にその殺気。

 ユキの殺気は、異様なほど純粋なものだった。目の前の相手を殺すことだけしか頭にないような、そこに根ざすものが何も感じられない、ただひたすら純粋な殺気。それは恐怖とともに、ある種の不気味さをも伴ってアイヴィーを圧迫したものだ。その上何を考えているのかも読み辛い。

 その点レインの殺気には、その根底にあるものがはっきりと見て取れる。憎悪や嫉妬、あるいは快楽。それらは殺気というものの根源としては自然と言える感情だ。そこにユキのような不気味さはなく、同時にそれらの感情は戦闘行動の指標にもなりうる。

 能力的に劣り、動きも読み易いとあっては明らかにユキより弱いと判断せざるを得ない。ユキを守りながらでなければ十分に倒せると踏んだからこそ、ユキを先に逃がしたのだ。

 「私は…………あんたたちなんかとは違うのよ。私は選ばれて、生き残ったからここにいるのよ!」

 「だったら試してみる? すぐにわかるわ」

 アイヴィーのその言葉を最後に、場を沈黙が支配する。

 真っ直ぐにレインを見返すアイヴィーに対し、レインは怒りを抑えるように顔を伏せた。

 しかしアイヴィーには、その次の行動も容易に予測できた。このレインが怒りを制して戦えるはずはない、と。

 「ふざけるんじゃないわよ!」

 レインが怒声とともに地を蹴った。

 瞳が赤い尾を引き肉迫するレインに向けて、アイヴィーは続けざまに引き金を引く。これでまた弾切れだ。

 「当たらないって言ってんのよ!」

 銃弾は全て避けられる。馬鹿正直に撃ったのでは当然だ。

 しかし、それに応じるレインのリアクションも正直だ。弾を避け、弾切れを見て取って一直線に向かってくる。

 「死ねぇっ!」

 アイヴィーが使う銃に対し、自らを弾丸のように加速させて一突き。狙いは正確にアイヴィーの心臓。

 それだけで十分だ。

 「――!?」

 「言ったでしょ、読み易いって……!」

 半身を引いて短剣をかわしたアイヴィーは即座にその腕を掴んだ。そして以前ユキにそうしたように、銃のグリップをレインの頭に打ちつける。

 レインはそのまま打たれた方向に身体を泳がせる。ユキと違って反撃もない。

 「――っ!」

 アイヴィーの手を振り解き、レインは苦し紛れに短剣を振り回す。

 これではもう、戦いにすらなっていない。

 「――ふっ!」

 右手に持っていた銃を放り上げ、左右のワンツー。一発目が頬を、二発目がみぞおちを打ち据える。

 「――っぐぁ……!」

 「次はもっと考えて戦うことね。もっとも――」

 振り上げられた左足がレインの顔面を捉えた。

 防御も何もできなかったがレインの顔が、なす術もなく跳ね上がる。

 「ぁっ……」

 そのままの状態で一瞬の静止。そしてレインは、声もなくその場に崩れ落ちた。

 それを見下ろすアイヴィーは、悠然と振り上げた足を戻す。

 差し出した右手に軽い衝撃と馴染んだ重み。宙からその手に戻った銃を懐にしまい、アイヴィーは呟く。

 「……次なんてないでしょうけど」

 レインがその呟きに反応を返すことは、もはやなかった。

                       ***

 アイヴィーの勝利からさかのぼること数分、ユキは路地裏を抜けて大通りに出ていた。

 「えっと、あとはミリアさんに…………あ、でも……」

 そうして言われた通りミリアに助けを求めようとしたところで、アイヴィーが持っているような携帯端末の類を持っていないことに気づく。

 仕方なくユキは周囲を見回し、公衆端末を探す。こういう時のために幾ばくかのお金はアイヴィーに持たされている。

 「あ……!」

 ほどなくして、ユキの目に一台の公衆端末が飛び込んで来た。ちょうど前の使用者が話し終えて離れていくところだ。

 ユキは急いでその端末に駆け寄る。一方で逸る気持ちを抑えつつ、小銭を探してポケットをまさぐる。

 だが――

 「そこまでだよ」

 「――!?」

 その手を別の誰かの手が制し、声がかかる。

 聞き覚えのある、同時に決して聞きたくなかった声。

 「あ…………カールせん、せい……」

 その姿を確認し、信じられないという風に両目を思い切り見開く。

 間違いない。ユキを研究所に引き入れ、その身体に様々な処置を施して凶戦士へとつくり変えた張本人だ。

 カール・ストーン。

 「だめだよ、勝手に抜け出しちゃ。さあ、帰ろう」

 一見して物腰は柔らかだが、その言葉には有無言わさぬ強制力があった。あるいはユキの心に刻まれたトラウマが、この人物の前で心身を萎縮させているのかもしれない。

 「…………嫌……です」

 しかしユキは、必死の想いでそれに抗う。

 「おや、どうしてだい?」

 「もう嫌なんです……! 誰かを傷つけるのは。私は…………あんな所にいたくないんです!」

 カールの手を振り解こうと力を込めるが身体が言うことを聞かない。それでもこれまでにない強い視線をカールに返す。

 「本当にいいのかな? それで……」

 「え……?」

 しかしその抵抗も、カールの浮かべた薄笑いを前にしてあえなく跳ね返された。

 「僕は君を諦めない、絶対にね。君が逃げるというのなら、僕は君を追い続ける。その結果危険に晒されるのは…………君じゃあないね?」

 「――!」

 突きつけられた現実に、ユキは言葉を失う。

 「彼女がいつまでも君を守れるとは限らない。いやそれ以前に、彼女がいつまでも君を守ってくれるとも限らないんじゃないかい? もとより君は、彼女に対してなんら価値のない厄介者だからね」

 「っ…………違います! アイヴィーさんはそんな……」

 否定しようにも言葉が見つからない。

 今になって、先ほどのアイヴィーの態度が思い起こされる。事態が差し迫り、とにもかくにもユキを逃がそうとしたのだろうと、あの時は思った。しかし今は、カールの言葉がそれを捻じ曲げる。

 ユキの心の中で、アイヴィーの背中が急速に遠ざかって行く。

 「わかるかい? 君がいられる場所は、ここにはないんだよ。君はここにいる限り、必ず誰かを犠牲にするんだから……」

 「でも……私は……」

 ユキはすがるような目でカールを見る。その先を聞きたくないと。その視線に、先ほどのような力はない。

 しかしカールが、そんなことを気にするはずもない。あっさりと、ユキにとっては絶望的な宣告がなされる。

 「君を受け入れてくれる人間なんて…………ここにはいないんだよ」

 「……!」

 その一言で目の前が真っ暗になる。

 ユキは立っていることすらできなくなり、その場にへたり込む。アイヴィーがくれたはずのわずかな光すら塗り潰して、深い闇がユキの心を支配する。

 「君さえ戻ってくれれば私たちは彼女に手は出さない。出す必要がないからね。それは約束しよう…………帰ってきてくれるね、ユキ?」

 ユキはもう、その問に対して首を縦に振ることしかできなかった。

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