第三話
「それで、あれの行方はわかったのか?」
「いえ、それがまだ……」
薄暗い部屋に声が響く。前者は男性、後者は女性だ。
「ハンターたちの動きはどうだ? 手配書は出したのだろう?」
「そちらもあまり芳しくありません。重要と思われる事項を伏せて掲出いたしましたので、リアクションも薄いようです」
「そうだな。あれだけ見ればただの人探し、ハンターとしてはいまいち旨味に欠けるか」
男は腕組みをしながら憂鬱そうに漏らす。
「ただ……」
女はさらに報告を続けた。憂鬱に重ねられた打消しの言葉に、男はわずかに表情を変える。
「以前彼女が目撃されたというスラムで、男性の死体が発見されました。身元を確認したところ、どうやらハンターだったようです」
「彼女がやったと?」
「おそらくは。そして時を同じくして、同じ場所でハンターがもう一人目撃されています」
「そのハンターがどうしたんだ?」
女はもったいぶるように一旦言葉を切る。
そして「推論ですが」と断ったあと、それを語り始めた。
「そのハンター、スラムに入るところは目撃されたようですが、それ以降は目撃されていません。スラムから出た形跡がないにも関わらず。そして同時に、以降は彼女の目撃証言もなくなりました。まぁ、一日足らずの時間しか経過してはいませんが」
「回りくどいな、何が言いたい?」
「……ハンターが目撃されなくなったのはスラムを出たから。その形跡がないのは人目を避けたため。その理由は、スラムに入る時にはなかった人目を避けたい何か……あるいは誰かを連れていたから、と考えられないでしょうか?」
「それがあれだと?」
「あくまで推論です。ですが辻褄は合うかと」
「そのハンターもあれの手にかかり、あれはその場からまた移動した……とも考えられるな?」
「それはもちろん。しかし初めの男性と同じように死体も見つからないのは不自然です」
「ふむ……」
男は口元を手で覆って何ごとか考え込む。数秒の後、その瞳に剣呑な光が宿る。
「そのハンターの身元は?」
「これから、ですがすぐにでも」
「ウチから何人か人を出して確認を取れ。状況次第では“在庫”を使ってもいい」
「こちらで動くのですか?」
男の命令に女は訝しそうな表情を浮かべる。自ら動いて目立つのを避けるために、賞金首という形を取ったのだ。今回の命令はそれを翻すことになる。
「リアクションが薄いと言ったのは君だろう? やはり横着はするものじゃないな。虎穴に入らずんば…………という言葉は正しいよ」
「……残された“在庫”もわずかですが、それも……」
「使って構わない。あれさえあればどうとでもなる。他に質問は?」
「いえ、すぐに手配します」
色々と疑問を投げかけてきた女は、最後には簡潔な言葉を残して部屋から退出していった。
それを確認した男は窓の外を見る。
そこに空はない。息が詰まりそうな圧迫感をもって広がる天井に、いくつかの照明が硬い光を放っているだけだ。
そんな状況に置かれている自分自身に、男は歯噛みする。
自分はこの世界に大きな影響を及ぼし得る研究をしているはずだ。それなのに光の届かないこんな場所に押し込められ、その功績に陽が当たることもない。ほかでもない、この仕事を命じたはずの人間たちがそれを認めようとしないのだ。
だがそれも直に終わる。
「今に見ていろ、天才を理解できない凡人どもにも判りやすく示してやる」
否定しようのない、絶対的な成果。それを示せば認めざるを得ない。
唯一の不遇は、その成果が檻を脱してしまったことだ。しかしそれさえ戻れば、こんな暗闇の底からも脱出することができる。
「逃がしはしないよ。今度こそ……!」
男は味気のない人工の星空を睨みつける。その瞳には、尋常ならざる狂気が滲んでいた。
***
「……………………あ」
目が覚めて最初に見たのは、見慣れない天井だった。
ユキはその状況に一瞬驚き、次の瞬間には昨日のことを思い出して静かに胸を撫で下ろした。
「あれ……?」
ベッドの上で上半身を起こしてボンヤリと視線をさ迷わせるユキは、しかし途中で再びその目を丸くする。隣で寝ていたはずのアイヴィーの姿がないのだ。
「え…………っと……」
見ず知らずの部屋に一人取り残され、行動の指標にするべきものもないという状況にユキは困惑する。オロオロとあらためて周りを見回してみるが、当然なんの解決にもならなかった。
「ど……どうしよう? どうすれば…………あ」
そうして途方に暮れかけた時、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように部屋の扉が開いた。そこから入ってきた人物の顔が、ユキの困惑を拭い去る。
「あら、目ぇ覚めた? 調子はどう?」
ユキの心境などつゆ知らず、アイヴィーはのんびりした調子でユキに問いかける。
「アイヴィーさんどこ行ってたんですか!? 起きたらいなくなってたから、私……」
「日課のトレーニングに行ってただけよ。起こしたら悪いと思って、声はかけなかったけど」
勢い込んだユキの糾弾も、アイヴィーはあっさりとかわす。その言葉には一分の隙もなく、ユキは口をつぐむ以外になかった。見るとその言葉通り、アイヴィーの額にはわずかに汗が光っている。
「……大丈夫なんですか? アイヴィーさん怪我を……」
アイヴィーへの恨めしい気持ちはどこかへ消え、代わりにその身を心配する言葉が出てくる。
昨日のユキとの戦いで、アイヴィーは相当な手傷を負ったはずだ。だというのにその翌日、朝一番にトレーニングなど無茶にもほどがある。
しかしそれすらも、アイヴィーは簡単に受け流して見せた。
「言ったでしょ? ハンターなんてやってたら、このくらいの傷は慣れっこよ。まあ確かに、今日はいつもより控えめにはしたけど」
「でも…………あ! その左腕……も?」
そんな言い合いをしてると、ふとユキの目がアイヴィーの左腕に吸い寄せられる。左の二の腕辺り、そこにはやけに厳重に包帯が巻かれていたのだ。
痛々しい、という感想より先に妙な違和感に襲われる。はっきり覚えてはいないが、昨日の戦いの時に果たしてそんなところを傷つけただろうか、と。実際、おぼろげではあるが記憶にある、同じく左の肩口の傷に対してはなんの違和感も覚えない。そうしてよくよく見てみると、その二箇所の包帯は微妙に異なる風合いをしていることに気づく。
「アイヴィーさん、その左腕……」
「左腕……ああ、これ? これは…………あんたとは関係ないから安心しなさい。それに他の怪我だって、これくらいじゃなんともないわ」
アイヴィーは包帯越しに腕を撫でる。ユキはその瞳に、一瞬だけ切なさのような、やるせなさのようなもの過ったような気がした。
「それより朝食にしましょ。トレーニングでお腹減ったし」
しかしそれも、本当に一瞬のことでしかなかった。アイヴィーはもはや聞く耳を持たないといった風に話をすり替える。
「え? 食べる物はもうなくなったんじゃ……?」
それにあっさり乗せられたユキは昨日のことを思い出していた。
夕食にと出されたえもいわれぬ味のカップ麺、それが最後の食料だと言っていたのはほかでもないアイヴィー自身だ。
「それに関してはアテがあるから大丈夫よ。あんまり気は進まないけど」
言いながらアイヴィーは椅子に引っ掛けてあったタオルを手に取り、汗を拭う。
「というわけで出かけるから、あんたも準備しなさい。それとも……そんな人目を引く格好で出歩きたい?」
「は、はぁ…………え?」
アイヴィーの言葉に一瞬理解が追いつかなかったが、すぐにその意味に気づく。
今のユキはアイヴィーから借りたティーシャツに下着のみという、ラフこの上ない格好だったのだ。
アイヴィーの言う通り、その格好のまま出歩くことを想像してしまったユキの顔が耳まで真っ赤に染まる。
「あ、や、えっと……ちょ、ちょっと待ってください!」
この格好で外に出れば人目を引くこと請け合い、それだけは断じて御免被りたい。よってユキは大急ぎでハンガーにかけてあった自分の服を引っ掴む。研究所から逃げる時に着ていた薄いワンピース状の検査着だが、今のままよりは遥かにマシだ。
「お……お待たせしました」
ユキとしては着替えに一分と要していないといった気分だが、実際には慌てていたために腕も頭もなかなか通せず、たっぷり三分ほどかかってしまった。
ともかくこれで準備万端、と思ったのはユキの方だけだったようだ。
「ほらこれも。こんなのでもないよりはマシでしょ」
「え?」
アイヴィーが投げてよこしたのは自前の物と思われる上着とキャップだった。
「あんたは面が割れてるんだから、出歩く時は気をつけないとね」
「あ、はい。ありがとうございます」
確かに薬の副作用で髪や瞳の色が変わっているとはいえ、顔写真は手配書として広く出回っている。あまり大げさにしては逆効果だが、キャップを被るくらいの変装は然るべきだ。上着の方は変装には必要ないように思えるが、薄い検査着だけでは外を出歩くには心許ないというアイヴィーの気遣いだろう。
「あ、あれ?」
その気遣いへの感謝を噛み締めつつ、ユキは上着のボタンを留めようとする。しかしこれがなかなか上手くいかない。
どうやらユキが着るにはサイズが小さかったようだ。ならばあえてボタンまで留める必要はないだろうと諦め、ユキは続いてキャップの方を被る。こっちは問題ない。
しかし、その傍らで新たな問題が発生していた。
「アイヴィーさん、準備でき……ま、した?」
ユキの準備を待っていたアイヴィーの表情が、妙に険しいものに変わっていたのだ。その視線はユキが止めることを諦めた上着のボタン、というよりもその胸元に注がれていた。
「あ、あの……どうかしましたか?」
「――はっ!? え? い、いや……なんでも……」
ユキの呼びかけに我に返ったアイヴィーが激しく動揺する。珍しい反応だ。
「やっぱり、ボタンはちゃんと留めた方がいいですか?」
「い、いいわよ別に。それ私のだから、サイズが合わないんでしょ。サイズ……が……」
そう言ってワナワナと打ち震えるアイヴィーは、何か壮大な苦悩を必死に堪えているよう見えて仕方がなかった。一体何がアイヴィーをそうまでさせるのか、ユキには知る由もないが。
「と……とにかく行くわよ! 私トレーニングでお腹空いてるんだから」
「は、はい!」
アイヴィーはその動揺を振り払うような勢いでそそくさと玄関に向かった。
ユキもアイヴィーに対する疑問はさておいてそれに従う。このままでは朝食を味わう代わりに先ほどと同じ困惑を味わうことになる。それだけはなんとしても避けたい。
(とりあえず、今のことは胸の奥にしまっておこう)
あるいはそれが一番賢明な判断かもしれない、ユキにはそう思えた。
***
準備を済ませたあと、二人は街に出た。
この街はアールブという名の復興途上区だ。
数十年前、世界の大半を壊滅させたという大戦があった。その大戦の後、生き残った人々は文明の復興に力を注いだがそこには元々の被害の度合いや地理的問題、優先度などの理由から格差が生じたという。
そのため人々が生活圏としている街には復興の進行度によって格づけがなされた。完全復興区、復興先進区、そして復興途上区だ。
すなわちこの街はかつての戦争からようやく立ち上がり始めて間もない街であり、色々と不便なことも多いがそれ故に活気に溢れた街なのだ。
と、いうような説明をアイヴィーから受けながら歩くこと五分少々、二人は目的地に到着した。
「さあ、ここよ」
アイヴィーの部屋があったのと同じような寂びれたビルの一階部分、そこに見える小ぢんまりとしたガラス戸を指す。そこからわずかに覗く店内の様子からどうやら喫茶店か何かのようだ。
「おはようございま〜す」
「えっと……お邪魔します」
軽い挨拶とともにその入り口を潜るアイヴィー。その背中に張りつくようして、ユキも店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいま……って、なんだアイヴィーか」
迎えてくれたのは二十代半ばと思われる女店主だった。アイヴィーとは顔見知りらしく、その顔を見るなりすぐさま営業用スマイルを吹き消す。
「珍しいね、こんな時間に来るなんて」
「まあ、色々あって……」
「ふ〜ん……後ろのそれも“色々の”一つ?」
「え……!?」
言葉とともに女店主はアイヴィーの後ろに隠れていた(実際には身長差で隠れきれていないが)ユキを見る。特に悪意のようなものは感じられないが、見知らぬ人間の興味ありげな視線を受けてユキは身体を縮こまらせる。
「そんなトコ……かな。ほら隠れてないで、挨拶!」
「あ、えっと……ユキ、です。はじめまして」
アイヴィーに促され、ユキはおずおずと自己紹介しながら頭を下げる。
「はい、はじめまして。私はこの店のマスターのミナミ、よろしくね。で、この時間に来たってことは朝ごはんまだなんでしょ? 何つくろうか?」
「あーそれなんだけど……」
ユキの自己紹介に自らも名乗り、相好を崩すミナミ。しかし、続く注文の催促に今度はアイヴィーがバツの悪そうに頬を掻く。
「今……ちょっと持ち合わせが……」
「はぁ? お金もないのに来たわけ?」
「そこはまあ……ねぇ?」
「……しょうがない。あんたには世話になってるし、とりあえずツケにしといてあげるわよ」
「恩に着ます、ミナミさん」
「都合にいい時だけ敬語を使うんじゃありません。で、何にする?」
「おすすめで」
「あんたねぇ…………まあいいわ。ちょっと待ってなさい」
素っ気ない態度で調子のいいアイヴィーをたしなめつつ、ミナミは調理に取りかかる。
ほどなくして、空腹のユキにとっては魅惑的と言っても過言ではないなんとも芳しい香りが店内に立ち込め始めた。
「はい、どうぞ」
席に着いて待つことしばらく、二人の前に置かれたのは二人前のピラフだった。朝からこのメニューもどうかと思ったが、アイヴィーの方は特に気にしている様子はない。どうやらアイヴィーにとっては馴染みのメニューのようだ。
「いただきます」
こんなところばかり妙に礼儀正しいアイヴィーは早速スプーン片手に食事を始めた。
その嬉々とした横顔を眺めながら、ユキは昨夜のカップ麺の一件を思い出していた。明らかに世間一般とはズレた味覚を有するアイヴィーが美味しいと感じているのならばこの料理は果たして、という思いがその一口目を躊躇させたのだ。
そんなユキに、この料理をつくってくれた本人の視線が注がれる。目の前に出された料理に手をつけようとしないのだから当然と言えば当然だ。
昨夜同様逃げ場はない。ユキは意を決してスプーンを手に取り、皿に盛られたピラフを一匙すくって口の中へ運ぶ。
「あっ……」
同時にユキの身体に衝撃が奔った。それは、昨夜感じたものとは明らかに別種の衝撃だった。
「お、美味しいです!」
感動が言葉となって口から迸る。普段のユキならば考えられないほど強い声音だ。
「そう? よかった。どうせこいつ持ちなんだから、遠慮しないで食べなよ」
「はい!」
ミナミが作ってくれたピラフはごく普通の感覚でも十二分の美味しかった。朝食であることを考えてか、あっさり目の味つけにしてあるところも心憎い。その上空腹であったこと、昨夜の出来事からくる疑念とのギャップがその味を何倍にも高めていた。
しかしユキは慌てなかった。こんなに美味しい物をすぐに食べてしまうのはもったいないし、また今しがたの自分の勢いに恥じ入ったのも正直なところだ。
ユキは気持ちを落ち着け、一口一口噛み締めるようにピラフを口に運ぶことに終始する。
「ところでアイヴィー、持ち合わせがないって言ってたけど、お金に困ってるわけ?」
「ええ、そうよ。でなきゃツケで食べ物せびったりしないわよ」
それは“食事に没頭し始めたユキはさておいて”というにしても唐突な問だった。アイヴィーはしばし食事の手を止め、不機嫌そうに答える。
「相変わらず、何にそんなに使ってのかねぇ?」
「だから色々あるのよ、私にも」
こっそり聞き耳を立てていた“色々”の内の一つのとしては、その耳が痛む。
「まあ、そんな色々あるあんたに持ってこいの話がある」
そんな話を続けられては食事どころではなくなるところだったが、続いてミナミの口から語られたのはむしろ耳寄りな情報だった。
「こんな賞金首はどうだ?」
そう言って取り出したのは一枚の紙切れ。どうやら賞金首の手配書らしい。ハンターが食い扶持を稼ぐならば相手は賞金首、妥当な話だ。
「えぇっ?」
しかしそこに掲載されていた賞金首の写真を一目見るなり、アイヴィーは明らかに不満そうな声を漏らした。それに興味を引かれたユキも、脇から手配書を覗き込む。
その写真は、明らかに人間のものではなかったのだ。
フサフサとした毛並み、つぶらな瞳、そして尖った耳に長い髭、これは――
「うわぁー……可愛い猫ですね」
その写真に対して、ユキはアイヴィーとは真逆の声を上げた。その反応に、アイヴィーはますます忌々しげに眉根にしわを寄せる。
「いやいや、可愛いのは置いとくとして賞金首が猫って…………って何この賞金!?」
さらなる不満を漏らすアイヴィーは、しかし手配書の下段に記されていた数字を見て表情を一変させた。
「こんなの、そこいらのつまらない賞金首よりよっぽど高いじゃない!」
「なんでも依頼主は先進区の偉いさんでな、この辺りを視察に来た時に連れていたその猫が逃げ出したらしい。要するにそれを捕まえてくれと…………金ってのはあるところにはあるもんだなぁ」
半ば呆れたように苦笑しながらミナミはそう補足した。
先進区――復興先進区とはかつての大戦から一定以上の復興を遂げている地区のことだ。政治、経済的な基盤はもちろん、生活インフラの整備もここのような街に比べて格段に進んでおり、生活水準は非常に高い。ちなみにユキも、元はそういった街の出身だ。
当然、そこに居住できる人間も限られてくる。社会的な地位や資産、それらを持つ人間の中には飼い猫を探すために多額の賞金をかけることもいとわない人物がいてもおかしくはないだろう。
「とんでもなく気が進まないわね」
「そんなこと言って、そんなに選り好みしてられる立場なのか?」
「うっ……」
この上なく痛いところを突かれ、アイヴィーは押し黙ってしまった。それを見て取ったミナミはここぞとばかりに畳みかける。
「それに、楽な仕事には変わりないでしょ? やることは猫を捕まえるだけ、ローカルな依頼だし、ここいらのハンターは皆今のあんたと同じような感じで敬遠してるから競争率も低い。あんたがちょっとプライドを曲げれば、かなりボロい賞金首だと思うけど」
ミナミの言い分にはほぼ隙がない。肝心なのはアイヴィーがやる気を出すかどうか、その一点にかかっている。
「言っとくけど、ツケを踏み倒したりしたらただじゃおかないからな」
その一言が止めだった。
***
「はぁ〜……」
アイヴィーはミナミの店を出るなり大きな溜め息を吐いた。
あのあと、結局押しきられる形でアイヴィーは猫の捜索を請け負うことになった。しかし相変わらず気は進まないらしく、その表情は不満で一杯だった。
「えーっと…………い、いいじゃないですか、仕事が猫探しでも。簡単な仕事なら、それに越したことはないですよ」
ユキはどうにかアイヴィーの機嫌を直そうと話しかける。が、逆にその言葉が火に油を注ぐ結果となった。
「だから嫌なのよ」
「え……?」
ユキはアイヴィーの返しに首を傾げる。「だから嫌」、すなわち簡単な仕事だから嫌だとはこれ如何に。
アイヴィーはユキに質問を挟ませることなく、すぐに明瞭な答えを返してくれた。
「あの賞金額見た? あんなの、ただの猫探しにかける賞金じゃないわよ。労力に少しも見合ってないわ。労力に対して少な過ぎるのも嫌いだけど、多過ぎてもしっくり来なくて嫌なのよ」
費やした労力には過不足のない正当な対価を、それがアイヴィーの主張だった。
それは、アイヴィーが自分の仕事に持っている誇りの現れであるようにユキは思えた。まさしくミナミの言うところのプライド、それを曲げなければならないのだから確かにこれでは不機嫌にもなる。
「本当に…………金持ちの考えることは……」
そんな現状はアイヴィーに不平を漏らす程度の時間しか許さなかった。
その一言を最後にいつもの表情に戻ったアイヴィーは、ポケットから携帯端末を取り出してどこかへ電話をかけ始める。
「誰にかけてるんですか?」
「――!?」
ユキの問いかけにアイヴィーは通話ボタンを押そうとしたその指をピクリと振るわせた。聞いてはいけないことだったのだろうか。
「あの……アイヴィーさん?」
「へ? ああ、ミリアよ。情報収集全般はあっちに任せてるから。それに、こういうことに関しては相当詳しいはずだし」
二度目の問いかけに答えるアイヴィーは、どこかおかしな様子だった。しかしアイヴィーは更なる質問を拒むかのように通話ボタンを押して歩き始める。
仕方なくそれを追う形で歩き出したユキの耳に、突如としてどこから軽妙なメロディーが届き始める。
一歩二歩と歩を進める内にそのメロディーは徐々に大きくなり、小さな曲がり角に差しかかった辺りで唐突に途切れてしまう。代わりに――
「はぁい、ミリアです」
「あ、ミリア?」
二つの声はどちらもすぐ側から聞こえてきた。
ユキとアイヴィーはほぼ同時に声のした方を向く。それはあちらも同じだった。
「あ、アイヴィーちゃん、ユキちゃん」
「うわっ、いた」
「ミ、ミリアさん」
予期せぬ遭遇に小さく驚くアイヴィー。ミリアはその偶然を歓迎しているようですぐに満面の笑みを浮かべる。
「どうしたんですか?」
なぜかその狭い路地でしゃがみ込んでいたミリアは、立ち上がりながらアイヴィーたちに向き直る。アイヴィーもすぐさま驚きから立ち直り、用済みになった携帯端末をポケットにしまう。
「ちょうどよかったわ。頼みたいことがあるだけど」
「お仕事ですか? なんでもどうぞ」
「実は…………!」
早速仕事の話を始めたアイヴィーだったが、不意にその口が止まり、視線がある一点に釘づけになる。
「どうしたんですかアイヴィーさ…………あ!」
その視線を追ったユキもまた、思わず声を上げた。
見覚えのあるフサフサの毛並みに、そしてやはり見覚えのあるつぶらな瞳。ミリアのすぐ足元に何食わぬ顔で座っていたのは――
「お前かぁあああああーっ!」
賞金首の猫だった。
その姿を目にしたアイヴィーは、まるでそれまでの鬱憤を爆発させるかのような勢いで猫に飛びかかった。凄まじいまでのロケットスタートだ。
「――あっ!」
しかしその剣幕に恐れをなした猫もまた、当然の如く身を翻す。こちらも速い。
「逃がすかぁーっ!」
猫特有の俊敏さで逃げる賞金首。
それにも負けないのではないかと思えるほどの速度でそれを追うアイヴィー。
果たしてどちらがこのチェイスを制するのかは、ユキには想像もつかなかった。ただ、一つだけ確かなことがあった。
「…………行っちゃいましたね」
「そう……ですね」
そんな一人と一匹に追いつけるはずもないミリアとユキ(平時)は、街中を駆け抜けていくその後姿をただただ呆然と見送ることしかできなかった。
「えーっと、アイヴィーちゃんはどうしてあんな……」
「今の猫、ついさっきミナミさんって人に勧められた賞金首なんです」
「ミナミさんにですか?」
「知ってるんですか?」
「はい、知ってますよ。でも、あの様子は……?」
「あの……多分なんですけど、乗り気じゃないのを押しきられてかなり不機嫌だったので、それであの子が全ての元凶だと……」
「それであんなに……?」
「そうだと思います。それで……私たちはどうすればいいんでしょう?」
「……………………待つしかない、と思いますね」
「……そうですよね」
取り留めのない会話からその結論に達したのは、アイヴィーたちの姿が見えなくなって大分経ってからのことだった。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」
三十分後、アイヴィーは戻って来た。たった一人で。
アイヴィーならもしかすると、という淡い期待がユキとミリアにはあったものの、やはり動物相手ではアイヴィーでも無理があったようだ。
「アイヴィーちゃん、大丈夫ですか?」
「こ……これが……はぁ……大丈夫に……はぁ……見える?」
息も絶え絶えといった様子のアイヴィーをミリアが気遣う。アイヴィーは呼吸を整えるのに苦心しながらもなんとかそれに答えた。
「はぁ〜……………………はぁ、あと一歩だったのに」
「あと一歩までは行ったんですか?」
「あの猫、金持ちに飼われてる割にいい動きしてたわ」
「いやあの……そういう問題なんですか?」
しばらくして復活したアイヴィーは熾烈な戦いを思い返すように呟く。ユキのツッコミもなんのそのだ。
「とにかくこれでふりだしよね。あぁ……バカなことしたなぁ」
「……これからどうしましょう」
さして広くはないとはいえ、この街で猫一匹を見つけ出すことは困難を極める。探し始めてすぐに鉢合わせたのは僥倖以外の何ものでもなかったのだ。それを衝動的な行動で逃がしてしまったのは手痛いミスだ。
「あの〜……」
揃って頭を抱えだした二人に遠慮がちな声がかかる。それまで黙って様子を見守っていたミリアだ。
「ミリア…………ってそうよ! そもそもそれをあんたに頼もうとしてたんじゃない。それじゃあ早速……」
「いえ、そうじゃなくて…………あ、いえ、全く関係ないわけじゃないんですけど……」
「は……?」
いまいち要領を得ないミリアの物言いに煩悶を忘れて疑問符を浮かべるアイヴィー。しかし続いてミリアの口から出て来た言葉は、アイヴィーたちにとっては衝撃的なものだった。
「私……あの子のいそうな場所、知ってますよ」
「……………………はぁっ!?」
その仰天の声に街行く人々が何ごとかと振り向く。しかし驚愕の事実を突きつけられたアイヴィーにそれ気にしている余裕はないようだった。
ミリアを先頭にして移動すること数分。一行はゴミの散乱した狭い路地を歩いていた。
ボロボロの建物に左右を挟まれたそこは、そろそろ陽が高くなってきたというのに妙に薄暗い。このまま歩いていると別の世界に迷い込んでしまうのではないか、なんて思えるような雰囲気だ。
「あの子、最近になってよく見かけるようになったんですけど……」
その間、ミリアはこれから向かう場所について話し始めた。
「始めて見かけたのが今から行く場所で、そこは近所の野良猫の溜まり場にもなってますから多分そこで見張ってれば会えると思いますよ」
「溜まり場ねぇ…………」
「あ、そこの角を曲がったところです」
ミリアの指示通りその角を曲がると、そこにはミリアの言った通りの世界が広がっていた。
そして、ある意味での別世界。
「うわぁ……!」
「うわぁ…………」
右を向いても猫。左を向いても猫。
路地の少し開けたようなその場所は、見渡す限りの猫で埋め尽くされていた。
ユキはその光景に感嘆の声を漏らすが、アイヴィーは対照的に表情を引きつらせる。おそらく食べ物に群がる大量の蟻を見た時と同じような心境なのだろう。
「えーと…………あ! あの子ですよね?」
そんな二人の反応はさておいて、ミリアは早速その中に賞金首を発見する。ターゲットは無数の猫に混じり、ノンキに毛繕いなどしている。
「…………問題はここからよね」
未だにうそ寒そうに顔をしかめているアイヴィーが呟く。おそらく先ほどの失敗を思い返しているのだろう。
「あの……飼い猫なんですから、普通に近づけば逃げていかないんじゃ……」
「無理!」
アイヴィーは力強く言いきる。あの顔を見るとどうしても鬱憤をぶつけずにはいられないようだ。
「そうよ! ミリアさっきあの猫と遊んでたんだからあんたが……」
これは名案、とアイヴィーはミリアを見る。
しかし――
「はぁ〜……」
ミリアはいつの間にかしゃがみ込み、恍惚とした表情で数匹の野良猫とじゃれあっていた。アイヴィーの声は耳を素通りしているようだ。
「…………!」
「あ……あの! それじゃあ私が」
ユキは、今にも爆発しそうなアイヴィーを見てそこに慌てて割って入る。
「あんたが……?」
「はい。私、動物とか好きですから、大丈夫です」
とにかく今はこの事態を収拾しなければならない。そうしなければアイヴィーの機嫌は一向によくならないのだ。
「…………じゃあ、頼むわね」
しばらく考えたあと、アイヴィーはその提案を受け入れた。
考えてみればこれは、アイヴィーに助けられて以来その恩を返すことのできる初めてのチャンスだ。ユキはやや緊張した面持ちで猫の群れの中に分け入った。
「ちょっとだけ……ごめんね」
この場はまさに足の踏み場もないほどの猫で埋め尽くされていた。ユキはそんな猫たちを踏まないよう慎重に歩みを進め、なんとか目標とする猫のところまでたどり着く。
手を差し出してみると案の定、その猫は人懐こそうにその身をすり寄せてきた。とてつもなく可愛い。
「はぁ〜……………………はっ!」
その様子に、危うくミリアと同じ状態になりかける。
しかし寸でのところで正気を保ち、自らすり寄ってきた賞金首を優しく抱き上げた。
「さぁ、一緒にお家に帰りましょうね」
いまいち状況を把握していなさそうな猫にそう声をかけながら、再び猫の群の隙間を縫いながらアイヴィーの立っている場所へと戻る。
その間、ユキはふと自分自身とその猫を重ね合わせた。
ともにどこからか逃げ出して来たもの同士だが、この猫は必死になって探してくれるような優しい飼い主のもと、何不自由なく生活していたはずだ。それなのにどうしてこんなところにいるのか、それは疑問だった。
「…………あなたは、どうして逃げ出したりしたの?」
当然、返ってくる答えはない。猫は気持ちよさそうに目を細め、何度か小さく鳴くばかりだった。
その泰然自若ぶりが、今のユキにはほんの少し羨ましく思えた。
***
「本当に……ありがとうございました」
そう感謝の言葉を口にしながら、引き渡された猫を大事そうに抱えたご婦人は深々と頭を下げた。
このご婦人がこの猫の飼い主であり、その捜索に破格の賞金をかけた依頼主だ。猫を確保したと一報するなりアイヴィーたちのところに駆けつけて来たのだ。
「ところで……お金の方は本当によろしいんですか?」
「ええ、これで構いません」
一悶着あったのは賞金の受け渡しの時だ。ご婦人は手配書通りの賞金を用意していたのだが、アイヴィーは妥当と思える金額だけを受け取って残りをつき返したのだ。
ご婦人はしきりに全額を渡そうとしたがアイヴィーも頑として引かず、結局はご婦人の方が折れる形となった。余計なお金はいらないというアイヴィーもそうだが、アイヴィーたちのようなハンターに義理を通そうとするこのご婦人もかなり珍しい部類の人物のようだ。
「そうですか…………わかりました。それでは、また何かあった時にはお声をかけるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「猫探しはもう勘弁して欲しいんですけど」
「さぁ、それはこの子に聞いてみないことには……」
ご婦人はそう言って柔和そうに微笑む。
「それでは本当にありがとうございました。失礼いたします」
そうして何度目かの感謝を口にして、ご婦人は車に乗り込んでその場をあとにした。遠ざかる車に手を振るミリアは、きっと猫の方にさようならをしているのだろう。
「……………………ふう」
車が完全に見えなくなる頃、アイヴィーが小さく息を吐く。
「一段落、って感じですか?」
「そうね、それもあるけど……」
ユキの問にアイヴィーは微妙な表情をする。先ほどまでのように不機嫌というほどではないが、何か歯切れの悪そうな面持ちだ。
「いい人でしたね、あの人」
「……………………ええ、そうね」
例の依頼主を評したミリアの言葉に、アイヴィーはぶっきらぼうに答える。その態度から、ユキはなんとなくではあるが今のアイヴィーの心境を読み取った。
気の乗らない仕事、手を焼かされた賞金首、アイヴィーはそれらの憤まんを全ての元凶といえる依頼主にぶちまけたかったに違いない。しかしいざアイヴィーたちの目の前に現れた依頼主は、猫一匹のために途上区まで飛んでくるような人物だった。その上受け取った猫を大事そう抱き、どちらかと言えばアウトローの存在であるハンター相手にも折り目正しく感謝の言葉を述べるのだからアイヴィーとしては嫌味の一つすら出てこなかったのだろう。
そうしてそのストレスを吐き出す術もなく飲み込むしかなくなった、というところなのだろうか。
「……ほら、もう帰るわよ。おっと、その前にミナミさんにツケを払わないとね」
意外だったのは、アイヴィーがちゃんと“人”を見ていたところだ。
手配書を読んだ時のアイヴィーの雰囲気を見る限り、上流階級の人間には無条件に敵意を持っているものと感じていた。しかしその相手があのような人間なら、それを引っ込める度量も持ち合わせているのだ。
「ユキ! ボーっとしてると置いてくわよ!」
「あ、はい!」
アイヴィーは、一体どんな人生を歩んで来たのだろう。
聞いたところによると、ユキとは同い年のはずだ。それなのにバウンティハンターなどという実力がものを言う世界で一角の能力を示し、人間的にもユキに比べて非常に大人びて見える。
ユキと同じ年月を重ねる上で、一体どんな経験をすればこんな風になれるのだろうか。恐怖に怯える人間に、その手を差し伸べることができるような人間に。
興味。
その時ユキは自分を助けてくれた恩人としてではなく、アイヴィーという人物そのものにこの上なく興味を引かれた。
そして自分もこんな風に変わることができたらと、数メートル先を行くアイヴィーを追いかけながらそう思わずにはいられなかった。
***
駆け寄ってくるユキを立ち止まって待ちながら、アイヴィーは素早く周囲の気配を探った。
(もう追って来る連中はいなくなったわね。諦めた、っていうわけじゃないでしょうけど)
アイヴィーはミナミの店を出てすぐ、ミリアに連絡を取ろうとした辺りからずっと何者かの気配を感じていた。
こちらを捉えて離そうとしない視線。しかしその視線に害意の類は感じられず、それが尾行あるいは監視であることを教えていた。そして、そんなことをされる心当たりは一つしかない。すなわちユキのいたという研究所の連中だ。
(随分動きが早いわね。よっぽどヒマなのかしら?)
ヒマかどうかはともかく、事態は予想外に早い展開を見せている。ミナミの店に出入りしているところを押えられては遠からずアイヴィーの身元は割れるだろう。そうなれば相手もいよいよ直接的な行動に出てくるに違いない。今回の対処の早さを考えればそれも時間の問題だろう。
そう予測を立てる一方で、アイヴィーは追いついてきたユキの顔を見る。
「すみません、お待たせしま…………どうしました?」
「……別に。さぁ、行くわよ」
アイヴィーにマジマジと見つめられたユキはキョトンとした表情を浮かべる。しかしそれ以上は何も言わずにアイヴィーは再び歩き始める。
先ほどまでもそうだったが、アイヴィーはユキやミリアに尾行のことは伏せておいた。話せばこの二人のことだ、明らかに挙動不審になって尾行がバレていることを相手に知らせてしまうだろう。“尾行はバレていない”、そう思わせておいた方が何かと好都合なのだ。この不利な局面を、少しでも有利に進めるためには。
(あっちは随分と死に物狂いみたいよ、ユキ)
ユキの存在にこうまでする価値があるのなら、この戦いは決して一筋縄ではいかないだろう。
来るべき時に備え、アイヴィーは人知れずその心を尖らせていた。




