第一話
この世界のこの時代には、バウンティハンターと呼ばれる人々がいる。
その名の如く賞金首を捕え、引き換えに得られる賞金で生計を立てる人々の総称である。
しかし、その賞金首は人とは限らない。今日、物品や情報、なんらかの行為そのもの、果ては人命の与奪にまで至る非常に幅広い事柄に賞金がかけられている。
そんなバウンティハンター―――あるいは略してハンターと呼ばれる人々に対しては便利屋や傭兵といった認識が一般的となっており、様々なトラブルを解決する主体の一つとして確かな地位を築き上げていた。
バウンティハンターを名乗るのに必要な資格は、今のところたった一つ。
賞金首を捕らえることができるかどうか、それだけだ。
***
「んぅ……?」
不意に訪れた強い揺れに促されて、アイヴィーは目を覚ました。
「……………………ふぁ……っ」
ぼんやりした意識のまま周囲を見回し、列車に乗っていること思い出す。その列車の規則的な振動に身を任せてうたた寝をしてしまったのだと思い至ると、同時に小さなあくびが口から漏れた。
仄暗い車内で乗客は皆一様に俯きがちで言葉を発する者はいない。そのためアイヴィーのあくびに反応した者もまたいなかった。一応、年頃の娘であるアイヴィーとしてはシメたものだ。
「……とりあえず、乗り過ごしてはいないわね」
アイヴィーは頭を振って意識を覚醒させ、左手首に巻いてある時計を確認する。
この路線の時刻表はある程度把握している。列車に乗り込んだ時間から計算してまだ目的地には到着していないと判断しつつ、アイヴィーは窓外の暗闇に視線を投じた。
今、この列車は地下を走っている。かといって地下鉄というわけではなく、場所によって地上と地下を行き来する構造になっている。アイヴィーが目指す場所はまさにその地の底にあった。
「…………」
ガラス窓越しに見える闇には、見慣れた自分の顔が映っていた。
それなりにしていればそれなりに見えないこともないだろうという認識はあるが、諸々の関係上そういうわけにはいかない、またそれほど気にしたこともない自分の顔。ただ、いつの頃からか伸ばしている茶色がかった長い髪だけは密かな自慢だった。
いずれにしても、今はそんな自分の顔をマジマジと見つめている気にはなれなかった。そこに映ったその表情が、心持ち暗く沈んでいたからだ。
目的地に問題があるわけではない。目的そのものには幾分原因があるかもしれないが、表情に出てしまうほどでもない。原因はもっと別のところにある。
夢を見た。
これもまた、見慣れたと言ってしまえる夢。その夢はアイヴィーの心に小さなひび割れをつくり、意識の彼方へと遠ざかって行ってしまった。
いつものように。
「ん……!」
大きく腕を振り上げて伸びをしながら、アイヴィーはホームに降り立った。
人影は疎らだった。乗り込む客はおらず、降りた客もアイヴィー一人だ。しかしそれを気にすることもなく、アイヴィーは本当に機能しているかも怪しい古ぼけた自動改札に切符を通して駅の外に出る。
そこに広がっていたのはホームとは対照的な人の群れだった。
「相変わらず賑やかね、ここは」
アイヴィーはこの光景を見るにつけ、いつも同じ感慨を覚える。
くすんだ灰色の建物が並ぶ薄暗い街並み。だがその合間を埋め尽くすテントと人の多さはその暗澹とした雰囲気を払拭して余りあるものだった。
この場所は、以前は広大な地下都市として栄えていた。しかし度重なる戦災、あるいは天災などによって荒廃し、打ち捨てられてしまったらしい。こんな場所に、いやこんな場所であるが故に多くの行く宛て宛てのない人々が集まり、今では有数の規模を誇るスラム街を形成するに至った。
法の目の届かない一大地下スラム。そのためこの街にはさらに多くの人々が集い、様々な物や情報が行き交っているのだ。
「さてと……」
そんな賑やかさの裏に多くの危険が潜む街に、アイヴィーは悠々と足を踏み入れる。
ほかにほとんど類を見ないこの無法地帯は、当然のように様々な犯罪が横行している。本来なら十代後半の少女が足を踏み入れるには危険が過ぎる場所ではあるが、アイヴィーにとってはそれなりに馴染んだ場所でもあった。その理由はアイヴィーが生業としている職業にあった。
バウンティハンター。
行政組織や企業、その他の組織から個人に至るまで様々な人々から提示された仕事を遂行し、その賞金を得る人々。
あまりポピュラーとは言えないこの職業をアイヴィーのような年頃の少女が務めているのは非常に珍しいことではあるが、ともあれアイヴィーは情報収集のために何度かこの街に足を運んだことがある。自身の身を守るだけの力があるという余裕はもちろん、その上この独特の雰囲気にえもいわれぬ愛着を持っているほどだ。
さりとて今回は情報収集が目的ではない。今回はまさに仕事のターゲットである賞金首がこの街にいるという情報を掴み、こんな地面の底までやって来たのだ。
やって来たのだが――
「はぁ…………なんか、調子出ないわねぇ」
今日のアイヴィーは、今一つ気乗りがしなかった。正確には今のアイヴィーは、だが。
列車に乗り込むまでのアイヴィーはいつも通りのテンションだった。熱過ぎず冷め過ぎない、ぬるま湯のようなテンションを維持して座席に座ったはずだった。しかしそのあとがいけない。
原因はやはり、あの夢のせいだった。
目覚めた時の異様なまでの脱力感。感覚は鈍り、仕事に向かおうという気勢が根こそぎ削がれてしまったという感じだ。この夢見の悪さといったらない。あの夢を見た時はいつもそうだ。
「さっさとすませて、早く帰ろ」
結局のところそれが最善だと判断し、アイヴィーは上着の内ポケットから一枚の写真を取り出した。コンピュータネット上の手配書に添付されていたターゲットの写真をプリントした物だ。
そこには一人の少女の顔が映っていた。
無表情な、何かの証明写真のような印象を受ける。だがそれ以外に特徴的な部分はなく、一見してアイヴィーと歳の近い普通の少女にしか見えない。
「それにしても、なんだってこんな娘のこと探してるかしらね? まぁ、探してる私も私だけど」
今回の賞金首はこの少女だった。条件は無事に依頼主に引き渡すこと、要するに人探しだ。普段なら見向きもしないようなつまらない賞金首だったが、今のアイヴィーにはそれを追わなければならない事情があった。
お金がない。
ここ最近仕事以外のことが立て込んでおり、賞金首を追うヒマもなかった。そうこうしている内に食料もお金も蓄えが尽きかけ、とにかく適当な賞金首で当面の生活費を稼ぐ必要に迫られたのだ。
そこで見つけたのがこの賞金首、しかも都合のいいことにこの辺りで見かけたという情報も舞い込んできたため、ならばと足を運んで今に至るというわけだ。
「とにかく早く見つけないと、食べる物もなくなっちゃうわ」
出がけに覗いてきた冷蔵庫は空っぽ、保存が利く物をしまっている戸棚にはカップ麺がちらほら。アイヴィーはこの極めてシンプルかつ重大な死活問題を解決するべく、いつもより早足で街のメインストリートに足を向ける。
が、その出足を挫く出来事が早速アイヴィーの前に立ちはだかった。
「よぉお嬢ちゃん、ここはあんたみたいなのが来る所じゃないぜ」
通りの入り口辺りに差しかかったところで、数人の男がアイヴィーを取り囲んだ。それを見た人間十人が十人全員チンピラだと判断するだろう筋金入りのチンピラたちだ。
「怖い目に遭いたくなかったらすぐに帰りな。今なら有り金全部で逃がしてやるからよ」
いくら犯罪行為が日常茶飯事とはいえ、街に入ってすぐに絡まれるというのも珍しい。面倒なことは続くものだとうんざりしながら、アイヴィーはとりあえず正面に立つ男を見る。
「ごめんなさいね。あいにく今日持ち合わせがないのよ。いや本当に。タイミングが悪かったわねぇ」
アイヴィーは軽くあしらう調子で答える。これが冗談ではなく実際に手持ちが切迫しているのが情けなくはあるが、そうでなかったとしても渡す気などサラサラない。
しかし当然と言うべきか、チンピラたちはその答えがお気に召さなかったようだ。
「そりゃマズいなお嬢ちゃん。俺たちも遊びでやってるわけじゃないからよ、金がないんじゃほかの物で払ってもらうしかなくなるな」
チンピラの舐めるような視線がアイヴィーの頭のてっぺんからつま先までを往復する。わかりやすいことこの上ない。
と思っていると、チンピラの視線が唐突につまらなそうなものに変わった。
「……って、随分平べったいな。こんなんじゃいまいちそそられねぇぜ」
「は……? なんですって?」
チンピラの一言に、アイヴィーの額に青筋が浮かび上がる。
「金がない上に身体も貧相ときたか!」
「こんなガキを相手にしたんじゃ犯罪じゃないか?」
「バァカ、ここには法律なんてねぇだろうが」
「違ぇねぇ!」
口々に好き放題まくし立てては下品な笑い声を上げるチンピラたち。アイヴィーはその度にフツフツと沸き立つ怒りをこの上なく実感していた。
このチンピラたちは今、アイヴィーの逆鱗に触れたのだ。
ただでさえ気分が乗らないというのにこの状況、もはや堪え難い。
「ま、好き嫌い言ってる場合じゃないよな。おいお嬢ちゃん、大人しく……」
チンピラの手がアイヴィーに伸びる。
瞬間――
「――ぉぶっ!?」
そのチンピラの顔をアイヴィーの見事な右ストレートが打ち抜いた。チンピラはそのままもんどり打って地面に倒れ込む。
「手前ぇこのガキ!」
アイヴィーのその所業に残りのチンピラたちが俄かに気色ばむ。しかし、そんなことは関係なかった。
わからせなければならない。
アイヴィーの女としての尊厳を傷つけ、あまつさえ塩をすり込むかのような言動の代価がどれほど高くつくかを。
「だぁるぇがぁ……」
ドンヨリと陰惨な光を宿したアイヴィーの目がチンピラの一人を捉える。そのチンピラはいきり立っていたにも関わらずビクリと身を竦ませた。
「貧相だぁあああーっ!」
アイヴィーはそのまま息吐く間も与えず怒りの咆哮とともにそのチンピラを蹴り飛ばした。その咆哮と盛大にすっ飛んだチンピラの姿に、他のチンピラは皆一様に驚き、慄く。
対するアイヴィーは構わず次のターゲットに狙いを絞り、拳を握る。
「誰がまっ平らだーっ!」
怒りのままに暴れ狂うアイヴィーは抗う術のないチンピラたちを問答無用で次々と叩き伏せていく。こうなってしまったアイヴィーを止められる者はほとんどいない。
アイヴィーは、とある事情で幼い頃から特殊な戦闘訓練を受けていた。その実力はそこらのチンピラが敵うようなものではもちろんなく、アイヴィーが年若くしてハンターの仕事をこなす上での確かなバックボーンとなっている。こんな無法地帯に足を踏み入れてなお、その余裕を崩さないのもこれだけの戦闘能力があってこそだった。
が、それでも若いことには変わりない。時として自分を律し、制御することは今のアイヴィーにはまだ難しく――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
結果、時間にして一分も経たない内にアイヴィーを取り囲んでいたチンピラたちは一人残らず地面に転がっていた。
「あぁっ……! 無駄に体力使っちゃった」
しかし、それで幾分気が晴れたのも確かだった。まだまだ燻っているものはあるが、これ以上やるとただの弱い者いじめになる。この辺りが落としどころだろう。
「フン、今度からは相手をよく見てケンカを……」
そう思ってチンピラたちに向かって捨てゼリフを吐こうとした時、アイヴィーは何か金属が擦れるような音を聞いた。
「――ぅわっ!?」
それがなんの音であるかを特定し、その出所に視線を向けた瞬間に一発の銃声が鳴り響いた。
その時点で次にくるべきものを予測していたアイヴィーはとっさに身体を捻って銃弾をかわす。が、その拍子に舞った髪の毛が数本、銃弾に触れてちぎれ飛ぶ。
「あんたねぇ……」
あらためてその出所に向けたその目に映ったのは、地面に倒れたまま銃を構えるチンピラの姿だった。アイヴィーが最初に殴り倒した奴だ。
「ふざけやがってこのガキが…………ぶっ殺してやる!」
チンピラが喚き散らす。あまりにもお約束な言動に、アイヴィーは自分の頭が逆に冷えていくのを感じていた。
そして、一つの想いが胸を過ぎる。
「そういう物を持ち出すことがどういうことか、わかってやってる?」
それは一種の道義だった。アイヴィーが教えられ、今でも持ち続けている至極個人的な。
アイヴィーはあえてそれを投げかける。
「何ごちゃごちゃ言ってやがる! そんなの知ったこっちゃねぇんだよ!」
チンピラの返した反応は至極当然のものだった。こういうものは人それぞれが違うものを持っていて然りなのだから。このチンピラにそんな大層なものがあるとは思えないが、それでもアイヴィーの思い通りとはいかない。
だが、だからと言ってただ引き下がることもできない。
アイヴィーは知っている。教えられたのだ。
「…………それ相応の覚悟をしなさい、ってことよ……!」
心に根づくその教えを口にしながら、アイヴィーは地面を蹴る。
同時に向けられた銃口から二発目の銃弾が放たれた。
しかしその銃弾は、今度はアイヴィーの髪の毛一本にすらカスることはなかった。重要なのは銃口の向きとタイミング、そのどちらも容易に読み取れるこのチンピラの銃弾をかわせない道理はない。
「――ぐぁっ!」
そのままチンピラに接近したアイヴィーは銃を持ったその手を思いきり蹴り上げた。そうして空いたその手を、今度は骨も砕けよとばかりの力で踏みつける。その激痛に、チンピラも思わず呻き声を上げる。
「さて…………覚悟はできてる?」
チンピラを見下ろすアイヴィーの目には、先ほどまでとは打って変わってかすかな殺気が滲んでいた。単なるケンカではなく、命のやり取りをする時の目だ。
その視線を向けられたチンピラは、蛇に睨まれた蛙よろしくその身を震わせている。
「わ……わかった、あんたの勝ちだ。もういいだろう?」
「……あんたは簡単に人を殺せるような道具を持ち出したのよ? それで自分がヤバくなったら手を上げて降参なんて、虫のいい話だと思わない? あんたは自分の命をかける覚悟もなしに、人様の命を奪おうとしたわけ?」
「あ、あれはちょっとビビらしてやろうと思っただけで…………っあぁ!」
なおも言い訳をしようとするチンピラに対し、アイヴィーは手を踏みつける足にさらなる力を込める。
「本当に…………うんざりするのよね、あんたたちみたいなのを見てると。ちょっとはものを考えて生きられないの?」
「な、なんだよ、何が言いたいんだよあんた」
アイヴィーは冷然とチンピラを見下ろす。その目は哀れなほどに怯えきっていた。
(…………さすがにやり過ぎたかしら?)
アイヴィーにこれ以上このチンピラをどうこうしようという気はなかった。チンピラの言動が癇に障ったのは確かだが、そこはチンピラが言ったように少し脅かしてやろうかと思っただけだ。その目的に関しては十二分に達成することができたのは明白だろう。そろそろ引き際だ。
「……これからはせいぜい慎ましく生きることね。長生きしたいんだったらそっちをお薦めするわよ」
アイヴィーはチンピラの手の上から足をどけ、無様に這いつくばるその姿に一瞥をくれる。これで懲りるように、できるだけ不遜な態度で一言つけ加えることも忘れない。
「――ん?」
そんな時、ふと別の方向から視線を感じた。
その視線を追った先は、いつの間にか出来上がっていた人垣のさらに外。騒然とするギャラリーから一歩引いた場所に立っている一人の男だった。男はアイヴィーがそちらに気づいたのを見て取るとアッサリと視線を外し、いずこかへと歩き去ってしまった。
その後姿に感じたのは異質な気配、この場においては場違いと思える雰囲気だ。自分と同じく。
また厄介なことになったと嘆息するアイヴィーは、思わず強固な隔壁に遮られた天を仰いだ。
***
「あぁ、失敗した」
チンピラたちを成敗してからしばらくして、アイヴィーは人通りの少ない路地裏を歩いていた。賞金首が頻繁に目撃されているという場所を目指しているのだが、その途中で考えるのは先ほどの男のことだ。
「…………さっきのあいつ、多分同業者よね」
スラムの人間とは明らかに異なる気配、目の前の騒ぎに動じることなく注がれた視線、アイヴィーはあの男から紛れもない自分と同種の臭いを感じ取っていた。男がアイヴィーを見ていたのもおそらく同じ理由だろう。
問題はそんな男が何故このスラムにいるかだ。そしてもし、あの男がアイヴィーと同じ賞金首を追っていたのだとすれば、アイヴィーが取った行動は失態とも言える。競争相手に早々にその存在を知らしめ、わずかにでも手の内を明かしてしまったのだから。
あの男がここにいる理由は知る由もない。あるいは単に情報収集に来ていたのかもしれないが、いずれにしてもマイナスにこそなれプラスになることはないだろう。
ただでさえ気乗りしていない時に余計なトラブルに巻き込まれ、それが期せずして仕事の妨げになりかねない状況を生み出してしまった。アイヴィーは気乗りしないのを通り越し、すっかり肩を落として歩いていた。
「おっ……?」
そんな折、ポケットの中身が唐突に震え出した。
アイヴィーはその中身――携帯端末を取り出す。震えは振動設定にしておいた端末の着信だ。とはいえ、アイヴィーに電話をかけてくる人間は限られている。ディスプレイを確認してみると案の定、表示されていたのは見知った人物の名前だった。
「もしもし?」
端末の通話ボタンを押して耳元に当てる。ややあって聞こえてきたのは、やはり聞き馴染んだ声だ。
『あ、アイヴィーちゃんですか?』
「そうよ。私以外の誰が出るのよ」
『むー……またそうやって人の揚げ足を取るんですね』
その受け応えにむくれたような声を返してきたのはミリアという少女だ。今現在、アイヴィーにとって相方といえる人物で、コンビを組んでもう一年以上になる。
「はいはい悪かったわよ。それで、何?」
『いえ、そっちは順調かと思いまして』
「順調とは言えないけど、今のところ問題はないわ」
実際そうでもないのだが、それを認めるのも癪なので隠しておく。
『そうですか…………なんでしたらお手伝いでも……』
「いらないわよ。というか、あんたがいても役に立たないし」
『そんな……!?』
ショックを受けたように声が荒げるミリア。しかしアイヴィーの言葉は紛れもない事実だった。
このコンビはアイヴィーが実働、ミリアが情報収集や物資の調達と明確にその役割が決まっていた。これはすなわち、ミリアがほとんど戦闘能力を有していないことを意味している。現場に出て来られても役に立つ場面は相当限られているし、それどころか足手まといになる可能性の方が極めて高い。
しかしそれは逆にも言えることなのだ。ミリアが集めてくる情報の精度は高く、調達してくる物もいい品ばかり。それもアイヴィーがそれをするよりかなり安く上げてくるのだからつくづく大したものだと思う。要は適材適所、それぞれの能力はそれが最大限に活きる分野で使ってしかるべきということだ。
「そんなに心配しなくてもいいわよ。それほど難しい仕事ってわけじゃないし……すぐに例の娘をとっ捕まえて帰ってあげるわ」
アイヴィーは半分慰めるつもりで軽口を叩く。
『と、とっ捕まえるはまずいですよ……! 別に悪いことをしたわけじゃないんですから』
「それはどうかしら?」
予想通り、ミリアは慌てたような反応を返してくる。そのため先ほどのショックはどこかへ吹き飛んだようだった。
「とにかく、私の方は大丈夫だから大人しく待ってなさい。夜までには戻るから」
『…………はい。それじゃあ、気をつけてくださいね』
「ええ」
ミリアは最後には機嫌を直した様子でアイヴィーを案じる言葉をかける。アイヴィーはそれに応えて通話を切った。
「まったく、あの娘も心配性ね」
コンビを組んで以来、こういった扱い辛さは相変わらずだ。しかしそれは、アイヴィーにとって好ましいものでもあった。もっとも、本人の前では決して口に出そうとは思わないが。
「――っと、確かここよね」
そんなことを考えている内に、アイヴィーは目的地に到着していた。
その昔、なんらかの研究施設だったという建物だ。人が集まるスラムの中心部からはかなり離れており、スラムの人間もあまり訪れない場所らしい。
「……よし!」
アイヴィーは軽く目を瞑り、やる気を奮い立たせる。ミリアと話をしたことで幾分それも上手くいったような気がした。
次に懐に忍ばせていた拳銃を取り出し、弾倉にしっかり弾がこめられているのを確認する。単なる人探しではあるが何があるかわからない。注意一秒怪我一生、だ。
ただ――
「私もあんまり人のこと言えないわね」
早々に銃を取り出す辺り、チンピラに大きなことを言えた義理ではないという想いが過ぎった。もちろん相応の覚悟を持って手にしてはいるが、自分でそれを言うのも言い訳じみている気がする。
が、今はそんなことを考えている時ではない。
「…………それじゃあ行きますか」
アイヴィーは自身の声を潮にして建物の中へ向かって歩き出した。
日ごとの糧を得る、そのために賞金首を捕まえて賞金を手にする。それが今は何よりも重要だった。
「それにしても、雰囲気あるわね」
建物に入って数分が経過した。
建物内はスラムのほかの建物と変わらぬ荒廃ぶりだった。床には崩落した壁や天井の一部が散乱し、そこら中に傷や汚れが見て取れる。多少の電力供給はなされているらしく、歩くのに不自由しない程度の照明は確保されているが、人気の方は全くない。幽霊の一つや二つ出てきそうな雰囲気だ。
なるべく音を立てないように歩くアイヴィーの両手には例の拳銃がしっかりと握られている。いわゆるリボルバータイプの銃だが、通常のそれとは異なり銃身が弾倉の下部に合わせて取りつけられている珍しい形の銃だ。やや癖があるものの、アイヴィーはある種の愛着を持って常にこの銃を携帯している。
しかし、今しも不測の事態に備えてその手に拳銃を携えてはいるものの、仕事は単なる人探し。その上この人気のなさではこの銃に出番があるかは怪しかった。周囲を警戒してはいるものの自分以外に人の気配は感じられない。先ほどの同業者と思しき男はおろか、賞金首の少女すらここにはいないのではないかと思える。
そんな状況が続いたからだろうか――
「…………ホント、いつの時代にも物好きはいるものね」
アイヴィーの意識が周囲の警戒から逸れ、ふと通りがかった部屋の中の様子がその目に映る。
もう動くことはないだろう謎の機械。おそらくは試験管やビーカーの類だったのだろうガラス片。この建物がなんらかの研究施設だったという話は事実のようだ。
それを目にしたアイヴィーの胸に暗雲が立ち込める。電車の中で目覚めた時と似たような心境だった。
アイヴィーはひと時感傷に沈みかける。
が、その意識は一瞬にして現実に呼び戻された。
――うわぁああああああっ!
「――っ!?」
誰かの叫び声。そして何か崩れ落ちるような音。
建物に入って初めてもたらされた人の気配だが、それはアイヴィーを安心させるようなものではなかった。アイヴィーは反射的に床を蹴り、音のした方向へ走り出す。
その先には部屋が一つあった。入り口は開け放たれており、薄闇がポッカリと口を開けている。
アイヴィーは一旦入り口脇の壁に背中を預け、気持ちを落ち着ける。
そうして拳銃を正面に突き出しながら一息に室内へと踏み入った。
「…………」
アイヴィーは素速く視線を縦横に動かし、室内の状況を確認する。
機械や実験道具の類はなく、あるのは机や椅子。先ほどのような研究室ではなく会議室か何かだろう。
そして、すぐ足元に倒れ伏す人影を見つける。
「こいつ……」
それはスラムの入り口で見た男だった。
その下には広がる生々しい赤色を見て、アイヴィーはわずかに顔をしかめる。様子を伺うが動く気配はなく、おそらくはすでに事切れている。
「――!? 誰!?」
何が起こったのかを考え始めたアイヴィーだったが、かすかに鼓膜を振るわせた何者かの足音によって中断を余儀なくされる。見れば、この室内にいたもう一人の人間が部屋の片隅にあった暗がりから歩み出てきたところだった。
「あんたは……!?」
まず目に飛び込んできたのは薄闇の中にあってもはっきりとわかる白色に煌く髪。
そして赤い輝きを返す瞳。
一種異様とも言える特徴を備えたその人物に、しかしアイヴィーは見覚えがあった。多少は印象に違いがあるものの、それは間違いなく写真で見た賞金首の少女だったのだ。
しかしその赤い瞳は虚ろに宙を見つめ、力なく揺れる身体からは生命の息吹を全く感じない。まるで、この世に在らざる幽鬼がそこに立っているかのようだった。暗がりにいたとはいえ、その気配を全く感じることができなかったのも頷ける。
そしてその少女が身につけている薄いワンピースのような服には、いたるところに返り血と思われる赤いシミがこびりついていた。その手には短剣が握られ、この少女こそが先の男を死に至らしめたのだと教えている。
「あなた、えーっと…………名前はなんだったかしら? まあいいわ。とにかく、ここで会えてよかったわ。あなたを探している人がいるんだけど、一緒に来てくれる?」
無駄だと感じながらそう声をかけてみるが、やはり返事はない。ただ、その赤い視線がゆっくりとアイヴィーの方に向く。
アイヴィーの存在にあたかも今気づいたかのように瞳が見開かれ、次の瞬間にその表情が一変した。
「――ぅっ!?」
途端、それまでの気配のなさが嘘のような強烈な存在感がアイヴィーを襲った。
殺気。
背筋が凍りつくほどの殺気がその全身から発せられたのだ。
同時にその少女は凄まじい速度でアイヴィーに向かって突っ込んできた。
唐突に叩きつけられた殺気、そして予想だにしなかったそのスピードに虚を突かれてアイヴィーは一瞬その姿を見失う。
「――っ、この……!」
再びその姿を捉えた時にはすでにその短剣の射程圏内だった。腕もろとも横薙ぎに払われたその短剣をどうにか鼻先でかわす。
しかしそこに追撃の蹴りが跳ね上がる。
「――っふ!?」
初太刀をかわした体勢ではその追撃を避けることはできず、上半身目がけて繰り出されたそれを腕で防御する。
しかしその腕には尋常でない重みが圧しかかった。短剣とほぼ同じ軌道で放たれたその蹴りはガードの上からでもアイヴィーの脇腹を圧迫し、ついに堪えることができなくなって薙ぎ払われる。
「――ぐっ!」
一瞬の浮遊感の後、蹴られたのと逆半身が強い衝撃を受けて固い床に着地する。
考えるまでもなく、それは部屋の内壁だ。それまで立っていた場所から数メートル、アイヴィーはただの一蹴りでそれだけの距離を弾き飛ばされたのだ。
「っ…………なんなのよ、こいつ」
独りごちながらアイヴィーは拳銃を突き出して撃ち放った。
少女は瞬時にそれを察知して跳ぶ。薄闇に瞳の赤が残光として残り、それを追って銃口を転じた時にはその赤が目と鼻の先に迫っていた。
「――なっ!?」
閃く刃が頭上から降ってくる。
「――くっ!」
いつの間にか短剣を逆手に持ち替えたその腕を、アイヴィーは腕を交差させて受け止める。しかしアイヴィーより上背のある少女の振り下ろしの一撃、それを完全に受け止めることはできず押し倒される。
なんとかその体勢で持ち堪えるが、馬乗りの状態から体重をかけられてはそう長く持たないことは明らかだった。
「こ……んのぉ!」
そこでアイヴィーは手に持ったままの拳銃の引き金を引く。
銃口はあらぬ方向を向いており、当然その銃弾は何もない空間へと放たれたが、その反動で受け止めた腕ごと突きつけられていた切っ先を逸らすことに成功した。
満身の力を込めて短剣を突き立てようとしていた相手は前のめりにバランスを崩し、その隙を突いてアイヴィーは少女の下から脱出する。
しかし当然、それで攻撃の手が緩むわけでもない。
アイヴィーを追って振るわれた短剣がその頬を掠める。すぐさま応戦の銃弾を放つがやはり当たらない。またも赤い瞳が不気味な軌跡を描き、少女は狭い室内を目まぐるしく動き回る。こんな狭所であれほどの動きをされれば銃でそれを捉えることは至難だ。状況は明らかにアイヴィーの不利に働いている。
(あぁもう、なんなのよ一体……!)
アイヴィーは苛立っていた。
楽に終えるだろうと思っていた仕事で苦境に立たされているという事実もそうだが、これで四度目だ。
列車内での夢に始まり、到着早々チンピラに絡まれ、同業者にその一部始終を目撃され、今またこの状況だ。今日は何から何まで上手くいかない。簡単なことすら思うようにならない。普段、大概のことには鷹揚に構えているアイヴィーだが、この時ばかりはそうもいかなかった。
限界だ。
「…………上等じゃない!」
アイヴィーの胸に奇妙な意地のようなものが湧き上がり、思わぬ叫びが迸る。
同時にアイヴィーは持てる集中力を総動員し、これまでに得た相手の情報からその動きを予測する。
弾き出された答えは半ば直感的にアイヴィーを動かし、銃弾を一発二発と放たせた。そして相手との離れた距離を見定めていたアイヴィーの視線は瞬時に至近距離へ。それで正解だった。
少女はアイヴィーの射撃をかわしたあと、すぐにアイヴィーの懐と飛び込んできていた。
銃口の向こうに標的を狙うアイヴィーの視線が、少女の赤い視線と交錯する。
ただアイヴィーは、この期に及んで仕事のことを忘れてはいなかった。
条件は無事依頼主に引き渡すこと。死なれてはまずいとアイヴィーはわずかに銃口を逸らす。多少の怪我は、この際多めに見てもらうしかない。
しかし、その判断だけは失敗だった。
「――えっ!?」
アイヴィーが狙ったのは武器である短剣を持つ右腕の肩口だった。発射された弾丸はその狙いと違わず、確かに相手の肩を撃ち抜く。
しかし少女は、それに全く構うことなく突っ込んできたのだ。
取り落とされることのなかった短剣が鈍い光を放ち、アイヴィーの身体に吸い込まれる。
「――ぅぐっ!」
アイヴィーの口から思わずくぐもった声が漏れる。
心臓目がけて突き出された短剣をアイヴィーはなんとか上体を捻って直撃を免れるが、その切っ先は皮肉にも左の肩口に深々と突き刺さった。
激痛が全身を突き抜ける。それでもアイヴィーは瞬時に頭を切り替え、その腕を掴んだ。
左腕を犠牲に、銃では捉えきれなかったこの相手を初めて確実に捉えた。災い転じて福となす、とはまさにこのことだ。
「捕まえ……たぁっ!」
アイヴィーは相手のコメカミに銃のグリップを強かに打ちつける。さすがに利いたのか、初めてその赤い瞳が揺らぐ。
勝機に対するわずかな期待、しかしそれとともに感じたのは脇腹への重い衝撃だった。
「――ぐ……ふっ!?」
アイヴィーの攻撃と同時に、相手の右足が振り上げられていたのだ。アイヴィーはその威力に相手の腕を掴んでもいられず、再び宙に放り出される。
「――っあ!」
盛大な不協和音とともにアイヴィーは床に叩きつけられる。
今回は運が悪いことに、着地地点に机などが積まれていた。それだけでもなかなかのダメージだが、それ以上にアイヴィーのダメージは深刻だった。
(ヤバ…………これ、骨イってる……?)
脇腹からジワリと広がり出した鈍痛は、そう思わせるのに十分なものだった。
ガードしてなお、アイヴィーを部屋の中央から壁まで飛ばすほどの威力だ。無防備な状態で受ければ骨の一本や二本折れても不思議はない。さらに左肩からは早くもかなりの大量の血が流れ出している。このままで数分と経たずに戦闘不能になることは必至だ。
(そんな…………こんな……所で……)
まさか、という想いが頭を駆け巡る。
まだどうにか動けはするが、これまでの展開を考えれば起死回生を狙うことは不可能に近い。その先に待っているのは紛れもなく命の終焉であり、その事実に愕然とする。
(こんな……ことで……)
アイヴィーにも、アイヴィーなりに目指すものがあった。漠然とした、夢と言うにはもの足りないちっぽけなものだが、それでもアイヴィーが日々を生きる理由となっていたものだ。ほんの少しずつでもそれに近づくため、アイヴィーは今日まで生きてきた。あの日から。
それがこのままでは失われてしまう。自分の命とともに。
恐怖はなかった。ただひたすら、悔しさだけが胸を締めつける。
アイヴィーは己の弱さに歯噛みする。戦うことに関して以上に、こうも簡単に諦めてしまう弱さに。
「…………冗談じゃないわよ」
その悔しさに押し出されるように、アイヴィーの口からそれを拒絶する言葉が漏れた。
「冗談じゃないわよ……こんな所で……!」
決然と、床に落とされていた視線を正面に向ける。
顔を覗かせた弱気を握り潰し、自らの敵と向かい合うために。
それは目の前に立つ狂気の少女ではなく、自らの心だ。
「――!?」
その視線を向けられた少女が、わずかにその身を震わせる。
アイヴィーはそんな小さな様子の変化を気に留めることなく、残る力を振り絞ってその脚に込める。
「……………………嫌だよ」
が、その耳に唐突に届いた声に、アイヴィーはその動きを止めた。
「え……?」
聞いたことのない声だった。しかしこの場で、アイヴィー以外に声を発する者は一人しかいない。
「嫌…………嫌だよ…………私、は……私は……!」
短剣が澄んだ音を立てて床に落ちる。
あの少女が何ごとか呟きながら震えている。コメカミから一筋の血を流した顔を蒼白にし、自分で自分を掻き抱きながら。
「何よ……これ?」
荒い呼吸を繰り返し、必死に何かに堪えるように俯く少女。見開かれたその両目からは止めどない涙が溢れ出していた。
恐怖に歪んだその形相に、アイヴィーは身を竦ませる。
まるでその恐怖だけで心臓を握り潰され、死んでしまうのではないかと思えるほどの怯えようだった。ともすれば、その恐怖に自分も取り込まれてしまいそうな。
「こんなの嫌だ……こんなのは違う、嫌、私は……!」
呟きは次第に明確な言葉に変わっていく。そして……
「――いやぁあああああああっ!」
悲鳴に近い叫び声が木霊する。
頭上を振り仰いだ瞬間、いくつかの雫が煌いて宙に散った。
それを最後に、少女は動きを止めた。身体の震えも止まり、漏れてくる言葉もなく、天井を見上げた状態のまま静止する。
フツリと、アイヴィーは何かが切れる音を聞いたような気がした。
「――あっ!」
少女はゆっくりとその場に倒れ込む。
アイヴィーはそれをどうすることもできずに見送った。当然だ、これだけのダメージを受けた身体がまともに動くはずがない。
「……なんなのよ、本当に」
それに倣ってというわけではないが、アイヴィーもその場に転がって天井を見た。わずかな灯りを頼りに、長い時とともに刻まれた傷やシミを漫然と見つめながらアイヴィーは溜め息を吐く。
「…………これで、放っておくわけにはいかなくなったじゃない」
浮かんできたのはあまりにも殊勝過ぎる考えだった。
直前まで戦っていた、殺されかけた相手を助けようなどお人好しにもほどがある。しかし思わずそういう考えが湧いてきてしまうほど、少女の様子は異常だった。
「ハハハ…………何これ? バッカみたい」
アイヴィーの口から乾いた笑いが漏れる。
バウンティハンターなんて辞めてしまおうか、本気そう思った初めての瞬間だった。




