いじめっ子♀といじめられっ子♂がくっついた件
あたしがうなずいて目を閉じると、西園寺の気配が近づいてきて、抱き寄せられた後にそっとくちびるを塞がれた。
重なった西園寺のくちびるは、柔らかくて少し冷たかった。
どきどきする。あたし今、キスしてるんだ。
これまでに不意打ちのようなキスは何度かあったけれど、気持ちのこもったキスはこれが初めて――あれ、そういえば幼稚園時代に一度だけあったかな。あれはたしか手術前。生まれつき心臓に穴が開いていたあたしは、小学校に上がる少し前に穴を塞ぐ手術をおこなったのだ。
そのときはあたしもまだ小さかったもんだから弱気になっていて、もう二度と会えなくなるかもしれないヒガシのほっぺたに、泣きながらちょこんとしたことがあったっけな――
「――ん、んんん……」
ぼんやりと昔を思い出していたら口づけが深くなってきて、あっという間に現実に引き戻された。
ちょ、おま、いきなりそれはがっつきすぎじゃあるまいか!?
というか妙にキスがうまいんだけど、もしや慣れてるんじゃ……否、これは絶対に慣れている……っ!
嫌な予感がもくもくわきあがる。
とっさに身をよじって突き放すと、西園寺は目を丸くして訊ねてきた。
「どうしたの?」
「あんたこれ、初めてじゃないでしょう!?」
「初めては、しずかちゃんとだよ。ほら小学生の時にハプニグが起きて」
「ちがう。なら質問を変えるけど、あたし以外の女の子ともキスしたことあるでしょ!?」
「…………うん」
ちょっと気まずそうに肯定する西園寺。
ほらね、当たった。こういう時の女のカンは鋭いもんだ。
しかしまあ復讐だなんだと息巻いておきながら、なんだ、裏ではちゃっかり女の子とよろしくやっていたんじゃないか。あっきれた!
「そうなんだ。向こうで彼女いたんだ。へぇ……ふぅん……そっか」
「でもすぐに別れたよ」
「そういう問題じゃない!!」
思わず地団駄を踏んで怒鳴りつけてしまった。
だってあたしたち、まだ中学生なんだよ!?
これが高校生や大学生の話ってんなら、過去に浮いた話の1つや2つあったとしてもまあ仕方ないよね、で済ますけどさ。あたしたちはまだ中学生なんだよ!?(大事なことなので二度言った)
だいたい転校していく前はあたしよりかウブかったくせして、なんでこんなことになってんだよ。いろんな意味でショックだ。
あたしはキッと西園寺をにらみつけた。
「あんたがやたらとモテることを忘れてた。今ならまだ引き返せれるだろうから、さっきの好きだって言葉は忘れてよ。やっぱりあたしはひとりで生きてゆく」
「へ? 何を言いだすの!? 嫌だよそんなの、なんでもするから機嫌直して!」
一気に表情を変えて、謝罪の言葉を口にする西園寺。
でも、こんなのでなぁなぁにはしないぞ。
「だって、あんたとつき合うってことは、これから何度もこういった不愉快な目に遭わされるってことでしょ。そんなのムリムリ、殴る壁がいくつあっても足りないじゃん」
「ないよ。寂しさを紛らわすために流されてつき合ったこともあったけど、もうそんなことは絶対にしない」
「うそ」
「ほんとだよ。昔からしずかちゃん一筋なんだ!」
じゃあなんで他の子になびいたりしたんだよ。
喉まででかかった言葉を、ぐっと呑みこんだ。
今までその気のなかったあたしが、それを言うのはさすがにお門違いだと判断したからだ。それぐらいの分別はあたしにもある。
だから、代わりに別の言葉を口にする。
「その言葉は信じるよ。でも気持ちなんて日々移ろって変わっていくものじゃん。あたしはたいして可愛くないし、これといった取り柄もないから、最後は飽きられて捨てられる予感がひしひしとするんだよ。そんで壁に八つ当たりするんだ。あたしの予言はきっと当るよ」
「待って、なんでそんなに壁にこだわるの!? しずかちゃんの欠点も含めてすべて好きなんだよ。第一、しずかちゃんはすごく綺麗じゃないか!」
「壁に八つ当たりしたい年頃なんだ。あと綺麗とかそういったお世辞はいいよ」
「お世辞じゃないって! クラスの連中だって楚々とした振る舞いのしずかちゃんを見て、『あれはヤバイ、見かけに惑わされてはいけない』って騒いでたんだよ!?」
「それって褒めてんの貶してんの? どっちみちあたしは“キズモノ”だから外見を褒められたところで嬉しくもなんともないし、むしろむなしい気分にすらなるよ」
「は?」
西園寺の時が止まった。怪訝な顔で見つめてくる。
あたしは一呼吸をして、それを見せる覚悟を決めた。
あたしのもうひとつの秘密。
隠してても、つき合っていくとしたらいずれは判ってしまうことだ。ならば、早いうちに打ち明けた方がいいだろう。
「あたしさ、手術した痕があるんだよね。見せてあげるから放して」
おずおずと抱擁が解かれたので、あたしは着ている制服の上を脱いで下着姿になった。それをめくって素肌を晒してみせる。
胸の谷間を縦に走る醜いミミズ腫れ。
手術した当時にくらべるとずいぶん薄くなってきたものの、それでもまだ生々しさが色濃く残っていた。この薄暗い体育倉庫のなかでも十分に伝わるはずだ。
「これでもだいぶマシになってきたんだけど、グロくて気持ち悪いでしょ?」
同意を求めると、西園寺は首を横に振った。
「こんなに大きな手術をしてたなんて知らなかったからビックリしたけど、気持ちが悪いだなんて思ったりはしないよ」
「気をつかわなくていいよ」
「そんなことしてないって。もしかしてこれで僕が引いたり心変わりでもするかと思ってた?」
「……だって叔父さんは気持ち悪いって言ったもん」
「叔父さん?」
優しい声で尋ねられたので、心の奥底でくすぶっていたものを吐き出すことにした。
「うん。それでね、隣にいたママに向かって『もっとマシな子供を生めばよかったのに』って言ったんだ。だからやっぱり気持ち悪いんだよ……」
未だにあの時ことを思い出すと、ツンと胸の奥が痛む。
その昔、家に訪れた叔父さんはあたしの手術痕を見るなり、眉をひそめてあれやこれやと言い放ったのだ。
だけどあたしはまだ幼かったから何も言い返すことができなくて、黙って耐えているママをただただ見上げることしかできなかった。責められているママが、かわいそうだった。
「あのね、べつにこの傷痕に不満があるわけではないんだよ。おかげで健康体になれたわけだしね。生んでもらえて感謝もしてる。でも、なんだろうな。その件があってから着飾ることに嫌悪感がわいたり、引け目みたいなものを感じるようになっちゃってさ。ずっとわだかまってるもやもやがあるんだ。あーあ、こんなことならせめて男に生まれときたかったよ」
でもそれだとホモになっちゃうかな。
あたしが言い終えてうつむくと、黙って話を聞いていた西園寺が口を開いた。
「しずかちゃんの自己評価が低かった理由がようやくわかった。僕からしたらそんな心無いことをいう人なんか放っておけばいいと思うんだけど、女の子だしやはり気になってしまうのかな。――触れてもいい?」
「えっ……い、いいけど平気なの?」
「平気も何も、実は僕だっていくつか傷痕があるんだよ」
「……そうなの?」
「うん。なんなら見せようか?」
「い、いや遠慮しとく……」
西園寺が自身の学ランのボタンに手をかけようとしたので、慌てて手を重ねて止めた。
こんな薄暗い体育倉庫でふたりして薄着になってるところを、誰かに目撃でもされたりしたら目もあてられない。授業中だから人がやって来ることはまずないだろうけど、万が一という可能性だってある。
(……ていうか、あたしってば相当大胆なことしてないか!?)
ハタと我に返ったあたしは内心パニくりながら先ほど脱いだ上服を手に掴む。もうとっとと着てしまおうとしたら、今度は西園寺が制止をかけてきた。
「待って、まだ触らせてもらってない」
「えっ。も、もーいいじゃん」
「よくない。しっかりと目に焼きつけておきたいし(本音)、しずかちゃんの心の傷が癒えるように祈りを捧げておきたい(建前)」
ひえええええっ。こんな時にクリスチャンぶりを発揮すんじゃねーよ!!!
あわあわと狼狽するあたしをものともせずに西園寺はあたしを引き寄せ、指先ではなくくちびるを押し付けてきたもんで思わず変な声がでてしまった。
「いひゃあっ。なっ、なんで口なの!?」
「まじないだよ、まじない。じっとしてて」
「ううう……」
ちょっとこれ本当におまじないなんだよね!?
抱きしめる西園寺の腕に身を任せながら疑問に感じていると、くちづけが少しずつ傷痕からはずれていく。
「ねえ、はみでてる。はみでてるんだけどっ!」
「…………」
「ねえ、だんまりしてないで何か言って……やっ……きゃああああ!」
とりあえず殴った。
「ごめん、調子にのりすぎた」
張り手をくらった西園寺はとたんにおとなしくなって謝ってきた。
「しずかちゃんがあまりにもいじらしくて可愛かったから、つい、たがが外れてしまった」
真顔でとつとつ言われると、こちらのほうがどんな顔をすればいいのかわからない。上服を着ながらあたしは照れ隠しのつもりでちょっと罵った。
「ばっかじゃないの。よくもそんな恥ずかしいこと堂々と言えるね!」
「だって本当のことだもの。いつ何があっても後悔しないように、好意はきちんと伝えておきたい主義なんだ」
「うっ」
(なんでこいつ無駄にキラキラしてんだよ……)
「改めて言うけど、きみが好きだよ。初めて会った時からずっと好きだった。もっとも、その時はすぐにわからなかったけれどね。あのふしぎなきもちの揺れをそんなふうに呼ぶんだと、すぐには思い当たらなかったから」
「ひいっ、わ、わかった。それ以上は言わなくていいからっ」
(もうやめてくれ。ステータス異常をおこしてしまう!)
「最後まで言わせて。だから今ものすごく浮かれているんだよ。僕を好きだと言ってくれて、こうやって悩みまで打ち明けてもらえた。そのことが本当に嬉しい」
「…………」
途中からまともに聞いていられなくなって、あたしは頭を抱えて突っ伏した。
は、恥ずい恥ずい恥ずいィ!!
信じらんない。なんて恥ずかしいやつなんだ。
だけど、呆れつつも心のどこかで嬉しがっている自分がいた。
歯の浮くようなセリフがうすら寒い。けど、コンプレックスをあっさり受け入れてもらえて嬉しい。この相反する思いが、今の正直な気持ちだ。
ま、一番に思うのは――
「あんたってば女のシュミ最悪だね」
「僕が好きなんだから、それでいいんだよ」
あっさりと笑顔で返されて、あたしは今度こそ黙った。すると再び調子を取り戻した西園寺があたしの手をとって、「もう1回キスしていい?」と訊ねてくる。
いちいち訊いてくんじゃねーよと思ったけど、不意打ちくらって心臓飛びでるぐらい驚かされるよりかはマシかと考え直して、あたしはうなずいた。
「で、でもやさしくね。さっきみたいなのをしてきたら、また張り飛ばすから」