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第三幕 罪人お菊 其の一

神田屋のおみちは、お菊の絵を広げると言葉を失った。


「なんて、素敵な絵」


しばらくぼうっと見とれていたが、やがてお菊に満足そうに微笑んだ。


「主人の見立ては確かだったわ。これなら先方も喜んでくれるでしょう。まずは先方に見せて、確認をしないといけないけれど、きっと大丈夫ね。代金は今日、お支払いしましょう」


おみちがぱんぱん、と手を叩いた。

すぐに女中が出てきて、障子を開ける。


「番頭に言って代金を持ってきて頂戴。それから、お客人にお菓子をお出しして」


そういっておみちは再びお菊に向き合い、たわいもない世間話などをはじめた。

おみちは瓦版を出版しているだけあり、いろいろな話を知っていてお菊もその話に目を輝かせた。



やがて、番頭が金包みと一枚の紙を持って部屋へと入ってきた。

「おかみさん。客人の前で失礼かとは思いますが、ちょっと瓦版の原稿をみてもらっていいですか」


おみちは少し迷惑そうな顔をしたが、お菊にちょっとごめんなさいね、というと原稿を取り上げた。


「『本所の人斬り、すわ河童の仕業か』なんだいこりゃ。こんな見出しで売れるわけないじゃないか、馬鹿らしい」

おみちはあきれたような声でつき返した。


「だめですかねえ、これ。狐狸妖怪を載せると売れるんですがね。そうそう、斬られたのは、前にうちで働いていた伝助でしたよ。さっきわかったことですがね」


「手代だった伝助かい!?なんてことだよ、あんなにできた人間を斬るだなんて。お前、この見出しは差し替えだよ。『下手人逃げたり、(あなぐ)る岡っ引き』にしな。もしかしたら、瓦版をみて自首するかもしれないじゃないか。そうだ、初菊さん。あんた、挿絵を描いてくれないかい?現場の絵があれば、目撃した人が出てくるかもしれないよ。事件が起きたのは、あんたの家の近くなんだよ。」


おみちは少し大きな声で言った。

知り合いが斬られて気が高ぶっているのかもしれない。


「そんなことをしたら駄目ですっ」

お菊は厳しい声で言った。


番頭とおみちが怪訝そうな顔でお菊を見た。


お菊ははっと我に帰り、自分の言動を後悔した様子であったが、再び、駄目です、とはっきりと言った。


「この事件は記事にしないでください。瓦版なんかにしたら、取り返しのつかないことになるかもしれません」


おみちは絶句し、さあっと青ざめた。

やがて、顔が赤くなったかと思うとわなわなと震えながらお菊を指差して罵った。


「あ、あんたなんかに商売の事をどうこういわれる覚えはないわよ。あんたの腕は買っているけれど、あんたが夫を寝取った遊女ってことにかわりはないのよ。体売るだけが能のくせに。世間のこともちっともわかってないくせに。よくもまあ生意気な口が利けるものね。恩義も忘れて」

そういって肩を激しく上下させる。


やがて怒りが少し落ち着くと、はん、と嘲笑した。

「仕事は金輪際持っていきませんからね。あんたは、私の家族を壊したのよ。主人は帰ってこない、息子は馬鹿なことばかりして。それなのに情をかけて、仕事をもっていってやったというのに、ちょっと煽てればこのざまだわ。ああ、馬鹿を見た」


おみちは荒々しく立ち上がって、番頭から金の入った包みを取り上げた。

そしてそれをお菊めがけて投げつけた。


包みはお菊の頭に当たり、チャリンと音をたてて畳に落ちた。


「二度と、二度と見たくない。あんたなんか」


そういうと荒々しく障子を閉め部屋から出て行った。


唖然として、その場に残された番頭は交互に二人を見ていたが、おみちが出て行くと気まずそうにお菊に頭を下げた。


お菊は金の入った包みをそっと握り、見つめた。


おみちが怒る事は当然であろう。

お互いにうわっつらだけで仕事の話をしていたはずだった。

そして、それでうまくいくはずだったのだ。


おみちにしてみれば、お菊は旦那を寝取って家庭を崩壊させた諸悪の根源である。


お菊はただ仕事がしたいばかりに、おみちの心の痛みも見ない振りをして、そして打ち解けたと勘違いして、うっかり商売に口を挟んでしまった。


しかし。


しかし、これを記事にされては大変なことになる。


犯人を捜すことは、してはいけないのだ。


まだそわそわとした様子の番頭に無言で頭を下げて席を立ち、お菊は神田屋をでた。



そのままとおりをふらふらと歩いていると、突然ぐっと肩を掴まれた。


「本所の、寅次の長屋のお菊だね」

ぎょろ目をぎらつかせた老人は、年季の入った十手をちらつかせた。


お菊は目を見張りうなずいたが、驚きと恐怖で声を出す事ができない。


「話は番屋で聞かせてもらうよ。ついてきな」


お菊の白い手を、熟練の岡っ引きの手が獲物を捕らえた鮫のようにがっしりと握り、人ごみの中をゆっくりと引っ張っていく。


お菊は抗うこともできず、ただ、ただ、呆然とついていくしかなかった。


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