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第一幕 歯磨き売りの受難 其の一

一真は、歯磨き売りを待っていた。


朝起きたら顔を洗い、歯を磨くことは一真の日課である。

そしてこの日は歯磨き粉をきらしていた。


「まあ慌てずともいい事だ、どうせ毎朝ここを通るからな」


歯磨き売りの行商は、毎朝家の前の道を声高らかに呼び込みをしながら売ってまわる。

しかし、この日はなかなか売りに来なかった。


「何かあったのかな」

変に嫌な予感が胸をよぎった。


一真は門の外に出てみた。

途端にとんでもないものを見て仰天する。


道の真ん中を、両手と頭に米俵を乗せた女がこちらに歩いてくる。


唖然として一真が見ていると、女は一真を見つけて小走りに駆け寄ってきた。


「お久しぶりです。佐倉一真様」

くすくすと女が笑った。


「お鳥・・・」


一真は、女の名前をやっと言った。



お鳥は、数ヶ月前に出会った公儀隠密である。

怪力を持つ美人だが、任務のためにはどんな犠牲もいとわない。


「なにをしにきたんだ」

一真は警戒しながら言った。

お鳥は隠密で、一真達はとばっちりをくって敵方の隠密に襲われたことがある。


「先日のお礼とお詫びを持ってまいりました」

相変わらずくすくすと笑いながらお鳥は米俵を地面に置いた。


ズン、と重い音が三つした。


「佐倉殿、怪我をしたお友達、それから、これは兵庫さんに・・・」


一等大きく重そうな米俵を撫でながらお鳥は言った。

小さくチャリン、と音がするところをみると、どうやら兵庫のだけ別誂えの米俵で、中には小判でも入れてあるのだろう。


「お礼とお詫びなら、それぞれの家に届ければいいだろう。お前は軽々米俵を運べるかもしれんが、俺には無理だぞ。大八があるならともかく、それを担いで本所までいけるわけがないじゃないか」


「でも、私もお城のほうからこれを運んできたのよ。大丈夫ですってば」

お鳥は軽い口調でそういった。


一真は厭な予感にくらくらとしながら言った。

「頭と両手に三つの米俵を乗せて城からの道をきたというのか。途中、誰かに見られるだろう」


忍というのに目立ちすぎだろう。


「朝も早いし、ほとんど誰も外に出ちゃいませんよ。すれ違ったのは、薪売りと歯磨き売りくらいなものです。誰にも見られてなんかいませんよ。歯磨き売りなんて、目も合わさずに横の道にそれていったんですよ」

お鳥はさらりと言った。


「見たから目を逸らしたんだよ、それは。お前は八丁堀の七不思議を一つ増やすつもりか。とにかく、俺まで巻き添えにして変な噂になるような事はやめてくれ。俺は静かにくらしたいんだからな」

そういって逃げるように、家の中へ戻ろうとした。


「あ、ちょっとまって。家の中までお運びしますから」

お鳥は三つの米俵を再び担ぐとそのまま家の玄関まで運んでいった。


「ふう。これで、貸し借りなし、と」

玄関に荷を下ろすと、お鳥は満足げに言った。


「俺はお前のせいで刀を折られているんだ。それを米俵一つで貸し借りなしとはな。それに、どう見ても兵庫の米俵だけ大きすぎるだろう」

一真は、米俵をパン、と叩いた。


お鳥はくすくすと笑いながらまあまあ、となだめた。

「それでは、刀の好いものが手に入りましたらそれをもってまいりましょう。とりあえず、米俵の方を頼みましたよ」


そういうと、会釈をしてすたすたと家を出て行った。



お鳥が去るのと同時に、庭木が大きくバサッと揺れたのだが、一真はお鳥が残していった米俵に気を取られ、それに見向きもしなかった。



お鳥は、元来た道を戻りながら、呟いた。

「見たか?雷華。あれが佐倉一真だ。お庭番衆は、一族を問わずあいつを皆欲しがっている。雷華も憶えておけ。あれをモノにできたら皆の羨望を一身に浴びる事ができるぞ」


バサッと傍の庭木が揺れた。


「とはいえ、お前はまだ若い。忍びとして半人前だ。修行を積んで、暗殺剣はそれからだな」


しかし、今度は何の音もしなかった。


お鳥は立ち止まって、木の上を見た。


そこには何もない。

お鳥は何事もなかったようにまた道を歩き出した。


「雷華。あれは少し熟慮がたりないからな。面倒を起こさなければよいが。しかし、あの無表情男の面食らう顔も少し見てみたい気がするな」

お鳥はそっと笑みを浮かべた。


そして次の瞬間、タンッと地を蹴ったかと思うと、風のように走り去って消えた。

風にまかれてふわりと舞った落ち葉が、頼りなげに空をさまよい地面に落ちた。



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