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終幕

詮議は後日やり直された。

松吉は伝助という凶悪党からの正当防衛ということもあり、大きなお咎めはなかった。

おみちは小さな仮屋で赤飯を炊いて店の者と皆で祝ったという。

そして、お菊の沙汰も今日下される。



「お菊。お前は現場に工作して、自分が犯人だと騒ぎ立てて捜査を撹乱させた。奉行所としては愚弄された気持ちで一杯だ。しかし、人を刺したわけではない。よって所払いが妥当なところであろう」

大柄な奉行はかしこまっていった。


「所払い・・・」

お菊は動揺した。


あの長屋を出て行き、また自分を受け入れてくれるところを探さなくてはいけないのだ。

それでもお菊は「はい」と神妙にうなずいた。


「まあ、それはそれとして。もう一つ罪があるそうだな。非公認の場所で夜鷹をやっていたそうじゃないか。実にけしからん話だ」


「は?」


お菊はきょとんとした。

当然である。お菊はそんなことしたこともない。


「只でさえ夜鷹は風紀を乱す。しかも黙認してやっている場所ですらないところで商売をするなんて、とんでもないことだ」

ニイッと奉行が笑った。


「ご、誤解です。私は売春なんて吉原を出てからはこれっぽちも」

慌ててお菊は言ったが、奉行は「黙らんかっ」と大声で叱咤した。


「そんなに夜の春で稼ぎたいのであれば、お前をもう一度売ってしまおう。幕府公認遊郭の吉原に払い下げにいたす」


「ええっ!?」


唖然としてお菊はそれきり声も上げることができなかった。


「ふん、これでいいんじゃよな。可愛い甥っ子よ」

奉行は小さく呟いた。



お菊は籠伏せで吉原まで運ばれるとそのまま入札にかけられる。


大勢の吉原遊郭の楼主がやってきて、籠の中を覗き込んできた。

その不躾な視線に耐えかねてお菊は少しうつむく。


「中々の美人だな。前に吉原で働いていた箔もあるし」


「しかし、年季明けでだいぶトウがたってるよ。こりゃあ誰も引き取りたがらねえよ」


「ひでえなあ伊勢屋さん。でも確かに、すぐに羅生河岸行きだろうよ」

そういって楼主たちはげらげらと笑った。


お菊は顔が真っ赤になった。


晒し者だ。

籬の向こうから、男達に値踏みをされるのは遊女の定め。

けれど、さんざん悪口言われて安遊女の吹き溜まりの羅生河岸に売られるほど、私はひどいのか。


ここにも居場所はないのか?


お菊が羞恥に耐え切れず目をつぶったそのときである。


背後から懐かしい男の声がした。


「うちで引き取ろう。皆さん方、それでいいかな」


お菊はぱっと振り返った。


「お前さん、よっぽどここが気に入ったんだねえ。大きな世界を捨てて、こんな小さな箱庭に戻ってきて」

しゃがれた女の声も続いた。


「親父さん。お玉さん」

お菊は涙声で言った。


下男たちがお菊の籠を取ってやると、お菊は解き放たれた鳥のようにぱっと立ちあがり、二人のもとへ駆け寄った。


「かわいそうに、見世物みたいな事させられて。あの同心たちには後で文句言ってやる」

憎憎しげにお玉が言った。


お菊が首をかしげると、楼主が無愛想に言った。

「数日前にな、若い餓鬼みたいな町方達がやってきて、お前をもう一度買う気はないか、と言ってきたんだ。お前の罪が所払い以下にはならない事が判って、うちに置いてほしいと手を回してきやがったんだよ。真ん中にいる能面みたいな男がふてぶてしくてなあ。町方じゃなかったら追い返してやるところだった。でも、うちにしてもお前を買うことは好都合だった」


「好都合?でも、私はもう年をとっているし、いつまでご奉公できるかわかりません」


お玉がフッと微笑んだ。

「私の代わりにあんたが入るんだよ。朝晩逆の生活に飽きちまったし、金も少しずつ貯めていたからね。これからは、のんびりと三味線でも教えながら外で暮らすのさ」

あんたは本当に運のいい子だよ、とお玉は言った。


楼主が言った。

「初菊。お前なら遊女のいい相談役にも教育係にもなるだろう。この世界、飴と鞭をうまく使えるものこそ生き残れるのさ。そして、もっと深い地獄もこの先には待ち構えている」


お玉が同調するようにうなずく。

遣り手婆は吉原遊女の抱える生き地獄を、一手に引き受けなくてはいけない。


「無論、承知してます。私には吉原しかないのです。心底ホッとする心地の場所は、ここなんです」

そういってゆっくりと辺りを見回した。


昼見世前の気ぜわしくなり始めた吉原の風がお菊の体を包んだ。


廓に向かう途中、ふわりと甘い匂いがした。


一瞬、金木犀かと思ったが煙の匂いも混じっていた。

おそらくどこかの見世から流れてきた香の香りであろう。


「お玉さん。外で落ち着いたら金木犀を植えるといいわ」


「金木犀か。それもいいねえ。でもなぜだい?」


「私達のような木だからよ。実もつけないし、葉ばかり茂りながら何の役にも立たないわ。でもね、一年の間のほんのひと時、誰かを思って香るのよ」


「なんだって?」


意味もわからず不思議そうな顔をしたお玉を横目にお菊はふふ、と笑った。



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