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      遊女の誠 其の三

金がなくなった松吉は、廃墟同然のような長屋に住むようになり、着るものも食べるものにも困っていた。

しかし少しでも小金が入るとつい博打に使ってしまう。


そんな生活を続けていたある日、松吉は伝助と出会う。


「金ならお前のうちにいくらでもあるじゃないか。俺もお前も隠し場所は知ってる。知らない店に忍び込むよりもずっと確実で楽な仕事だ」


伝助は松吉を誘って泥棒をしようとしたのだ。


「なに、誰かが騒げばこいつで脅せばだまってるだろ」

そういって伝助は匕首を懐から少し覗かせた。


松吉は自分の家に盗みに入る事に後ろめたく感じたが、金にはだいぶ困っていた事情もあり、その話に乗ったのだ。


そして当日の夜、松吉は伝助と河原で待ち合わせた。


その待ち合わせの場所に向かう途中で、ぶらぶらと月明かりを頼りに歩く女とすれ違う。

女は突然くるりと振り返ると驚いたように「佐兵衛さま?」と声をかけてきた。


死んだ父の名前を出されて松吉は少し驚きとまどった。

「あ、いや・・・。佐兵衛は、死んだ父の名ですが」


そういうとその女は「まあ!」と声を上げて、それから納得したようにうなずいた。


「ようく似ていること。でも、とんだ人違いだわ。どうもごめんなさいね」

女は軽く頭を下げて土手の方へ降りていった。

そしてその中腹くらいで座り込むと、こちらを振り向いた。


暗闇でよく見えないが、おそらく微笑んでいるのであろう。

女はまた川の方に向き直ると機嫌よさそうに小さく唄を歌った。


松吉は変な女だといぶかしんだが、再び歩き出す。


そうして、その土手から少し離れたところに伝助がまっていた。

松吉が伝助の傍に近づくと伝助はニッと笑って手を上げた。


「木戸が閉まる前にやっちまおう」

そういって伝助は匕首を軽く振った。


「店のものには傷をつけたくない。それは置いていこう。脅しなら一つ二つ殴るだけで十分だ」

松吉がそう促すと、伝助はギロリと睨みつけた。


「俺たちは、神田屋の人間とは面識があるんだ。一人にでも顔を見られたら、名前も素性もばれてしまうんだよ。失敗したら、皆殺しにするしかねえ」

お前も持てよ、といって伝助は匕首を懐からもう一本出した。


松吉は匕首を掴み鞘から抜くと、その剣先を見つめた。

冷え冷えとした刃の冷たさに、知っている顔が次々に斬られていく様子が浮かんだ。


松吉は目が急にさめた心地になった。


「やめた。俺はこの盗み降りるよ。奉公人にはなんの咎もないし、無体をしていたのは俺の方だ。この上、怪我させたり殺したりなんてできない。お前の事は口外しないから安心しな」

そういって匕首を鞘に収め、放り投げて返した。


「あばよ。お前もこんなことから足を洗ってさっさと真っ当に生きるんだな」

松吉は片手を振って後ろを向いた。


「お前、裏切る気か。冗談じゃあねえぞ。後から気が変わって町方にでも垂れこまれたら、俺の今までの罪が全部ばれちまう!」


後からわかったことだが、伝助は使われた奉公先を襲う強盗だったのだ。


「くそ、こんな事ならお前なんぞ誘わずに一人で押し込めばよかった。だが、お前はもう店には返さねえぞ。ここで死んでもらう」

そういうと、伝助は匕首を抜いた。


驚いた松吉は持っていた提灯を落として逃げた。


「待ちやがれ!」

伝助は追いすがったが、同時にその伝助の体を羽交い絞めにする者が現われた。


「逃げてっ」


松吉は、その声の主を見て驚いた。

先ほどの女だった。


「私は、佐兵衛さまに恩義があるものです。ここは、まかせて、逃げなさい」

女はそう言ったが伝助は力が強く、言い終わらないうちに女はねじ伏せられた。


「このアマッ!すっこんでろ!」


バシッと激しい音がして、女は地面に倒れこんだ。


「へ、よく見りゃいい女じゃねえか。松吉をやった後は、たっぷり落とし前をつけてもらうからな」

喉の奥で笑って、伝助は松吉に向かい合った。


「佐兵衛の知り合いだとよ。お互い佐兵衛なんぞ思い出したくもないよな。俺の正体がばれちまって、佐兵衛の旦那は手の平を返したように厳しくとっちめてきた。知らなきゃ長生きできたかも知れねえな。まさか、毒で卒中に見せかけたとは、誰も知るめえ。お前も死ぬ前に本当の死因が聞けてよかったな」


そういって伝助は匕首をブンブンと振りながら、松吉に近づいていった。


「地獄で、親父に詫びな」

伝助が匕首を振り上げ松吉に切りかかってきた。


松吉は身が強張り、体が動かない。

斬られる、そう思った瞬間。


急に伝助が姿勢をよろかせ、向かってきた匕首が松吉の腕を掠めて空をさまよった。


その背後には、伝助に体当たりしたような格好のお菊がいる。


松吉は、とっさに伝助の右腕をとり、その先の匕首をもぎ取った。


「て、てめえらっ」

伝助は、一瞬だが後の女をみて松吉から目を逸らした。


その隙を狙って松吉は、夢中で伝助に体当たりをした。

腹の中に手がめり込むような厭な感触がした。


「お、お前、やっちまいやがったな・・・」


伝助は目を見開いて、自分の腹と松吉を交互に見るとやがて白目をむいて倒れた。

腹には匕首が突き立てられ、そこからどくどくと血が流れ出している。


「う、うわっ。ひぃ」


松吉は砕けたようにしりもちをついた。

そして、倒れた伝助の向こうにいるお菊にすがった。


「た、頼む。このことを、忘れてくれ。誰にも、言わないでくれ。こんなことで捕まりたくはないんだ」

お菊の傍に這うように近づいて、頭をたれた。


お菊はお菊で呆然としている。


うつろにうなずくと、松吉をみた。

途端にはっとした顔になる。


「お怪我をされたのですね。血が、でています」


慌てて松吉は自分の腕を見た。

二の腕の辺りから、ぼたぼたと血が滴り落ちている。


「お医者様に早く診てもらってください。ここは、私に任せてください」

そういうとお菊は松吉をその場から追い返したのだ。


松吉はその日のうちに町医者に駆け込み傷を診てもらった。

そうして怪我の治療を理由に、外からの情報をすっぱりと切って事件の事を忘れようとしていたのだ。




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