つばさと魚と人の終わり
とあるアニメーション映画を見終わったら出来たものです。ダークですので、お気を付けください。
「私たちの風習では、産んだ卵はその父となるものが温め孵すことになっております」
子供を成さねばならなかった男は、龍宮で鱗と臭気をだすぬめりけに耐えながら、人魚の姫と嫌々むすばれたのだが、龍宮から旅立ち次の相手を探そうという時に、人魚の姫にそう言われ、海の中で立ち竦んだ。
「出来ないのであれば、私は卵を海にかえします」
人魚の姫は、多産だった。
彼女は永く生き、沢山の生命を海に生み出し、また、帰してきた。
男とは、人魚の姫は一夜しか過ごしていない。
永い海の月日のうちの、たったの一夜で産んだ卵は、多産の人魚姫から生まれたのにたったの一つだけだった。
しかも、人魚が産む卵に付く、宝玉類も付いて生まれなかった。
人魚の姫は男に卵を抱かせた。
「その卵をどうするも、貴方様しだい。わたくしの責務は果たされましたよ、人の神。滅びゆく時だけ、力を一度かす、という盟約もこれで終わり。わたくしは海に、貴方様は地上に。悠久と刹那の交わりはこれきりです。さようなら、人の男神」
龍宮は陸の空気を全て吐き出してしまってから、数多の海のいきものたちと共に、その扉を閉め切ってしまった。
卵を抱いた男は、これだけでは不安であると思い、今度は空へのきざはしを上っていった。
☆★☆
翼人たち、天人たち、神女たちは男を見下ろしていた。
この国のものは腕が翼であるか、空を翔ける衣を纏うかをして、常に空に浮いて暮らしている。
卵を抱いた男は空へ言葉を投げ掛けた。
「我が身はかつて空からくだったものの末である、人の神であります。人はいま、滅びようとしています、太古の伝承に空には我ら人を救う女神があり、子を成してくださる、と言われております。この国のどなたか、救いのこころを持つ御方はおられませんでしょうか」
翼を持つもの、衣で飛ぶものは呆れ返って男を相手にしなかった。
「……あの」
男が天の国を訪れて七日目に、天には珍しく、男と同じに地を歩く女がひとり、男と卵を見比べて指をさしながら、男に物を聴こうとしてきた。
女のその腕の翼は折れていた。
「はい、天の方、なにか」
男は折れている女の翼にがっかりしながら、女に応えた。
「……その、卵……を、妾へくださるのなら、貴方のお求めに応えようと思います。いかが、なさいますか」
男はまた戸惑ったが、卵は重くみすぼらしかったので、翼の折れた女へ渡してしまおうと決めた。
「……天の方の御心のままに。それで、人を殖やしてくださるのでしたら」
「あ、よかった!! 妾、丁度玉子が詰まっていて苦しくて。貴方が父親になるのであれば、産みましょう。妾の翼はこの国の神に折られてしまって、それからというもの、妾には夫もなく、もう妾もお婆ちゃんです。健やかな子は約束できませんが、産めますわ。それで、貴方が孵せば宜しいわ。妾はこの海の卵を我が子として育てますから」
男に口付けすると、翼の折れた女は玉子を口から生み出した。
「ふう、喉のつかえが取れました。さぁ、玉子をお持ちになって。さようなら、人の男神」
天の国は男を陸に返すと、陸へ下ろしていたきざはしをするすると上げてしまい、もう2度と陸に関わろうとはしなくなった。
男は掌の中の玉子を手に、陸で一人、途方にくれた。
海の人魚の姫も、天の救いの女神も、男にくれたのは人の児の赤子ではなかった。
男には育て方も解らない。
☆★☆
陸で十五年が経った。
「――うまれる」
ある日の夕刻に、翼の折れた女に渡された玉子が動き出して、殻を割りはじめた。
男は河へ行ったり山へ行ったりして、どうにか人の児を殖やそうとしていたが、気付けばもう、自身が子を成せない老齢となり果てており、人は終わるのだと諦めて玉子をたまに温めるだけの暮らし方をしていた。
「……うまれるとは思っていなかった」
一つの玉子に時間をかけるより、沢山の恵みを巡る方を男は優先していた。
だから、天の玉子の事など、実はおざなりに考えていた。
口付けただけで自分の児だと言われ、玉子を渡されても、何も得心いかなかったから、男は玉子を自分の児として大事になど出来ないでいたのだ。
人魚の姫が産んだ卵の方が良かったのに、どうして俺はあの生命を手放したんだろう、と男は天の国から帰ってそう嘆いていた。
人魚の姫の卵は、七日間は確かに男と共に寝起きした卵だったからだ。
「――俺の……ひとの、児――」
卵は揺れる。
「俺の、こども!!」
卵が、割れる。
そのとき。
「見付けたぞ、毒の雄」
空から、ましろの衣を着た甲羅を持った童子が降りてきた。
「ふ、つまらないな。これが僕の弟か」
童子は卵の中身を男から取り上げ、槍を向けた。
「……! や、やめてくれ、たった一人おれのもとに残った人間の児なんだ、やめてくれ……!!」
童子は槍のさきの光を男の方に向けた。
「たった一人の人間の児? 何を言う。こいつは死んで腐っているじゃないか。それに、汚い翼が崩れ落ちて生えているのが見えないのか。これは俺の弟だった。……迎えに来たんだよ、俺の血縁はこの弟だけだと知ったから」
童子は槍でおとこを刺した。
「……そんな、はずは……、だって孵るところだったんだ、うごいていた、うごいて……」
「……腐った空気に耐えられなかったのさ、弟の魂は。僕が遅くなったのもいけなかった。魂だけに成ってしまって、それさえ、今さっき、消えて失くなってしまうところだった。辛かったろうに、魂だけの力で意識を保つのは。……それでも嫌がって殻を割って、最期に一度だけ世界に出ていこうとしていたんだ、この僕の弟は。――おまえ、人を殖やすと抜かしていたんだってなぁ。何も判らないのだな、ここまで愚かだとは」
――人間なんぞに生まれなくて済んで、人の手で育てられずに済んで、僕は幸いだった――
童子はましろのそらとぶ車を槍を回して出すと、弟の卵の殻をそこへ乗せ、魂を腕に抱き締めて空へ帰っていった。
男は、老いてただ一人、本当に独りきりで、人間の歴史の書に、この出来事を書き綴り、伏した。
――人類史にはもう生命はない。




