選ぶのは、私だ
考え続けていると、
正しさそのものが分からなくなることがあります。
どれも正しいようで、
どれも間違っているように見える。
そんなとき、残るものは一つだけです。
この話は、その地点から始まります。
(絶望して机に突っ伏したあなたの肩を、誰かが無造作に叩く。厚いレンズの眼鏡、くゆるパイプの煙。ジャン=ポール・サルトルが視界に割り込んでくる)
【乱入:ジャン=ポール・サルトル】
「……おい、君。何をそんなに情けない顔で震えている?」
「巨匠たちの言葉に押し潰されて、自分を失ったか?」
(わずかに鼻で笑う)
「実に滑稽な——自己欺瞞だ。」
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(サルトルは隣の席から椅子を持ってきて、逆さに座る)
「いいか。」
マルクスだの、カントだの、ニーチェだの……
彼らが何を言おうと、
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それは君にとっての『所与』に過ぎない。
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君が店員にイラついた。
その事実だけが、
君という存在の出発点だ。
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君は今、『何が正しいのか』と聞いたな?
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答えはこうだ。
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「正しいことなど、最初からどこにもない。」
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人間は、まずこの世界に投げ出される。
そして、その後で自分を作る。
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これを——
**『実存は本質に先立つ』**と言う。
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あの店員がマニュアル通りに動くのは、
『店員』という役割に逃げ込んでいるからだ。
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そして君も同じだ。
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「どう怒ればいいか」と悩むことで、
自分の自由を、誰かの理論で埋めようとしている。
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(サルトルは煙を吐き出し、原稿を指差す)
「君は選べる。」
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店員を——
『イラつく無能』として描くこともできる。
『資本主義の犠牲者』として描くこともできる。
あるいは、『ただの隣人』として受け入れることもできる。
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問題は、どれが正しいかじゃない。
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どれを選ぶかだ。
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そして——
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選んだ以上、
その責任はすべて君が負う。
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「ニーチェが言ったから怒る」のではない。
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君が、怒ることを選んだ。
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その事実から逃げるな。
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(サルトルは立ち上がり、出口を指差す)
「世界はな、意味を持っていない。」
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君が与えるのを待っているだけだ。
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店員にイラついたなら、
その怒りを自分のものとして引き受けろ。
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混乱しているなら、
その混乱を、そのまま書け。
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君を定義するのは、思想じゃない。
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行動だ。
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(わずかに間を置く)
「さあ、書け。」
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神も、歴史も、市場も、道徳も——
君の代わりに結論は出さない。
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君は、自由という刑に処されている。
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最終局面:そして、ペンが動く
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サルトルが去ったあと、頭の中のノイズが静かに消えていく。
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マルクスの怒りも、
スミスの合理性も、
カントの義務も、
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すべてが——
「選ぶための素材」に変わる。
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(「私」、ペンを握る)
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「私は、何を書くべきか。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
正解がないと分かったとき、
人は少しだけ楽になり、
同時に、少しだけ重くなります。
選ばなければならないからです。
その選択が正しいかどうかは、
後からしか分かりません。
それでも、選ぶこと自体は避けられないようです。




