7. インスタ映えが流行った頃
わたしが大学生の頃、インスタ映えという言葉が流行っていたことを思い出す。わたしはそれを正直、冷めた目で見ていた。20歳の時にカナダに1年間留学していたのだけれど、他大学の友達が
「インスタ映え〜」
と言いながら飲食店で料理の写真を撮っているのを見て、アホちゃうかと心の中で思っていたのだ。本人には決して言わなかったけれど。
とはいえ、インスタグラム上では常にキラキラしていなければならないのかと考えていた。わたしは友達が多い方ではないし彼氏もいなかったので、キラキラした生活とは到底無縁だ。日本人コミュニティの飲み会に足を運んでいたけれど、なんとなく居心地が良くなかった。わたしはここにいてはいけないような気がした。友達が多く常にワイワイ過ごしている彼らとは住む世界が違うから。
そんなある日、わたしは精神的に疲れてしまう。行きたくもない飲み会に無理して参加していることに気づいてしまったのと、キラキラしていない自分が無価値ではないかと考えたからだ。
わたしは現地で出会ったカナダの女性に
「なんかもう、周りがキラキラしてるような気がしてついていけなくて……。わたしって一体なんなんだと思ってしまうんです」
と言ってみる。すると彼女は
「インスタ上ではみんなキラキラしてるように見えるかもしれないけど、それはパズルのピースの一部でしかないから。そのパズルのピースの一部がたくさん載ってるからキラキラしてるように見えるのかもね」
と言ってくれた。彼氏と喧嘩したとか体調を崩したとかみんなを心配させるような出来事をSNSに載せる人はあまりいないし、良かったことしか載せないからキラキラしているように見えるだけだったのだ。わたしは彼女の言葉に救われたような気がした。