3. 創作活動の原点
わたしは外で遊ぶよりは室内で絵を描いたり何かを作ったりすることを好む子どもだった。紙とペンがあれば常に何かを描いていたし、ハサミと紙があれば常に何かを作っていたのだ。お店などには出さずとも、思えば子ども時代から何かしらの創作活動を行なっていた。
そんなわたしが物書きに目覚めたきっかけは、小学校高学年の時のことだ。毎週金曜日にボランティアの方が来校され、朝の時間に読み聞かせをしてくださる。聞くだけだし退屈そうな顔をしていた人もいたけれど、わたしにとってはものすごく楽しかった。早く金曜日にならないかなと思っていた。
それがきっかけでわたしも物語を作りたいと思い、ちょっとした話を書き始める。中学生になってからもっとたくさんの本を読み、今はなきWebサイトに小説を投稿していた。相沢朋美というペンネームはこの時から使っていたけれど、筆名は当時読んでいた小説の主人公からお借りしたのだ。本名は絶対に使いたくなかった。
高校生になってからは小説家になろうに投稿し始める。先生の目を盗んで小説のネタを考えたこともある。自称進学校なので模試や小テストや朝の7時半から始まる0限目(これは九州特有かもしれないが。大学進学を機に京都に来て、友達に0限目のことを言うと驚かれた)があり、バタバタしていた。それでも隙間時間に書いていたのだ。
大学生時代から社会人3年目までは忙しくしていたので、なかなか書く時間がとれなかった。社会人4年目になってから時間がとれるようになり、また書きたいと思えるようになる。久しぶりに書いてみたけれど、やはりわたしは書くことが好きだと実感した。それから2024年の文学フリマ大阪に初参加し、細々と委託販売イベントにも出る。今年は文学フリマ京都と文学フリマ東京40に出たけれど、次は大阪・福岡・東京41がわたしを待っている。それまでの間に委託販売も控えている。来年の文学フリマ京都や広島も絶対に出たい。多くのお客様に楽しんでほしいという思いから、わたしは今も創作を続けている。