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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女が拾った人の子は、自分を殺す刺客でした。刺客だった、はずなのに

作者: ラム猫


 今から二百年前。人間と魔女の戦争が始まった。

 魔女はその圧倒的な力で人間の命を多く奪い、人間もまた力を合わせて魔女を殺した。

 戦争は、両者が衰弱し停戦状態となり、魔女が姿を消したことによって人間の勝利として終戦した。

 今でも魔女の生き残りが人間と離れた場所で暮らしており、人間達の脅威として恐れられている。




 風が木々を揺らす。暗い森の中をフードを深く被った者が一人、歩いていた。フードから、夜闇のような黒髪がのぞいている。

 彼女は周囲に光の玉を浮かべて、迷いない足取りで道を進んでいた。しかし、その歩みが止まり、彼女は首を動かした。

 鬱蒼とした大樹に背を預けた、一人のぼろぼろな少年がいる。彼女は少年の元に歩み寄り、ローブが汚れることを一切気にせず膝をついた。

 目を瞑った少年の顔にかかった彼女と同じ黒い髪をどけると、少年は瞼を震わせてゆっくりと目を開けた。


「……生きてる」


 彼女が小さく呟くと、少年が獣の様に瞳孔を細め、紅い瞳に殺意を宿らせた。彼は手に持っていた短剣を彼女に向ける。


「あら、危ない」


 彼女は穏やかな声でそう言って、銀色に輝く短刀の刃を摘まんだ。少年は目を丸くして、短剣を引こうと動かす。しかし、それはびくとも動かない。


「貴方、捨て子なの?」


 少年は唸り声を上げて彼女を威嚇した。ふふっと笑い声を漏らし、短剣を離して彼女はフードを外した。彼女の素顔があらわになる。

 光の玉が照らしていても、吸い込まれてしまいそうな漆黒の髪が肩を滑り、緑色の瞳を瞬いた彼女は、微笑みを浮かべて優しい眼差しを少年に向けた。


「行くところがないのなら、私のお家に来る? 私、助手が欲しいと思っていたの」


 彼女は歌うように話を進める。怪訝そうな少年を見て、彼女は笑みを深めた。


「私は魔女。世間では、『深い森の魔女』って呼ばれている。もしかしたら、太らせて君のことを食べちゃうかも」


 魔女は、悪い顔をして口元に人差し指を当てた。少年の瞳により強い殺意が浮かんだのを見て、魔女は慌てて手を振った。


「冗談だよ。そもそも、魔女だからって人間を食べることはない」


 優しい笑みを浮かべるも、少年は短剣を握りしめながら魔女を睨み続ける。魔女は眉を下げて、困ったように頬をかいた。


「参ったな、このまま放っていくのも気が引けるし……」

「……く」


 真っ暗な森の奥を眺めていた魔女は、消え入りそうな声が聞こえて少年に目を向けた。


「ついていく」


 はっきりと聞こえ、魔女は緑色の瞳を丸くした。少年は変わらず魔女を睨んでいるが、魔女がにこりと微笑みを浮かべると彼の目が和らいだ気がした。

 魔女は立ち上がり、膝を曲げて少年に手を差し伸べた。


「私と一緒にいらっしゃい」


 穏やかで慈愛に満ちたその笑みからは、哀しみが滲み出ていた。

 少年の細い手が重ねられて、魔女はその小さな手を強く握りしめた。



 ◇



「魔女! さっさと起きろ!」


 むにゃむにゃと聞き取れない言葉を喋りながら毛布の下に潜り込む魔女を見て、黒髪の青年は腰に手を当てて大きく息を吐いた。そして、彼は毛布を引きはがす。


「さ、さむい……」

「朝飯が冷めてしまう。早く起きろ」


 しばらくうだうだとしていた魔女だが、ゆっくりと目を開けて緑色の瞳を青年に向けた。


「アルバ。おはよう」

「おはようではない。何度も言っているだろう、自分で起きろ」

「んー。アルバ、優しい」


 魔女はへにょりと笑い、アルバと呼ばれた青年は彼女から目を逸らした。はだけかけた魔女の寝間着姿は、アルバにとって目に悪い。

 アルバから介助を受けながら寝台から立ち上がった魔女は、指を一度鳴らした。すると、彼女の服は寝間着からいつもの魔女服に変わる。寝ぐせの付いた髪をかき混ぜながらあくびをする魔女の後に続いて、アルバは部屋から出る。

 魔女が水場から戻るのを待つ間、アルバは完成した朝食を再び火で熱して温める。スープの香りが漂い、彼は一口味見をして頷いた。


「今日もありがとう、アルバ。美味しそうな香りがする」


 すっかり目が覚めた様子の魔女は、いつもと同じようににこにこと笑みを浮かべている。彼女はアルバの隣に立って、スープを見て目を輝かせた。


「私の大好きなフールスープだ!」


 魔女が嬉しそうに声を弾ませ、アルバは思わず目元を和らげた。昨日多めに狩っておいて良かった、と内心で思う。

 魔女と共に朝食を皿に盛りつけ、机に並べる。定位置となった席に座り、魔女は真っ先にスープを口に含んだ。


「あー、美味しい。流石アルバ、私よりも料理の腕は抜群だね」

「お前の料理の腕が壊滅的なだけだ」


 魔女は恥ずかしそうに笑んで、他の料理にも手を運んだ。美味しそうに料理を食べる魔女を見て、アルバは満足したように微笑む。そんな彼の様子を見て、魔女もまた温かい微笑みを浮かべた。



 

 朝食の後は、魔女の薬作成の手伝いをする。アルバは魔女に支持された薬草を取りに倉庫に訪れた。魔女の魔力が満ちたこの倉庫は、薬草を保管するのに適しているらしい。

 薬草を抱えて魔女の元に戻ると、魔女が腕を抑えているのが見えた。


「おい、魔女! どうした!」

「アルバ……大丈夫。ちょっと腕を切っちゃって」


 アルバは魔女の元に駆け寄り、彼女が抑えている腕を見た。刃物でざっくりと切ってしまったのか、真っ赤な血があふれ出ている。彼は慌てて清潔な布を用意して、彼女の腕に押し当てた。


「……何でこんなところを切るんだ」

「いやぁ、薬を作るのに私の血液を使おうとしたんだけど、切りすぎちゃった」


 やっちゃった、と言いたげに頭をかく魔女を見て、アルバは目に怒りを灯す。魔女は曖昧な笑みを浮かべ、アルバの顔を覗き込む。


「アルバ、怒っている?」

「ああ、怒っている。俺が目を離すうちに、お前が怪我をすることが許せない」

「でも痛くないし、すぐ直るのだけどね」

「お前のそういうところが……!」


 全く反省をする様子の見せない魔女に、アルバはイライラした様子で彼女が切った箇所を布越しに強く握った。魔女は眉を顰めて声を漏らす。彼女が抗議するように彼を見たので、アルバは知らない顔をして布を腕から離した。

 血は既に止まっていた。


「ほら、治った」


 悪びれもせず血の跡が残る腕を見せつけられ、アルバは目を鋭くさせた。


「今日の菓子はなしだ」

「ええー! なんで!」


 魔女はアルバの肩を掴んで抗議する。そんな彼女の頭に手を乗せ、アルバは小さく笑みを浮かべた。



 

 薬の調合の後は、魔女がアルバに魔法の指導を行う。普段はおちゃらけている魔女だが、魔法を使っている時は、流石魔女と言うべきか、アルバでは相手にならない程強い。

 今日も容赦なく魔法を教え込まれ、アルバは魔力切れとなり肩で息をしていた。振り続ける雨がいつもより早く体力を奪っていく。

 魔女は身の丈程の長さの杖を地面に置き、膝をついてアルバの顔を覗き込む。不思議なことに、魔女の周りだけは雨が降っていなかった。


「アルバ、大丈夫?」

「大丈夫、なように、見えるか? お前、ちょっとは、手加減をしてくれ」

「でもこれはアルバが強くなるためだから、手加減してたら意味がないじゃない」


 魔女が懐から小瓶をアルバに差し出す。中の液体は薄緑色に輝いている。アルバはそれを受け取って、一気に飲み干した。なくなりかけていた魔力が満たされていく。魔女の魔力を感じることができて、アルバは口元を緩めた。


「あれ、ルーク。どうしたの?」


 にこにことアルバの様子を見守っていた魔女は、ふと目を空に向けた。アルバもつられて見ると、体が緑色の小さな竜が空を旋回していた。その竜は魔女に向けて降下し、彼女の肩の上に乗る。

 魔女が小竜の頭を撫でると、小竜は気持ちが良いのか目を細めた。


「へー、魔物が出たんだ。ルークが倒してくれたの? ありがとう」


 偉いねー、と言いながら魔女は竜の顎を撫でる。魔女は優しい目で竜を見ていた。アルバは面白くない心地がして、口を開く。


「おい、魔女。この阿保小竜、昨日フールを盗み食いしていたぞ」

「ええっ! こら、ルーク。私が見ていないところで悪さをしていたんだ、悪い子」


 アルバの告げ口に魔女は怒った顔を見せた。竜がシュンと頭を下げたのを見て、アルバはにやりと口角を上げた。それを見た竜は威嚇するように唸り声をあげ、アルバと睨み合う。

 魔女は一人と一匹の睨み合いに気が付いていないのか、にこにこと微笑みながら彼らの様子を見守っていた。



 

 水浴びを終えて髪を拭きながらリビングに入ったアルバは、机に突っ伏して眠る魔女の姿を見た。彼は魔女の近くに寄り、彼女の頭をそっと撫でる。


「……無防備すぎなんだよ、お前は」


 アルバは魔女の隣に座り、魔女の顔を覗き込んだ。普段は大人びた魔女の顔も、寝ている時は子供のようにも見える。彼女の顔にかかった黒髪をどけると、彼女は少し身じろぎをした。しかし、目を覚ます気配はない。

 小さく寝息を立てている魔女を見つめながら、アルバは憂鬱なため息を吐いた。


「今なら、簡単にお前を殺せる」


 彼は懐に隠してある短剣を取り出し、柄を握りしめる。彼の瞳は、昏い陰りを帯びていた。

 魔女は彼の葛藤に一切気が付くことなく、ただ気持ちよさそうに眠っていた。

 アルバはしばらく短剣を握りしめていたが、懐にそれを仕舞い直した。


「俺は、お前を……」


 苦しそうな顔をして、アルバは言おうとした言葉を飲み込んだ。そして、彼もまた眠気を感じて目を閉じた。



 ◇

 


「ごめんね、アルバ」


 隣で眠るアルバの頭を撫でながら、魔女は優しい眼差しで彼を見た。その謝罪の意味は、誰にも分からない。


「私は、君になら殺されてもいいよ」


 出会った当初は感情を失い、常に殺意の滲む瞳をしていたアルバ。今は魔女相手に笑みを見せてくれるようになった。そのことが嬉しく、魔女は今の日常を楽しんでいた。

 しかし、アルバは魔女を——否、『深い森の魔女』を含む魔女達を憎んでいる。

 彼の親は、魔女の手によって殺されたらしい。それも、目の前で。魔女を憎むのも当然だろう。


「眠っている時の君は、まるで子供みたいだ」


 獣のように鋭い雰囲気を放っているアルバでも、眠っている間は無防備で幼く見える。魔女は笑みを零して、寒くないように毛布をかけた。


「……よもや私のような魔女が、人の子に情を移してしまうとはね」


 長い過去を乗り越えてきた、哀しさが滲み出る微笑みを浮かべる魔女の瞳には、温かな慈愛が込められていた。



 ◇


 

 食欲を誘う匂いが鼻をつく。アルバはゆっくりと目を開け、体を起こした。ぱさりと何かが落ちる音が聞こえ、彼が目を向けると、毛布が床の上に落ちていた。

 目を擦りながら顔を上げると、正面で魔導書を読む魔女の姿が目に入った。


「アルバ、目が覚めたんだね」

「この匂いは……?」

「夜ごはんだよ。あ、心配しないで。大丈夫、全部魔法で作ったから」


 魔女は微笑みながら魔導書を閉じる。書は光を帯びながら消え、魔女は立ち上がった。アルバは頭を支えながら彼女に続いて立ち上がる。


「すまん、俺が作るべきなのに」

「いいよいいよ、これくらい。料理本通りの味付けだから、味は悪くないと思うよ。全部魔法任せだから思いは籠っていないけど」


 鍋の蓋を開け、魔女は一口味見をした。


「うーん。やっぱりアルバの作るスープの方が美味しい」


 魔女の言葉に頬が緩まないように気を張り、アルバは魔女を手伝って料理を器に盛りつけた。これらの料理を全て魔法で作ったということはにわかに信じがたい。魔女だからこそできることだろう。

 いつもの席に座り、食事を口に運ぶ。期待するような魔女の目に、アルバは口を緩めて頷いた。


「ああ、悪くない」


 アルバの言葉に魔女はだらしなく頬を緩めて微笑んだ。その顔があまりにも可愛くて、アルバは彼女から目を逸らした。


「アルバ、顔赤いよ。熱でもあるの?」

「な、ない。食事中に体を乗り出すな!」


 アルバの額に触れようと手を伸ばす魔女に注意をしながら、アルバは自然と笑みを浮かべた。魔女と出会う前まで、浮かべたことのない笑みだ。


 そして、心に温かい気持ちと、冷たい気持ちが同時に灯った。

 こんな日常が、永遠に続いてほしいと。魔女の傍にいる今の状態が、心から愛おしいと。魔女の笑顔が自分に向けられることが、心地いいと。

 いつかは必ず、魔女を殺さなくてはいけないと。目の前で両親を殺した魔女が、心から憎いと。魔女の笑顔が自分以外に向けられることが、許せないと。


 複雑な内心を無視して、アルバは魔女に向けて優しい笑みを向けた。


「あ、アルバが笑ってる。可愛い」

「は? 誰が可愛いって?」


 目を鋭くさせたアルバを見て、魔女はしみじみと述べた。


「拾いたての君は、あんなに小さかったのに。今はこんなに大きくなって……」

「年寄りみたいなことを言うな」

「ぐっ。それは私にかなり効くからやめてくれ」


 魔女が胸を押さえ、わざとらしくショックを受けたような顔を見せた。魔女は二百年以上生きているらしいが、見た目では一切そのように見えない。

 苦しむふりをする魔女がおかしくて、アルバは笑い声をあげた。彼を見て、緑色の目を丸くした魔女も、優しく微笑んで笑った。


 誰にも邪魔されない——いや、邪魔させない。


 この楽しい時間が、ずっと続いてほしかった。



 ◇

 


「誰か来た」


 食事と片付けを終え、頬杖を付きながら魔導書の続きを読み始めた魔女は、目を扉に向けた。魔女から与えられた課題を解いていたアルバは、ペンを机に置いて魔女を見る。


「……武器を持っている。私を殺しに来たのかな」


 いつものように穏やかに笑み、魔女は立ち上がった。アルバも彼女に付いて行こうと立ったが、魔女に制される。


「アルバは隠れておいて。魔女と一緒にいるだけで、君も魔女の仲間とみなされるから」


 アルバが頷いて姿を隠したのを確認して、魔女は扉を勢いよく開けた。魔法で施錠されていた扉は外から開けることは不可能で、無理やり壊そうとしていたらしい男数名が驚いたように彼女を見た。

 魔女は宙に浮き、いつもとは違う、人を支配するような冷たい目を浮かべて男らを見下ろした。雨が降っているが、魔女だけを避けている。


「私を殺すからには、相応の覚悟が必要だぞ」

「……っ、馬鹿にするな! お前達、こいつを殺せ‼」


 リーダーなのだろうか、そこそこ身なりの良い男は後ろの男達に命令を出した。魔女に向けて魔法が放たれる。

 魔女相手に魔法とは、馬鹿らしい。魔女は鼻で笑ってその魔法を消滅させる。男達が慌てているのを笑って見ながら、魔女は空間から杖を取り出して奴らに向けた。

 男達を無数の氷柱が囲む。


「こんな少人数で私を殺せるとでも思ったのか? 舐められたものだな」


 嘲笑し、魔女は氷柱を男達に向けて放つ。それらは簡単に奴らを貫き、命を奪った。魔女は地に下り、屍と化した男達の元に歩く。しかしそんな彼女に向け、周囲の木陰から銀色に光る矢が飛んできた。

 魔女はそれらに一瞥もせず、手を振って矢を防ぐ。


「何て浅はかな隠密魔法だ」


 笑みを浮かべながら、魔女は指を鳴らして雷を落とす。耳障りな悲鳴が森に響き、魔女は顔を顰めた。

 魔女はすっかり暗くなった空を見上げた。その瞬間、彼女は背後から衝撃を感じた。


 背中から、刺された。


 今までに感じたことのないような痛みが魔女を襲い、目の前が真っ暗になって地に倒れこむ。

 近づいてくる足音が聞こえて、魔女は最後に小さく微笑んだ。



 ◇

 


 魔女を刺した。


 

 アルバは血濡れた短剣を持ち、倒れていく魔女の体を見ていた。


「よくやった、奴隷よ」


 木に隠れていた男達が姿を現し、魔女の体に近づいていく。アルバは、雨で濡れていく魔女だけをただ静かに見ていた。


「人間に絆されて死ぬなんて、愚かな魔女だぜ」

「ずっと育ててきた人間に殺されるなんて、惨めだな。死にざまの顔がよく見えなかったのが残念だよ」


 男達は下賤に笑い、魔女の体を蹴る。魔女はぴくりとも動かない。

 アルバの前に、身なりの良い男が立ったので、彼はゆっくりと顔を上げた。


「魔女を殺したお前は、功績者だ。しかし、お前も魔女に絆されている可能性がある。この場で、死んでもらおう」


 その男は、手に持った剣を振り上げた。アルバは自分に振り下ろされるだろうその剣を感情のない目で見る。

 魔女が感じた痛みは、どれほどだったのだろう。魔女は痛みを感じないというが、あれが強がりだということはとっくに分かっていた。


「……そういえば、魔女は死んだら体が消滅するんじゃなかったか?」


 魔女の近くにいた男の一人がそう言い、目の前の男が一瞬目をそちらに向けた。

 目の前の男の首から、鮮血が飛び散った。

 目に生気がなくなった亡骸を蹴り飛ばし、アルバは短剣を構え直して魔女を蹴った男の背後に一瞬で回り込み、それを脳天に突き刺した。周りの男達が耳障りな悲鳴を上げる。アルバは無表情のまま指を鳴らし、雷を降らせた。

 自分の鬱憤を晴らすように、アルバは淡々と生き残りの息を止めていった。




「ルーク、全て片付けたか?」


 アルバは肩の上に降り立った緑色の小竜に話しかける。竜は小さな頭を下げて、足に持った魔道具をアルバに渡した。


「これが通信魔道具か。ルーク、お前は賢い奴だな」


 アルバが竜の頭を撫でると、竜は嬉しそうに喉を鳴らした。アルバは血に濡れた手を魔法で洗浄し、魔道具の電源を付ける。


「……こちら、『深い森の魔女』討伐隊の一員。魔女の討伐は完了したが、仲間は皆使い魔によって殺された。私ももうすぐ殺されるだろう。しかし、魔女の死は確実にこの目で確認した。これ以上の増援は、死者を増やすだけになる」


 感情のない声で一方的に話し、魔道具の電源を切って魔法で破壊した。ばらばらになった魔道具の欠片を踏みつけ、アルバは肩に小竜を乗せながら体を翻してもといた場所に戻った。




「魔女」


 アルバは地面に倒れる魔女の傍に膝をついて彼女を抱き上げる。彼が突き刺した背中の傷は塞がったのか、血はそれ以上流れていなかった。


「魔女、生きているか」


 アルバは魔女を家の中に運び込み、彼女の部屋まで連れていく。魔女は目を覚ます気配を見せず、寝息も聞こえてこなかった。肩の上に乗る小竜も小さく鳴いて魔女に話しかける。


「魔女、すまない。俺はお前を殺そうとした」


 寝台に魔女を横たえ、アルバは彼女の手を取って額に押し当てた。初めて彼女の手を取ったときはあんなにも大きかった手が、今ではもうアルバの手の方が大きくなっている。


「……魔女、お願いだ。俺を一人にしないでくれ」


 アルバは初めて魔女に懇願した。いつもの彼女なら、笑って受け入れてくれるだろう。ただ、今の彼女の顔色は蒼白で、まるで死人のようにも見えた。

 アルバは一晩明けるまで、魔女の手を握って彼女の無事を祈り続けた。




「本当に、死ぬほど痛かったんだからね」


 緑色の目を持つ魔女は、顔に落ちてくる塩辛い水滴に嫌な顔をせず、アルバの頭を撫でながらいつもの優しい眼差しで彼を見た。



 ◇



「アルバ。私は魔女なんだよ? 今までも人間を大勢殺しているし、人間とは感性も常識も違う。君は人の子なんだから、魔女の傍にいない方がいいんじゃない?」

「何を今更。俺を拾ったのはお前だ。最後まで面倒を見やがれ。それに、人間なら俺も殺した。もう、俺もただの人の子ではない」


 魔女の食事の手助けをしながら、アルバは変なことを言い出す魔女を睨んだ。鋭い紅い瞳に見られても、魔女は穏やかに微笑む。


「それにしても、何でアルバは私を殺さなかったの? 普通の銀の刃で心臓を貫いても、魔女は死なないって君に話していたよね。君は私達を憎んでいたのではないの?」

「……俺はお前を殺したくなかった。お前と、俺の親を殺した魔女は違う。魔女を一括りにして話すな」


 ふいっと目を逸らしたアルバを不思議そうに見つめ、魔女は首を傾げる。


「あの男達とアルバは、仲間じゃなかったの?」

「仲間じゃない、あんな奴ら。俺の敵だ」


 嫌そうに顔を顰めてるアルバを見て、魔女は口元に人差し指を当てた。


「これからどうしようかなぁ。私、このままここに住んでいられないよね。引っ越しするならどこがいいのだろう。この場所、気に入ってたんだけどな」


 ため息を吐いた魔女を見て、アルバは手に持っていたスープの器を寝台横の机に置いた。


「俺に考えがある。一つ、素性を隠して町に下り、薬師として暮らす。二つ、結界をより強固なものにして、このままここに住み続ける。三つ、他の魔女を全員滅ぼしてお前は親人的だと証明する。四つ、いっそ全ての人間を滅ぼす」

「うーん? 随分と怖い考えをするのだね。どこかで育て方を間違えたのかな」

「それならば全部お前の受け売りだ」


 魔女は頬に手を当てて考え込んだ。眉を下げて、困っているようにも見える。


「素性を隠して町に出るなら、私とアルバは夫婦ということにするのが都合が良いよね。この場所に住み続けるのは、今後面倒になりそうだし難しいかな。他の魔女を全員滅ぼすのは……もっと難しそう。私より強い魔女は溢れるほどいるから。全ての人間を滅ぼすのは論外」


 魔女の大きな独り言に、アルバは思わず耳が熱くなるのを感じた。魔女と自分が、夫婦。なんて良い響きなのだ。だがアルバが気にしているだけで、魔女は一切動じていないのが気に食わない。

 アルバは魔女が飲みかけのスープを一気に飲み干した。


「ああっ! 私のフールスープ! 何で飲んじゃうの」

「お前が悪い」


 口を尖らせて抗議する魔女は、一見病み上がりとは思えない元気さだ。しかし、彼女が無理をして笑っていることを、アルバは知っていた。


「……まだ、痛むのか」

「え?」


 白々しく魔女は首を傾げる。アルバはイライラした様子で、魔女の背中を強く叩いた。魔女は顔を顰めて声を漏らす。彼女は抗議するようにアルバを見たが、彼は目を伏せて頭を下げた。


「……悪い。俺は、お前にあんなことを……もしかしたら、あのままお前は死んでいたかもしれない」


 アルバはそのまま顔を伏せた。そんな彼を見ていた魔女は、優しい微笑みを浮かべた。


「私は、君になら殺されてもいいと思っていたんだ。殺される相手くらいは選びたい」

「俺は、お前を殺したくなかった。俺は、お前がいないと、もう無理なんだよ」


 泣きそうな顔を見せたアルバを、魔女は抱き寄せた。彼は慌てて身を引こうとするが、魔女に優しく頭を撫でられて、動けなかった。


「ごめんね、アルバ。私は、君につらい思いをさせてしまったみたいだ」


 好きな女の前で、泣きたくない。だけど、もう涙を止めることはできなかった。


「……俺は、ずっとお前と一緒にいたい。俺がお前を守る。ずっと守る。だから、傍にいてくれ。一人にしないでくれ」

「うん、分かった。私は、ずっと君と一緒にいるよ」


 一人じゃなくなったあの日から変わらない魔女の優しい声が、アルバには心地よかった。


「言質、取ったから」

「魔女に二言はないよ」


 アルバは目元を強く拭って、微笑む魔女と額をぶつけ合わせた。


 昨日は一日中降り続いていた雨は、すっかり止んだようだ。

〈登場人物紹介〉


「深い森の魔女」

 不老不死の魔女。既に二百年以上生きている。穏やかで常に微笑んでいるが、その笑みからは哀しみが滲み出ている。仮にも魔女なので、人としての常識は飛んでいる。いくら怪我をしても死なないので、自分が傷つくことに一切の躊躇がない。痛みは感じるが、大分鈍感になっている。

 薬を作る際の手伝いが欲しいと思っていたので、魔女の森に捨てられた人の子を拾って育てることにした。薄々彼が自分を殺すために送られた刺客だと気が付いているが、そろそろ死にたいと思っているのでそのままにしている。小さい竜のルークを使い魔として飼っている。

 名前を隠しているのは、契約を結ばれることを避けるため。という建前で、本当は自分の名前を憶えていない。名前が無くても魔女と呼ばれることに慣れている。真っ黒な髪に緑の瞳を持つ。


「魔女の助手アルバ」

 深い森の魔女を殺すために彼女の元に送り込まれた元奴隷。目の前で親を魔女に殺されてたため、魔女を恨んでいる。感情を失っていて、常に無表情だったが、魔女と過ごすうちに感情を取り戻してきた。そのうち、彼女の笑顔をずっと守っていたいと思うようになる。魔女が傷つくことが許せない。

 魔女を殺したくないので、何とかする方法を考え中。いっそ魔女と一緒に別の場所に移り住み、彼女を閉じ込めておきたい。一生魔女に尽くしたい。愛が重い。ルークが彼女の一番であることに不満を感じている。

 真っ黒な髪に紅い瞳を持つ。美男子で恐ろしいほど顔が整ったイケメン。剣を扱うので鍛えている。細マッチョ。魔女から魔法も教授されているので魔法も使える。


「新緑の竜ルーク」

 不死の竜。空腹で死にそうだったところを深い森の魔女に助けられた。その後、彼女の傍で生きるようになる。魔女のことが大好き。魔女を害そうとする者には一切容赦がなく、彼女が恐れられる理由の一つがルークである。魔女が拾ってきたアルバのことが気に入らない。常にちょっかいをかけている。

 珍しい緑色の体を持つ。竜であるのにも関わらず、魔法が使える。

 

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