【番外編1話】ジャックとモルガナの喧嘩(喧嘩するほど仲がいい、とは言うけど……)
ここ一週間ほど、ジャックとモルガナの仲が険悪になっている。
いつもの和気あいあいさはどこへやら。今では顔を合わせる度に、激しい言い合いを繰り広げているのだ。
それを知りながらも、アンバーは何もしなかった。
喧嘩するほど仲がいい――ということで、あえて放っておいたのだ。
しかし、どうにも動かざるを得ない状況になってきている。
「はぁ……」
すぐ隣で窓拭きをしているモルガナが、雑巾を片手に大きなため息をついた。
本日、五回目のため息だ。
ジャックとの仲が悪くなってからというもの、モルガナはずっとこんな調子だった。
ジャックの前では威勢よくしているが、離れたとたん、こうして落ち込んでいる。
元気ハツラツがトレードマークだった彼女は、今や見る影もなくなっていた。
モルガナは大切な友達だ。
ここまで落ち込んでいるのに放置するなんて真似、とてもできなかった。
「ジャックとはまだ仲直りできていないの?」
「え!? ななな、なに言っているのアンバー! あいつのことは関係ないから!」
モルガナは大慌てで否定。
落ち着きなく走り回っている視線から、動揺しているのは丸わかりだった。
両手を伸ばしたアンバーはモルガナの両肩に手を乗せ、まっすぐに見つめる。
「あなたのことが本気で心配なの。私じゃ頼りないかもしれないけど、力にならせてくれないかな?」
「うぅ……!」
唇を噛んだモルガナの瞳に、涙が溜まっていく。
やがてそれは決壊。大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていく。
「私、ジャックと仲直りしたい! 元通りの関係に戻りたいよ!」
泣きじゃくる彼女を、アンバーはそっと抱きしめる。
小さい子をあやすようにして、優しく頭を撫でる。
そうして、落ち着きが見え始めた頃。
喧嘩の理由を、モルガナがポツポツと語り始めた。
「この前のお休みなんだけどね。街へデートしに行ったの。そのとき、ものすごく綺麗な女の人がジャックの横を通ったのよ。そしたらジャックのやつ、その人を食い入るように見ちゃってさ。しまいには、微笑みまで浮かべていたのよ。当然、私は文句を言ったわ」
「ジャックはなんて?」
「『そんなことしてない!』って、ごまかしたの。色々言ってたけど、全部言い訳にしか聞こえなかった。それで私頭に来て、かなりひどいこと言っちゃったの」
「それからずっと、喧嘩をしているという訳ね」
「……うん。あれは言い過ぎだった。ごめんね、って謝りたい」
「その気持ちをそのまま、ジャックに言うことはできないの?」
「無理よ。ジャックの顔を見るとどうしても、ムキになっちゃう」
「……そうよね。それができたら、ここまで喧嘩は長引かないものね」
二人の喧嘩の原因はこれで分かった。
アンバーの所感では、ジャックの方に非があると思う。
デート中に他の女性に目移りするなんて最低だ。モルガナが怒るのも無理はない。
モルガナに誠心誠意謝罪するのが、筋というものだろう。
(でも、ジャックからも話を聞かないとね)
こういうときは、両者から事情を聞く必要がある。
一方からしか話を聞いていない状況では、どうしても偏りが出てしまうからだ。
それに、ジャックがモルガナを悲しませるようなことをするとは思えない。
彼は人のことを思いやることのできる人間だ。知り合ってからまだ一年ほどだか、それは十分に分かっている。
とすれば、なんらかの見えていない事情があるのかもしれない。
ジャックとモルガナの両者から話を聞いたうえで、仲直りの方法を考える。
きっとそれが、正しい解決方法だ。
「任せて。私が解決してみせるから!」
「ありがとうねアンバー……!」
再び泣き出してしまいそうなモルガナへ、「気にしないで」と言って、アンバーは優しい笑みを浮かべた。
(さて! ジャックのとこへ行きましょうか!)
モルガナに背を向けたアンバーは、意気込んで通路を歩いていく。
その途中。
「妙に気合が乗っているようだが、なにかあったのか?」
近づいてきたリゼリオに声をかけられる。
「問題解決のために、ジャックのところへ向かっているのです」
「……どういうことだ?」
不思議そうにしたリゼリオに、アンバーはここにいたるまでの経緯を事細かに話す。
リゼリオは、渦中の二人と仲が良い。
それならば事情を話しても問題ないはず、とアンバーは踏んだ。
「ふむ。そういうことなら、ジャックのところへは俺が行こう。アンバーが頑張っているというのに、俺がじっとしている訳にもいくまい」
ニコリと笑ったリゼリオは、力強く言い切った。
しかしアンバーは、お願いします、と気持ちよく言えなかった。
引きつった顔で苦笑いする。
こんなことを思うのは失礼かもしれないが、リゼリオの対人スキルはあまり高いとは言えない。
ジャックからうまく話しを聞き出せるイメージが、どうやっても浮かばないのだ。
(私一人の方が、うまく行く気がするわね)
と、その気持ちが顔に出てしまったのか。
「俺だと必ず失敗する――そんなことを思っている顔だな」
リゼリオがムッとしてしまう。
「…………。い、いえ。そんなことは――」
「俺を侮ってもらっては困る。必ずや、その低評価を覆してみせよう。吉報を待っていてくれ」
きびすを返したリゼリオは、自信満々にジャックのところへ向かっていく。
その大きな背中に感じるのは、ありったけの不安だけだった。




