【2話】不機嫌な初対面
ラーペンド王国から馬車に揺られること、十日と少し。
アンバーを乗せた馬車は、ルータス王国の王宮の前で動きを止めた。
今回の結婚は、ルータス王国の国王からの持ち掛けにより実現した。
縁談話をくれた国王へ、まずはお礼の挨拶にしに行かなければならない。
嫁ぎ先よりも前に王宮を訪れたのは、そういった理由があった。
「国王様って、いったいどんな人なのかしら……」
馬車から降りたアンバーは、真っ青に澄んだ空を見上げながらポツリと呟く。
ほわほわと頭に浮かぶのは、筋肉隆々の厳つい見た目をしたおじさまだった。
強大な軍事力を有しているルータス王国。
その長ともなればきっと、見る者すべてを縮み上がらせてしまうような怖い見た目をしているに違いない。
全てはただの予想。
完全に偏見ではあるのだが、それでも少し緊張しながらアンバーは王宮へと向かった。
しかしアンバーの予想は、大きく外れることとなる。
「よく来てくれたなアンバーさん。私はボールス。ルータス王国の国王をしている」
ゲストルームのソファーでアンバーを待ち構えていたのは、人の良さそうなおじさまだった。
ポッコリとしたお腹のフォルムが、服の上からでも分かるほどに目立っている。
そんなボールスの声色には、明るさと優しさがたっぷりと入ってた。
威圧感などは欠片も感じられない。
偏見まみれの予想は、完全に外れていた。
(勝手に変な想像をしてごめんなさい!)
心の中で、誠心誠意の謝罪をする。
「長旅で疲れているだろうに、来てもらってすまなかったね」
「いえ。お気になさらないでください」
「ありがとう。とりあえず、そこへ掛けてくれ。立ち話はしんどいだろうからな」
ニコニコ笑うボールスに、アンバーは深くお辞儀。
促されるままに、正面のソファーへと腰を下ろした。
(不思議な人ね……)
ボールスと話をしていると、心がとてもやすらぐ。
どうやら彼には、人を安心させる不思議な力のようなものがあるらしい。
「こたびのお話、誠にありがとうございます」
「いやいや、感謝するのは私の方だよ。なんたってあの、世界を救った大聖女様に来てもらえたのだからな!」
(……もしかしてボールス様は、私が聖女の力を失ったことを知らないのかしら。もしそうなら、すぐに訂正しないと)
魔王を討った大聖女を求めていたのであれば、その期待に応えることはできない。
興奮気味のボールスに、アンバーは困り顔で「あの……」と声をかける。
「今の私は大聖女ではありません。それどころか聖女としての力、そのものを失っている状態なのです。ご期待に沿えず、申し訳ございません」
「そのことなら既に知っているよ。その上で私は、縁談を持ち掛けたんだ」
「それはどうして……ですか」
「私はね……君の勇敢さに心を打たれたんだよ」
垂れた瞳が、アンバーをまっすぐに見つめる。
「強大な力を持つ魔王から世界を守るために、君は立ち上がってくれた。それはとてつもない勇気だ。聖女の力を失ったとしても、君が勇敢な女性であることに変わりはない。君のような女性を、ぜひ甥の妻に迎えたいと思ったんだ」
「えっと、ありがとうございます……」
まさか、こんなにもまっすぐに褒めてくるとは思ってもいなかった。
くすぐったい気持ちになったアンバーは、気恥ずかしくて視線を逸らす。
(そんな風に私のことを評価してくれる人がいるなんてね)
これまでアンバーは、何度も褒められたことがある。
褒められる部分は毎回同じで、「大聖女の称号を授かるなんて、すさまじい力を持っているのね」といった風に、能力に関することだった。
しかしボールスは大聖女としての能力ではなく、心のありかたの部分を褒めてくれた。
こんな褒め方をされたのは初めてだ。
(良い人ね)
アンバーの口元に微笑みが浮かんだ。
「アンバーさん。私の甥――リゼリオのことをよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
弾んだ声を上げたアンバーは、差し出されたボールスの手を、両手でギュッと握り返した。
******
ボールスへの挨拶を終えたアンバーは、再び馬車に揺られていた。
次の行き先は、嫁ぎ先であるレイデン公爵家。いよいよ本命だ。
「ふんふんふふーん」
鼻歌を口ずさむアンバーは、すこぶるご機嫌だった。
素晴らしきボールスの人となりに触れたことで、テンションが上がっていたのだ。
(きっとリゼリオ様も、優しい人に違いないわ! だって、ボールス様の甥なんだもの!)
確たる証拠はなにもない、風が吹けば飛んでしまうような考え。
しかし不思議と自信はあった――のだが、
「初めに言っておこう。今回の結婚に、俺はまったく乗り気ではない」
レイデン家のゲストルームを訪れたアンバーは、入室早々にそんなことを言われてしまった。
芯の冷え切った声でその言葉を繰り出したのは、アンバーの夫となる男性――リゼリオ・レイデン公爵だ。
歳は二十五歳くらいだろうか。
恐ろしいくらいに整った顔立ちをしており、艶めく長い銀髪をしている。
キリっとしたブルーの瞳はなんとも美しく、覗き込めば吸い込まれてしまいそうなほどだ。
(予想、外れちゃったわね)
優しさとは程遠い拒絶反応全開のリゼリオを前にして、アンバーはそんなことを思う。
謎の自信があっただけに、優しい人に違いない、という予想が外れたのは少しショックだったが、拒絶感を向けられていることには何も感じない。
それに似た感情を、ベイルには幾度なく向けられてきた。
おかげで、すっかり慣れてしまっていたのだ。
「結婚なんてくだらないものに、俺はまったく興味がない。それなのに伯父が勝手に、『お前に相応しい結婚相手を見つけてきたぞ』と、いらないお節介を焼いてきたんだ。まったく、いい迷惑だ」
「……そのような経緯があったのですね」
結婚相手を勝手に決められるというのは、相当な苦痛だっただろう。
リゼリオが不機嫌になっているのには、それなりの理由があった。
「これは望まれない結婚。今すぐにでも離婚したいところだが、それはできない。伯父の面子を潰してしまうことになりかねないからな。あんな人でも、一応はこの国の長だ。であれば、評判を落とすようなことは避けなければならない。……だから、一年だ」
リゼリオの人差し指がピンと立つ。
「この結婚は一年限り。それを過ぎたら、君との関係は終わり――つまり、離婚する。そのときには、これから先暮らしていくのに困らないだけの金をやろう。伯父の身勝手に巻き込まれた迷惑料とでも思ってくれればいい。ここを出て行ったあとは、なんなりと自由に生きてくれ。俺はいっさい関与しない」
「よろしいのですか!?」
アンバーの瞳がキラキラと輝いた。
偽りの結婚生活をするだけで、その後の人生が保証される。
しかも、たった一年ときた。
なんという素晴らしい話なのだろうか。
「なんだその反応は……。変な女だ」
リゼリオから、怪訝そうな視線を向けられる。
しかしアンバーは、まったく気にしない。
「そのお話、喜んで受けさせていただきます。それでこれからの一年、私は何をすればいいのでしょうか?」
「何もしなくていい」
「……えっと、それはどのような意味で?」
「そのままの意味だ。何もせず、ただ一年過ごしてくれればそれでいい。……話は以上だ」
リゼリオはそう言うと、足早に部屋を出て行った。
だだっぴろい部屋に静寂が訪れる。
一人取り残されたアンバーは、「最高ね」と呟く。
口元には大きな弧が描かれていた。