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(13:楓の想い)

   (十三)


 ふわりと楓の髪がベッドに広がった。

「それで、わたしと子供を作る?」少し困ったような顔をして、そして、すべてが見渡せるほどに身体を開いた。

 あの白い部屋で服を脱いだ時から、ずっと視界の端にこっそりと覗き見ていた日に焼けていない白い肌が、いま目の前にさらけ出されている。

 あの映像の少女よりもはるかに子供っぽい体つきでしかない楓が尊いほどに輝いて見えて美しいと思った。

「氷室くん」

 楓に見つめられて、オレはまるでメデューサを愛した若者のように全身が疼き、そして石になった。楓の隅々までに……、いや楓の()()()()()に釘付けになって、オレの()()()()()はカチカチの石鏃になった。

 楓の視線がゆっくりと下がって、ベットの脇に立つオレのその小さな石鏃に留まった。こちらに伸びる手がそこに触れそうな予感に、無意識にそいつがぴくりと弾んでしまう。それで、楓はオレの顔を見上げてまた困った顔になった。楓の手はそこではなくて、オレの手に届いて、開け放した身体へと(いざな)うように引っ張った。

「か……」声がかすれて音にもならなかった。

 カチカチのオレは、ただ引かれるままに、惹かれるままに、釘付けになっていた、楓の体の(まばゆ)く暗く深い根元に(ひざまず)いて胸を合わせ互いの背中に腕を回し頬を寄せあった。キスは……、楓の顔を見るのが怖くてできなかった。

 楓とこれから何を学ぶ。あの教育的な映像のように、少なくとも、そんな行為をするんだろうか。好き同士なら、二人が愛し合ってるなら当然の関係なんだ――と思いたい。オレの体にもあの男子のような爆発する力が秘められているのかは試したことも経験したこともないから分からないけど、オレの体がこんなに痛いほど威張っている意味がいまはバカバカしいほど分かる。石鏃は獲物を貫くためにあるのだ。

 展望台で楓が見せろと言っていた〝オレ〟とオレが密かに見たいと願っていた〝楓〟がいまなにも遮るものもなく触れ合っている。〝オレ〟が楓の熱い肌に滑るように埋まっていく。

 一瞬、楓の身体が強ばったように感じた。

 楓がオレを強く抱き寄せながらも、胸の中に埋まった磁石が反発してオレを弾こうとしているみたいに。

「氷室くんは、わたしのこと好き?」

 耳元で震える声がした。楓は迷っているのだろうか。

「うん、好きだよ」

 楓が好きだ、好きで好きでたまらない。

 楓はオレの肩で深呼吸すると小さく頷いた。

「なら、いいよ……」

 ならって? いいよって?

 もぞもぞと楓の脚が大胆に動いて、大きく開かれた熱い肌が生き物のようにうごめいてぬらりと〝オレ〟に張り付いた。

 オレが楓を好きなら、それなら、いいのか!?

 楓がいいなら、したい。

 あの教育映像の喜びに溢れた男女のように、楓が欲しい、欲しくて欲しくてたまらない。

 どうせオレたちは赤ちゃんを作んなきゃいけない関係なんだから、だから、このままこの先に、最後までいったっていいよな?


 なあ?


 オレはほんとうにヘタレだ。自分がいまなにをしたいのかこんなにハッキリやりたいことが分かっているのに、どうすればいいのかが分からない。楓がどうしたいのか、どうして欲しいのかが分からない。

 いいのか? オレは本当に、このまま突き進んでしまっていいのか。

 決めて欲しい。いつものように、ああしろ、こうしろとオレに命令して欲しい。なにかあったらオレのせいだってドヤされていいから。なじられていいから。進めというなら喜んで、止めろというならすぐにでも引く。こうしているだけで、なにかが体の奥の方で爆発してしまいそうなゾクゾクとした感覚がお腹の底から湧き上がってきて、楓を突き破ってしまいそうだ。

「ごめんね」

 その楓の声はオレの耳のすぐ隣にあった。

 その言葉の意味に、意識を集中させた。楓がオレに謝ることなんか、たとえ冗談でもありえない。背中に回した楓の手がふっと緩んで、それで、オレの大切なものがどこかに逃げてしまいそうで、慌てて腕に力を込めた。

「わたし、氷室くんの赤ちゃんは産めない」

 燃えた体にいきなり差し水をされたように一気に体温が凍えた。

 それは、オレじゃだめだってことだ。

 それで、頷いた。そんな言葉なんか無視して、あと七センチ、溢れる思いを突き動かせば楓を自分だけのものにできそうなのに、ヘラヘラと顔を歪ませた。

「楓の気持ちならしょうがないよ」

 そうだ、そういうことはやっぱりお互いに好き同士でないとダメなんだろう。〝同意〟という言葉が映像にもあった。オレがいくら楓のことが好きだからって、楓の方がなんとも思っていなきゃこんなことしちゃいけない。

「わたし、氷室くんのこと、ずっとバカにしてたの……」

 楓が落ち着いた声で、ゆっくりと話し始めた。「……頭悪いし、落ち着きがないし。小さい頃から氷室くんの面倒を見てたのだって、わたしがいい子でいるためだった。うちの親なんか〝あの子はきっと発達障害だ〟って言って、もっと酷いことも言ってて、哀れみ半分、嫌悪感半分って感じだった。でもね、わたしびっくりしたんだ」

「なにを?」

 楓は昔話をするみたいに静かに語る。オレは戸惑いながらも頷いて相槌を打った。周りがオレのことをいろいろ言ってるのはちゃんと知ってたことだった。

「わたし、中学は私立の中高一貫の聖隷に行こうって決めてるでしょ?」

「うん、受験するって言ってたもんな」オレは一緒の中学に通えなくなるって思って家の風呂の中でこっそり泣いたことだってある。子供のとっては世界の大半が学校だ。楓のいない学校生活は想像するだけで恐ろしいことだった。

「それで、それが当たり前って思ってて、六年になってトップ会の特別講習に申し込んだんだよ」

「ああ、進学塾だよね、テレビでもやってる。五月の連休だったかな、これから行くって駅前で会ったよな。あそこって確か伊勢崎教室だっけ」あれは五月とは思えないうだるような暑い日だった。

「うん、あのとき氷室くん言ってたでしょ、オレは山中だから気楽でいいやって」

「うん、楓は休みでも大変だなって思ってさ」楓はトレーナーにジーンズ姿の軽い格好だったけど普段の通学のときと違って髪を編んでてずっとお姉さんに見えたっけ。

「あのね、それで初めて気付いたの、わたし氷室くんと違う中学に通うんだって」

「まあ、そうなんだよな」

「それでね、わたしあんなにバカにしてたのに、氷室くんがいなくなるのが怖くなったの、想像できないぐらい。体が震えて、その日は結局塾を休んで家のお風呂で泣いちゃったんだよ。もう不安で不安で仕方ないの、氷室くんのいない世界が」

「うん」頷きながら、そんな楓が想像できなかった。だってあの頃の楓は〝おまえは上杉謙信かよ!〟っていう思うぐらい大量の塩をオレに送ってきてたからだ。

「それで、びっくりしたの。わたし氷室くんのことが好きなんだって」

「そう」オレはただ相槌を打った。

「でもね、わたしずっとバカなんかと付き合うのは絶対イヤでさ、一流の学校に通って一流の仕事に就くようなカッコイイ人でなきゃ相手にできないって思ってたから。ずっと親にもそう言われてきたし。親に氷室くんと友達だなんて思われるのも恥ずかしくてさ。氷室くんといるのは可哀想な子へのボランティアなんだって。氷室くんを好きだなんて絶対にイヤだったの、認めたくなかったの」

「そう」相槌だ。

「そんなとき、たまたまトップ会の高校生講座に来てた男の子に声かけられてね。うん、最初「中学生?」なんて聞かれてちょっと浮かれちゃったかな? その子は進学校の子で、統一模試の成績も全国で上位でね、東大確実みたいな、頭が良くて話がスマートなの。バカの一つ覚えみたいに可愛い可愛いしか言えない底辺のガキんちょとは全然違ってて。で、氷室くんなんかを好きだと思うのはただの気の迷いで、わたしが男の子と付き合ったことがないからそんなふうに思うんだって、だからちゃんとした人と付き合えば目が覚めるって思って」

「そっか」相槌。それであいつと付き合ったのか。

「バカだよね、そんなことしたってどうしようもないのに、わたしの方がバカ」

「そんなことないって」けど、楓をバカだと言ってやりたい気持ちは心の奥にあった。

「だって高校生だよ。十八歳。すっかり大人。そんな人が小学生の女の子ときちんと付き合うなんて変じゃん。普通に考えたら誰だってわかるでしょ? そんなのバカより始末が悪い変態っていうヤツじゃん」

 楓の訴えに相槌も打てなかった。

「でも、ホントにバカなのはわたしをこんな子に育てた親だよね」

「うん」意味もなく頷いて、考えをまとめられない。確かに〝毒親〟ってやつかもしれないけど、悪いのは親か?

「わたし、親のせいにしたいの、ううん、誰でもいいから誰かのせいにしたい、自分が悪いのは嫌なの」楓が口にしたのは本音だろう。

 確かにそういう気持ちはよく分かる。

「だったらオレのせいにしてくれてもいいよ。なんの役にも立たなかったんだから」それで楓の気持ちが少しでも楽になるのなら……。

「ホントだよ! 役立たず! 散々好きとか言ってたくせに!」

 いきなりの楓の絶叫になにが起きたのか分からず固まってしまった。

「そんなに好きなら一緒の中学に行こうって言えばいいじゃん! そんなにわたしが欲しけりゃキスすればいいじゃん! みんなの前でおっぱい揉めばいいじゃん!」楓は耳元で叫び続けた。「クズ」「バカ」「約立たず」と罵った。

 それでも楓はオレの背中に回した腕を解くことはなく、両肩に痛いほど爪を喰い込ませた。

「ごめん」きっと、楓の言う通り、オレはもっと自分に正直にするべきだったんだろう。その一言に楓は大きく息を吐いて爪先を緩めた。

「わたし……、生理が来てないの、もう三か月になる」


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