天日干しはお日様の匂い
王都のおっちゃんの持ち家に引っ越した当日は、掃除するだけで終わった。いや、掃除自体が終わった訳ではない。住宅の方は大きな家だったのでまだ終わっておらず、明日に持ち越しである。掃除を終えるまではもう少しかかりそうだ。
それでも今日の掃除が終わったのは、食料を積んだ馬車でおっちゃんが戻って来たからである。食料はありがたいが、調理する時間というか体力がもうなかったので簡素なままで食べた。
皆、お腹が空いていたのだ。だから、気付かなかった。
食料よりも先に用意するべきものを。
「……本当に失念していた。今日はもう陽が落ちて遅いし、明日には用意する。ただ、問題は今日だな」
用意するべきものとは、ベッド。あまり使わずとも住宅用ということでベッドはある。ただし、一つだけ。……仕方ない。
「使うならイシスだな」
俺は断言する。
「なんか臭いがする気が……」
「そうだな。イシスが使うべき――今なんて言った?」
満場一致でイシスの使用で決まった。まあ、当のイシスは少し嫌なそうな表情だったが、今日だけ我慢してもらおう。なのに、おっちゃんは胸を押さえて何故か悲しそうだ。
「……あれ? 心が痛い……目から汗が」
「なんでおっちゃんがそんな反応? よくわからないが、思っていたよりも埃が溜まっていたから少し埃臭いけど、今日だけだから」
「わかっているよ。最初に干しとけば良かったね」
「埃? 干す? ――そ、そうだよな! まだまだ若いもんな、俺!」
泣きそうだったり、喜んだりと、おっちゃんは忙しかった。
―――
翌日は、俺と妹で掃除の続きをしている間に、おっちゃんは足りない家具を手に入れに行った。お金の心配をしたが、これくらいでは揺るがないくらい稼いでいるから心配するなと返される。
妹と共に拾ってくれた時からの恩が大きくなっていくので、いつか返したいと思う。
それから数日間、俺と妹は住宅の掃除や足りない家具の搬入、ご近所挨拶や王都散策といったことをした。その間に、おっちゃんは色々と動いていたようだが……状況は芳しくないようだ。さらに数日後の夜。妹が眠ったあとに、おっちゃんから詳しく聞く。妹に聞かせないのは、状況が芳しくないため、余計な心労を与えないためである。
まず、前提として、おっちゃんが魔障治療薬を作るにあたって足りない素材は三つ。すべて魔物素材だ。
一つは、魔蜂のハチミツ。
一つは、ハイ・オーガの角。
一つは、ミノタウロスの肝。
この三つだが、おっちゃんが言うには魔障治療薬を作るための根幹的な位置付けにある魔物素材らしい。つまり、現状だと誰もが欲しい魔物素材であるため、まず手に入らない。裏からというか、何かしらの手段を用いてどうにか手に入れるようとしても、それでも手に入らないくらいに需要がある。おっちゃんもどうにか手に入れようと画策したが……駄目だったそうだ。
「これは現状だと無理だな。物を拝むことすらできない。国と貴族が大半で、そこから残ったのも金持ち商人やら闇へと流れている。どれか一つなら可能性が少しはあるかもしれないが、三つすべてとなると無理だ」
「……それなら、その三つを手に入れられる人と直接やり取りするというのは、どうなんだ?」
たとえば、冒険者とか。魔蜂やらハイ・オーガやらミノタウロスやらがどの程度の強さかわからないのでなんとも言えないが、どの魔物も弱くはないだろうから、強い人に願いすることになる。おっちゃんの知り合いにそういう人は居ないのだろうか?
おっちゃんは……首を横に振った。
「俺も友や知り合いにお願いしようとしたが、仲間が魔障にかかっていたり、国に縛られている、他国に居たりと理由は様々だが駄目だった。向こうもひっ迫している状況で、こっちを優先してくれ、とは流石に言えん。まあ、最悪、頭を下げてでも――とは考えているが……」
それでも――と難しい顔をおっちゃんは浮かべる。手詰まり感が強い。俺も何かできれば……と考えた時、ふと思い当たる。奇跡が必要かもしれない。でも、まずはやってみないとわからない。どうせ、このままではいずれ――なのだから。
「……おっちゃん」
「ん?」
「今からでも、学園に入れるか?」
「学園? 何を……まさか、ダンジョンに入るつもりか?」
「ああ。上手くいけばだが、強力なスキルが手に入るかもしれないんだろ? 学園にあるダンジョンで揃うんだろ? なら、試させてくれないか?」
おっちゃんは少しの間考えたあとに口を開く。
「……そう、だな。ここ数日の手応えのなさだと、俺が魔物素材三つを手に入れるのは随分と先になると思う。運良く、なんてことはあるかもしれないが、現状だと先になる可能性が高い。それだと、イシスの魔障はまだ目に見えて発症していないが、魔力回復薬で一時的にしのいだとしても……間に合わない。……やってくれるか? アルン」
「ああ。妹を助けるために、俺はやる。……でも、おっちゃんは卒業生なんだから関係者として、そのダンジョンに入った方が早いんじゃ?」
「………………」
ふう、とおっちゃんは一息吐いて、どこか遠くを見始める。俺は何かあるのかとおっちゃんの視線の先を確認するが特に何もない。えーと、つまり……。
「もしかして、無理、な感じ?」
「……まあ、アレだ。一般よりは強いけど、おー……んー……まあ、ね。ほら、俺、錬金術師だから。錬金術師って、戦闘職じゃないから」
「まあ、無理ってことか」
「まあ、結論から言えば、そうなるな。でも、俺がダンジョンに行った時にイシスの体調が急変したら大変だろ? だから、俺はできるだけここから離れない方がいいと思うんだ。うん」
腕を組んで何度も頷くおっちゃん。呆れた目を向けるが……でも、確かにその通りなので何も言うことはない。
こうして、俺は王都にある学園に入学することになった。