09.不気味な音
内部はすぐに闇に包まれる。壁に打ち付けられた松明台には、数本の松明が残されていた。荒木がそのうち一本を抜き、火打ち石で火をつけると、ぼうっと橙の炎が揺らめいて、岩肌を浮かび上がらせる。岩の表面には奇妙な粘液が、斑模様のように貼りついていた。
「気持ちわりぃ……ヌメヌメしてやがる」吉六が泣きそうな声を上げた。
十蔵も荒木もそれには動じず、さらに足を進めた。奥から風が吹いてくるのか、ひゅう、と不気味な風音が耳を掠める。坑道の壁や梁には、黒く光る糸のようなものがこびりついており、その糸が支柱と支柱を結ぶように張り巡らされ、繭のようになっていた。
「この糸も、よく見りゃあ何か混ざってやがる。岩の粉やら炭の粉やら……ありゃ、ツルハシの先っぽまで取り込まれちまってるぞ」
吉六がうめくように言う。彼は炭鉱での作業には慣れていたが、こんな異様な光景は初めてだ。
「ああ、あそこだ。ツルハシの柄が突き出てる。まるで虫の巣みてえだな」
荒木は松明を近づけ、糸越しに確認してみたが、そこに血痕はほとんどついていない。工具ですら、黒い糸と粘液に飲まれるように固定されているだけだ。
(まるで毒グモの巣穴に入ってしまった蟻ではないか……これが体に巻き付けられてしまったら……)
ゆっくりと嘲笑うかのように自分の体を真っ二つに引きちぎる化け物の姿が脳裏に浮かぶ。
胸の奥を冷たいものが走るが、侍として気を逸らすわけにはいかない。荒木は表情を動かさず、糸を断ち切る方法を頭の中で探っていた。刀で斬れば簡単に切れるのか、それとも強靭すぎて刃が立たぬのか。実際に斬ろうとしても、ねばついて身体を取られる恐れもある。
「吉六が言っていた通り、まずは“第二採掘場”とやらを目指すかの」
しばらくゆるやかな下り坂を進むと、道がふたつに枝分かれしていた。吉六は迷わず左側を指す。
「右は地盤が弱え。昔、崩れかけて危なかったんでさあ。しかもそっちの奥は大した広さもねえ。やっぱり化け物が“巣”を作るんなら、左だろう。旦那方、足元に気をつけてな」
炭鉱の空気は次第に生温くなり、粘液の量も増えていく。鼻を突くような刺激臭に、荒木は思わず息を詰まらせた。周囲を照らす松明の光が、三人の影をゆらゆらと揺らす。
やがて視界が開け、天井の高い採掘場に出たようだった。支柱が何本も立ち並び、床には炭や廃材などが散らばっている。だが驚くべきは、そこにも黒い糸と粘液が幅を利かせ、あちこちを覆い尽くしていることだ。大きな梁や荷車の車輪が絡め取られ、まるで一体化しているかのようだ。
それは一言でいうなら巨大な“要塞”だった。
「うぐっ……」
吉六が思わず声を詰まらせた。よく見ると、人間の腕らしき骨や、肉片がこびりついている箇所もある。炭鉱夫たちのものかもしれない。荒木はそれを松明で照らしながら唇を引き結んだ。
「むごいことを」十蔵が静かに言い、手を合わせた。
粘液の垂れる音がしずくとなって、ぴちゃり、ぴちゃりと岩肌を伝っている。どこからか生ぬるい風が吹き付け、まるで魔物の巣穴の中にいるかのような嫌な感覚を増幅させる。
「この奥から、風を感じる」
十蔵が空気が流れてくる方向に先に立って、支柱と支柱の隙間を慎重に進む。
「旦那、そこの右のほうは踏むなよ。下が空洞になってるんでさあ。下手に踏み抜いたら落ちちまう……。うわ、糸がくっつく……ああもう、最悪だ!参っちまうぜこんなことなら……」
「静かに!」十蔵がピシャリと言った。
静まり返った暗闇の中から何やら物音が聞こえてくる。
──コツ……コツ……ガリ……ガリ……
三人は、瞬時に動きを止めて息を潜めた。金属が岩を叩いているようにも、あるいは何かが引きずられるようにも聞こえる。不規則で、耳を澄ましても何の正体か判別がつかない。
(炭鉱の生き残りか? それとも、まったく別の……)
荒木が刀の鍔を押さえ、僅かに眉を寄せる。暗がりの奥、粘液と糸がこびりついた通路から響いてくる音は、まるでこちらを誘うかのように一定の間隔で鳴り続けていた。




