思い出
昼休みの時間の女子会トークは中々のものであった。自分の身体の楓は何の容赦もなく、色々なことを話していた。というのも最新の恋愛小説とか云々だったか。
おかげでそれを聞いていた周囲の女子から見られる目が少し変わっているような気がする。
『匠くんって〈恋とチョコレート〉とか読むんだ、ででで!誰が好きとかある??????』
『うーん僕はやっぱり有栖川くんかな、なんか好きなんだよね。言葉にできないけど~。』
『有栖川派かぁ~、でもなんかわかる。イケメンが弱ってるところって滅茶苦茶シコいよね!!』
蘭子と楓の話にて俺の命運は尽きた。推定BLと認定されたこと間違いなしだろう。
隣で聞いていた万梨阿の微笑ましい顔が何とも俺へのダメージをより一層与えることになったのはここだけの話である。
(あの野郎、マジで好き勝手言いやがって。あ”あ”-!!ほんとに誘ったの失敗だったかぁ。)
そんなことを考えていれば六時間目が終わり、いつもの掃除時間がやってきた。いつものように学級委員長の桐生が掃除当番表の名札を適当にシャッフルし組み替えて発表していた。
「それぞれの当番は張り出しておくから各自見るように!」
その言葉と共に面々は掃除当番の一喜一憂していた。教室当番に当たった女子たちは歓び、廊下掃除を言い渡された男子の面々は嘆きの声が響く。
自分の担当は階段であった。階段担当は一目があるからずる休みできないし、階段が水で濡れていると教師から随分と文句を言われる。つまり超絶不人気職であった。
そんな役には計二人がいた。人身御供、所謂生贄といわれる二人組である。
その哀れな職に当てられたのは自分ともう一人、二条アイラという女子であった。
彼女は長髪の銀色の髪をしており、顔立ちも整っている方である。身長二メートルを超える姿に、きりっとした目つき、高潔さを感じるその瞳、全てが彼女をより一層美しさを醸し出していた。
座り方からノートをまとめる姿まで一種の絵画のように絵になるような人であった。
窓際のアイラへと視線を向ければ儚げな華の如く、どこか憂いげで世の中を達観してみているような顔で外の桜を見ていた。
親の都合でこちらに越してきたアイラは中学から関係性が続くこの地元密着の高校に馴染んでいる様子がなかった。
入学初日から誘ってくれる人間は誰一人しておらず、今でもたった一人だ。謎のベールに包まれた人物であり自分も全く彼女のことを知らなかった。
ずっと考え事をまとめているのか、当番発表にに気づいていない様子であった。一人で先に行ってもいいのだが不思議なと嫌な予感がしたので彼女の傍へと向かい、声をかけることにした。
隣にくれば甘い華の香りが鼻孔をくすぐるのがわかる。外からの空気と共に香る心地の良い匂いは彼女が彼女たらしめているかのように思ってしまう。
彼女は自分が近づいてもまるで気づいた様子はなく、遠い目で外を見つめていた。
「あの、二条さん?」
彼女は名が呼ばれてやっと気づいたのかゆっくりと振り向くのだが、笑みの一つすらない冷たい顔であった。
良い顔立ちに性格がキツめのシュッとした目に、高身長の身、長髪、銀色の毛、行動一つ一つに熱を感じさせない彼女はミロのヴィーナスのように足りない美というのを体現していた。
その一つの笑みもない顔を見てドキッと心の奥底で熱がこもる音がした。彼女の所作がとても色っぽく感じてしまい、なんとも美しいと思ってしまうほどであった。
彼女もじっとこちらを見ており、まるでお人形のように美しい彼女はしばらくの間を置いて口を開く。
「どうしたの藤沢くん。」
「ああ、掃除当番表が発表されてね。気づいていないようだから教えに来ただけだよ。」
「当番表……。」
しばらくの沈黙ののちに綺麗な顔は崩さずに口を開く。
「……まさか教えに来てくれたの?」
「気づいていないようだったからね、今日は階段の掃除担当だから箒を用意しておいてくれる?雑巾はこっちで準備するから。」
できる限りいつもの自分を隠して笑みを見せるのだが、彼女には全く笑みというものを浮かべることなくボケっとしていた。
「……階段掃除、わかった。すぐ行く。」
緩慢とした動作でノートや教科書を机に入れて立ち上がる、まあこれだけしておけば最低限は問題ないだろう。そう思って天日干ししてある雑巾を手に取り階段へと向かうのであった。
さて雑巾を濡らして階段に来たのだが、先に来ているであろう彼女の姿が見えなかった。道具一つ持ってくるだけで何をそんなに時間が掛かるのだろうと思っていた。
そんな風に考えていれば彼女が階段の上に見えた。だが彼女は箒だけを携えて仏頂面にてこちらを見ていた。
「やっときたか、ってちりとりはどこだ?」
「ちりとり、ちりとり……。」
しばらく彼女が片手に持ったであろう空の左手を見ていた。
「忘れた?」
「……みたい。」
あまりの呑気さにため息が出てしまうのだが、彼女が全く気にしていない様子で教室へと戻っていく。
こいつは中々の難敵なのかもしれない、そう考えてしまった。
そんなこんなで二人で掃除するのだが至って何事もない平穏な空間であった。というよりも最近は色々あり過ぎなのだ、入れ替わりやらなんやら意味の分からないのことばかりで厭になる。
しかしなぜ入れ替わりが発生するのか、その原因を知らないことには今後大変なことが発生すること間違いなしである。
箒で掃いたのちの階段を丁寧に拭きながら考えてみる。当日の感情の動き、行為、全てを振り返って考えても何がトリガーなのかはわからなかったが、可能性だけは洗い出すことができた。入れ替わりが発生したのは何かしらの心が動いた時に限るのだ。
つまりは心を動かすことがない限りは入れ替わることがないということである。そして効果が切れるはまちまちといった感じだ。
非現実的なこと頭を痛めていると彼女が小さく名前を呼んだ。
「……ねえ藤沢くん。」
「どうした二条さ、ん。」
彼女は踊り場に立ち、燦々と照りつける日光を背にこちらを見ていた。彼女の目はどこまでも深く、そこに大穴があるように深淵の色をしていた。
目つきが性格がキツいと評していたがそれが間違いだと今気づいた、他人を見定める鷹のような目であったのだ。他人への期待を一切見せないその眼窩に聳える眼光には一寸の光すら見えなかった。
「タクは”私のことどう思ってるの”」
それは魔法のような言葉であった。言葉を聞いて、彼女に対しての感情は嘘をついてはいけないと無意識に感じてしまい、心の奥底に眠る彼女の評価をすっと話してしまった。
「あー、かなり抜けているし、間の長い言い方は正直あんまり好きじゃない。」
自分のことを聞いてアイラは目を伏せがちにして聞いていた。
「……そう、続けて。」
「陰気臭いし、まるで人形みたいだ。だけど――。」
心に嘘はつけない、全てを吐き出すのだ。今自分が抱えている気持ちを。
「俺はお前のことを気にしてしまってる。その銀の髪、小川が流れるかのように梳かれた髪、誰も寄せ付けない雰囲気、全てが気になってしまう。端的に言って好きだ、それ以上はわからない。まだ俺もしらないことがあるのかもしれない、もっと知りたいと思っている。」
「……。」
アイラは目を閉じ聞いていた。自分の告解を、あの短時間に抱いた自分の彼女への屈託ない思いを。
聞いて何を思ったのか知らないが、自分が告白した後に不意に全てを言わなければならないという考えが消えていくのがわかる。
自分は彼女に何て言った?!自分の考えをすべて話してしまったことに驚いていた。
だが理解できた、彼女も俺の入れ替わりと同じく何かしらの能力を持っているのだと。
だが本当に能力なのかどうか分からない。もしかしたら違うのかもしれないが、睨み付けるようにして彼女へと聞いてみることにした。
「お前、今能力を使っただろ。」
「えっなんでそれを……。」
突然のことに彼女は慄いていた、これはビンゴだろう。間違いなく能力を持った人間である。だが肝心の能力の全容は分からないままだ。
能力自体は自分の意志を関係なく聞かせるといった内容であろう、その効果どこまで聞くかはわからないことだけが懸念事項だ。ただ何となく彼女がそんな大それたことをするとは思えなかった。
なぜにそう思ったのかわからない、しかし身体は分かっていた。彼女へのこの感情は、この心の内灯る感覚はもどこか既視感のある感情だ。
一歩、一歩と彼女へと近づく。アイラは怯えた様子でたじろいでいた。
「やだ、お願い、来ないで!!」
そう言うと彼女はその場から逃げるように走りだす。
「待て!」
階段を登ろうとしていた彼女の手を素早く握った。彼女の手はやはり細く、綺麗で繊細な手であった。
「やめて!離して!!」
握られた左手を振り回して必死に抵抗するのだが、そんなアイラに対して吠えた。
「馬鹿か!取って食おうってわけじゃねえよ、話をちゃんと聞きやがれ!!」
「嘘っ、そうやって騙そうとしてるんでしょ!」
いいやそれは違う、彼女だってわかっているはずだ。自分の心からの言葉を、脳内思考をフル回転させて彼女を説得する言葉を考え吐き出す。
「わかってんだろうが、お前は俺に”どう思ってるのか”聞いたはずだ。そこに嘘はないのだろう、虚構ではないのだろう。ならちょっとは落ち着いて話を聞け!」
「でも、でも……。」
それでも反応するアイラの目は既に雫で溢れており、今にも泣いてしまいそうな顔であった。
だが弱々しく庇護欲溢れさせる目は昔に見たことがある。だが記憶には残ってはおらずこれだという答えは出なかったが……。
そうしている間にも二人の騒動は相当大きくなっており、廊下掃除班の面々や教室掃除の女子たちが顔を出し状況を確認しようとしていた。
これ以上は騒ぎになって不味い、そう思うと強く握った手を離し彼女へと伝えることを伝えることにした。
「……今日の放課後に屋上で待ってる。伝える気があるなら来い。」
聞くことを聞くと涙を裾で拭いながら彼女はこちらを振り帰りもせずにその場を後にした。
あの後は一人で掃きから雑巾がけまでして教師に確認を取ってもらい掃除時間は終わった。みんなが帰宅する中屋上では肌寒い空気が吹きすさんでいた。
あまりの寒さに教室で待っておけばよかったかなと後悔しつつ屋上の壁にもたれ掛かって待機していた。白い息を漏らしつつ日が暮れるまであと何時間なのだろうな、そんなことを思い階段からの音を注意深く聞いていれば階段を上がってくる音がした。
段々と入口へと近づくにつれてなぜかこっちまで緊張していた。何を思っているのだと考えたが自分でもわからないことなので正直どうのしようもなかった。
大きく息を吸い込み、脳髄を一度冷却し熱を冷まさせることにした。そんなことを知ってか知らずか、屋上への入口前にて一度立ち止まるとゆっくりと扉が開けられた。
そこには彼女が現れた。銀の髪を靡かせてとても儚げな顔立ちで壁際にいる自分を見つけるとこちらを見つめてくる。
そしてアイラは深々と頭を下げた。
「……ごめんなさい、わ、私あんなことしちゃって。」
衆目についたあの騒ぎのことなのか、逃げようとしたことなのか、能力を使ったことなのか、どうにもわからないが一応受けとることにした。
「いいんだ。別に悪気があってやったわけではないだろう。」
「……わかっちゃうんだ。流石だね。」
彼女は顔を上げるとと硬直した真面目な顔から一点、心からの笑みを、旧友との再会した朋のような微笑みを見せる。
突然笑みを見せる彼女はオドントグロッサムを彷彿させる華に見えた。
その笑みを自分は知っている。彼女が誰なのか知っている。だがあと少しというところで答えが出てこなかった。もう少しで喉から出てきそうなのだが、本当に思い出せずにいた。
自分のことをわかって屋上に呼び出したと考えていた彼女は随分と悩んでいる匠の姿を見てむーとふくれっ面を見せていた。
「これでもわからないの、タク兄。」
「タク兄だって?」
タク兄、タク兄……。
それは自分が小学生の頃、随分と高身長の男子が周りの子に虐められている場面があった。その子を助け、戦うための心意気をテレビのヒーローのように教えていた。自分を兄のように慕い、人懐っこく接していた人物がいた。
そしてその子は自分はタク兄ちゃんと呼んでいた。
その名は……二条相良。
「あっ、お前か?!えっお前女だったのか!!」
突然の古い知り合いと出会った衝撃以上に、あの男子みたいな恰好をしていた子が女子だったことに驚いてしまった。
何がどうなったら男が女になるのだ?甚だ疑問ではあるのだが、一応心を落ち着かせて話を聞いてみることにした。
「お前、いつから俺のことに気づいていたんだ?」
「それは、入学式で顔を見て、かな。」
「……、お前本当に分かったな。小学生と高校生の顔は雲泥の差だろ。」
「まあね、でもその時の顔はちょっと酷くやつれて見えちゃって。変わっちゃったんだって思うとちょっと声かけにくくて。でもさ、今日声かけたくれたじゃん。その時は本当に嬉しかったんだ、嬉しすぎて正直何話していいかわかんないぐらい!」
あの堅物で、仏頂面で嬉しかった、彼女の認識と自分の認識の食い違いに思わず面食らってしまうものの彼女は言葉を続ける。
「でさ、本当に、本当にいけないことなんだろうけど。僕がいない間何があったのタク兄……。」
やはりそのことを聞いてくるか、目を瞑って天を仰ぎ見る。コイツには困っていたら助けるべきだと教えたのは俺だ。それを実直に行動に移している。
その行動を咎めることはできない。それすなわち過去の否定だけではなく、彼女の存在の否定にほかならない。だから咎めることはしてはならない。
だが答えることも今はしたくない。今の自分の気持ちを吐露したくはなかった。それに見え張った相手に弱みを見せるのは何とも恥ずかしくもあった。
目をゆっくりと開き、記憶を掘り起こしながら思い出話でもすることにした。
「なあアイラ、お前なんで男の恰好をしてたんだよ。女なのにさ。」
「それは父さんが失業中で貧乏だったから、かな。少しでもお金を使わないように兄の古着で我慢してたって感じ。ちょうど僕の背格好も似てたし、体格も同じだったから。」
「そいつは中々大変な過去だな、母親……はいないんだったな。悪い。」
「大丈夫だって、タク兄には話したじゃん。自分のこと全部ね。」
「そうだったな、自分が同年代で、女で、男の恰好をしているって以外はな。」
「それは聞いてこなかったタク兄が悪いからノーカンだよ。」
「そうかい、あと今日の階段掃除の時悲鳴上げて逃げやがったよな。あれの所為でなおのこと女をたぶらかす屑みたいなに見られるかもしれないんだがどう落とし前つけるんだ。」
「げっ!その件は本当にごめん、でも、その、……ね。どう思ってるのかわからないから、本心を聞いておきたかったんだ。ほら昔っから要領が悪かったでしょ。前々から人の心ってのがわからなくて、わかりたかったんだ。それだけ、それだけだったんだ。」
「……そうか。それで能力を使ったってことか。」
「そうなるね。それでみんな気味悪がって離れていっちゃった。でさ、夢、覚えているよね。」
彼女は地平線に顔を隠し、翳りつつも燦々と輝く太陽を眺め温かなモノが宿った光でこちらを見つめる。
「僕はタク兄に恩返ししたい、どこまで遠くに行ったとしてもその思いだけは燃え尽きることなくこの胸の内にあるんだ。でもさ……。」
目を閉じ、胸に手を置く。今の彼女はたった一つの言葉生み出すために感情を高ぶらせていて、それは一人の”女”としての顔であった。
「僕、いや私は匠のことが好きです。」
告白はあまりにも重かった。その年月と経験してきたことの数々、それでもなお絢爛に輝く恋心を目の前にしてより一層自分の心が潰れそうになってしまう。
自分は他人の人生をぶっ潰した人間なのだ、自分の存在意義を失ってしまった人間なのだ。そのような人間に甘い恋なんて許されるはずがない。
彼女は自身の思いから逃げることなく、必死に打ち明けてくれた。彼女を失望させたくはなかった。
呼吸が早くなるのがわかる。苦しくなるのがわかる。今にも苦しさが胸の内から溢れ出てくる。
俺は どうしたらいいんだ。
答えは見つからなかった。