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恋人騒ぎ

夢を見た。灼熱の熱気で蜃気楼のように揺れ動く運動場を走る夢だ。

 息を切らしながら走る先には彼女がおり、その顔はよくは見えなかったけれどもとても見知った顔であるのは分かる。

 自分は必死に走りながら彼女を追い抜こうとしようとしても、できなかった。

 単に自分の足が遅いだけなのだろうか、どれほどスピードを上げても彼女に追いつくことはできずにいた。

 それどころかどんどん追い抜かれて行き、たった一人が残されるのである。残された人間はただ立ち止まった。

 そして彼女を見つめていた。どこまでも上を目指す彼女に恋焦がれていた。どこまでも元気いっぱいに走り抜ける彼女を見ることだけが彼の歓びであった。

 だが彼女はこちらを振り返ると足を止め、ゆっくりと近寄ってくる。そうして声を掛けてきた。


「一緒に歩こう。」


 この時天まで上るはずの彼女を殺してしまったのだ。その一言の重みを識っていたからこそ、苦悩したんだ。

 僕は、彼女を歩かせてしまったのだ。自分がいなくとも走って征ける彼女を殺したも同義、嗚呼彼女の爛漫な勝ち誇った笑顔はもう見ることはできないのだろう。


 目を覚ませば眼にはひとかけの雫が零れていた。それは後悔の現れ、発露に過ぎないと識っていた。だから自分は手の甲で拭いとる。

 決して彼女に見せるつもりはない光景であったのだが。


 部屋は見慣れた部屋ではなく、可愛らしい小物が置かれていたり男性アイドルのポスターが貼っている部屋となっており、瞬時に物事を理解することができた。


「……ここはアイツの部屋か。」


 はあ、とため息を漏らしながらも起き上がって時刻を確認する。朝七時ほどで、窓からは日光が燦々と照りつけている。

 部屋のドアを開け、二階から階段を下りリビングへと向かえば葵の母親は既にいなかった。リビングのテーブルの上には書置きと千円札が置かれ、少し冷めた朝ごはんに弁当が一つ包まれていた。

 

『葵へ、今日は遅くなります。晩御飯は自分で用意してください。』


「……。」


 書置きをゴミ箱へと捨て、椅子に座って黙々と朝ごはんを食べる。

 彼女の家にお邪魔したことはないが、大変な家庭だというのは初めて知った。

 それに窓ガラスには意匠が凝られた装丁がされており、キッチンは油で汚れ切っておりひと昔のキッチンを彷彿とさせる銀幕で壁をかこっている。

 それに家電諸々のプラスチックは日で焼けた黄色になりそうとう使い古した機種であるのだことがわかる。

 多分この家も相当昔に建てられたものであり、それを購入して住んでいるのだろうことは容易に想像に難くない。


 彼女のことを想いつつも、ささっと朝食を済ませれば学校に行く準備をするのである。

 自室に戻り、女子の制服が懸けているハンガーを見つければ女の子らしい青い寝間着を脱ぐ。

 ぶるんと胸が上下し、下を眺めるのだが彼女らしいっちゃらしい青の下着をつけているようである。

 あの競争バカもこんな女の子らしい恰好をすることに微笑んでしまう。もっと小さいときはシャツのような肌着をつけていたので、いまでもそうなのかと思っていただけに少し驚きも混じっていた。


「……あいつも女になったんだな。」


 あと年頃の女子の下着を見られたことに興奮や感情の高ぶりを感じないわけではないのだが、ここは心を殺してさささっと着替えるほかにないだろう。

 不思議と幼馴染の裸を自分の身体として見たぐらいで気持ちが激しく揺れ動く人間ではなかった。何故にそう思ったのかわからないのだが、今はそう思ってしまうのだ。

 自分が望み通りどんな辱めも凌辱できる立場であるのだが、それを良しとしない善い人間である。それに彼女は笑顔で走っている方がよっぽど似合うのだから。


「俺は誰がなんと言おうとも葵なんだ、だから不自然なことではない、なんだが……。」


 ただ女子生徒の制服を着ることには抵抗はなかったわけではないのだが、これで外に出るというのが何とも気恥ずかしさを感じさせるのだ。

 自分がスカートを履き、女子のブレザーを着てリボンを首元につけているのだ。外見は葵の為不審に思われることはないのだが、心は男の為変に気が落ち着かないのである。

 

「こんなことで気が動転していたらまるで変態のようじゃないか、意識しないように……。」


 するとドンドンドンと階段を上がる音と共に勢いよく戸が開かれた。


「おはようタクシュー!」


 突然制服を着た匠の身体の葵が飛び込んでくる。突然の来訪に心底から驚いてしまった。


「うおっ!!お前なんでいるんだ!!」


「えータクシューが私の身体であんなことやこんなことしているかもしれないでしょ~。」


 胸を揉むような仕草をしてあんあんと声を出した後、にしししといやらしい顔で笑う自分をみて何ともキショイと感じてしまったが、右目を覆うように手で抑え頭を横に振ってしまう。


「そんなわけないだろ。というか俺の身体で変なことはしてないだろうな?」


「ん、まあ朝にトイレにいったぐらい?でもまあタクシューのアレって意外と大きいんだね、すっごく男らしくていいじゃん。」


「あのなぁ、それを本人に言うやつがあるか。」


「それじゃあ代わりに私の下着でも見たらいいよ。」


「下着を見てもいいってなんだよ!お前は痴女がなんかかよ、ったく。」


 そんな悪態をつきつつもキャラもののストラップなどがつけられている鞄を持ち、玄関へと向かう。


「タクシューになら別にいいんだけどなぁ。」


 後ろでむすーっとしている彼女を無視して玄関に置かれた黒いローファーを履く。彼女も急いで靴を履き一緒に外へと出るのであった。

 そんなこんなあって学校まで到着すれば裏手にある自転車置き場へと自転車を残し、校舎へと入るのだ。


「タクシュー、一応道中に説明したけど私の関係はそんな感じだからよろしく。多分タクシューもわかってるとは思うけどね。」


 ローファーを靴箱へ入れつつ小さく耳打ちされるが、勿論理解はしていた。


「無論だ、お前こそ滅茶苦茶なことするなよ?」


「タクシューより断然楽だから大丈夫だって。」


 まあ彼女の交友関係のことを思えば確かにそうである。だがそれを維持しなきゃいけない自分にとっては中々の難事であることは違いないだろう。

 だがそれでも真似することは苦手ではなかったし、多分日常の延長線上だろう。ならいつもの彼女のように化ければよかった、のだが。


「ねーねー、葵っち。告白したんだって!!」


 教室に入ってからというもの昨日のことがクラス中に広まっていたらしく、突然声を掛けらるのだ。

 目の前の声を掛けている女子生徒は綾部 ミカンだったか。名前はなんというか綾部市の名産品みたいな名前をしているがれっきとした人名である。

 ミカンは年齢の割には童顔であるのだがシュッとした顔つきのおかげで少し美形よりではあった。髪も相当念入りに手入れしているのか艶々で綺麗に輝いていた。

 ボブカットの彼女はまるで子犬が遊び道具を見るかのような燦々とした目をしていて、真っ暗の自分には余りにも眩しい存在だ。


 男子の面々も誰に告白したとか、どうだったのか知りたい人間は多くいるらしく、女子陣の後ろに興味津々の男子たちがたむろしていた。


「う、うん。したけど……。」


「ででで!!どうだった?そーれーとー、誰にしちゃったの?」


「えーと、それは、ちょっとね。」


 思わぬ質問にタジタジになり、言葉が出てこなかった。どう答えるべきなのか、どう答えるのが一番安全なルートなのか、必死に考える。

 けれど出てくるルートはどれも厄介極まりなく、どうあがいても自分の彼女の関係が露呈してしまう可能性を秘めている。

 話題をどう逸らすか悩んでいれば自身の前へと鞄を持った雫が割って入ってきた。


「どうどう、落ち着いた落ち着いた!みんなそのこと気になることはわかるけど言いたくないことだってあるでしょ。ミカンも葵が困ってる顔分からないの?」


 突然のこと乱入にみんな不満げな顔をするが、ミカンはあははは、と誤魔化しの笑みを浮かべいた。


「ごめんね葵、ちょっと無神経だった。」


「あっうん、いいだ。気になるのは分かるからね?」

 

 そう口に出すと周りを囲っていた衆人はばらばらとなりそれぞれが席に着くか、いつもの集まりで話合うかに戻っていた。


「ふう……、雫ありがと。助かったよ。」


「まあこれぐらいならお安い御用って感じ。」


 小さく口角を上げ、笑みを作る彼女だがこの手助けは本当に助かった。ここで暴露なんてしていたら自分の安穏とした学校生活が破綻すること間違いなしだったのだから。

 彼女へと振り返り小さく頭を下げて一礼する。だがその光景を見て彼女は目を細めて一言呟く。


「で今日は”そっち”なのね。」


「え?」


 ポツリと呟いた彼女の言葉の真意はわからないが、それでもピクリと自分の嫌な予感センサーの琴線に触れた気がした。

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